瀝瀝(れきれき)散歩道

人の働き方をサポートする株式会社キャリア・ストラテジー代表、𠮷本惠子のブログです。

マネージャーは要りません、プレーイングマネージャーが必要なんです

2017-06-26 06:36:02 | 株式会社キャリア・ストラテジー



みなさん、こんにちは。
雨が降ったりやんだり、梅雨らしいお天気が続きますね。
そんな中、今日は銀座でWACお茶の会がありました。
実は7月の第1週、女性自衛官のための銀ぶら会(本番)が開かれますが、当日どうしても来られない方のための
簡易版お茶の会を開催したのです。

銀座、アフタヌーンティー、なんとなく女子が好きそうな感じですよね。

↓金粉のチョコレートムース



優雅な時間でした!
また、定年後を見据えて、どのように今後計画を立てていくのか、という貴重な意見交換を行いました。


↓ チーズケーキです。




「マネージャーはいらない、プレーイングマネージャーが必要なんです」
先日、私の授業を見学された会社の社長さんがそうおっしゃいました。

それでは、プレーイングマネージャーって一体なんでしょうか?

皆さんはヤクルトスワローズの第19代監督だった古田敦也さんをご存知でしょう?
今でもよく野球の解説者として登場します。
彼はしばらく選手兼任監督として活躍しました。
プレーイングマネージャーはもともとよく野球で使われていた言葉です。

これをビジネスに置き換えると
「自ら率先して売上・利益を上げるプレーヤーとして活躍し、自分と同じように活躍できる人材の育成・指導を行う管理職者としての能力のある人」
ということになります。
かつての日本企業では、管理職と現場社員が明確に分けられていました。
バブル崩壊後、日本企業はリストラと並行して管理職ポストを激減させ、組織のフラット化を促進。
その結果生まれたのがプレイング・マネージャーという存在です。

経営側にとっては、利潤を生まない専任マネージャーを置くよりも、売り上げに貢献する現場のプレーヤーを管理者と兼任させたほうが、
それだけ人件費が抑えられるという背景があります。

こうして、現在のリーダーたちは、営業などの第一線に立ちながら、管理職として部下のマネジメントを行い、
さらには諸々の会議にも出席しなければならないという複雑なポジションを任されることになりました。
現代の上司には、「プレーヤー」と「マネージャー」、この2つの両立が求められているのです。

プレイングマネージャーは、数人から10人程の少人数のチームの舵取りを託されることも多く、チームの目標達成や問題・課題解決が期待されています。
チームで動く以上、チームメンバー同士の円滑なコミュニケーションや連携は不可欠となります。
そのため、メンバー一人ひとりが自主的に行動できるだけでなく、良好な対人関係、メンバー間での支援体制を構築する必要があります。
個々の意見や作業内容を尊重し、モチベーションの高いチームを構築・維持することが求められます。

プレイングマネージャーは
「調整力」「コミュニケーション能力」「柔軟性」「問題解決能力」「チームビルディング」と、、期待されるものが多いですね、、、。

私の元上司は尊敬できる素敵な人でした。
まさにチームの先頭に立ち、ロールモデルとして部下を引っ張って行きました。
私は怒られたり、励まされたり、慰められたりしながら上司の元でずいぶん勉強させてもらいました。

会社を辞めるとき、上司は私に言いました。
「いいリーダーになってください。でもまず何よりもいい人であることが大切です。いい人になってください」
プレイングマネージャーはまた「いい人」でなくてはならないようです。

難しいですね〜!
でも社会はそのような人を求めているのです。
皆さんはいかがでしょうか?













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意外にややこしい謝罪の仕方〜民間の例から

2017-06-21 19:40:38 | 株式会社キャリア・ストラテジー

今日は、大雨注意報が出ています。
みなさん、お元気でしょうか?

