竜馬脱藩しました。
坂本龍馬の脱藩の道は諸説あります。朽木峠を越えて僕の父の故郷高岡郡旧葉山村から梼原をぬけて伊予に向かう道もそのひとつ。片岡孫五郎が龍馬の脱藩を助けた逸話が残っていますが、司馬遼太郎のこの作品の中では触れられていません。街道は使わず、道なき道をたどって山を越えたことになっています。まあ、脱藩の罪の重さを思えばそうだったのかもしれません。葉山村出身の維新の志士は孫五郎の他にも片岡盛蔵や片岡雄馬、片岡佐太郎、高橋俊助と出ているそうです。うちの家の本家筋は片岡一族だそうなので僕も無縁でなさそうですが、まあ、全然自分の遺伝的背景については興味がないので・・・・。仕事で使う酵母菌の遺伝的背景はすごく気にするのにね。(笑)
さて、片岡孫五郎は名を『直英』といいまして、『直輝』と『直温』という2人の息子がいます。どうも土佐人は僕の名前にもある『直』という字が好きなようです。坂本龍馬の名も『直陰』というそうな。さて、孫五郎は富豪でありましたが、脱藩浪人の世話をしすぎて(龍馬のブレーンだった)家の財産を使い果たし、残された妻と子供たちはとても苦労したらしい。貧しさのために次男の直温は寺に預けられてしまう。しかし、この直温は後に大蔵大臣を務めるだけの出世をした(兄の直輝は日銀大阪支店長の後に大阪ガス社長、阪堺電気軌道社長を歴任)。ところが大臣になったはいいが、ついうっかり「東京渡辺銀行がとうとう破綻を致しました」と実際には破綻していなかったのに失言してしまい、昭和恐慌の引き金を引いてしまって内閣を総辞職に追いやった・・・てなわけで、一族かもしれない私からも謝っておきます。
「すんませんでしたー。」![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/pt34.gif)
そんな失言と比べれば麻生さんの失言なんか小さい小さい♪彼のじいさん吉田茂も土佐人(高知県宿毛出身)だが、失言の逸話は多い。野党とマスコミのあげ足取りに汲々としていたのでは彼の本当の持ち味は活かせないよ。なんで自分に人気があったのか良く考えれば、やるべきことは明らかだと思います。平成を窮屈な時代にしないでほしいな。「定額給付金」なんかベンジャミン・バーナンキが言ったようにヘリコプターからばらまけば良かったと思うよ。
僕の母方は東西南北のひとつを姓に持つ家で、昔家老(後藤)家に嫁を出した家だと自慢話を聞いたことがあります。土佐山内家は東西南北の分家に別れていて、上士の家には四方の字が付いてることが多いみたい。有名な山内容堂公は南家の出身です。まあ、父方は郷士(長曽我部侍)、母方は上士(山内侍)というのは確実です。
土佐藩の上士・郷士の二重構造が、藩をあげて一体的な行動を土佐藩がしなかった大きな原因で、龍馬が脱藩するのもそこら辺に理由があります。そもそも土佐は自由人の集まりみたいなもんですから、それが良かったんでしょうね。薩摩や長州のように藩ごとに行動する連中をまとめるにはバラバラの土佐人達が接着剤のように働いたんでしょう。それを積極的に意識していたのは龍馬だけで、他の藩士は各自それぞれ勝手な考えをもっていたみたい。板垣退助なんか、佐幕派だった容堂公に絶対に参戦するなと言われていたのに戊辰戦争に土佐兵を参戦させて徳川幕府滅亡に協力してます。容堂自身も鳥羽伏見の戦いの後、朝廷から内国事務総裁という役を押し付けられたあげく、江戸攻めに際しては藩史が財政難のために東山道先鋒を断ろうとすると「まずは出陣せよ。金はあとから送る。」と言っている。佐幕なのか倒幕なのかというよりも血が騒ぐ方につっこんでいくわけですな。土佐人の判断っていうのは、基本的に臨機応変自由自在なんです。
坂本龍馬の名では『龍』が正しいのですが、司馬遼太郎の作品『竜馬がゆく』では『竜』が使われています。フィクションですから司馬氏が意識的に字を変えたと思われます。
写真は葉山のラーメン屋、豚太郎。ここのラーメン美味しいよ。
本日のお酒:萬歳楽大吟醸 杜氏厳選ひやおろし
