ザ・マイケルブログ!

Hello、皆さん、陰謀論者リチャードコシミズの無害化に成功したので、現在は司法の闇と闘ってます。応援よろしくです!

💎 「 裁判所は見てますから 」と吉田徹裁判長はいった。( 石垣陽介調書改竄事件を疎ましく思う司法人たち )

2024-01-23 13:00:24 | 石垣陽介

 

 端的にいえば、真相は非常に単純なのだ。
 令和元年、さいたま地裁民事5部に属していた石垣陽介裁判官が、僕等の令和元年(ワ)第1818号事件を裁いた。
 僕は当時とあるカルト集団から集団訴訟を受けていて、同時に提起される各々の裁判に受け身の答弁書を書いて応戦するのがやっとだったのだが、友人のあかねさんの助力を受けて、彼等からの連続の3連続訴訟を戦ったあと、初めて別訴として僕とあかねさんが原告であるところの「 1818号 」を立ち上げた。
 
 僕は、この1818号を立ち上げるまえ、彼等から受けた3つめの訴訟の結審の日、彼等の集団
から庁舎内で待ち伏せを受けた。
 反社など危険な原告・被告がいる場合に行われる、私服の特別警備隊のついた危険な裁判であるにもかかわらずに、だ。
 僕は躊躇なく110番通報して、さいたま地裁調書内1Fロビー内に浦和警察の生活安全課の部隊が臨場した。
 通報時刻は、令和2年(2020)10月11日午後0:00ちょうどのときだ。
 
 特別警備をつけなければいけないほど危険な裁判であるにもかかわらず、このような原告・被告間の軋轢を許してしまったのは、さいたま地裁としては醜聞だった。
 この前年には東京地家祭裁入口で離婚調停に訪れた一女性が、調停の相手であった夫に殺傷される事件が起こっており、さいたま地裁は地裁への警察突入事件を前年度に起こったこの事件と重ね合わせて自分たちが非難されることを恐れた。
 つまり、彼等はこの件を揉み消そうとした。
 そして、そのような密命を帯びて、僕等の1818号訴訟の前面に派遣されたのが石垣陽介裁判官という官吏だったのだ。
 彼の使命は「 スキャンダルの揉み消し 」と「 集団スラップ訴訟 」の揉み消しだ。
 僕等は多数でなされたこの待ち伏せ事件を、僕個人に対する彼等の集団訴訟の証拠として、僕等の令和4年(ワ)1818号訴訟の争点に組みこんだのだが、彼はこの事実に対して強引に消しゴムをかけてきた。
 下の1818号の石垣判決の一文がその証拠だ ―――—

 




 これは笑うほどお粗末で野蛮な隠蔽であり、ほとんど児戯だ。
 文明国の裁判官が書いたものとはとても思えない、法律の基礎も判例への考慮も全くなされていない、ヒステリックな決めつけだけが並べられている醜態文ではないか。

 こんな恥ずべき醜態文を書くために、石垣陽介はどれだけ心身を削られたことだろう?
 僕はそれを思うたびに心が寒くなる。
 これを書いた瞬間、石垣陽介という裁判官はたぶん死んだのだ。
 まともな裁判官がこんな無茶苦茶な空想シュール文を判決文に平然と書くことができる、なんてとても思えない。
 実際、彼の書いた1818号判決は異常極まりないものであって、総計して108つにも及ぶ膨大な誤記があったのだ。


 当然、僕等は棄却にされたこの1818号を控訴した。
 もちろん、さいたま警察本部の情報公開センターから入手した、さいたま地裁庁舎に浦和警察が臨場した証拠も添えた上で。
 この2審を裁いたのが、当時東京高裁の総括判事であった高橋譲であった。
 彼は「 飯田が110番しただけ( 警察などこなかったという意 )」の石垣文を消去し、その日さいたま地裁に警察が臨場した事実を認めた。
 さらに彼はさらに、2審判決で石垣陽介のなした108つの誤記のうち、70までを見つけて必死に訂正してきた。
 それから、彼は1審で石垣が判決内に多用した「 失当 」という用語をすべて切除した ―――。


 

 
 けれども、この高橋も石垣の判決の正当性はやはり維持してきたのだ。

 石垣判決文に108つもの箇所の異常な数の誤りがあり、2020年10月11日にさいたま地裁に警察がやってきた事実をやってこなかったとする意図的な改竄を明白に行っていたにもかかわらずにだ。 