昨日からネコとの生活に入りました。
休養中ですから、穏やかな時間が流れています。

さて、30代後半〜40代頃、中国の文化遺跡の通訳兼ガイドとして日本と中国を行ったり来たりしていました。
すでに子どももいる私でしたが、アルバイト(日雇い計算のスタッフ)としては家計のためにありがたい仕事でした。



ある時、W大学とN大学の合同の高句麗王朝の遺跡調査のスタッフ(通訳兼ガイド)として、中国遼寧省と北朝鮮の国境地帯に入りました。
調査隊の長はW大学の名誉教授でした。
70代近い方でしたが、白髪でハンサムで若い頃はさぞかしモテたでしょう、という渋い男性でした。
しかし見た目とは違い、性格はめちゃくちゃ短気で、ほぼ怒鳴りっぱなしの石頭、、、しかし、旅行会社にとってはお得意様、、、まさに扱いにくいお客様でした。
名誉教授のアカデミックな業績は立派なもので、調査隊にはわざわざ休暇をとって参加した教授の弟子たちがいっぱいいました。

教授は教授ですから、常に周りの者に対して上から目線でものを言います。
私も「子どもがいるのに、ここで何をしている!子どもや夫の世話はいいのか!」と説教されました。
「はい、教授のおっしゃるとおりです、、本来ならそうしたいのですが、なにぶん生活が苦しいので、、」

当時、主人は靴職人修行中でしたから、本当に中国に出稼ぎに出ないと生活は大変でした。
すると今度は「そんなに大変なのか、、、」と同情されました。もちろん
「はい、、、励ましてくださりありがとうございます」と答えましたが、、、。

その後、遼寧省の大連から瀋陽経由で高句麗王朝の遺跡のある集安という小さな都市に行きました。
ここには好太王碑や将軍塚などがあり、現在は世界遺産に指定されています。




道は非常に悪く、バスはぬかるみにはまり、乗っている乗客全員で後ろから押す、なんてこともありました。
また、中国の田舎のレストランの衛生状態はひどく、教授の一言で「トマト」ひとり3個を食べて、昼食が終わりになったこともあります。

山に差し掛かると、「カタクリ」が群生している場所がありました。
またまた「教授の一言」で全員がバスを降り、その日の夕食に日本のおかずを加えるため、カタクリの花を摘むことになりました。
そして宿に着くと、「さっきのカタクリと地場のたらの芽を天ぷらにしよう」と教授に言われました。
中国人のコックさんは「天ぷらの作り方」がわかりませんから、なんと!「私が」厨房に入り教えることになりました。

一生食べきれないくらいのカタクリとたらの芽の天ぷらを大皿に盛り上げ、もう勘弁して〜と言うまで食べたことを覚えています。



しかし、事件は起こるべくして起こりました。

もともと教授は中国人に対する差別がひどく、4日ほど経った時に日本語の分かるガイドに
「ばかやろー、何やってんだ!だから、中国人はダメなんだ!」と怒鳴ってしまったのです。一瞬にしてその場は氷つきました。
「バカヤローとはなんだ、失礼じゃないか!」とめちゃくちゃ怒るガイドさん。
私は「この人は悪気はないんだけど、ごめんね。許してあげてください」となんどもお願いしました。
が、教授はその後もガイドに悪口を言い続け、とうとうガイドは仕事を放棄して帰ってしまいました。

そうなると、教授の怒りの矛先は私に向きました。
「バカヤロー、お前は何やってんだ。次のガイドをすぐに手配しろ!客をなんだと思っているんだ!」
参加者全員の前で怒られましたが、お弟子さんたちは慣れているのか、関わりたくないのか、誰も何も言いませんでした。

私は人前で怒られたので、恥ずかしくて涙がこぼれそうになりましたが、これも仕事と割り切らなくちゃと
「申し訳ございません!本当にすみません」と85度まで頭を下げて、何度も詫びました。
しかし、教授の怒りは収まりません。その後、15分ぐらい怒られ続けました。
もちろん口答えはしませんでした。相手はお客様ですから。

その晩、悔しくて涙を流しました。



さて、改めて謝罪について考えてみたいと思います。
皆さんの職場と民間での謝罪の方法が同じかどうかはわかりませんが、
今回は不幸にも上記の名誉教授のような人に出会ってしまった場合、どうしたらよいか、、、難しいですね。

仕事でもプライベートでも、人の信頼を裏切り、怒らせてしまった時は、理不尽であれ、
1 まずは徹底的に謝る、ことが大切だと思います。何を言われてもです。何度でも謝ります。相手は傷ついているのですから、、、
2 次になぜこんなことが起きてしまったのか、原因をよく考えて、整理してから話します。相手が聞いてくれないとしても対策を述べます。
3 ここで言い訳から入ってしまうと逆効果です。相手の心情を逆なでしましうからです。
 相手の誤解だとしても誤解を作ったのは間違いないので、わかってくれるまで忍耐を持って謝罪します。

