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一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

母屋のリフォーム Ⅱ

2015-11-28 22:29:18 | 日々のつぶやき

 一階も二階ももう大工さんの仕事は終わり、一人の大工さんを残し、ベテランの大工さん二人は他の職場へ移って行った。二階の外側の廊下にある突っ張り棒タイプの棚を他に移す為、手が届かないので手伝って頂いた。手をかけた途端、

「あれ???」と言う。今度は何事と訝しる私に

「濡れてる…。なんでここが?」と言われてじっと見ると壁に水が伝わっている。他も調べると、お床も、押し入れの天井も濡れていた。調べると、どうも三階の窓の軒の鋼板継ぎ合わせが浅くそこから前日の雨が漏れていた。ここも10年前に九州から来た業者にしてもらった物だった。

結局、三階の大屋根の瓦を除いて、二階の屋根の補修となり、左官さん、板金屋さん、塗装屋さんと増えていき、ついでに手すりやシャッターの塗り替えもした後で、本格的に梅雨の大雨が降りだした。

最後に、電気工事業者が配電盤やリフトのコンデンサーを新しく取り替えられたが、それもひどいもので、毎年点検しているにもかかわらず、いづれも1969年から全く取り替えておらず、漏電防止装置もついてなくリフトなどパチパチと音がして危ない状態だったと伝えられた。時々、ヒューズが飛んでいたのも納得。その当時に無かった家電が増えているのでもうそれでは対応出来なかったはず。

数年前、隣町の住宅密集地で夜無人の家から漏電で火が出た。うちも住宅密集地、火を出したら大事である。二人とも背筋が寒くなり、よく無事だったと思った。

後日あきれた事に、点検に来た今まで25年任せていた業者に伝えると、

「消防署はそんなとこ視やせん。」とあきれた事に知らん顔。これでは本末転倒である。しかし、今回お世話になった電気屋さんが、

「消化器が3本余っているんだけど、良かったら買ってもらえないだろうか。」と言われ、お世話になったこともあり、3本取り替えたが、それを見たそれまでの業者はえらく腹を立てて、自分にもこのくらいの仕事は出来ると文句を言いたいだけ言って、もう点検はしないと向こうから断って来たので、縁が切れた。

母屋だけでなく、あちこち手直ししてもらい、2キロほど離れた倉庫と隠居も直してもらったので全ての事が終わったのは7月の連休前だった。本当に床下から屋根までであった。しかし、私達は何と危うい家に住んでいたのだろうかと思ったが、ノワタリさんに二階まで直した事を伝えた時、

「間に合った。」との言葉が出た。やはり、地震が来るのだろうか…。

それにしても、何が起こるかは分からないが、私達は助けられ感謝しかない。

 二か月もあちこちと直しているのでご近所さん達に、

「さぞ、掛かったでしょ。」と言われ度、母は

「はい、私の葬式代だしたよ。あんた私の葬式代出してね。」と、私に振る。

「ええ、スーツケース買ってあげるわ。」と、毎回答えたが、計画なく進めて行ったので、いったいいくら掛かるかもはっきりとわからなかった。流し台を新しく買わなかった事もあり、とても良心的で思ったよりも大分掛からなかった上に、

「2,3日のつもりが2か月続けて仕事をさせて頂き有難いです。」と、お世話になったのは私達なのに謙虚にお礼を言われた。その後ずっと仕事がつまり、友人のユキちゃんに紹介したが、来春まで出来ないそうである。

有難い事に、自分の仕事が終わってもベテラン大工さんは湿気が気になると言ってやって来て、上から見ただけで木材の色で湿気があるかどうか分かるらしく、床下を這って行って水があるかどうか調べられた。

その大工さん曰く、日本の家が持たなくなったのは70年代にツーバイフォー工法が入って来て、昔のような前から後ろまで床下が見渡せるような建物は建てられず、ガチガチにコンクリートで固めた土台を作らなければ違反になるとの事だった。

「建築までアメリカさんの法律だ。湿気の多いこの国には向かないのに…。」と、諦めるように言われた。その後、私は家の土台を見ながら歩くことが多くなった。新しい家ほど、空気抜きが小さかったり、目につかなくなっている。

 このリフォームの件だけでなく、今年は数か月ごとになにがしかの問題が起こり、落ち着いて整理されていき、必要な人(物)が現れ、不要な物と縁が切れて行くように感じる事が多かった。

 

 

 

 

 

 


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