「ドク○ー差別」という名を名乗り、女性専用車両に乗り込む運動をやっていらっしゃる方が、います(「○」には「タ」が入ります。以降、「ドクさべ氏」と呼称)。
ですが、ぼくはかねがねそうした「強硬策」に対して「賛成できない」というスタンスを取ってきました。
そこで両者が激突してしまいました。
きっかけはぼくがツイッターで「乗り込み運動」に否定的なつぶやきをしたことに対して、彼が絡んできたことでした。
それは以下にまとめられています。
正直、ぼくは彼を存じ上げた頃から「通じないだろうなあ」と感じ、積極的に話をしたことはなかったのですが、いざ対話を持ってみると、やはり彼はひたすら「我々の行いは合法だ」と繰り返すばかりで、「大衆にアピールするのに効果的でないのではないか」とのぼくの疑問に答えることは最後まで、ありませんでした(これは「運動」が「目的化」してしまった人にありがちな転倒です)。
更に、「そんなことをしていて痴漢冤罪でパクられたらどうするんだ」といった危惧に対しても危機感を持っていらっしゃるようには、あんまり見えません(これについては「2011年女災10大ニュース(その2)」においての彼自身のコメントを参照)。
他人様のやることですから「ヤメロ」とも言えませんが、しかし彼らが軽弾みに振る舞って、それが大事になったら……という危惧は、決して非現実的なものだとは思えないのです。
彼のサイトでも関連したエントリが作られ、またコメントがされております。
「ドク○ー差別と選ばれし者たち」
拝啓 兵頭新児殿 いつになったら乗れるのですか?
この「拝啓 兵頭新児殿――」を見ると女性専用車両に乗り込んだ自分たちを難詰した女性を警察に突き出し、また示談を成立させたと述べられており、さすがに行きすぎではないかと感じ、問い質そうとしたのですが、彼は事情を説明することなく、とたんに言葉を左右にし始め、ついにはこちらの発言は削除されてしまいましたw
そのコメント欄におけるやり取りはかなり膨大なものになるので上のリンク先を見ていただきたいのですが、これを見る限り、彼が信頼に足る人物だとは、ぼくにはとても思えません。
この話しあいにおいて、ぼくは専ら事実関係を明らかにすることに腐心しました。
1.「まず、現場に警官がいたのは何故か。誰が呼んだのか」
についてはまともに説明をしないまま、ぼくがやむなく想像で「こうだったのですか?」と問い質すのに対して、相手をバカにしたような返答を繰り返すのみ。
これは例えれば、
A「俺、昨日の晩、何食ったかわかる?」
B「わからん。カレー?」
A「ブー。バカじゃね?」
B「じゃあハンバーグ?」
A「ブー。そんなこともわからないの?」
といったやり取りと同じで、何故彼がこんなことでここまで心理的優位に立とうとしているのか、どうにも理解に苦しみます。
後々、彼はぼくが事実関係を問い質そうとしているのを
反論されて「分が悪くなる」と、「インタビュー」などと下手に出て、
と形容しています。
インタビューが「下手」だとは初めて知りました。
どうも彼の文章からは、往年の市民運動家が新聞社のインタビューに(実は見下されているのだと気づきもせずに)横柄に応じるような邪気のない傲慢さが濃厚に漂っています。
次に
2.「示談があったのか」
ですが、これも話を聞くと当初は
私の知る限り、5人の女性が警察に突き出されております。あと、2人は「逃走中」。
とは言え、基本的に、警察には「男性排除=強要罪」という認識はございませんから、「男性排除犯」の女性は、侮辱罪や暴行罪を絡めて警察に突き出します。しかし、女性に対しては、「男性を排除した」ということを認めさせ、「二度としない」と約束させます。そういう約束をした女性は、示談とし、告訴はいたしません。今のところ、5人全員が謝罪し、「二度としない」と約束しております。
と言っておきながら、ぼくが詳しいことを尋ね出すと、
警察が「示談にしてはどうか?」と言ったらしいですよ。
と言葉をひるがえしました。
この辺りから彼は、ぼくの問いかけに答えるのを避け、話を左右にし出しました。