第2ステップとしては
1 相手とは連絡を取りたくないのはよくわかりますが、相手は信頼を裏切られて怒っているのです。時間が経てば経つほど事態は悪化します。
2 ここで大切なのがコミュニケーションの取り方です。
3 時間をおくことも大切ですが、謝罪の気持ちや具体的な迷惑への対策をとことん考えて実行することはさらに重要です。
4 相手の方が「そこまでしてもらって恐縮です」というくらい謝ります。こちらのミス、不注意が発端となっているのですから、
 「やりすぎ」ということはありません。

怒らせて信用を失うことは、仕事でもプライベートでも大きな後退となります。信用を速攻で回復するなんてできないのです。
時間と労力と忍耐力が必要です。
相手は自分が馬鹿にされている、と受け取ったわけですから
謝罪も「この人は口だけか?!」と思われないよう誠心誠意です。

一度信用を失うと、信用を築いた時の10倍も20倍もエネルギーを必要とします。

最後に、名誉教授御一行様は無事日本に帰国しました。
私は2週間で5キロも痩せました。
一生忘れられない旅になりました。

帰国して、雇い先の会社からは、怒られた時の対応が良かった、と褒められました。
特別賞与などは出ませんが、信頼を得ることができ、次からの仕事が増えました。
我慢した甲斐がありました!
また、怒って帰ってしまった中国人のガイドから連絡をもらい、「次に大連に来る時は連絡して、ご馳走するから」と言われました。
実際に次に大連に行った時には「海鮮料理」の大ご馳走をいただきました。

我慢し続ければ、時々いいことも巡ってくるのですね。











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業界用語は難しいけど、、、

2017-06-20 13:03:40 | 株式会社キャリア・ストラテジー

みなさん、お元気でしょうか?
ちょっと梅雨っぽくなってきたのでしょうか?
東京は相変わらず空梅雨って感じです。

さて、
私ごとで恐縮ですが、しばらく御茶ノ水にある大学病院に入院していました。
私は大きな病院に入院したのは初めてなので、結構ビビりました。
また「痛がり屋」なので、手術と言われ戦々恐々でした。
11日間を過ごしたところで、先日「医学上は何の問題もない」と告げられ、めでたく退院となりました。

ところで、御茶ノ水は青春時代を過ごした場所です。
私の高校時代のボーイフレンドは明治大学に進学したので、私はよく六大学野球を見に行きました。
ちょうど明治には中畑清、法政には江川がいたから、六大学の黄金時代と言っても過言ではなかったでしょう、、、。
病室からは、その明治大学の高層校舎を見渡せました。
昔、よく行った「アッサム」という半地下にあった素敵なカフェは明治大学の開発(?)で取り壊されてしまいました。
西郷輝彦(古い、、、)に似た店主がいた、とんかつやさん、も同じです。
キッチンカロリーという洋食屋さんは生き残りました。
なにしろカロリーの多い揚げ物と大量のご飯んで有名なお店で、明治大学の学生たちには大流行りの食堂でしたから。




病院は異文化社会ですね。面白い業界用語が飛び交っています。
今回、私が一番気に入った言葉は「きれいな傷」というものです。

手術でみぞおちあたりに10センチほどの傷ができましたが、
その傷をチェックするお医者さんや看護師さんが同じように「きれいな傷ですね」というのです。

最初は「はあ〜!?きれいな傷?」と思いました。
普通、きれいは
「あの人はきれいです」とか「きれいな桜です」のようにプラスのイメージですよね。
傷はどうでしょうか?
今まで何もなかったところに10センチの傷ができれば、きれいなんてものじゃありません、悲しい気持ちがします。
その感覚で受け取ると「きれいな傷」は理解できないものになります。

しかし、ちょっと考えると
医療関係者は「いろいろな傷を見てきたけれど、その中では比較的きれいな傷です」と言いたいのではないでしょうか?
傷に関する経験に大きな差がありますし、そこが専門職の専門的な言葉、ということになりそうです。

自衛隊の言葉で私が気に入っているのは「調整力」ですが、最近の衝撃は「ダッサク」です。
これもまた「調整力」「補給統制本部」と同じように、生まれて初めて聞いた言葉でした。

授業で「ジョハリの窓」を勉強しましたよね。
私も「ジョハリの窓」を初めて知った時には「変な名前!」と思いました。
皆さんも「ジョハリの窓」を授業で聞いた時は、「何?それ」と感じませんでしたか?

