ザ・マイケルブログ!

Hello、皆さん、陰謀論者リチャードコシミズの無害化に成功したので、現在は司法の闇と闘ってます。応援よろしくです!

◆ リチャードコシミズ独立党の子供たち(Qアノン星落つ)◆

2019-10-28 23:56:00 | リチャードコシミズ

 

 

 
 いや~、元・RK独立党員であられたよかとよさん(別HN:岡〇絵〇)が、なんかえらいことになってます。

 僕はリチャードコシミズ案件とはちがって彼女のことにはまったく関わってないので、深いことも確信に満ちたこともいえないのですが、

 それでも彼女の陥った窮状がどうにもならないものであることは分かります。

 よかとよさんというよりは、QMap Japan の Eri ( @okabaeri9111 ) といったほうが現在は通りがいいかもしれません。

 まあ、しかし、能書きを並べるのはやめましょうーー事実をして語らしめよの精神が、この場合はいちばん適当でしょう。

 それでは、Qアノンのエリに牙を剥いた、怒りの皆さんの発言をざっとお聴きくださいーー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 

 

 

 エリさん(よかとよさん)の使用しているビジネスモデルがリチャードコシミズのフェイクパターンを原型にしたものであることは、

 あえてここでいうまでもないことですが、それにしてもこれは相当ヤバイ状況といえるのではないでしょうか。


 以下のツイートを見たとき、正直、僕は凍りましたーー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 Qアノンを草薙の剣がわりに颯爽とRK独立党圏内を飛び出した「よかとよ星」は、これで落ちたーーと僕は思っています。

 一瞬の光芒においてはかつての師を超えるほど輝けたんだから、それでよしとするのがいいんじゃないのかなあ?

 なお、根強いQファンのひとには強くいっておきたいのですが、彼女使用のエリ自撮り写真は加工を尽くした一種のフェイク作品であり、

 実際の彼女の年齢は、推定ですが、たぶん60代に達しているものと思われます。

 プライバシーの侵害になるので挙げることはできませんが、僕は、彼女の独立党在籍時の写真を幾点も所有しています。

 まんざら知らない仲でもないので、彼女が逮捕されたりする事態は望んではおりません。

 今夜の僕の記事は以上ですーーお休みなさい…。 (^0-y☆彡

 

 


 



 




◆ リチャードコシミズ起用のワンダーアイズさんへの提言状 ◆

2019-10-26 10:13:51 | リチャードコシミズ

 

  

 

 Hello、皆さん、リチャードコシミズの沈黙がつづいていますーー。

 2019年の9月14日の、あの長瀞講演の舞台裏を僕等が暴露してからの、これほどの完全沈黙は RK史上例がありません。

 10.1 のときも、楽天ブログ多量訪問のときでも「この工作員め!!」と吠えつづけていたリチャードコシミズが、黙ったんです。

 黙って、十八番の個人情報暴露も、お家芸である工作員認定も、僕等に対して一切やらなくなった…。

 正確には、自身ブログの再度の ban、新会場への連絡等を恐れて「やれなくなった」といったほうがより適当でしょうか。

 まだ未聞の方は、リチャードコシミズが会場貸与者に向けて放った、以下の台詞をご静聴ください。

 
   https://youtu.be/AzgDjFn0Zl8


 これ、どう聴いても暴行教唆以外の何物でもないからねーーこれ、暴かれたら、いくらリチャードさんだってそりゃあ黙るしかないでしょう。

 でもね、僕等はリチャードコシミズ風情に勝ったことを誇るようなことは、あえてやりません。

 2017年の4月2日に西池袋講演の独立党の花見の席でリチャードコシミズと対峙したときから、僕にはもうこの結末が見えていました。

 ええ、寸毫たりともこの結末を疑ったことはありません。

 そして、現実の展開は、事実その通りになった。

 具体的に列挙していきましょう、リチャードコシミズは僕等との闘争で、

 有料メールマガジン「まぐまぐ」を失いーー

 長年の活動舞台であった biglobe のブログを失いーー

 新たに再開した海外の wordpress のブログも2年あまりでなお失いーー

 奮起して再開した ameba のブログも規約違反で結局 ban ーー

 エキサイトブログで再々度再起を図るもここでも ban ーー

 有名どころの楽天で棚開きするも、ここには承認制がなく、僕等に攻めこまれて結局15日足らずであえなくここも ban ーー
 
 つづくはてなブログはなんと過去最短の 5日で ban ーー

 
 もう笑うしかないよ、ここまでいくと(笑)ーー攻めこんでるはずの僕等の笑いも萎むほどのこの惨状をよーくご覧あれーー!!

