遺伝屋ブログ

酒とカメラとアウトドアの好きな大学研究者です。遺伝学で飯食ってます(最近ちょっと生化学教えてます)。

ヒトとして残すもの

2013-07-24 23:23:37 | 大学生活
今日はちょっといいことがありました。

それはちょうど昨年の夏でしたから、だいたい1年かかったことになります。秋に出して、年末に出して、二つのジャーナルにけられて、上司の定年退官に到底間に合わない2月に投稿したものが審査に回って、ここまでかかりました。途中、精神的にきつい時期もありましたし、GWの最中に大事なHDDが突然沈黙するという悪夢を乗り越えて、なんとかクリアしました。プロである以上、途中の苦難とか一生懸命がんばったとかどうでもいいです。評価は結果だけみてもらえばいい。
この仕事も自分一人で筆頭著者と責任著者やってんですが、それでも一人の力で全てやったわけではなく、共著の仲間にはお礼のメールを送りました。昨春退官した前の教授には直接電話して伝えました。出来の悪い部下に辛抱強くつき合っていただいたお礼をやはり直接伝えなあきません。それがしたくて、この論文をやり遂げようと自分はがんばったのかもしれません。小さな安い論文でカッコ悪いですが、それでもフィニッシュできて良かったです。カッコの善し悪しはともかく、形にして残すのがプロの証しでもあります。

竜馬の血判を発見=砲術入門時の起請文で―高知(時事通信) - goo ニュース
竜馬の血判や直筆の署名などが記された文書が見つかりました。高島流砲術家徳弘孝蔵への「起請文」です。安政6(1859)年9月のもので、直筆とみられる署名の上に血判が押されているそうです。竜馬の血判が確認されたのは初めてです。巻物には竜馬の他、幕末に尊王攘夷運動を行った土佐勤王党の武市半平太や岡田以蔵ら、216人分の名前も記されています。幕末ものが好きなヒトにはたまらん文書であります。土佐藩、グレート!
土佐藩に砲術家なんていたんですねー。しかも、下士の竜馬や半平太や以蔵達が入門してたなんて、けっこう自由な藩だったんや・・・というか、バラバラやったんやね、マジで。(笑) 
巻物は高知市にあった徳弘家がかつて保管していたのですが、この数十年間は行方不明。同家ゆかりの個人がこのほど、記念館に所在を申し出たそうです。けっこう自由な藩だったんやな・・・うん。

人間としてその文明に貢献した証しとして文書を残すのは、意義のあること・・・というか、それこそ人間の役割であり、なすべきことであろうと思います。特に僕のような大学研究者には必須。できないなら、いないのと一緒・・・。orz 出せて良かった♪

本日のお酒:KIRIN LAGER + 花垣 純米 米しずく
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
当たり前が一番難しい (紙屋さん)
2013-07-25 07:41:33
やるべき事を成し遂げて、おつかれさまでした。一杯差し上げましょう。龍馬脱藩の道の田舎から乾杯です・・・努力、努力ですね。
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ありがとう (いでんや)
2013-07-25 23:12:14
でも、普通に仕事したってだけなんですよ。
そして、これからも普通に仕事していくってことです。
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