さて、どの業界にも業界用語があります。
それはその場に最も適し、すばやく相手にその状況を伝えることができる便利な言葉なのです。
私たちは定年退職後は新しい現場に入っていきますよね。
そこではそこだけしか使わない言葉があると思いますが、「???」と思ったら、遠慮せずにすぐに質問しましょう。
放っておくと、仕事で支障をきたすことも考えられます。
私たちはそこのところは必要以上に積極的にならなければいけないと思います。
のちのち、「今さら聞けないことなんですけど、、、」なんて言うより、その時に聞いてしまった方が本当に楽です。



入院中、私を担当してくださった3名の医師は30代前後の若い先生たちです。
3人はいつも一緒にやってきます。
廊下での話し声が聞こえてきます。

「〇〇やっておいたから」
「あざーす(=ありがとうございます)」
「ありがっとっす」

ちょっとだけですけど、大丈夫かな〜、この人たちも私の手術に立ち会うって言ってたけど、、、って思いました。






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55歳からのハローライフ

2017-06-11 19:15:32 | 株式会社キャリア・ストラテジー

みなさん、こんにちは。

みなさんは今年で何歳になられたでしょう?
50代は人生で最も円熟している時期ですが、今後をどう生きるか、迷うときでもあります。

私が55歳の時にある大手ショッピングセンターが「GoGoカード」という55歳以上の人向けのクレジットカードを作りました。
もちろん、私はすぐに申し込みました。
「GoGo=55カード」って「行け行け!55歳」って言われているみたいで、何か気に入ったからです。


さて、日本はここ20年ばかりで「定年まで働き続けることができる」という働き方が通用しなくなってしまいました。
それどころか今後10年先、5年先も思い描くことができない状況です。
私たちは複雑で難しい時代に生きています。

会社が50代まではどうにかしてくれたものの、会社を辞めると収入も人的ネットワークも激減してしまいます。
これからどうやって生きていくのか、本当に迷うと思いますが、
そんな時に助けになってくれるのはどんな人でしょうか?

以前、学生300名ほどにアンケートを取ったことがあります。
それは「ピア・サポート(同じ環境にいて、同じ経験をした人たちの助け合い)」を調査するものでした。
その中で、「あなたが困った時、問題を抱えた時、相談するのは誰ですか」という問いがありました。

さて、下記のうち1番になったのはどれでしょうか?

1 先生
2 友だち・同級生(以前の同級生も含む)
3 友だち・先輩後輩
4 家族
5 カウンセラー・相談員
6 その他



答えは
2番の友だち・同級生でした。
次に多かったのが4番の家族
最もポイントが低かったのは5番のカウンセラーと1番の先生でした。

これは年代が変わってもあまり変化がありません。
私たちは困った時、真っ先に「上司や会社」に相談するでしょうか?

私たちの年代も困って困って困り果てた時は、「友だち・同級生」と「家族」に相談することが多いようです。
そういえば、先日、少年工科学校の卒業生の人たちと食事会をしましたが、
その絆は「ほー」っと言葉が出るほど、見事なものでした。
同級生や友だちというのはずーっと繋がりが途切れないものなのですね。



さて、今日は上記に関連して、村上龍さんが書いた
「55歳からのハローライフ」を紹介したいと思います。
この本は5つの短編(結婚相談所・空を飛ぶ夢をもう一度・キャンピングカー
ペットロス・トラベルヘルパー)からできています。

出版社のコメントは以下の通りです。

多くの人々が、将来への不安を抱えている。だが、不安から目をそむけず新たな道を探る人々がいる。
婚活、再就職、家族の信頼の回復、友情と出会い、ペットへの愛、老いらくの恋…。
さまざまな彩りに充ちた「再出発」の物語。

