天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

茅の輪

2020-06-28 18:41:02 | 日記

 6月最後の日曜日。もう今年も半分過ぎた。年を取ると動きが鈍くなるのに、時の経つのは若い頃より速い気がする。昨晩、寝ようとして、死ぬ前には、体が言うことを聞かなくなって、こんな風に寝た切りになって、自由が奪われ、誰を呼んでも看取られないまま逝くのかなとの思いがわき起こり、いたたまれず起き上がって、玄関口で頭を冷ました。歩くことと、見ることと、噛むことは、死ぬまで保ちたいと思う。やることは外してもいい。挿入しながら昇天して極楽往生したいと考えていたけれど、もうどうでも良くなってきた。余計なことを考えず歩見噛の3つに絞って、養生していこうと考え直した。

 今年前半を振り返ると、蔵王の樹氷を見に行った以外はコロナ一色であった。もう我慢の限界に来ていて、後半もこの調子が続くかと思うと、どこかで自爆テロを起こしそうな気がする。月末30日は夏越の祓い。おととい兄が手作りの茅の輪を送ってくれた。頭からくぐる神社様式でなく、ミニチュアなので、玄関取っ手に飾った。悪疫退散と身体丈夫に効き目がありそうな気がする。
 昨夕、近所のおばさんに松葉牡丹の苗を株分けして貰った。いつも咲いている花がなく、葉っぱだけになっていたので、もう花期は過ぎたんですかねと聞いた。答えが仰天するくらい意外だった。いや、花は一日だけ咲いて、脇から別の花芽が翌日開くんですよ、と教えてもらった。ええっ、それでは散歩道でいつもピンクの花が石垣に活き活きと全開しているのは、同じ物ではなく、毎日生え代わっていたのか。何十年と見慣れていて、自分でも植えたことがあるのに、今の今まで気付かなかった。散歩以外に別に何もすることがなく、観察にはフルに注意を払って、綿密、細密、緻密に、いわゆる3密によって目を凝らしていたのに、認識の篩いを素通りしていた。ぼうーっと世の中を過ごしてきたので、もっと大事なことを見落としていた気がする。
 ポスト『赤毛のアン』は『茶の本』にした。明治に書かれたというから、基本英単語300語くらいで出来ているのかと舐めていたら、審美性とか日本語でも咀嚼できない難解単語が次から次へと出てきて、本を読んでいるのか、辞書を読んでいるのか、分からなくなってくる。何者なのか、岡倉天心とは。髭の肖像をむかし教科書で見た印象では、田舎の村夫子だけれど、凄い学識が有ったみたいである。茶の作法を紹介しつつ、その伝統と精神を外人にも分かるようさらりと解説したものと思っていたら、いきなりばーんと国際文明を説きだしたので、たまげた。アンの数分の1の分量なのに、読み終えるのはもっと難航しそうな見通しである。
Those who cannot feel the littleness of great things in them-selves are apt to overlook the greatness of little things in others. The average Westerner, in his sleek complacency, will see in the tea ceremony but another instance of the thousand and one oddities which constitute the quaintness and childishness of the East to him. He was wont to regard Japan as barbarous while she indulged in the gentle arts of peace: he calls her civilised since she began to commit wholesale slaughter on Manchurian battlefields. Much comment has been given lately to the Code of the Samurai, --the Art of Death which makes our soldiers exult in self-sacrifice; but scarcely any attention has been drawn to Teaism, which represents so much of our Art of Life. Fain would we remain barbarians, if our claim to civilisation were to be based on the gruesome glory of war. Fain would we await the time when due respect shall be paid to our art and ideals.
 
ーーー青空文庫で見付かった村岡博訳では;
 おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っているであろう。西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから文明国と呼んでいる。近ごろ武士道ーーわが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術ーーについて盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の術を多く説いているものであるが。もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。
 
ーーー何か、グレタ・トンベリさんの「あんたら、よくもまあ」( How dare you!)という啖呵を、明治時代の小国日本から大西洋文明国に対して切っていた感じである。しかも、力で勝負するなら力で向かってやろうじゃないか、という下司の口上でなく、領土拡張のため戦争に明け暮れている列国を窘めているのだから、大した胆力である。今見ると、明治には凄い人が輩出していた。満州の戦場などと出てくるので、いつの執筆かと見たら、明治39年、1906年だった。1904-5年の日露戦争に勝ち、旅順を陥落させていた。何だ日本は、と各国を瞠目させた後なのに、「平和な文芸を野蛮と言い、殺戮を文明という貴様等は、いったい何なのだ」とアジるのは、内向けにも外向けにも大胆すぎて、沈着剛毅と言う他ない。こういう人材の遺伝子が今も続いていてほしかった。トランプ米大統領のご機嫌を取ってお先棒を担ぐばかりで国益を守ったつもりになっていてもらっては困る。日本の精華、国体の基本を見据えて国際外交にあたってほしい。
 
はらからの
茅の輪を懸けて
厄除けむ
茶を嗜みつ
ふるさと偲ぶ