もし女性たちと彼の間に話しあいがあり、女性たちが約束したのであれば、それはそれで簡単ながら「示談」と呼べなくもないでしょう。
が、ここで話を変えたというのはやはり、彼にとってつつかれてまずいネタであったのではないでしょうか。
最後期に彼は、
①私らを強制排除しようとした女性がいて、
②私らに警察に突き出され、
③警察署で調書を取られ、
④始末書を書かされ、
⑤警察官に示談を促され、
⑥示談に応じて、私らに謝罪し、「二度としない」と約束した、
⑦だから、私らは、その女性を告訴せず、許した、
と説明しました。
こうなれば、一応の辻褄はあいます。むろん、本当のことだったのかはおくとして、ですが。
しかし、ならば「警察が示談にしたらと言ったそうですよ」といった発言はいかにも不自然ですし、ぼくが再三尋ねていた時に、「示談はあったのだ」とちゃんと説明しなかったのか、疑問は残ります。
また、普通、示談と言えば書類が取り交わされるはずですが、それについても繰り返し繰り返し尋ねて最後の最後に「それはない」と答えたのみ。確かに「示談」そのものは「話しあい」以上の意味はなく、書類の作成が必須では恐らくないはずですが、そうしたことを手柄であるかのように喧伝するくらいなら、書類くらい作っておくべきでしょうに……。
むろん、これをもってぼくは彼らの発言を「ウソだ」と断じているわけではありません。
要するにまあ、「警官がうるさいことを言う市民に対して『まあまあ』となだめるために『示談』というそれらしい単語を使って話しあいによる和解を進めた」というありがちな経緯はあったのでしょう。
ぼくが疑問なのは彼が徹底して言葉を左右にして、明言を避け続けたことです。
或いは、ぼくとドクさべ氏のどちらか(或いは両方)のコミュニケーションスキルの欠如が、不幸な誤解を生んだのかも知れません。或いはまた、彼もぼくに挑発されたように感じ、素直に「事実関係」を開示する気になれなくなったのかも知れません。
しかしいずれにせよこうした態度は不誠実に取られます。
もし彼に後ろ暗いところがないのであれば、なすべきことは「相手の発言の削除」ではなく、「できるだけ詳しく、当時の事情を説明する」ことでしょう。
いえ、以下のように、それは後ほど、第三者によって一応、果たされました。
しかしそこでも、彼らが主張する、女性からの「侮辱罪・脅迫罪・名誉棄損罪」の被害というものがどんなものであったか、具体的な説明はなされていません。
悪いですが、「自分にちょっと手が触れたのを『ぶたれたー!』と騒ぐ市民団体」といったものを、ここで連想する人はかなり多いのではないでしょうか。
さて、その「発言の削除」についてです。
彼は最後に
まあ、大抵の賛成派、アンチがそうですが、言い返せなくなると、相手の誹謗・中傷に走る輩がいます。残念ながら、兵頭氏もその1人のようです。2つ上の、投稿の一部に「不適切な表現」がありましたので、その投稿は削除されました。
ということに納得がいかないようであれば、今後、書き込みはご遠慮ください。
と言い捨てて対話を拒否しました。
しかしぼくは彼を誹謗中傷した覚えはないし、仮に「誹謗中傷」したのならそれはぼくの下劣さを世に知らしめることになるのだから、ドクさべ氏もむしろ削除しないことで自分の優位性をアピールできることでしょう。これは彼が「削除」したことで「兵頭が何やら悪質なことを書いた」とミスリードさせてしまうようなやり方です。
何しろ、彼の言い分が振るっていて、
誹謗・中傷だけでなく、相手を揶揄するのも、このブログのルールでは「削除対象」になりますので、お気をつけ下さい。「w」とか「笑」などのマークも、管理者に揶揄と見なされれば、「削除対象」となります。
というのですから、これでは自分の発言をつつかれたくなく、強引に話をリセットして誤魔化してしまったのだ、と言われても仕方がないのではないでしょうか。
いえ、彼がそうした狡猾な人物だといっているわけではありません。彼は良くも悪くも天然で、自分の正義を、相手側の悪を100%信じているのでしょう。
しかしその「天然」な性格は容易に独善に陥り、「我々に賛同しない者は敵」といった危険な二元論を呼び起こします。
