「婚活」という言葉が『AERA』発であるということは周知かと思います。
この言葉が流行語となって一人歩きしたことを、提唱者の一人である山田昌弘先生は「女性よ、現実を知って妥協せよ」とのメッセージが「婚活で玉の輿ゲット」と変換されたと、そしてまたもう一人の白河桃子さんは「女も稼がねば結婚できない」とのメッセージが、「婚活で専業という特権階級をゲット」と変換されたと、それぞれ嘆いています。
なるほど、ぼくは白河さんのスタンスについては賛同しがたいのですが、女性たちの「甘え」に嘆くその一点においては、彼女に同情を禁じ得ません。
さて、本書はタイトルを見てわかる通り、徹底した『AERA』批判の書です。見出しをランダムに並べてみただけでも、
・そんな女たち、本当にいるのか
・目指すは「女尊男卑」
・大量発生する「おひとりさま」
・男女の性差を認めない『AERA』の女性記事
・「負け犬の遠吠え」が本当の「負け犬」に
・「アエラ族」よ、幻想を捨てよ
・女の敵は女
と以上のような具合で、何と言いますか、容赦がありません。
とは言え『AERA』の方も(以下はみな、本書からの孫引きです)離婚した女性タレントを持ち上げては
結婚でアゲ、出産でアゲ、自ら決別を選び、子どもを養えるだけの力を証明してさらにアゲ。いまや結婚、出産、子育てを経た離婚は、女のバリューを上げる一過程かのようだ
女性が仕事と経済力をもち、安全な環境が確保されると、(略)夫という『内なる敵』の存在が明確になってくる
他にもブーケトスを「人権侵害」だと言い立てたりで、とても正気の沙汰とは思えません。
ネットなどではこうした『AERA』的フェミニズムに対する批判が盛んであり、基本的にはぼくもその立場に立ちます。また、『女災』で著作を大いに引用させていただいた小浜逸郎さんも「フェミニズムを敵とするが女を敵とせず」とおっしゃっています。
しかし上に書いた「婚活」の受け取られ方は、何よりも大多数の女性たちの「甘え」「依存しきった心性」を現しています。
そう考えた時、「フェミニズム」をラスボスだと捉える考え方は、やはり正鵠を得ていない。一番の問題はそういった女性たちの心性であり、フェミニズムもそんな「甘え」の一側面であると考えるべきです。
そしてまた。
『AERA』の斜陽を嗤う本書に唱和したいのはやまやまなのですが、ぼくの耳には同時に、「来週号に登場する新キャラ」の声が聞こえてきているのです。
「AERAがやられたか……だが奴は我らが四天王の中でも最弱よ!」