玉置神社 参道より本殿まで
何度も玉置神社に参拝しているが、今回ほど異例の事はなかった。
昨年の紀伊半島に甚大な被害を与えた台風のせいで今まで泊まった幾つかの宿はまだ営業しておらず、明治の大水害で壊滅的な被害を受け、たくさんの方が亡くなったので川の近くの宿は今まで避けてきたが、今回は其処にするしかなかった。
予定では、6月16日に新宮の神倉神社に参拝、翌朝玉置神社に参拝、大斎原にお参りしてその後とれとれ市場に寄ってから白浜空港までノワタリさん達を送って帰るはずだった。
また車で四国から往復するというのも初めてであった。
同級生のSが初めて参加した。宿に連絡して本人の言うとおり「布団部屋でも何でも良いから入れてください。」と連絡すると、宿の人は笑いながら「4畳半が有ります。」と言われた。
その後、1週間前になり二人ほど追加…となりそうだったが、空港で8人乗りのレンタカーを用意してと思ったが、生憎宿がダメだった。やはり玉置は人を選ぶ…
15日の夜10時に大雨の降っている中を出発した。隣町でSを拾い高速を走るが滝のような雨で50キロ制限で高速もゆっくりである。雨は東に進むにつれ小降りになり、途中石鎚サービスエリアでSと運転を替わった。
其処からは快調に走り、徳島港には出発の1時間前の2時頃着き、出発まで車で仮眠を取った。
和歌山に着き、白浜までの道中は小雨は降るものの運転に差し障るほどではなかった。
ノワタリさん達と合流する前に白浜の牟婁の湯にゆっくり浸かり身支度を整えて、8時半頃空港に着いた。
合流してから、一緒にゆっくり朝食をとるはずだった。
しかし、空港に着くと濃霧と大雨で8時45分着のは下りてこられない。
何時もそういう場合、ノワタリさんは龍神様にお頼みして難なく進むので大して気にしていなかったが、何度も「上空を旋回しています。」との館内放送があるのみで一向に下りては来なかった。
レンタカー会社の人やタクシーの運転手が同じように出迎えていたが、運転手さんが「こんなに長く旋回するのも珍しいな、何時もなら15分から20分くらいなのに…」と言われた。
目を閉じ祈り始めると額や背中と足の裏にジ~ンとノワタリさんのエネルギーを感じた。懸命にされているのが分かる。こんなにしているのに下りれないなんておかしい…
9時35分過ぎに「最終体制に入りました。着陸できない場合は、関西空港か羽田へ引疲き返します。」との放送があり、やっと下りてくるものだと思いホッとしたのも束の間、「欠航」の表示が出て「関西空港へ着陸いたします。」との放送が流れた。
昨晩から運転してに浸かり疲れがでてボーとしているSに「関空まで行くわよ。」と、声を掛け大急ぎで空港を出た。みんな絶対、羽田には帰らないと思っていたと口々に言っていた。
結局、温泉のオープン前にSが用意したまき寿司やパンを頂いたのが朝食で、それも無ければ、私達は昼過ぎまで腹ペコになってしまうところだった。待っている間、落ち着かずただボーっとしているだけで、お茶すら飲まなかった。
方向音痴のノワタリさんと70半ばの叔母であるから、まず動けないだろうと思い走っていると、が掛かり、私達が和歌山市内につかない間にもう着陸していた。
後で考えれば、和歌山駅まで叔母ならば行けたと思ったが、関空までひたすら走った。遠い…
12時を過ぎて待ち合わせの日航ホテル前に着いた。二人は長時間が小さいので上空でかなり揺れたらしく、「墜落する前ってあんなのかしら?横にも揺れてすごかったのよ。」と言いとても疲れていた。
また来た道を引き返し、途中紀ノ川サービスエリアで遅い昼食を取ったがいざ、車に乗り込もうとしたらキイが無い。リュックをひっくり返すが無い…。
テーブル周りと歩いた所を探すが無い。案内所に行っても無い。なんで今回はこんなに足止めされるのだろうと落ち込みそうだったが、テーブルが5人では狭いので替わった時、叔母が無意識に自分のバッグに入れていた。
予定を変更して新宮の神倉神社に行くのは取りやめ、十津川村の宿にまっすぐ行く事にした。
其処からは疲れているSに替わり 妹の運転となった。雨ももうほとんど降らず田辺で高速を下り、川沿いの山道を走ると、昨年の台風の爪あとは思ったよりも大きく、あちこちで地すべりと道路の陥没で片側通行で止められた。
やっと、十津川村に入ってもこちらも同様だった。
5時前に宿に着くと、この大雨で他の客はキャンセルで私達だけの貸切だと言われ、Sも隣の6畳間を用意されていた。
部屋は川が見え眺めよく、大水で一部茶色に濁っていたものの私達の宿の付近は深いグリーン色で山々は靄が掛かり霞んで山水画のような景色。
一休みしてお茶を飲んでいると、ノワタリさんは叔母のネックレスとリングにエネルギーを入れた後、Sの水晶のブレスが気になるらしく、「何も入ってなくて空だよ。」と言い、エネルギーを入れた後、メンテナンスの仕方を教えた。
ブレスは傍目にもキラキラと輝きが違った。
その後まず、露天風呂に入り、昼間の疲れをとり、夕飯を頂いた。
そこで、今回なぜが長時間上空を旋回しなければならなかったか?
