ポストモダン評論家、東浩紀センセイのTwitterでの発言が波紋を呼んでいます。
人気声優、平野綾さんの非処女疑惑(という表現で正しいんだろうか?)に対して、センセイは
最近平野綾が騒動になってますが、そもそも処女を求める男性なんてオタクしかいないんじゃないのか疑惑
39歳で、『付き合っている女性が自分以外と性経験があってショック』とか言っているやつは、もしいるとしたらかなり厄介だ
などと発言したということです。
これに対してはひろゆきさんが
中国人の金持ちが「絶対、処女と結婚する。」「今の彼女は?」と聞くと、「処女じゃないから結婚はしない。」って言ってた。イスラム圏も婚前交渉とかありえないわけだし。カトリックも厳しい。処女信仰=オタクってのは視野が狭いと思われ。
とレスを返していて(http://twitter.com/hiroyuki_ni/status/20382367757)、どう見てもこれはひろゆきさんの圧勝です。
仮にも学者センセイが、一般人に比べて唖然とするほどの視野狭窄ぶり、これではまずいでしょう。
さて、センセイのTwitterを見てみると
またひとり、「疑惑とついていようがなんだろうがオタク=処女信仰というレッテルを張ったんだから誤魔化すな」的ツイートが来たので、ブロックした。日本語を読めないやつは相手にしません。Twilogで該当ツイート読んでみ。
しかししつこく言っておくけど、「処女信仰はオタクだけ」なんてぼく言ってませんからね。ひろゆきのツイートで広まったみたいだけど、それって、申しわけないけどひろゆきがまとめサイトに釣られたって話でしかないよ
などと書かれていたので、そのTwilogとやらを捜してみました(http://twilog.org/hazuma/date-100805)。
そもそも処女を求める男性なんてオタクしかいないんじゃないのか疑惑。
……………。
言ってますよね、思いっきり。
センセイはひろゆきさんが「疑惑」を抜いて引用したとお腹立ちのようですが、まあ、何と言いますか、「そりゃ言い訳にもならんわ」と普通は思うんじゃないでしょうか。
もし本当に、ひろゆきさん(や、ぼくたち)がセンセイの真意をねじ曲げて解釈したのだというのならば、センセイは発言の意図を表明すべきでしょう。
しかし、そもそもセンセイは昔からオタクに対する悪意に満ちた無根拠な独断と偏見を書き飛ばしてきた方なのですから、今更慌てる必要もないと思うのですが*1。
*1と言いつつ、もう随分昔の講演でもオタクを否定的に語っていたところを反論された東センセイが、あたふたと頭を下げていたのを見た記憶があります。
東「コミケに取材に行ったらサークルに冷たくあしらわれた、オタは閉鎖的だ!」
客「コミケというのはオタにとって大事な時間なんだから、そうそう取材に快く応じられるとは限らない」
といったやり取りであったでしょうか。きっと本当はいい人なのだと思います。
さて、某氏が憤る通り、昨今では「オタク=処女信仰というレッテル」はもう既にある程度のコンセンサスを得ているように思います。
他にもこれに類するレッテルは、
曰く「オタクはマッチョである」
曰く「オタクはホモソーシャルである」
曰く「オタクはミソジニーである」
などなど、各種取り揃えられた充実のラインナップぶりを示しております。そして実はこの種のコンセンサスの種蒔きを、もう十年以上も前になさっていたのもまた、東センセイなのです。その仕事の速さには、舌を巻かずにはおれませんね。
しかし、これらオタクの「処女厨認定」にも「マッチョ認定」にも「ホモソーシャル認定」にも、そしてまた「ミソジニー認定」にも、奇怪なことに今までそう認定した根拠が示されたことは、ぼくの知る限りありません。あったとしても「自分がオタとつきあってそう感じたから」以上のものではありませんでした*2。
*2ちなみにぼくも、mixiでオタクをミソジニストだと言い立てる人と議論になったことがありました。その人物は終始、「オタクは女性に対して印象だけで決めつけているのだ」との、「オタクに対する印象だけの決めつけ」を続け、議論が決裂すると2ちゃんねるでぼくのmixiアドレスを晒してデマを流すという豪快な手段に出られましたw
