Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

熊野大斎原 12年6月

2012-06-25 22:56:17 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

大斎原に着いたのは3時40分くらいだっただろうか?余り時間が無い。4時過ぎには出ないとに間に合いかねないのでここも大急ぎである。

手分けしてお清めグッズをみんなで持ち走った。鳥居の周辺からのお清めである。やはり昨年の台風で浸かっていた。まだ、泥汚れが石の上の方に少し残っていた。

「もう此処はみんな銘々でしましょう。」と、言われ境内の中を振りまきながら歩いていると、

「ありがとう」と言う女性の声をノワタリさんが受け取った。

ご神前の周りと中に外から振込み、祝詞を上げた。ノワタリさんは珍しく歌だけでなく、ひふみ祝詞をあげられていた。

そして慰霊碑で光明真言と南無阿弥陀仏と唱えた。

Sはここでも高らかにほら貝を吹いていた。

境内を出ようと鳥居の所まで歩いていると、幼稚園か1年生くらいの女の子を連れた若い家族連れとすれ違った。その親子はSがほら貝を吹いている姿を目を輝かせて嬉しそうに見ていた。

そういえば、私達も生のほら貝の音を聞くのは初めてだ。

大急ぎでお清めとご挨拶を済ませ、に乗り込んだがナビは2時間余りかかる予定時間を示した。

1時間半も有れば着くと思うが、あちこち一方通行になっているのと 1車線で以前遅い車を抜くに抜けずJRに間に合わなかった事があるので気を抜けない。予定ではとれとれ市場に行くはずだったが無理である。

そうなると、道沿いにそ市の場の看板が余計に目に付く…「とれとれ市場あと10キロ」とか。

だんだん時間は短くなり5時半過ぎには着きそうである。

叔母が「食事は出来なくても、買い物くらいできるかしら?」と言ったが、「お魚をくわえて出るくらいなら。」と答えたが、結局ちょっと慌ただしいのでよらない事にした。

ナビが「目的地付近になりました。」と言った途端、安堵感から、前の車に付いて行ってしまい、誰もいない交差点でUターンをしたが、前に警察の建物があり 、みんなを唖然とさせた。

冷汗ものでやっと着くと、お茶を飲む余裕もあり、そこで和歌山ならではの梅ソフトクリームやジュースを飲んで一休みしてお別れした。

別れ際に「今度は大本ですよ。」と、ノワタリさんは囁かれた。また、旅の予定が入ったが9月頃の予定になる。そうしているうちにが入ってきた。昨日は霧で何も見えなかったが、観覧車が近くに見える。改めてこんな風景かと思いながら外を見回した。1年中で1番昼が長いので6時と言って昼間と変わらない。

私達はこれからが長い…。私は大阪湾岸を通って淡路島のルートを思っていたが、瀬戸大橋経由の方が良いと言われ、そのルートを設定した。ナビの到着時間はなんと午前3時をゆうくり過ぎていた。

紀ノ川サービスエリアまで私の運転で其処で夕飯を取り、先月スピード違反をして思うように速度を出せないのと、初めての道なので四国に渡るまではSに替わった。

本当に和歌山は広い。大阪に入った時、幾分近くなったのもありみんなホッとした。暗くなっても山の端が薄明るく白く、心地よい。やがて都会の光の洪水に巻き込まれて行った。

妹も私もこんな光景は久しぶりであり、ワクワクした。

の中でほら貝の音色の事をSが話した。

「どちらの神様にも受け入れられたと思う。」と言い、受け入れられない場合はかすれたり、音色が思うように出ないそうである。ほら貝の事は良く分からないが、高らかに音が伸びていたと思う。

その後はおバカな話ばかりをして笑いながら走り、山陽道から四国へ入り、妹に替わった。ナビの到着時間は2時過ぎになっていた。

隣町でSと別れ、帰宅したのはやはり2時を過ぎていた。走り回ったのにそう疲れたとは思わなかったし、まるで浦島太郎のような感覚になっていた。

あの二日間は雨が降っても外に出る時は傘も合羽も必要なくかといってでもなくで暑くなくお天気には恵まれた。帰宅してからまた、大雨や台風の影響で浸水したり、崩れたりしたみたいでそれを思うと気が重い。

前日の大雨でキャンセル続きで、玉置も大斎原も人目を気にせず、邪魔も入らずお清めが出来た事をありがたく思う。そしてその大雨と強風でお清め前に洗い流されて準備されていたように思う。

後日、ノワタリさんと話していて「今回のお清めはすごかったですね。」と言うと、

「あれだけの清めってなんだろうね。」と話していたら、

「再生って入りました。玉置の再生なんですね。あそこは残りますね。」と言われた。前日、違う大地が出てきたり、陸が海になったりするから、また玉置山も元に戻るのかと書いたが、それは無く残るそうである。その為、上空からも浄化したそうである。

初めて出あった時、「神社のお清めしています。」と言われた事を思い出す。

「参拝者が願い事ばかりして神社が曇っているのを祓うのが仕事で元の状態にするんです。」

今回はその旅であった。Sは猿田彦と言うか助っ人であったらしい。