 おいおい、そんなヤバイこと公然といっていいんかい? のびっくりヘイトで売ってたリチャードさんが、

 自らの最大の「ウリ」であった苛めのレイシズムを封印せざるを得ない事態にまでとうとう追いこまれてしまったわけです。

 この件に関しては、完璧外野席にいるーーそして、どっちかというとリチャードサイド寄りにいる samuraikokushiyori さんもこんな風にいってるーー

 


 僕の意見も彼のこれとまったく同じですね。

 ネットのなかの懲りない面々とでもいいますかーー自らの過ちを決して認めず、盛時の自分イメージに今だすがりつくばかりのひとたちの醜態は、

 正直、正視に耐えないものがある。

 リチャードコシミズに関していうなら、この2年半で彼が失ったものは、彼の活動母体となっているブログ媒体だけではありません。

 社会生活を営むうえでいちばん大事な「信用」と「ひと」とを、彼は次々と失いつづけてきました。

 「リチャードさんの正体やっと分かったぁ?」という淋しい言葉ひとつ残して去っていった先輩党員のN島さんーー

 恒例の工作員認定で個人情報をネットに晒され去っていった、九州の女性マッサージ師のチューリップさんーー

 不正選挙裁判でともに闘いつづけていた女傑、あっぱれな政治家であった故・犬丸勝子さんーー

 その犬丸さんをRKのいわれなき保険金殺人疑惑(w)から庇ったら速攻で排除された、jewjew鮮邪er さんーー

 その独自のツテでリチャードコシミズに著名なユニット「USAGI」を紹介し、「USAGI」とともに独立党を去っていったあの大阪の水野さんーー

 RKの新刊本を何十冊も買って無償で知己に配りつづけていた、ネット探偵(このブログももう消えてしまいましたが)のレイズナーさんーー

 「紙幣の不思議ブログ」で多くの読者を集めていて、途中からRKと合流して、その後決裂した、ご存知バレバレさんーー

 リチャードコシミズ史上の最大の支援者であったが、現在は彼の最大の敵対者となった、名古屋のリチャード裁判の雄・高野さんーー

 この高野さんの紹介で初めて自費出版でない公刊本をRKに出させてくれた、神田・成甲書房のT社長ーー彼もRK本からは撤退しましたーー

 
 
もうね、錚錚たる面子ですよ、これは…。このひとたちがみんないなくなった。

 故・船井さんのヒカルランドも、いつしかリチャードコシミズと手を切っていた。

 あの youtube さんですら、いまではリチャードコシミズ駆逐のためにこんな風に動いてきてる、


 



