齋藤信幸のロングステイ!米国・カナダ・中国・台湾・韓国・フィリピン・イタリアなどへの旅行体験やカミサンポをご紹介 

60歳を過ぎてそこそこのお金とほぼほぼ時間のある今、長期旅行に挑戦しましょう。そして大切な妻とカミサンポ。

飽きたはずのカリフォルニアに行ってきました:サンフランシスコとその周辺・ヨセミテ国立公園(8)モンテレイ & カーメル

2019-05-12 01:27:06 | アメリカ西部
今日が実質最終日になると思うとちょっと寂しい。単純な長男と私は、不機嫌に。

HolliterのホテルFair Fields Inn & Suites by Marriottの朝食の特徴は、サルサのようなサラダがあること。スパイスは使われていないが、玉ねぎがピリ辛。朝から野菜が食べられるのはいいね!



最終日のコースは、ヒッチコックの映画「めまい」の舞台となったミッションを見て、スタインベックの家のあるサリナスを経由しジャズフェスで有名なモンテレイ、昔、クリント・イーストウッドが市長を務めたカーメルを訪問。その後、1号線を北上して、初日に泊まったパシフィカのホテルに宿泊、です。

ホテルの周囲は、このとおり畑。



ホテルから数マイルの町、Saan Juan Bautistaに1797年からあるミッション、カリフォルニアの歴史あるミッションの一つで、「めまい」のロケ地。社会見学で訪れる子供たちも多いようです。









この土地と裏の畑の間には段差があり、これがサンフランシスコからロスまで続くサンアンドレア断層。時々大きな地震を引き起こしています。





「怒りの葡萄」の著者スタインベックの家のあるサリナス(寄りたい町でしたが時間がないので)を経由してモンテレイのフィッシャーマンズワーフへ。このあたりは、ジェフリー・ディーヴァーの推理小説キャサリン・ダンス・シリーズに登場する地域。モンテレイに最後に来たのは10数年以上前の営業会議。当時と比べると、人の流れが大きく変わったようです。観光客の行先はフィッシャーマンズワーフ付近からキャナリーロウに移っていました。

まずは、フィッシャーマンズワーフ。10数年前と全く変わっていません。海はきれいですが、サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフの後では、物足りなさを感じます。



キャナリーローにはインターコンチネンタルホテルを核に、洒落た土産物屋やレストランが並んでいます。



ニューオリンズに沢山あったスパイス屋も。



ショッピング街裏の海も美しい。



ランチはインド料理で食べ放題。カリフォルニアもIT関係にインド人が多いので、本格的なインド料理が食べられます。



昼食後、海岸沿いをパシフィック・グロウブ~17マイルドライブ~カーメルと移動しました。







ちょっと有名な「Lone Pine」と呼ばれる木で、会社のロゴやワインのラベルなどに使われることがあります。



カーメルの海岸。相変わらず白い砂が美しいのですが、昔よりも砂の量が減ったようです。



カーメルの町は、昔、芸術家の町と言われ工芸品を見るのが楽しみでしたが、最近は一般的な衣料品店などが増え、魅力が半減しました。

海岸で一休みいた後、一号線を北に進みました。進行方向の左側はずっと海、美しい海岸線が見られます。



パシフィカのSafe Wayで晩御飯を買い、ホテルで最後の晩餐。



おやすみ。

翌朝は6時の飛行機なので3時に起きて、3時半出発し、3時30分にレンタカーを返却。移動の電車が止まっており、バスで振り替え輸送とのこと。スムースに行かないことは織り込み済み。

空港でのチェックインはUAの職員が親切であったこともあり、順調に完了。空港も奇麗になった。



6時のUAでLAに向かって出発。8時前にLA到着。出国審査も何もなく、UAの国内線・国際線がミックスで離着陸するターミナル7で3時間強、暇つぶし。



Wolfgang Packで朝食を食べました。米国、最後の朝食だ。



機内の食事は、行きと同じでベジタリアンの食事を予約。他の人より早く出てきて、さっさと済ませ、映画鑑賞。快適な旅でした。



成田到着。リムジンバスの時間まで1時間以上あったので、成田空港で食事。私はタイ料理、カミさんたちはラーメンなどを食べました。

これにてサンフランシスコとその周辺の旅は終了。この話は3月、雨期でしたが、幸い天気には恵まれました。今はもう乾季。天気の心配は無用です。皆さんもいってやっしゃい。

次回は昨年、11月に行ったベトナム・ハノイの旅行記です。では、また。




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