天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

望郷

2019-12-05 14:12:26 | 日記
 東京五輪・札幌マラソンのコースが1周20キロだけ決まった、って中途半端やなあ。最近はこういう利害が錯綜した内実が生煮えのまま露出するニュースが多いような気がする。むかし、知人が銀座の大通りで早朝、ウンチを垂れてきたと自慢話をして、豪傑ぶりを誉めていいのか、下品と貶していいのか、困惑した記憶が蘇ってきた。官僚力という言葉があるのか、物事を仕切る役目の人の力が落ち、権力者の我儘が常識を押さえ付けているように見える。政治の世界も、いわゆるポピュリズムが横行し、その上メディア操作が加わり、デュー・プロセスを飛ばして、力づくで物事を決める場面が目立つ。伝統的権威者が下々の意向を無視して政策決定した時代よりマシなのかもしれないけれど、所詮権力はピラミッド型が崩れるはずがない。
 OECDの学力調査各国比較で日本の「読解力」が前回の8位から15位に急落した、と言われてもピンとこなかったけれど、今朝の読売新聞の『国語力が危ない』で、「この公園には滑り台をする」なんて文章の実例を例示してもらうと、少しインパクトがあった。日記をだらだら書いていると、途中で言いたいポイントが変わって、係り結びがええ加減になってしまうことがよくある。主節と従属節を文法的に正しくしようとすると却って冗長になるので、まあいいかとそのままにしてしまう。意味が何となく雰囲気的に通じるのと、正しく伝えるのでは大違いである。外国旅行などでパントマイムによって当座の危機を脱出することができても、いつもその手が通じるはずがないので、やはり正確な伝達方法は持ち合わせていた方が断然に好い。面白いのは読解力も表現力も、劣化の原因がLINEのチャットで短文が多用されていることに求められていることである。探し出せば、古くから酷い文章の実例は見付かるだろうし、LINEばかりを主犯に決めつけると、他の要因を見逃してしまうことになる気がする。とにかくこの記事を担当した人は大変だったろう。一字一句に変なところがあれば、ブーメランが戻って来て直撃するのだから、いつも以上に細心の注意を傾けたはずである。
 きのうのあんこう肝鍋セットは体もポカポカ楽しめた。白身の充実した締まり具合の歯応えが良かったし、肝の甘苦みも喉に溶けて行った。一番気に入ったのはぷよぷよした脂身である。肉の脂身は消化に悪そうなので、沖縄のてびち料理以外はその部分を切り剥がして食べたりするけれど、魚のはコラーゲンたっぷりそうで、関節に効くかなと思って、どん欲に吸い込んだ。TV番組はほとんど食欲が湧かないけれど、『家、ついて行ってイイですか?』だけは、忘れない限り録画して観る。あん肝の御伴に「北海道望郷編」は格別に面白かった。留萌の農家で小中学生まで育った男性が国の米減反政策により東京に出て働き紆余曲折、たまたま出くわした番組の一環として、親兄弟が居なくなった故郷の居住地に50年ぶりに訪れる話だった。シベリア抑留帰りの父親らが開拓耕作した家田畑が、すっかり元の原生林に戻っていたのを見て、呆然と立ち尽くしていた。人間はいろんな可能性を探り、生きたい希望や夢を持っても一本道しか叶わないものだけれど、実際に歩んだ道すらあやふやになり、肝心の部分が消えてしまっていては、実在の人生はなく記憶の人生しか残されないことになって、きつい気がする。
 北海道の日本海側などでは、きょう5日に80センチを超える積雪かあ。札幌から留萌を経て稚内までかつてドライブした時には、旧ニシン御殿や満々とした海の風景にデッカイ道を感じたけれど、ドカ雪はどこに居ても気が重くなるわ。職場の駐車場の雪搔きほど、体がボロボロになって辛い物はない。

ふるさとの 住まひは雪に 閉ざされて
跡形も無く 木と笹が生ひ



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