瀝瀝(れきれき)散歩道

瀝瀝というのは「水が音をたてる様子/風が音をたてて吹く様子」つまり、「ありのままの風景」ということでしょうか。

激動の時代を走り抜けた高杉晋作(長州藩)

2022-10-04 20:08:03 | 特別職国家公務員


高杉晋作をご存知ですか?私自身は少し前まで、ほとんど気にも留めなかった明治時代の人物です。
ところが私が住んでいる品川宿の歴史に目を向けると、意外なところで高杉晋作とつながってきます。


旧東海道品川宿。この品川宿に幕末の志士たちが集まる旅籠屋「土蔵相模」がありました。
土蔵相模は品川でも有数の規模と格式を誇った妓楼で、高杉晋作、伊藤博文ら幕末の志士たちが密談を行った場所、隠れ家、尊王攘夷の拠点でした。
長州藩士は遠い遠い長州藩(山口)から徒歩で品川までやってきたのですね。
疲れた脚をここで休め、ちょっと遊び、密談したのでしょう。

文久2年の長州藩士による英国公使館焼き討ち事件の際は、ここ土蔵相模から藩士が出発しました。
リーダーは高杉晋作です。副リーダーは久坂玄蕃、火付け役が伊藤博文、井上馨という、錚々たるメンバーです。
幕府が建設している英国公使館はまだ建築途中で、夜中、人は誰もいませんでした。そこに火をつけ、、すぐさま撤収。
相模土蔵に戻って、今度は遠くで燃える英国大使館の炎を見ていたのかもしれません。



さて、高杉晋作の幕末での大活躍はご存知の通りです。
晋作は激動の幕末を走り抜け、その才能を発揮して活躍しましたが、29歳、明治の新しい時代を見ることなく、短くも激しい人生を終えました。

高杉晋作の辞世の句
「おもしろこともなき世をおもしろく すみなしものは心なりけり」
辞世の句の内容を斟酌するのは大変難しいところがありますが、
「面白いと思えることのない世の中を面白く。それを決めるのは自分の心ひとつだ」
「心のありようで世界は面白くもなるしつまらなくもなる、心の持ち方、心の有り様でいかようにも世界を捉えられる」

下の句の「すみなしものは心なりけり」は病床の高杉に代わり、福岡の勤王女流歌人・野村望東尼が結んだといわれています。
面白くもない世の中を面白くしてきた、という高杉晋作に対して、つまりすべては心の持ちようだ、と返したのです。



写真は山口萩の高杉晋作生家、晋作の像が建つ公園、萩城下、

山口県(長州)萩

2022-10-04 20:00:08 | 特別職国家公務員


山口県防府市での仕事の前に「萩」に足をのばしてみました。

萩は毛利氏の萩城を中心とした城下町です。
「萩」の名前の通り、お城の城壁の周りには「萩の花」がいっぱい咲いています。



誰もいない海岸、海に面した萩城は山城のようです。
萩には吉田松陰先生(←町の人は松陰先生と呼んでいます)の松下村塾があり、
そこの門下生には久坂玄蕃、高杉晋作、伊藤博文等、明治維新で活躍した錚々たるメンバーがいます。

「萩」小さくて美しい町です。自転車で30分も走れば、町の端まで行くことができます。2日間レンタサイクルを借りて、かなりじっくり萩の町を見て回りました。
萩は新山口(空港のもより駅)から高速バスで1時間。2日目の夕方、新山口に戻り、防府市に移動しました。