散歩をしながら、こう考えた。
朝、東に歩けば朝陽が眩しい。夕べに西に向かえば入日に目が眩む。意地を通せば失明する。とかくに平らな土地は住みにくい。
住みにくさが高じると、陽が差しにくい所に引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、京が偲ばれ、奈良が懐かしまれる。
歴史家はあほが多いから、聖徳太子が居なかったと言い出したり、幼稚な空想で話を騙ったりする傾向がある。説話や講談を真に受けたものが歴史家を志すものだから、チャンバラ的発想で歴史を捏造する。山に囲まれた京に都が、鎌倉に幕府が置かれたのは、防衛上の土地選定だったなどと、トンデモ説が定着してしまう。そんなことではなくて、地平線から日が昇り、地平線に陽が沈むような土地では、人々の生活がし難いからである。せめて、夜明けの知らせが来たあとゆっくり日が昇り、山入端になだらかに陽が沈む場所が、王城の地として好まれたのである。
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