高杉晋作をご存知ですか?私自身は少し前まで、ほとんど気にも留めなかった明治時代の人物です。
ところが私が住んでいる品川宿の歴史に目を向けると、意外なところで高杉晋作とつながってきます。
旧東海道品川宿。この品川宿に幕末の志士たちが集まる旅籠屋「土蔵相模」がありました。
土蔵相模は品川でも有数の規模と格式を誇った妓楼で、高杉晋作、伊藤博文ら幕末の志士たちが密談を行った場所、隠れ家、尊王攘夷の拠点でした。
長州藩士は遠い遠い長州藩(山口)から徒歩で品川までやってきたのですね。
疲れた脚をここで休め、ちょっと遊び、密談したのでしょう。
文久2年の長州藩士による英国公使館焼き討ち事件の際は、ここ土蔵相模から藩士が出発しました。
リーダーは高杉晋作です。副リーダーは久坂玄蕃、火付け役が伊藤博文、井上馨という、錚々たるメンバーです。
幕府が建設している英国公使館はまだ建築途中で、夜中、人は誰もいませんでした。そこに火をつけ、、すぐさま撤収。
相模土蔵に戻って、今度は遠くで燃える英国大使館の炎を見ていたのかもしれません。
さて、高杉晋作の幕末での大活躍はご存知の通りです。
晋作は激動の幕末を走り抜け、その才能を発揮して活躍しましたが、29歳、明治の新しい時代を見ることなく、短くも激しい人生を終えました。
高杉晋作の辞世の句
「おもしろこともなき世をおもしろく すみなしものは心なりけり」
辞世の句の内容を斟酌するのは大変難しいところがありますが、
「面白いと思えることのない世の中を面白く。それを決めるのは自分の心ひとつだ」
「心のありようで世界は面白くもなるしつまらなくもなる、心の持ち方、心の有り様でいかようにも世界を捉えられる」
下の句の「すみなしものは心なりけり」は病床の高杉に代わり、福岡の勤王女流歌人・野村望東尼が結んだといわれています。
面白くもない世の中を面白くしてきた、という高杉晋作に対して、つまりすべては心の持ちようだ、と返したのです。
写真は山口萩の高杉晋作生家、晋作の像が建つ公園、萩城下、