だから彼は敵対的な人物については憶測と妄想で罵倒を続けておきながら(彼はぼくの著作を「所詮、「自費出版」の域を出ない」と評しているのですが、そんなことすらも妄想で書き連ねているのか、それともクオリティ的に自費出版レベルだと言いたいのか……)、自分が何か言われると
礼節と申しますか、礼儀と申しますが、大人として最低限度のマナーは必要でしょう。
などとぬけぬけと言ってみせるほどに傲慢になれるのでしょう。
また、彼はぼくの「兵頭新児」という名義がペンネームであると(何故か、誰もそんなことは言っていないのに)断じ、
つまり、自分は何の危険も冒さず、安全な立場にいて、高みの見物よろしく、アレコレ言っているだけ。責任を持っての発言でもないし、そもそも、責任を持つ気もないのでしょう。
などと言い立てます。
じゃあ「ドク○ー差別」という名義はどうなのか、との疑問が沸きますが、多分「自分は正義だからおk」なのでしょう。
では、「兵頭新児」なる人物が、一皮むけるには、どうすべきか? 一にも二にも、まず、責任感を持つことです。そうすれば、ネット情報に頼らず、自分の足で情報を得よう、とするはずです。
むろん、彼はぼくの著作を読まずに、こうしたありがたいアドバイスをくださるのです(何故か、彼はぼくがネット情報をコピペして本を作っているのだと信じきっています。彼の脳内の「マスゴミ」イメージの投影なのか……)。
上に市民運動家とインタビュアーの例を挙げましたが、こうした「市民運動家」にとってマスコミとは自分の手足として動く奴隷みたいな認識なのかも知れません。彼らにとって、新聞を飾る「当事者である自分」の写真が重要であって、「評論」などというジャンルの存在も、ご存じないのではないでしょうか。
彼らをオウムに喩えるのはあまりにも安易かも知れませんが、そもそもが世間にあまり受け容れてもらいにくい価値観を持っている者という点では彼らも、オウムも、そしてぼくたちも大差ありません。
オウムは珍奇なパフォーマンスと共に選挙に打って出て、世間の失笑を買いました。
しかし彼らは「自分を客観視」する目に欠け、世間の失笑を「自分たちへの快哉」であると感じていたフシがあります(これはオカルティストには極めて普遍的な特徴であるように思われます)。
しかし結果は惨敗。彼らは世を拗ね、閉鎖性、独善性の中へと引き籠もり――そしてそれが何を引き起こしたかは、皆さんよくご存じでしょう。
繰り返しますが、ぼくは気に入らない者に対して「やーい、オウムといっしょ」と言っているわけではありません。マイノリティとして、オウムの失敗は他山の石にすべきだ、と言っているのです。
ぶっちゃけ、ぼくはデモも含めた「市民運動」と呼ばれるものに、強烈な嫌悪感があります。だから、ぼくの反応もまた、やや過剰なものであることは否定しません。
しかしそれを鑑みた上で、それでも「選ばれし者」だけで集まり続ける彼らの言動は、そうした70年代的「市民運動」の傲慢さを色濃く受け継いでいると、判断せざるを得ないのです。
最後に、オウムのついでにフェミニズムにも言及しておきましょう。
80年代末から90年代初頭にかけて、フェミニズムバブルがあった、ということは幾度も述べています。しかしそこで、「女性差別」的な広告、CMなどに文句をつけるといった活動を続けた「行動する女たちの会」は世間からの嘲笑と反発を受け、消滅してしまいました。
しかし、思想的には彼女らと何ら代わりのない上野千鶴子師匠たちはアカデミズムの中で地位を築き、近年もベストセラーを出し、「勝ち組」となりました。
「男性差別」業界の中にはフェミニズムに心理的に親和性があるかどうかはともかくとして、彼女らの方法論(というか、70年代の市民運動的方法論)を見事なまでに踏襲している人々がいらっしゃいます。
しかしやはりそれは「おわコン」であるということを、ここで強調しておかないわけには、どうしてもいかないでしょう。
「選ばれし者たち」は、どこにも到達することはできなかったのですから。
☆補遺☆
彼らのサイトで(ドクさべ氏ではない、彼の関係者による)書き込みがありました。