 みんなみんなこうやって彼から離れていって、現在彼に残されている公的な牙城は、ワンダーアイズさんが主催する「FACT」だけという有様です。

 このRK最後の牙城を、僕等は奪いたい。

 といっても誤解なきようーー僕等はワンダーアイズさんを敵視しているわけではありません。

 ベンジャミン・フルフォードさんはそれなりに面白いと思うし、船瀬さんに至っては本まで持ってる。

 僕等が異議を挟みたいのは、このような事態になってまでリチャードコシミズを期用しつづけている、ワンダーさんの企業姿勢自体なんです。

 リチャード裁判は控訴となり現在も係争中ですが、一端凍結した彼の5つの口座には、あわせて20万弱の現金しか残ってなかった。

 すなわち彼は、裁判で負けた金なんぞ払う気はまったくないわけです。

 詐欺まがいの集金を続け、気に入らない党員は工作員認定して好きなときに切り、講演会場の貸与者を脅しておきながら、

 いかにもまっとうな講演者のようにふるまうこのような男を起用しつづけるワンダーアイズさんの姿勢には、企業としていささか問題があると僕は思う。


 よって、今後は、ワンダーさんのこの部分をターゲットに僕等は動きます。

 2017年の7月にワンダーさんの社長であるOさんとはメールでお話しているから、彼は僕の連絡先はご存知のはずです。

 O社長にお願いですーーこのような事態になってもリチャードコシミズを起用しつづける、御社の姿勢の理由をどうか聴かせください。

 なお、僕等は、ワンダーアイズさんには、なんの怨みがあるわけでもありません。

 知りたいのは、規約違反であちこちのブログを追い出されつづけている、リチャードコシミズのような男をなぜ御社が起用しつづけているのか?ーーこの一点のみです。

 今日の僕の記事は以上ですーー福島いわき市の隠れ応援者さんの豪雨被害からの無事を祈りつつ―ーお休みなさい…。

 

 

 
 

 PS. よかとよ(@okabeari9111)さんは言葉に気をつけるように。僕には「Q Army Japanから国民を守る党」の RAMBO さんなんかと連携する手だってあるんですからーー。

 

 

 


◆ 大嘗祭の御殿人(みあらかんど)三木信夫氏の講演会について<第2部> ◆

2019-10-14 21:39:58 | リチャードコシミズ


      

      
   

ーーこれら平成の「麁服(あらたえ)」制作の写真を見られて、あなたはどう思われますか?

 僕は、うん、非常に美しい写真だと思う。

 三木さんのお話を聴いて僕もはじめて知ったのだけど、大麻草育成の現場の苦労っていうのはそれこそ第三者の予想を超える並々ならぬものがあるようです。
 まず、大麻畑ーーこれは大嘗祭のために1号畑、2号畑とあらかじめ2つ作るそうです。
 これは、台風、もしくは天候の急変などから大切な大麻草を守るためです。
 そして、よからぬ目的で大麻草を奪りにやってくる不届きな輩を退けるための、24時間の警備と電気鉄柵と監視カメラーー
 さらには徳島県のほうからも、ほぼ毎日のように監視の職員が派遣されてくると聴きました。
 
 新天皇の即位する大嘗祭のために、天皇のまとう「麁服(あらたえ)」をつくるーー。

 本来なら日本人として、これほど栄えある仕事はないはずです。
 しかし、第二次大戦後のGHQの意向により、大麻草は、現在も「麻薬」として区分されているのが現代ニッポンの実情です。
 日本産の大麻草に含まれる麻薬成分が、外国産のそれとちがい著しく低いものであるということが有識者すべての常識であるにも関わらず……。

 古来より「大麻草」は日本人にとって聖なる草でした。

 民族にとってなにより大切だったこの草を、他国による占領といった介入があったとはいえ、これほど扱いを変えてしまってもいいものなのでしょうか?
 千年以上前から天皇が袖を通される決まりになっている聖なる衣の材料たる草を、卑しい「麻薬草」という日陰に追いやってしまうこの哀しい分類は、民族としてしてはならないことなのではないでしょうか?

 このような事態に心ある有識者が立ちあがり、結成されたのが日本臨床カンナビノイド学会です。
 ㈱メイヂ食品の高野さんはこれに参加して、自社で麻薬成分を抜きとった「健康大麻油」を開発しました。
 そのような契機から高野さんが「雲の上のひと」と呼ぶ忌部氏の三木さんと知り合えることになり、
 今回のように名古屋まで三木さんがきて講演までしていただくーーなどというご縁をいただくことができたんですね。
 あかねさんや僕にしても、これは僥倖でした。
 どんなメディアでも聴くことのできない、忌部氏の日本語りを生の肉声で聴くことができたのですから……。
 三木信夫氏と高野泰年と当日のスタッフ諸氏、三木さんとともに働く「空地(そらのち)」の方々に感謝します。

 今日の僕の記事は以上ですーーお休みなさい…。

 


◆ 大嘗祭の御殿人(みあらかんど)三木信夫氏の講演会について ◆

2019-10-14 21:38:54 | リチャードコシミズ

  