 たぶん、高橋譲は、司法の日常に波風を立てたくなかっただけだったんだ、と思う。

 だから、彼は石垣の書いた「 欠陥だらけの異常な判決 」を是とし、これを差し戻すことをしなかった。
 その判断には、マジにカルトと闘ったりしている( しかも弁護士をつけない本人訴訟で )僕等に対する見下しがあった。
 こーんな低次元な法律のことなんか全く知らない愚かな連中には、法律を踏み外してはいるものの、この程度の誤魔化し判決で通るだろうさ、という傲慢な差別があったんだ、と僕は思う。

 
 そして、このような傲慢かました彼等2人には、後日、それ相応の報いが訪れた。ご覧あれ!(笑)


★ 石垣陽介裁判官( 43期 )2022年10月25日 東京高裁第23民事部より旭川地家裁所長に左遷。





★ 高橋譲裁判官( 35期 )令和5年( 2023 ) 東京高裁10民事部総括から円満退官7か月前に64才で依願退官( 自主退官 )





 ここまでが僕等の前半戦の成果だ。
 これ以降は後半戦に入ることになる。
 2022年1月、僕とあかねさんは石垣陽介の誤記と調書改竄に対する国家賠償の裁判、令和4年(ワ)第3333号訴訟 ―――

 現在、旭川地家裁の所長をやっている石垣陽介個人を標的にした、令和4年(ワ)17195号訴訟 ―――

 石垣1818号事件当時、石垣と同じさいたま地裁民事5部に在籍して、石垣裁判の裁判調書を担当した森本清美書記官、当時さいたま地裁の所長をやっていた吉村真幸を訴えた令和4年(ワ)21202号訴訟 ――― をそれぞれ提起した。




 これ、自分ら的にもややこしくて分かりにくいので図にしてみた ――― ご覧あれ!!
 





 超・めんどかった―――!

 しかもだよ、これら訴訟に関しても左遷組がまたゴボゴボと出てきたのよ~ 冗談ちゃいます、冷や汗たらたらの事実です。

 まずは上図の真ん中柱の僕等のメイン令和4年(ワ)3333石垣国家賠償事件の担当となった、東京地裁民事16部の花・丹下友華裁判官が最初の生贄となっちゃった。
 てことで彼女からアウト~!!




 そして、お次は僕等の令和4年(ワ)21202号の担当を務めた、図最左の東京地裁民事34部、佐藤彩香裁判官のご退場~!
 石垣クンから数えたら、なんと4人目よ、4人目。
 フツーありえんでしょう、こんなのは・・・。





 しかも、このお2人、僕等の2つの裁判が結審してから、いずれも1週間以内の電撃左遷でありました。
 おっとろしい ――― 笑いも凍るわ。
 これらがただごとじゃないのは、この記事読んだ誰もが理解できることでしょう。
 そう、異常事なんだよ、これは。
 

 だけどもねえ、上総轄図最右部( 3.副 )の判事名 ――― 令和4年(ワ)第17195号 / 東京地裁第31部増子由一 となっている部分にご注目あれ。
 
 この令和4年10月27日の17195号事件の口頭弁論のとき、31部の増子(マヒコ)由一判事だけは、なんとあの石垣陽介を法廷に呼んでくれていたのです!

 これは裁判所の対応としては、はっきりいってとても珍しい、例外的な
ものだった、といっていいでしょう。
 僕等の某組織相手の裁判では、複数の制服組の特別警備が法廷前、法廷内につけられているのが常。
 裁判所の庁舎に入るときにはまず1Fロビーの金属探知機等を潜る必要があるわけじゃない?
 ところがこの玄関ロビーを潜り抜けたあと、肝心の法廷に入廷する際にも、僕等は制服組による超入念な手荷物 & 身体検査を原告・被告双方とも受けていたわけ。
 これをやめさせたのが、当時東京高裁民事10部総括の高橋譲判事。
 彼が法廷外の某民事室に僕を呼び出し、直接そのことを告げてくれた。( あのー、高橋さーん、これ、たしか裁判官に禁じられているはずの行為っスよね!?)

 これ以来僕等の裁判からは物々しい特別警備の制服組の姿が消失したわけなんですが、この増子(まひこ)由一判事のときだけこの制度が急に復活したんだよ。
 僕等は地裁1Fロビーで手荷物検査を受けて地裁庁舎内に入ったあと、法廷前の廊下にて久々の厳重な手荷物と所持品の検査を多数の制服組から再び受けることになった。

―――― あらら、懐かしいじゃないのねえ、これ。どうしたのかな・・・?

