下記に書いたリンク切れは、『健康福祉局健康安全課 - 平成25年3月15日作成 - 平成25年3月18日更新』 として復活している事を確認しました。RSSによれば 8:37 更新アップロードか。(2013.03.18 追記)
神奈川新聞-2013年3月15日横浜市が指定廃棄物申請へ、汚泥など5200キログラム/神奈川
要点は、『市立小中学校の雨水貯留槽内の汚泥の放射能濃度を測定していて、9校が今回の調査でも8千ベクレルを超えた。汚泥は5222キログラムだった。また2011年9月から2012年10月までに道路側溝などから回収し、鶴見、港北土木事務所で保管している堆積物を再調査したところ、約14キログラム分が8千ベクレルを超えていた。』
例によってソース確認・・・・
◇ 横浜市報道発表 2013年3月15日
◇ 放射性物質汚染対処特措法に基づく指定廃棄物の申請について (健康福祉局 健康安全課)
◇ 横浜市トップページ > 健康福祉局 > 放射線対策本部 >トップページ
◇ 健康福祉局
● 健康福祉局 各部のページ
● 記者発表資料一覧 (健康福祉局)
プレスリリースがリンク切れと思えるが、神奈川新聞の情報は果たして公式公開されたものか、それとも耳打ち情報なのか、公開ページの要旨情報があるかどうかを確認してみた・・・
◇ RSS 1.0 放射性物質汚染対処特措法に基づく指定廃棄物の申請について2013年3月15日 20:15
◇ RSS 2.0 放射性物質汚染対処特措法に基づく指定廃棄物の申請について2013年3月15日 20:15
「放射性物質汚染対処特措法に基づく指定廃棄物の申請について2013年3月15日 20:15」
本市が所管する施設から排出される予定の廃棄物について、国のガイドラインに基づき核種分析を行ったところ、1キログラムあたり8,000ベクレルを超える放射能濃度が検出されたため、指定廃棄物の申請手続きを進めます。
・・・ということで、この記事は一度は存在し、Webサーバーは通常処理をしたことが確認できた。
◇ 横浜市会議員 井上さくらのサイト からツイートを追いかけてみた・・・【コメントは井上さんのツイートから引用】
◇ 3月15日 1ページ目
横浜市は【放射性物質汚染対処特措法】に基づき、8,000Bq/kg超の指定廃棄物申請をする旨公表しました。神奈川では現状申請がないはずなので、これで県内最初の指定廃棄物です。画像:記者発表資料(全3ページ中の1枚目)
◇ 2ページ目-別紙1
放射性セシウムが8,000Bq超となり、指定廃棄物申請されるのは、学校に保管中の雨水利用施設の沈砂と除去した側溝汚泥等です。 画像:記者発表資料(全3ページ中の2枚目、対象となった学校と沈砂の放射能濃度)
◇ 3ページ目-別紙2
指定廃棄物申請される廃棄物のうち、除染して各土木事務所で保管している物の量と放射能濃度⇒画像:記者発表資料(全3ページ中の3枚目) いずれにしても学校敷地内とか土木事務所で分散保管するのではなく、集中して厳重管理したほうが良いと思う。
中央紙の神奈川版も一応は確認した・・・該当する記事は見つからなかった
◇ 朝日新聞
◇ 毎日新聞
◇ 読売新聞
◇ 産経新聞
◇ 東京新聞
井上さんがアップロードされた文書画像はダウンロードしてありますが、何か誤植とかがあって記事が削除されたのかもしれませんので公開は控えます。横浜市当局の再掲載を待ちたいと思います。原文はPDFファイルによる公開でしょう。
井上議員が連続ツイートの最後で、『自治体にとって、これまでの「薄めて拡散」だけでなく「固めて可視化」も選択肢にしようという端緒になったら良いと思っています。』とのツブヤキ、「固めて可視化」 という表現はなかなか面白いと感じました。
山梨県内の下水汚泥の事はこれまでに書いてきました。いずれ整理します。分かりやすく可視化・可読化して記録に残したい・・・ということで、この記事も山梨情報カテに・・・
山梨県、甲府市の月例放射線測定は校庭の真ん中で計っているだけでは意味が無いのだという話は、書いても意味が無いからやめときます。あるかも知れないものを無い事にする前提で仕事をさせられている(かもしれない)方々の内心の葛藤はいかばかりか、お気の毒に思っています。
神奈川新聞 2013年3月16日被災の記憶を心に刻む、宮城・南三陸町舞台の記録映画「うたごころ」、市内での上映会盛況/川崎
こっちをブログに書くつもりでいたのが、テーマがずれました。
◇ ドキュメンタリー映画「うたごころ」公式サイト
原発震災も風化させてはならないと思っています。
時間が無いのでとりあえずリンクのみ-水島朝穂さんの記事 2013年3月18日 「復興の加速化」のなかでの忘却――東日本大震災2周年とイラク開戦10周年
「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」、忘却を誓わせられている人々の悲しさもある今の世の中。