私と男性2人で女性専用車両に乗車していた際、侮辱罪・脅迫罪・名誉棄損罪などの被害を、女性乗客から受けました。駅に停車したところで現行犯逮捕し、警察に引き渡しました。
警察は女性の身柄を受け取り、警察署に連行しました。私たちは最寄りの交番で事情を聞かれた後、警察署に自由意思で行きました。
警察は私たちからと女性から、それぞれ事情聴取し紙に録取しました(女性については、警察官からその日に聞いています)。警察は女性に示談を勧め(同じくその日に警察官から聞いています)、女性が私たちにもう二度としませんと誤ったので示談にしました。
まあ、要するにそういうことだったのでしょう。
リンク先も見ましたけど確かにひどいですねこりゃ。こんな対応じゃ一般人はドン引きでしょうよ。彼らには主義主張以前に、それこそ一般的な礼儀礼節を身に着ける必要がありそうです。今のままじゃかえってフェミどもに揚げ足取られそう。
とはいえ自分は彼らの事をまるっきり他人事とも思えないんですよね。男性差別というか、女災に対する世間の無神経さ、男性被害者への冷酷さには自分も怒りを感じますし、人と議論する時でもともすればその話題では感情的になりそうにもなる。
こういった、ありていに言って一種の暴走というのは、他にもっと有効な差別撤廃運動の方法があれば下火になってくと思うんですが・・・現状だと何をすべきか、何ができるのかがあまりにも不透明すぎる。
つまるところ根本的な問題は、我々が有効な反男性差別運動というものを一度たりとも見出せていない点にあるんじゃないでしょうか。
デモというのは「宣伝活動」だろうに、正直、「一般人を説得できるか」といった視点が欠落していると思います。というか、「ボクたちはすごく正しいので、みんなたちどころに説得される。そうじゃないやつは悪!」という楽観主義を、彼らからは感じます。
やり取りについてはぼくの言い分が挑発的に聞こえてしまった部分もあると思うんですが、それにしてもちょっとなあという感じです。
>つまるところ根本的な問題は、我々が有効な反男性差別運動というものを一度たりとも見出せていない点にあるんじゃないでしょうか。
ぼくも、そうした有効な運動のやり方を提示することはできません(というより、「有効」なものがあるとしたら、今までの「運動」といったものとは違ったものになると思います。
例えば『エヴァ』のシンジのような男性性に欠けた男性を肯定的に描くことで、人々の意識が変わっていく……ということも考えたのですが、一朝一夕に行くことではありませんしね。
ただ、焦って「わかりやすい活動」にすがっても何もいいことはないと思います。
>と言葉をひるがえしました。
>この辺りから彼は、ぼくの問いかけに答えるのを避け、話を左右にし出しました。
ドクさべ氏の議論の仕方の特徴として、事実関係について突っ込むと話を左右し、全体として心理的に優位に立とうとするスタンスは、以下のやりとりをご参照いただければと存じます。
日本文化チャンネル桜-掲示板- 本格議論 「女性専用車両を廃止させる必要がある」
①2011.10.2~7日投稿、144~150ページ
②2011.10.8~9日投稿、152~155ページ
①では、改正雇用対策法について、②ではドクさべ氏の著書について私は質問していますが、兵藤さんのご指摘の通り、左右に揺れ、時に発言を翻し、頑なに心理的に優位に立とうする彼の特徴が如実に表されています。
ドクさべ氏はなぜ、専ら動画や掲示板などで「差別の専門家として」と枕詞を使うのかといえば、結局のところ、専門家という称号を得たいという執着のようなものが根底にはあるのだと思います。専門家として、大学で差別についての学位を修得したのか、差別学について教鞭をとっているのか、差別に関しての著書はあるのかと問うと彼は、顔を真っ赤にして次のように反論します。
「素人は、肩書きや資格で専門家云々と判断する」
と。彼の専門家として拠り所は街宣であり、任意周知乗車なのです。私は初動のインパクトとして、ヤフートピックスなどで取り上げられ、女性専用車両の実態の拡散において、ドクさべ氏が貢献したことは認めるのですが、では現行の女性専用車両に男性も乗車できることを知った人が増え、