 と僕とあかねさんはノスタルジックに笑ったりしていたんだけど、開廷と同時にその理由が呑みこめた。
 裁判長席の増子(まひこ)判事がこういったからだ。


―――― 先週、石垣さんが地裁の第31部まで答弁書を届けに見えられて、わたしが応対しました。
     で、わたしは彼に直接いったんです。

     石垣さん、あなた出てきたらどうですかって・・・。

 
 原告席の僕等はぎょっとなった。
 実をいうと、かなり嬉しくもあったんだけど、それが実感できたのはもっと後からの話で、そのときはその意味が分からなかった。
 僕等は僕等の裁判の被告である石垣陽介を法廷に呼び出すための申請書を3種の裁判ごとに必ず提出していたんだけど、民事16部の丹下友華さん( 3333号の担当判事 )にしても、34部の佐藤彩香さん( 21202号の担当判事 )にしても、この種の申請にまともに応じて被告・石垣陽介に法廷の呼び出しをしてくれた裁判官は、それまで誰ひとりとしていなかったんだから。

 民事31部の増子(まひこ)由一判事はもう1度彼が石垣陽介を呼んだ事実を復唱するように繰り返し、この一審は結審となったわけなんだ。

 令和4年4月1日に最高裁人事は、さいたま地裁民事5部にいた石垣陽介に東京地裁民事23部への異動を命じ、
( これは僕等がさいたま地裁に1818号の閲覧に出向き、裁判調書の改竄を見つけるちょうど3日前のことでした )

 僕等の3333号国家賠償裁判がいよいよ始まり、それとは別系列の石垣個人訴訟もはじまると、同年10月25日、またしても最高裁人事が発動して、彼は判決を書かないでもオッケーな、最果ての旭川地家裁の所長職へと左遷されてしまったのだ。

( 増子(まひこ)さんのいる東京地裁民事31部に答弁書をもった石垣が「 相談に訪れた 」のは、彼の答弁書が令和4年10月19日であることから、19日から25日までの7日間のどれかだったということになります。そして、その屈辱的な異動人事の2日後に、この17195の増子(ますこ)さんから法廷へきたらどうかなどといわれ ――— ああ、可哀想な石垣クン! ひとまわり以上年のちがう後輩裁判官のところに答弁書もって訪れるのは、プライドの高い彼にとってさぞかしストレスだったでしょうに! 自分の間違いだらけのトンデモ判決を後輩に知られ、しかも、その目下の後輩に「 裁判にきたらどうですか!」などと遠慮もなくいわれ、もう石垣クン粉々だよなあ w )

 

 この増子(マヒコ)裁判長と遭遇したお蔭で、僕等は裁判所の人間のすべてがどうしようもない誤魔化し野郎ばかりじゃないってことが分かった。
 初めて分かったの、ああ、こんな裁判所みたいな場所にも真人間はいたんだって(笑)

 そして、このことは上記総括頭最右部の2審・令和4年(ネ)565事件の担当判事、東京高裁第17部の吉田徹裁判長のケースでも裏付けられた。

 僕等、原告席で7割方フテながら、石垣陽介クンへの不実をいつものように口にしてたのよ。


―――— だいたい、これほどの間違いが異常にある判決が判決として通るってことが異常なんじゃないですかね? そう思いません?

―――— うん、知り合いの弁護士に話したら愕然としてましたよ、マジで。ねっ、あかねさん! そうだよね?

―――— ええ、そうなんです。だいたい石垣さんが私たちの訴状を読んだかどうかも怪しいわ。あたしたち、真剣にそう思っているんです。彼、さいたま地裁でもわたしたちの訴状、まるで読んでないっていうのが丸分かりだったんですから・・・。

―――— ねえ、もしかしたら酔っぱらって書いたのかも、なんてことまで思わせるレベルだもんね、ここまでくると・・・


 と原告席の僕等がいうと、裁判長席の吉田徹裁判長はおもむろにこう発言したの。

―――— 裁判所は、見てますから・・・・。

 僕等は一瞬空白になって、それからちょっと震えた。
 その刹那、吉田徹裁判長がもの凄えいいオトコにきらめいて見えた ☆ミ
 この写真、どういうわけか物凄く写真写りわるく見えるんだけど、実際の吉田さんはこんなんじゃなくて、もっと恰好いいです。

    もう何年も裁判生活やってるけど、この瞬間がいちばん嬉しかったよね、あかねさん ――— ?

 そんなかんなやってるうちに年も越して、僕等のもとに最高裁からの招待状が先日やってきました。
 
  令和6年(オ)第12号
  令和6年(受)第14号

 最高裁いくよ、石垣クン ――— 首洗って待ってなねっ! (^0-y☆


 ( 次号に続く )

 

 





★ 石垣さんも丹下さんも裁判官なんだから、地裁隣りの法務省赤レンガ棟を入って右手の「 越前碑 」を
参拝したことがあるはずです。そのときの自分の初心を思い出してほしい。あなた方はあの頃の自分に

いま向きあうことができますか? 目を反らさずに微笑みかけることができますか? そのへんのこと
をいっぺんよく考えてみてください。