さて、上の諸々のオタクに貼りつけられた不名誉なレッテルですが、これらは全て、どう考えても一般的な男性に共有されているごく普通の心理を殊更オタクの特徴であるかのように、(明らかな悪意を持って)ミスリードさせて成立させたものであることに気がつきます。
オタクへの「ミソジニー認定」は、昨今のネットで女性に対する批判が多くなされていること以外に、どうしてもその根拠を思いつくことができません(それら批判の中には正当性のあるものも充分にあるとぼくは考えますが、ここではその是非は問いません)。もし彼らが「ネットユーザー=オタク」という、今時白寿を迎えた老人でもしなさそうな短絡をしているとするならば、それはもう、バカにされても仕方がないでしょう。
今回の平野綾事件についても、(すみません、興味がないので調べてないのですが)恐らくは痛いファンがバカな振る舞いをしたことがきっかけで上の発言になったのでしょうが、そんなことは恐らく、70年代の(アイドルがまだオタク向けのものではなく、国民全体のものであった頃の)アイドルの時代からあったことなのではないでしょうか。
むろん行き過ぎた行動に出たファンは諫められて当然ですが、ひろゆきさんの指摘通り、処女を好む心理そのものは(是非は置くとして)男性共通のものであり、どう考えてもオタクを槍玉に挙げる根拠が薄弱であるとしか言いようがないのです。
さて、では何故オタクたちは殊更に叩かれてしまうのか。
拙著にも(山崎浩一さんのコラムから引用して)書きましたが、アメリカではデブで貧乏な白人男性、「プア・ファット・ホワイトマン」が「差別の許された、最後の聖域」になっているのだそうです。「白人男性」という一種タテマエ上の「強者」の中から体型や貧富によって実質的には「弱者」である者を選び出し、そいつを嬲りものにするという、どう見てもどう考えてもどう言い訳をしようとも卑劣としか言いようのない行いであり、日本で言えばオタク叩きがそれにあたるのだと、ぼくは考えます。
日本ではオタクが「差別の許された、最後の聖域」になっているわけなのですね。
フェミニストたちは昨今のネットでの「女性叩き」を「窮地に立たされた男性が、弱い者へと暴力を振るうことで憂さを晴らしているだけだ」と主張していますが、こうしてみると「オタク叩き」こそが窮地に立たされた女性(や、それを救うナイトを気取ろうとする男性)が、弱い者へと暴力を振るうことで憂さを晴らしているだけなのだということは、もはや否定できないでしょう。
周知の通り、センセイもまたコアなエロゲオタでいらっしゃいます。
そのため、センセイに親近感を抱くオタもまた、少なくはありません。
では何故、こうまでセンセイはオタを無実の罪に陥れようとするのか、不思議に思われる方もいるかも知れません。
しかしセンセイの代表作『動物化するポストモダン』を開いてみると、オタクはキャラに萌えているだけで物語の世界観に拘泥などしていないのだ、などとオタクがひっくり返るようなことが書かれています。先生も大好きな『エヴァ』において、死海文書の謎とかにファンが拘泥してたような気がしたのはみんな幻だったのでしょうか。物語の謎が解かれないまま、(しかしキャラにだけは救済が与えられるというケリをつけて)テレビ版の放映が終了した時、ファンが怒り狂っていたのはみな夢だったのでしょうか。
つまり、センセイは自分の帰依してる「ポストモダンの神様」が「物語は失われた」とお告げをおっしゃったのでそれを反芻しているだけで、神様のお告げと現実が一致しているかいないかなどは、どうでもいいのですね。
それと同じに、神様をお守りするためにであれば、男性の中の一番の弱者であるオタクに罪を着せることなど、センセイにとっては何でもないことなのです。
また同時に、センセイの中に抑え難いオタクへのヘイト感情が渦巻いていることも、想像できます。オタクの自らの同胞に対する同族嫌悪の感情は、ここでは詳述しませんが筆舌に尽くし難い強烈なものであり、(昨今の若いオタクはもう少し淡泊なのですが)センセイのような古いタイプのオタクにはことにそれが顕著なのです。しかしそれすらもまた、元を辿れば上に書いた「男性の中の弱者である自分」に対する嫌悪、憎悪が根源となっていることは言うまでもありません。
センセイや、彼に唱和する男性方の「オタク叩き」はみな、自分だけが助かるためのスケープゴートの製造法に他ならないのだ、ということです。
オタクの存在は現代の女災社会にとってどのような位置づけなのでしょうか?