「そのような実態はおかしい」
と同調者が増え、男性の女性専用車両の乗車が増えたか、賛同者が増えたのかという点については疑問です。たしかに、日常において恋愛、就職、仕事、サービスや役務の提供といった局面で、女性に苦杯を喫している男性にとっての、一服の清涼剤として賛美する者。法的な観点、表示にたいしての不適切さの観点から理解を示す者も一部にはいるでしょう。
しかし、最近の状況は初動のインパクト期から、「男性も乗車できる」と知った上で、批判する女性が徐々に増えてきています。私は任意周知乗車が一部には賛美する者、賛同者が増えても、実はそれを上回る反対者、嫌悪のエモーショナルを抱く人をも増やしているということに、ドクさべ氏は見事なまでに鈍感な点が問題だと思います。
いまのままでは、女性や鉄道会社が更に頑なな姿勢や反応を示す可能性が十分にあります。
女災の専門家・ドクター女災です。
いや、おっしゃるチャンネル桜の該当箇所、二、三時間かけて読んじゃいましたよ。
とは言っても正直、ぼくには難し過ぎて、理解はあまりおぼつかなかったのですが。
しかし「相手の発言の削除」はドクさべさんの得意技なんですね。
よほどのことがない限り彼の印象が悪くなるだけなので、なさらない方がいいと思うのですが……。
失礼ながら、共同出版の下りは笑ってしまいました。
セラミックスさん健次郎さんの指摘にもあるように詐欺まがいのやり口なのですが、新聞などで大々的に「原稿募集!」と広告を打って、応募してきた原稿に(仮に箸にも棒にもかからないものでも)大袈裟に「素晴らしい! 是非当社で出版したい! しかし失礼ながら先生には実績がないので折半で……」と話を持ちかけるんですね。
「折半」というのは実際にはウソで、ほぼ著者に出させているというボロ儲け商売なのですが、編集者は出版に幻想を持つ「素人」さんのコンプレックスをくすぐる術に長けていて、作家志望者をうまく騙しているようです。
この辺りはさすがのドクさべ氏も講演依頼comの記述を撤回する他なかったようですね。
まあ、そこは一応、誠意ある対応をされたとは思うのですが、ちょっとコテンパンで気の毒でもありました。
600pの原稿があるんだから、いっそのこと同人誌として出版して「俺は作家だ」と胸を張って欲しいですよ。
コミケに出られてはいかがでしょうね。
ぼくもチケットを差し上げることはできますし(ただし、エロエロ同人誌のコーナーだがな!!)。
>ドクさべ氏はなぜ、専ら動画や掲示板などで「差別の専門家として」と枕詞を使うのかといえば、結局のところ、専門家という称号を得たいという執着のようなものが根底にはあるのだと思います。
彼を見ていると本当に「専門家専門家」と繰り返していて、ちょっと痛ましいですよね。
正直、「ドクター差別」と名乗ってしまっている時点で「いや、本当に学位があるならともかく、そんな名義を名乗る人が多くの支持を得られるのか……?」と思うのですが。
後半部分のご指摘にも賛成します。
彼らが繰り返す「いや、女性専用車両って男も乗れるんだよ」という切り口はある種の新鮮さがあり、ぼくも当初期待めいた感情を抱いていました。
が、彼はあまりに自分の運動が世間にどう受けとめられているかという「自分を見る目」に欠落しています。
「ドクさべ氏が悪い、もっとうまいやり方をしていれば事態は好転していたのに」という言い方は努力をなさった彼に酷ですが、やり方がまずかったことは事実だと思います。
大変失礼ながら、ドクさべ氏に結構支持者がいることが、ぼくには意外です。
彼に対し、「一体どれくらい支持者がいるのですか? 運動を続ける過程において、会員などが増えているという事実があるのですか?」と聞こうとも思ったのですが、ご承知の通り、あんまりまともに返答を返してくださらない方ですしね。
またこれは根本的な話になりますが、ぼくはドクさべ氏の「男も乗れるのだ、法的にはこっちが優位なのだ」との主張に「そうなのか」と素朴に頷いていたのですが、実際にはそうでもないのでしょうか。掲示板を見ると健次郎さんが「鉄道営業法に抵触するのでは」との指摘をなさっていましたが、わかりやすいまとめなどはないでしょうか?