坂本龍馬の脱藩の道は諸説あります。朽木峠を越えて僕の父の故郷高岡郡旧葉山村から梼原をぬけて伊予に向かう道もそのひとつ。片岡孫五郎が龍馬の脱藩を助けた逸話が残っていますが、司馬遼太郎のこの作品の中では触れられていません。街道は使わず、道なき道をたどって山を越えたことになっています。まあ、脱藩の罪の重さを思えばそうだったのかもしれません。葉山村出身の維新の志士は孫五郎の他にも片岡盛蔵や片岡雄馬、片岡佐太郎、高橋俊助と出ているそうです。うちの家の本家筋は片岡一族だそうなので僕も無縁でなさそうですが、まあ、全然自分の遺伝的背景については興味がないので・・・・。仕事で使う酵母菌の遺伝的背景はすごく気にするのにね。(笑)
さて、片岡孫五郎は名を『直英』といいまして、『直輝』と『直温』という2人の息子がいます。どうも土佐人は僕の名前にもある『直』という字が好きなようです。坂本龍馬の名も『直陰』というそうな。さて、孫五郎は富豪でありましたが、脱藩浪人の世話をしすぎて(龍馬のブレーンだった)家の財産を使い果たし、残された妻と子供たちはとても苦労したらしい。貧しさのために次男の直温は寺に預けられてしまう。しかし、この直温は後に大蔵大臣を務めるだけの出世をした(兄の直輝は日銀大阪支店長の後に大阪ガス社長、阪堺電気軌道社長を歴任)。ところが大臣になったはいいが、ついうっかり「東京渡辺銀行がとうとう破綻を致しました」と実際には破綻していなかったのに失言してしまい、昭和恐慌の引き金を引いてしまって内閣を総辞職に追いやった・・・てなわけで、一族かもしれない私からも謝っておきます。
「すんませんでしたー。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/pt34.gif)
そんな失言と比べれば麻生さんの失言なんか小さい小さい♪彼のじいさん吉田茂も土佐人(高知県宿毛出身)だが、失言の逸話は多い。野党とマスコミのあげ足取りに汲々としていたのでは彼の本当の持ち味は活かせないよ。なんで自分に人気があったのか良く考えれば、やるべきことは明らかだと思います。平成を窮屈な時代にしないでほしいな。「定額給付金」なんかベンジャミン・バーナンキが言ったようにヘリコプターからばらまけば良かったと思うよ。
僕の母方は東西南北のひとつを姓に持つ家で、昔家老(後藤)家に嫁を出した家だと自慢話を聞いたことがあります。土佐山内家は東西南北の分家に別れていて、上士の家には四方の字が付いてることが多いみたい。有名な山内容堂公は南家の出身です。まあ、父方は郷士(長曽我部侍)、母方は上士(山内侍)というのは確実です。
土佐藩の上士・郷士の二重構造が、藩をあげて一体的な行動を土佐藩がしなかった大きな原因で、龍馬が脱藩するのもそこら辺に理由があります。そもそも土佐は自由人の集まりみたいなもんですから、それが良かったんでしょうね。薩摩や長州のように藩ごとに行動する連中をまとめるにはバラバラの土佐人達が接着剤のように働いたんでしょう。それを積極的に意識していたのは龍馬だけで、他の藩士は各自それぞれ勝手な考えをもっていたみたい。板垣退助なんか、佐幕派だった容堂公に絶対に参戦するなと言われていたのに戊辰戦争に土佐兵を参戦させて徳川幕府滅亡に協力してます。容堂自身も鳥羽伏見の戦いの後、朝廷から内国事務総裁という役を押し付けられたあげく、江戸攻めに際しては藩史が財政難のために東山道先鋒を断ろうとすると「まずは出陣せよ。金はあとから送る。」と言っている。佐幕なのか倒幕なのかというよりも血が騒ぐ方につっこんでいくわけですな。土佐人の判断っていうのは、基本的に臨機応変自由自在なんです。
坂本龍馬の名では『龍』が正しいのですが、司馬遼太郎の作品『竜馬がゆく』では『竜』が使われています。フィクションですから司馬氏が意識的に字を変えたと思われます。
写真は葉山のラーメン屋、豚太郎。ここのラーメン美味しいよ。
本日のお酒:萬歳楽大吟醸 杜氏厳選ひやおろし