ネットマガジン『ASREAD』様でちょっと書かせていただきました。
「朝霞市の少女誘拐事件が男女のバトルにすり替わった件」。
例の事件についてです。
男性ジェンダー、つまり能動性の被害者性、との意味あいである意味、「女災」という概念をかなりラディカルに突いた話題になっているかと思います。どうぞご一読を!
「朝霞市の少女誘拐事件が男女のバトルにすり替わった件」。
例の事件についてです。
男性ジェンダー、つまり能動性の被害者性、との意味あいである意味、「女災」という概念をかなりラディカルに突いた話題になっているかと思います。どうぞご一読を!
勇敢に踏み込んでおられますね。
他記事も拝読させていただいておりますが、
兵頭氏の言説は、言及対象の複雑さもあり、
万人がすぐに理解できる、という性質ではないと感じます。
私自身、どこまで兵頭氏の真意を解しているか?
と問われると、かなり怪しいですw
なので、以下は、私の極めて主観的・感覚的な感想になります。
兵頭氏の言説は、ぱっと見、分かりづらく、非常に曲がりくねった小道のように見えます。
ですが、その小道をなぞっていくと、その必然性を感じるのです。迂遠な表現も、そうせざるを得ない背景があるのです。そこが見えると、兵頭氏の言説が
「その都度、多数の選択肢の中から妥当なものを選択し続けた結果、俯瞰すると曲がりくねって見える」
ものであることが、わかるひとにはわかるのだと思います。兵頭氏がこのような論の立て方をされるのは、
内省心を大切にしておられるからと思います。
きっと、兵頭氏の言及対象には、
「汝が深淵をのぞく時、深淵もまた汝をのぞいているのだ」
ということに無自覚な、内省心を欠いた人が多いのだと思います(私も他人事ではありません)。
ご自身はそうはなるまい、泥仕合はすまいというお気持ちが、
兵頭氏のスタンスとして言説にも表れていると感じますし、
それが、私が兵頭氏の記事を「安心して」読める理由です。兵頭氏の状況下で誠実な論をなすのは心労も多いと思います。くれぐれもご自愛ください。
>兵頭氏の言説は、言及対象の複雑さもあり、
>万人がすぐに理解できる、という性質ではないと感じます。
なるほど、やはり難しいかも知れません。
特に今回の記事は「男女関係は常に相互の共犯関係性で成り立っており、一方的な被害者/加害者というものは成り立ちにくい、しかし世間では取り敢えず男のせいにされてしまう」或いは「女性を被害者の位置に留めておくために、弱者男性を悪役にする言説が求められている、しかし本件をそうした政治的手段に利用することはいかがなものか」といったことが論じられるべきだったのですが、少々、論点がぼやけてしまっておりました。
おっしゃるように元が複雑でなかなか書きにくいこともあるのですが。
内省心を大切にしておられるからと思います。
ありがとうございます。(*゜ー゜)>
特にASREADさんで書く時は気をつけなければなりませんしね。
もちろん、こちらで書いているふざけた文体も、それなりの計算があってしているのですが。
(ただ、正直、お相手は人の話は聞かないし、どこへ向けて語ればいいのか途方に暮れることもあります)