ドクター差別さんの問題点。私もその通りだと思います。彼は「悪名は無名に勝る」と言って注目されたもの勝ちだと考えているようです。しかし、彼は一体全体誰と戦ってるのかを理解していないのでしょう。女性専用車両を導入するために動いた公明党やそれを実施している鉄道会社などの「有名」と戦ってる筈なのですがね。悪名は無名には勝る場合もあるかもしれませんが有名にはまず間違いなく負けるでしょう。
彼は自分が何をしてどうなってるのかという客観視がまるで出来ていません。だから末端の職員や女性客に対して賛同者を減らす無意味で攻撃的な反応が出来るのでしょう。本人たちは一時的ではありますがそれでストレス解消できて満足なのでしょうが、女性専用車両に反対するという目的で言えば完敗と言っていいでしょう。
もちろん、彼らの過激な行動!?に共鳴する人たちは13000万人の中には極々一部にいるでしょうが、彼らの主張が日の目を見ることはないでしょう。在特会と同じです。
では、どうすればいいのか?
ネット署名とかではなく、直の署名を集めるべきなのです。何年経っても数人で街頭に立って人々から賛同されない戯言を喚くだけでは何も変わりません。幸い、ネットでは「男性専用車両がないのは差別」という意見が少なくありません。男女別車両が良いか悪いかは別にして「男性専用車両がない現状では差別であるから女性専用車両を撤廃するか男性専用車両を利用者の男女比率に合わせて設けるか改善して欲しい」といったレベルの署名であれば男女別車両希望の層も取り込めてかなりの数の署名が集まると思うんですがね。
まあ、彼らはそういう足で動き努力がいるものを嫌いてっとり早くストレス解消できて行動した気になれる脊髄反射的な行動を選択するだけでしょう。
本文でも書きましたが、ぼくはこうした市民運動については「古い」という印象を持っていて、彼らを知った時の感想も「今時流行らないよなあ」というものでした。
そして、実はこのエントリを書いた時点でも、(本当に不勉強ですが)彼らがyoutubeなどに上げている動画をほとんど見ておりませんでした。
エントリをupした後、いくつかを見てみて「うわあああああああ」と思ってしまいました。
この人たち、女性専用車両に上がり込んでは駅員や乗客の女性に対して罵声を浴びせてるんですね。
本当に、これじゃあNHKに抗議電話をかけて国と戦っているつもりのクレーマーレベルです。
ただ、ぼくには彼らの賛同者は結構多いように感じています。
むろん、ネット上でのことですし「実際には数人」といったオチも考え得るのですが、彼らに疑問を唱える人間もあまりいないようですし。
「署名を集める」という案は面白いと思います。
街頭での演説からして効果は疑問ですが、どうせならその場で同時に署名運動をした方が実効性はありますよね。
ぼくもドクさべさんに
「女性専用車両に乗り込むなどしては、痴漢冤罪で捕まるのでは?」
↓
「いや、そうしたことがあれば裁判で争う」
↓
「そこまでの覚悟と準備があるのなら、専用車両を不当であると、裁判で鉄道会社自体を訴えたら?」
といった流れでご提案したことがありました。
が、彼の答えは「何故そんなことをしなければならないのですか? 全くわかりません」というものでしたw
(ドクさべさんの「わからない」は本当に含みのない純粋な「わからない」ですよねw)
恐らく彼は「街頭演説」によって衆目を浴びる快感こそが大事なのであって、他の手段を取りたくないのでしょう。
それでも署名は悪い手ではないと思うのですが。事実、毎週のように演説をしているのだから、それなりに彼は手間暇は惜しんではいないはずです。
ぼくとしては彼らの一番の欠点は、とにもかくにも考えが浅いことであるように思えます。
ドクさべ氏も600pの著書をものした差別問題の専門家でいらっしゃるはずなのですが、見る限りフェミニズムに対して、ほとんど知識をお持ちじゃないんじゃないでしょうか。
彼らに対して、フェミニストから「こうした運動自体が女尊男卑なんてせいぜい女性専用車両くらいしかないことの証拠だ」といった批判がなされることがあります。
ぼくとしてみれば「そんなことはないぞ」と言いたいところですが、もし彼らが議論の場に呼ばれ、そうした批判を受けたとしても、有効な反論は用意していないのではないか、と思えます。
この主張は間違いです。
運送契約をした乗客は、民事上鉄道会社に対して、運送請求(2地点間の移動)ができるだけです。
鉄道会社は鉄道施設を使い、運賃を支払った乗客にこれを提供して運送します。
つまり、契約上は鉄道会社が乗客に提供した車両に乗せてもらえるだけ。
従って、鉄道会社が女性専用と女性及び一部の男性(小学生等)とのみ提供された車両には鉄道会社の意に反して乗り込む権利なんぞはじめからありません。
鉄道営業法は刑事責任(最も軽い科料(一万円未満)を規定するもので、故意責任しかと得ません(刑法第38条第1項)。
従って過失で乗ったと言われると、立証が大変なので通常検挙はしません。
デモドクターについてはどうでしょうね?
