こんなふざけた日記で触れるのは気が憚れるが、横田滋さんのあの親しみのある姿と精神に生で接しられなくなったかと思うと、何か綴らざるを得ない。北朝鮮拉致被害者の奪還闘争といっても、直接にも間接にも私には類縁がないので、お気の毒にくらいしか、あまた事件事故の中で感じなかっただろうところ、早紀江さんとの横田氏ご夫妻による、娘さんら拉致被害者の救出に奔走する活動に目を覚まされ、こんな邪悪には国の名誉を賭けて団結応援すべきだと思った。不戦を誓う日本の現国体においても、こと主権の侵害に対しては、国力を挙げて人事を尽くして対処すべきは言うを待たない。一度悪例を残すと、南方から西方から北方から領土も削り盗られていくのを待つようなものである。安倍晋三首相は就任以来、200カ国近く夫人同伴で外遊した実績を誇るのに、トランプ米大統領と大型輸入の誼を繋ぐ以外に、何の外交成果も示せていない。憲法改正を唱え、国の有り様を見直すように訴えてきたのに、現実事態には何も対処できずに、中身が全くの空疎では、張子の虎を軒先に掲げようとするようなものである。
ちょっと関係者がコロナ陽性になったからと空騒ぎして、テレビ各局はリモート出演とか、埃を被った録画放送とか、ビビりまくって見るに堪えないので、この際だからとNHK教育番組を録画している。熱湯風呂に浸かったり、猛獣がいるジャングルに紛れ込んだりという元気はどこに行ったのか。安全地帯のヤラセでしか収録できないというのか。高校物理の「力」というテーマを録画再生した。なぜなら、中学か高校生の時、力というものはいくら頑張って加えても、物が動かなければ仕事量はゼロなのだ、と教えられ、人生観が変わったからである。野球をやっていて、ホームランを飛ばすつもりで思い切り振っても、ボールがミットに納まれば三振だという理屈が解けた気持ちだった。
ところが、講義の「力」の解説は違った。重い物を平面に置いて少しも動かなくても、力がゼロではなく、物の重力に対して、平面からは垂直応力が発揮されていて、均衡を保っているのだという。女性を椅子に座らせて、ズシンと尻餅を付かないのは、そのせいだと先生が語っていた。すると女性は、それを聞いて何だかお尻がムズムズする気持ちなどと答え、下ネタをやっている場合かと思った。しかし、それはお尻だから言うわけではないけれど、仕事の量(リアル・パワー)と力の量(ポテンシャル・パワー)をごっちゃにした屁理屈で、社会通念的には目に見える成果がなければ仕事量はゼロであることに変わりはない。
地球を何周も回り、一律10万円どころでない資金援助を湯水の如くばら撒いて、高齢化により待ったなしの喫緊の外交課題より、桜を見る会への人集めに精力を集中しているようでは、仕事量はゼロと判定されても仕方ない。安倍首相は就任時の政策実現課題の先頭に拉致問題の解決を挙げたけれど、無用無能さがはっきりしたので、退陣する潮時だと強く思う。それなのに挙国提灯報道が情けない。安倍首相が「断腸の思い」を全国民向けに伝える姿を流し、肩を撫でるように労わるのだから、完全に焼きが回ってボロボロである。
普通トイレを使う時、大便と小便と同時に用を足す。朝出掛ける前にウンと頑張ってすっきりしてトイレから出てきても、老化現象なのか、すぐに尿意を催すことが多い。大便の大腸と小便の泌尿器は別の器官だから仕方ないのかもしれないけれど、せっかく新聞を読みながら時間を掛けて便器に座るのだから、両方とも一挙に片付いてほしいと願うのは私だけだろうか。新型コロナウイルス対策といい、拉致被害者救出対策といい、政府のやり方は全く同様である。Go Toキャンペーンとか持続化給付金とか臭い「大」の方にばかり力を入れて済ませた気になっているけれど、PCR検査など肝心な「小」の方を絞っているから、東京都などのように解除して出掛けようとする途端に、我慢できなくて感染者数が溢れ出してしまう。私ばかりでなく、国の政治、行政が老化してしまっている。一掃する替え時が来ている。
すは漏ると
あらーと叫ぶ
おうなあり
五輪にかまけ
締まりなければ
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