ノワタリさんが「その訳がわかったわ。上からのお清めをさせられたのよ。今回は着く前から、の中からその辺一帯の浄化だった。」と言われた。上空で旋回している間、ずっとエネルギーを流して下に振りまかれ浄化されたという事だった。
今、思えばあの時も朝方まで大雨、またその後も台風の影響で大雨、昨年の台風のようにならず大難を小難にしたのではと思う。そして昨年被害に遭った場所も上空から清められたのではないかと思う。
山の中ではのあまごの塩焼きやマスの刺身や山菜の天ぷらなど珍しい食材が並び、私達だけであるので宿のご主人も話しに加わり、玉置山の話しで盛り上がり食事を終えたのは9時半であった。
昼間の疲れがあるので早々に休むことにしたが、やはりこの時間になると、寒気がする。
車から粗塩を1袋持ってきて灰皿、湯のみを使いあちこちに盛塩をした。それから内風呂で入浴する私達にノワタリさんが風呂に1つかみ塩を入れるようにアドバイスしてくれた。
内風呂は岩風呂で広いが、壁が川と同じような濃いグリーン色でおまけに照明が薄暗いのであまりじっくりといる気もせず、そそくさと入って部屋に帰り休んだ。
危惧したが、塩のお陰か何も無くゆっくりとみんな休んだ。
朝の岩風呂は明るく、外の山と川の景色が見え昨晩のような恐ろしさは無かった。とても気持ちよく浸かった。朝食を取り、8時に宿を出て其処からは何度も来ているので私の運転となった。
宿のご主人が168号線の十津川から五条へ向いては土砂崩れがあり進めないと放送があったと言われた。もう陸の孤島状態である。広い村なのに昔7つあった中学校も今は1つだと、壁に写真が飾られ書いてあった。どこも田舎は過疎化が進んでいる。
橋を渡り 山道にしてもあちらこちら石が落ちていたのでゆっくりと走った。1台の車とすれ違ったがもう下山なのか?駐車場に着くと、他に2台ほど止めてあったが、売店も片隅に出来て、トイレも綺麗立て替えられていた。
世界遺産になり、この神社の存在が知られてくると、お参りするたびに参拝者は増え、若い人の姿をよく見るようになり、雰囲気も変わっていった。今回は前日の悪天候のせいか少ない。
本殿まで 三柱神社、玉石社、頂上とお清めのものは4組あればよかろうと思ったが、お水はまた汲めるので、お塩だけ余計に1袋足してみんなで手分けしてリュックに入れた。
まず1の鳥居でご挨拶して入り、Sがほら貝を吹いた。良い音色でよく響く、、プオ~、プオ~、と聞こえ、口で調節すると言ったが今度は高音でまたプオ~、プオ~と山に響いた。
以前はご神前やイワクラの前でウチダさんが岩笛を吹いていたのを思い出した。
しかし、入るとお清めである。数歩歩いて清め、数歩歩いて清め、今回は清めの感覚が短い。
しばらく行くと白山社だったが、今回「山の神」と石碑が建っていた。そこでお清めし、ご挨拶して進み、木の鳥居2本並んだ参道に入る。靄の中に杉の木立が龍のように伸びていて幽玄な雰囲気でまるで水墨画のようである。朝早いので気も良い。しかし、もう1組目のお清めグッズは使い切り、2組目となった。これでは持たないとあせってきた。
昨晩の大雨は清めの雨だったのだろうか?大きなカエルが2匹で迎えてくれた。そこでもSがほら貝を吹く。山の中にこだまする。気持ちよさそうだ。3000年の樹齢と言われる神代杉の下を通り進み、通り沿いの杉の木にも御神酒と水を掛けながら歩いた。
やっと手水舎に着いたが、もうすでに御祈祷をしているらしく太鼓のドンドンと叩く音が聞こえてきた。そこで2組目も使い終わった。
この神社の御祭神様は国の根幹に関わる神様ばかりである。神武東征の時にご祈念したからであろう。そこでご挨拶をし、ノワタリさんは歌われ、私たちは銘々祝詞をあげたりした。此処も、前日の悪天候のせいで参拝者に会わなかった。
摂社である若宮社と神武社にお参りし、大日社ではSがご真言を唱えていた。私と妹はその裏手にある剣の所へ行った。初めて訪れた時には柵は無かったが、今は柵で仕切られている。
境内の中に、しめ縄を張った2本の杉の御神木が並んで立っていた。そこでノワタリさんはしばらくうたわれていた。
「外にあるのも夫婦杉だけどここも地の中で繋がっていて夫婦杉なのよ。」と言われた。
お参り後、本殿でみんなでおみくじを引いた。大吉と吉とかでなく、神の教えと言う言葉がみんなその置かれている状況にそれぞれ合っていて不思議だと思った。ただ、書いてある言葉をかみ締め、気になっていた事をもう一度考え直そうと思った。
大日殿裏の剣