チャンネル桜でドクさべさんとやりあっていらっしゃった健次郎さんですね。
なるほど、普通に考えればそうですよね。
女性専用サービスというのは世にいくらもあります。
それらをぼくは望ましいと考えないけれども、そして鉄道会社というのは公共性が高いため、「女性専用喫茶」などに比べて遙かに問題だと思うものの、鉄道会社がそう規定した以上、「そういうもの」なのだろうと思います。
彼らが「男性も乗れる」としていることの根拠を、ちょっとだけ調べてみました。
何しろ彼らは「乗れる乗れる」と繰り返すばかりでその根拠をちゃんと話してくださろうとはしないのですが、過去の書き込みを見ると、女性専用車両に男性が乗れることは「法律上も契約上も」規定されている、「2件の裁判で明らかになった」、というのが彼らの言い分です。
またいくつかの鉄道のサイトで「男性の協力の元」といったことを謳っているのが根拠になっているようです。
ぼくは「ドクさべ氏たちが鉄道会社を問い詰め、相手が怯んで弱気なことを言った(騒いで掲示板にもそう書かせた)ことを手柄として、そう言い募っている」のだと想像するのですが、詳しいことをご存じありませんか?
最後の件について、おっしゃるようにドクさべさんはかなり高圧的強硬的な行為の、しかも常習犯です。
ドクさべさん本人ではないですが関連組織が「社会運動」中に揉めごとも起こしています。
彼らが「故意」であることを立証するのはあまりにも容易です。
しかし今のところ、鉄道側はこれといった対策を取らず、駅員が場当たり的に彼らと衝突しているだけのようです。
ドクさべさんの「運動」で電車も遅延しているというのに、これはいささかノンキであるように思います。
それとも彼は、明日にでも逮捕される可能性があるんでしょうか。
しかし、彼等の言う裁判はいずれも敗訴とのこと。
敗訴判決の理由中の都合のいい部分だけを取り出して吹聴しているだけと推測します。
女災学の提唱者・ドクター女災です。
>敗訴判決の理由中の都合のいい部分だけを取り出して吹聴しているだけと推測します。
だとしたらぶっちゃけ彼らの言っていることは「ウソ」ですよね。
「ウソも千回万回繰り返せば本当になる」というポリシーでやっていらっしゃるのでしょうか。
ドクさべ氏のサイトを「裁判」で検索してみたのですが、何とヒットはたったの二件、その後者ではおっしゃるように「女性専用車両は合法」との判決が出たようです。
ドクさべ氏はそれに対して「憲法に反する」と噛みついていました。
その主張に対しては純粋な理念としては賛成しますし、「憲法違反である以上、違法だ」と話を持って行くこともできるとは思います(何故か彼らはそうなさりたくないようですが)。
が、単に「乗れるのだ乗れるのだ」では単に「ウソを吹聴しているだけ」ですよね。
しかしそうなると鉄道側の及び腰がいよいよわからなくなります。
見てるとドクさべさんたちは法にも疎いようですし、そのうち大変なことになりそうな気もしますが……。