Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

2012年4月道後、 大三島

2012-04-26 21:44:14 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

21日朝、始発便でノワタリさんは松山に来られた。ミラクルで楽しい旅の始まりだった。

今朝もノワタリさんと話したが、「まだ1週間も経っていないのにずっと時間が経ったような気がして。」と言われる。私も始めの頃、関西が多く、大阪駅へ一人で帰った時、その旅とのギャップが大きく、数時間前なのにはるか昔のような感じがした事を何時も思っていた。まるで浦島太郎のような気がした。

今回も前日の夜から興奮して眠れない。ラジオのニュースによると、前日の夜中250ミリの雨が宮崎の青島で降り、この量はこの季節1ヶ月分の降水量だと放送していたが、こちらも時折雨は降ったが、たぶん浄化で私たちの行動に障る事は無いだろうと思った。

ノワタリさんとの旅では何時も先に大雨、大風が吹いた後で浄化された後に行く様になる事が多かった。先月もそうであったように。

妹と姪は前日の夜中から走ってきたが、到着予定が7時のはずが高速が延びたので5時に着いた。以前眠りヒメだった私を思い7時まで車庫で仮眠したと言う。もうその頃には起床していたのにと言うと後で妹はぼやいた。

ノワタリさん自身も始発の電車では心もとなくタクシーをお飛ばして羽田へ出られた。みんなが待ちに待った時であった。

もうこれが、最後かもしれないと思っている。数年経てばまた逢えるかもしれないが…

空港で従姉妹のタカコちゃんと一緒になったところで静かなコーヒーショップにて朝食を済ませ、いざ道後へと思ったいたら、その近くの護国神社ということになった。

曇天で時折、小雨が降るがお参りしている時はありがたい事に何時もごとく降らなかった。

妹が九州を出てくる頃はやはり大雨であったと言う。

其処から護国神社までにはかって私の住んだ忌まわしい下宿がある。5,6年前の夜横を通っただけで気分が悪くなり気が進まなかったが、今回はノワタリさんがご一緒だから受けてもたぶん大丈夫だろうと思い出発した。

しかし、それらしき建物は無い。数件の新しい建物が道路沿いにあった。1年前に道路の拡張工事があり、様子が変わっていた。たぶん道路より1番奥の建物に住んでいる人は少なかれ影響があるであろうと思う。

間一髪で私は免れたが上の住人が自殺した。私もとても怖い思いをした事があり、なぜか半年たった頃、帰る気がしなかった。部屋の辺りが暗かったのを覚えている。

護国神社へ着くとこれから行く大三島のご一行が御祈祷を受けていた。神社前の小川に問題があり、 神社の隅っこの橋の上でみんなでお清めした。やはりその体質である姪が「引き込まれそうに暗い」と呟いた。

昔試験勉強をしていたらおまわりさんがやって来て窃盗犯が逃げ込んだと言われ驚いた事があった。

その後道後のお稲荷さんへタカコちゃんの案内でアミダクジのような裏道を走った。

そこでタカコちゃんの紹介でノワタリさんにお世話になった人達が来ていた。残念ながら、SDカードを入れ忘れていた為、その神社での写真が無い。

みんなでお清めし、ノワタリさんはお稲荷さんにお礼を言い、そこでお世話になった方々にエネルギーを入れ、お言葉を伝えられた。

其処は伏見稲荷さん系であるらしい、お世話になった時沢山のお稲荷さんがでて来たそうである。

その間、珍しいぼっちゃん列車が入って来たり、バスが立体駐車場の回転盤で方向転換をするのを見た。その後、12時の時報と同時にからくりで温泉や坊ちゃんの登場人物が出てくるのを目にして、商店街から道後温泉本館まで歩いた。途中、地元の知り合いの勧めの店で坊ちゃん団子と醤油餅を買った。さすが、地元の人の進めの品でどちらも美味しく、みんなが満足して喜んだ。

其処でしか売っていなくて、さすが手作りは違うと思った。

予定より遅くなっていたので大三島まで急いで走った。

お参りの前に、早みんなおなかがぺこぺこで参拝前に昼食を取った。

アサリラーメンと鯛ラーメンにに分かれた。それと鯛めし、私の地元では鯛めしとは鯛の刺身入りの卵掛けご飯(だし入り)であるが、父はそれにお茶掛けにする。ここでは炊き込みであった。

卵掛けの方が珍しく、ノワタリさんに一度食べていただきたいと後で思ったが…

大山積神社は新緑の季節、楠木は古い葉を落としながら新緑の季節を迎え始めていた。旧正月頃にお参りした時よりもめっきり参拝者は少なかった。

この神社の存在を口にした事で後々つながったこ事を不思議に思う。

その後、鶴姫様の像の方へ行ったが今回は様子が違っていた。

何時もならせいぜい出ていても台座までなのがそっくり岩場が出ていて下から歩いて像の前まで行った。上から見ていると憂いを含み悲しそうに見えていたお顔の表情がまじかで見ると、10代の娘のたおやかなお顔であったのに「あれ、鶴姫様のお顔が違う!」と言ってしまった。

いくら大潮と言えども此処まで潮が引くのは気になる。先日の二見が浦といい、異常であるのではと思うが、地元の者ではないので其処までは分からない。

それから、阿奈波神社をみんなでお清めした。やはり、寂しい。

来島大橋を見ながら、みんなで塩ソフトクリームを食べた。甘い中にもほんのり塩味がして後味が残らず美味しかった。

大三島を出たのは4時頃、帰りは瀬戸内海を見ながら松山へ向かい、タカコちゃんと別れ家路に着く。寄り道をしたので着いたのは8時近くになっていた。

もう両親は済ませていたので、私の部屋で食事をしていると、母が嬉しそうにやって来てノワタリさんにお礼を言い、話が弾んだ。

ノワタリさんも言われたが、妹も母が若くなったと言っていた。

こんなに和やかに私達が会話が出来るのは不思議でもあり、待ち望んでいた事であった。母が席を外した時に、私達3人のカルマが解消された事を告げられた。

前世で私達3人は男性で互いに戦っていたみたいである。妹は「昔の事を思い出すと、未だに腹が立ってくる。」と強気口調で言った。

翌日は季節はずれの強い低気圧で台風並みの天気になるから、ミカン山の農道は危ないだろうから行かない方が良い。」と父からの伝言を母が伝えたが、私達は

「何時も、そうなんよ。お清めをしてくれるから、今晩の内に大雨は降ってしまうわよ。」と、みんな平然としていた。

それでも、9時を過ぎてもまたノワタリさんにお世話になった人が来たりして就寝したのは真夜中であった。

 

 


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