僕個人は平野綾騒動に騒ぐ人たちの気持ちはよく分からないのです。
似たようなもので過去にかんなぎ騒動もあったのですが、「そんなことより不必要な男性キャラへの暴力描写に怒らないの?」といった感想を持ちました。
どうもそのような描写を好む根底には同族嫌悪、自己嫌悪が流れているみたいですね。
オタクの自虐気質が薄れて自己肯定感が増せば対男性差別社会においても頼もしい存在なのですが・・・。
女災を隠蔽するためのスケープゴートですねw
女災に対して男たちが文句を言えば「それはキモいオタどもがわめいているだけだ」とすれば、何ら根拠がなくても世間は納得しますから。
>どうもそのような描写を好む根底には同族嫌悪、自己嫌悪が流れているみたいですね。
まあ、簡単にそう言っていいかどうかは疑問ですが、いわゆる「ツンデレ」の流行は象徴的であるような気がします。
本田透さんは『エヴァ』のアスカの熱心なファンとして知られますが、一方でモンダイの東センセイもアスカファンなんですね。確か『ユリイカ』辺りで、仮想対談なんていうイタいこともなさっていたはずです。
アスカに「ぶってくれ」と哀願している分には「まあ勝手にやってくれ」という感じなのですが、センセイの言動は「あっちにいるオタどもをボコって、代わりにオレのことは可愛がってくれ」と言っているのといっしょです。
その行為の卑劣さに彼が気づくのは、一体いつのことなのでしょうか。
そのような場面は見たことがないのですが、いつかの番組であったのでしょうか?某掲示板では差別肯定派が自分の意見=世間の意見と疑わずに発言している場面は見かけますね。
僕が気になるのはオタクルートから男性差別に気付く男性はどのくらいかということです。女性というイメージそのものに心酔及び劣等感を感じている輩も見られます。
大多数のオタクは世間一般と同じくこの問題には無関心な気もしますが・・・。
一般人より多少多いかな、くらいに思っておいた方がいいのではないでしょうか。
今はオタクも増え、オタクと一般人との差は非常に少なくなっていますし、そもそもオタクの全員が「ぼくたちの味方」になってくれるわけもないですから。
>そのような場面は見たことがないのですが、いつかの番組であったのでしょうか?
そういう「番組」があったかどうかは知りません。
しかし今回の記事は「そのような場面」をつぶさにレポートしたもののつもりなので、もう一度、冷静にじっくりとお読みになってみてください。
東浩紀さんをテレビで拝見して、あーこの人最近よく見るよな誰だっけと思い検索して辿り着きました。
さて、残念ながら前半部分以下は流し読みでしたが結論に至るまえにこちらのエントリーに不備があるとお見受けしましたので、あなたが議論能力のある方であるという前提に立ち反論いたします。
まず第一に、
ひろゆきさんと東さんの対話部分ですが東さんは現代日本において、という前提において話をしているのではないでしょうか。女性をどう捉えるかということは時代や地域により激しい隔たりがあることは誰もが知る事実でしょう。それを東さんが時代・地域性を考慮せず世界中を対象にこの発言をしたと敢えて考えることは極めて不自然です。
ですから、議論の場でそれを視野狭窄と言おうとも発言に生産性はなく、単に揚げ足取りとしかなりません。
スムーズにお話したいので一点ずつ解消したいと思いますのでまずこれにて失礼します。
伺ったことを忘れるかもしれませんが。お邪魔しました。
本エントリについては最近新しい方のブログでも採り上げましたし、ご意見は全然オッケーですよ。
とは言え、おっしゃることにはあまり賛成できません。
東浩紀氏が「日本」だけを念頭において発言したということは大いにあり得ますが、まずそのこと自体が彼の視野狭窄を示していますし、そもそも彼はオタクの「処女厨」ぶりを悪いこととしてあげつらっているのだから、そうなるとオタク以前に他の国にも文句を言えよ、ということにどうしてもなってしまう。
そしてまたカソリックやイスラム圏となると「あいつら抑圧的だしなー」とも思うけれども(中国だってまだまだ近代化されてないところが多いだろうし)、でも一番の問題は、では外国をおいて日本だけに話を限定した時、「処女厨」はオタクだけなのかという問題です。
「オタク」というのはとにもかくにも便利な存在で、面倒な時はオタクのせいにしておけばいい。
「マッチョ」「ホモソーシャル」「ミソジニー」も全てそうしてオタクに貼られたレッテルである、ということは書いた通りであり、ぼくが一番批判しているのは東氏やその他の評論家たちのそうした思考停止ぶりに対して、なのです。