人生でもっとも恐ろしいのは、後悔とともに生きることだ。「結婚相談所」
生きてさえいれば、またいつか、空を飛ぶ夢を見られるかも知れない。「空を飛ぶ夢をもう一度」
お前には、会社時代の力関係が染みついてるんだよ。「キャンピングカー」
夫婦だからだ。何十年いっしょに暮らしてると思ってるんだ。「ペットロス」
人を、運ぶ。人を、助けながら、運ぶ。何度も、何度も、そう繰り返した。「トラベルヘルパー」

ごく普通の人々に起こるごく普通な出来ことを、リアルな筆致で描き出した村上龍の新境地

みなさんの参考になることが、もしかしたらこの小説から読み取れるかもしれません。
もしよかったら読んでみてください。

https://www.amazon.co.jp/55歳からのハローライフ-村上-龍/dp/4344022866






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シャンシャンブラザーズ近況

2017-06-11 13:12:40 | 株式会社キャリア・ストラテジー
みなさんお元気でしょうか?
5月の業務管理教育の担当授業が終わりました。
今回も顔見知りの方や卒業生の後輩の方、などから声をかけていただき
嬉しかったです。

また、同時に「電気工事士」のセミナーが大教室で行われていましたが、
そこには業務管理教育の卒業生の方が数名いらっしゃって、空き時間にちょっとだけおしゃべりができました。

声をかけてくださる方の半分ほどが
「シャンシャンブラザースはその後いかがでしょうか」と質問してくださいます。

我が家の2人の息子
上がマジシャン、下がミュージシャンで合わせてシャンシャンブラザーズですが、
相変わらず年収40万円で頑張っています。
それ以外の費用はアルバイトで稼ぎ、実家(我が家)に住みつき、1ヶ月3万円を家賃として支払い
生活をしています。



次男です。我が道を行く、典型的なタイプです。
好きなことはとことんやり続ける、ギターの練習の虫です。
1日どんなに忙しくても、眠る時間を削ってでも5時間以上、ギターの練習をします。
デビューに向かってバンドの練習も続けていますが、、、、今のところ、ある一部にしか受けていないようです。
ただ、夢は大きく、オリジナルの曲が大々的に売れる、ことだそうです。

次男のことで、親の私がちょっと残念なのは、ギターや音楽、(彼女のこと)以外のことにあまり興味を示さないことです、、、。
まさに毎日がギター、音楽、彼女のことを中心に回っているのです。
彼女のことは大好きですが、お金がないので今は結婚できない、と。それも含め将来にかけている、と私は良い方に
考えたいと思っています。




長男は、最近屋台船の中でのマジックショーや大きな居酒屋やバー、誕生日会、パーティーで
マジックを披露することが多くなってきました。
それまで週5日していた別のアルバイトを週3日に減らして頑張っています。
こちらもマジックの研究には熱心で、アルバイトで稼いだお金の半分ほどは「ネタ」を買う資金に充てています。
マジックって道具を買い、買っただけでなくそれを自由に操れるようになるまで練習する必要があるようです。
長男はどちらかというと、優しくいい人の部類に入るのではないでしょうか。親にも優しいです。
しかし残念なのは、営業があまり上手ではなく、どちらかというと静かなことです。もっと売り込めばいいのになあ、と
私は思ってしまいますが、本人に言うと気分を悪くするので、黙っています。
自分には自分のやり方があるのでしょう、、、。



「オタク」という言葉はマイナスに感じられますが、裏返せば「究極の専門家」ということになります。
シャンシャンブラザーズでもその道の「究極の専門家」になってもらいたいものです。

私の元上司が言いました。
もし、「ソニー」に入社したいのなら、ソニー製品の一つ、例えばパソコンならパソコン、テレビならテレビを
ソニーの社員より詳しく説明できるようになりなさい、とアドバイスしてくれました。
つまり「その製品のオタクになれ」ということです。

そうですね、、、改めて考えてみると、私も「自衛隊援護協会ホームページの人材情報」に関しては
かなりの専門家になってきました。多分、日本では一番見ている一人かもしれません(?)

みなさんの「究極の専門」は何でしょうか?
また、最初は辛いかもしれないけれど、これから「究極の専門」を目指すことだってできます。

これからの人生、誰もが自分の能力を信じて「あきらめてはいけない」ということだと思います。





さて、写真は御茶ノ水界隈です。
2週間弱、ここに詰めています。
きつい毎日ですが、将来のために頑張ろうと思います。











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