 2019年の9月29日、大嘗祭の御殿人(みあらかんど)であられる三木信夫氏の講演会にいってきました。
 場所は名古屋市の東建ホール。あのリチャードコシミズ裁判の舞台となった、名古屋地裁のすぐ近郊です。
 名古屋から桜通線で一本の「丸の内」という駅で下車して徒歩1分ーー地の利もいいーー綺麗で洗練された近代的なホールでした。
 今回の講演会の参加には、僕のほかにも連れがありました。
 RK査問委員会の顧問でもある、ご存知あかねさんです。
 
 今回は常日頃専任している下界の下らない争いごとはすべて忘れて、三木さんのお話を拝聴するのだけが目的です。
 あの「日本書紀」にも御殿人(みあらかんど)として中臣氏とならんで掲載されている、名家中の名家の直系のお方ですから。 
 より正確にいうなら、平安、飛鳥時代を越えた古墳時代までそのルーツが遡行可能な、それほどの過去から大嘗祭のための新天皇即位の衣装、
 大麻草で織りあげた「麁服(あらたえ)」を作り続けてきた一族の末裔たる方です。

 僕にしても名前くらいは以前から知ってましたーー祭祀専門の特別な一族「忌部氏」…。
 その方がこのホールのすぐ先の空間で、僕等にむかって話してくださるのです。
 緊張するなっていうほうが、もうむりだってば…。
 あかねさんも僕も実際少しばかり緊張気味だったと思う。
 でも、それは僕等に限ったことじゃなくて、三木さんが登場するまえのホールの聴衆のほぼ全員が、そこはかとない緊張の空気を漂わせていたんです。

 午後2:00 の開演のブザーとともに今回の公演の主催者である㈱メイヂ食品の高野さんが舞台の裾に表れて、
 進行の女性より手渡されたマイクでもって、今回の講演者であられる三木信夫さんの紹介をはじめます。
 個人的には、ここ、嬉しかった。隣席のあかねさんと肘で突っつきあって、「よっ、高野さん!!」とか心情的にはやりたかったのですが、
 今回は内容が内容ですので、さすがにそれは遠慮させていただきました。
 氏の退場と入れ替わりに、舞台裾より着物姿の女性の登場。彼女は笛を吹きながら舞台中央に歩いてきますーー笛(ふえ)というよりは笛(てき)といったほうがいいかもしれないーー胸に染みるような笛の音が会場内に響きわたります。
 古(いにしえ)から吹き継がれてきた阿波伝来の笛吹唄でした。

 会場が徐々にしんとなって、その厳粛な静寂がホール全体に染みわたったころ、
 キビキビとした足取りで背広姿の三木信夫さんが壇上に登場しました。
 御年84歳ーーしかし、全然ご老人という印象じゃないーー背筋もぴんと伸びて、なんとも矍鑠としてる。
 会場内に沸き起こる歓迎の拍手。
 それのやみぎわを見計らうように、氏は簡単な自己紹介をされ、それから、代々の天皇とともに歩んできた、その驚くべき忌部の歴史を話しはじめました……。

 

 忌部氏は、大和の御代より皇室の祭祀を司る一族でした。
 忌部氏とならぶ有名な祭祀一族としては、古代史でもお馴染みのあの中臣(なかとみ)氏があげられます。
 氏によれば、中臣氏は主に神と人との仲立をする巫女のような役割であり、対する忌部氏は実際の神事・祭祀を司る役割だったようです。
 皆さんも知ってられる通りに、その後の政治闘争で忌部は中臣にいいようにやられて、歴史の表舞台から弾かれてしまうのですが、
 なんていって三木さんは話途中で笑ったりもしておられましたが、次々と飛び出す単語の醸しだすあまりの歴史力に、
 庶民目線しかもたない聴衆である僕は、歴史の浅瀬で目を白黒とさせるばかりです。

 話しながら氏は、次々と忌部氏が天皇家より「麁服(あらたえ)」調進を命じられた証拠文献を氏右手のスクリーンに映していきます。
 下は、1345年、光明天皇が忌部に直接それを命じた公文書ですーー。

 



 そして、上の書よりはやや古い、1318年の後醍醐天皇からの任命書ーー




 このふたつきりでも僕なんぞは呻ってしまうのですが、そんなものでは終わらなかった、
 氏はあくまで滔々と阿波忌部の歴史を話しつづけ、舞台中央に置かれたスクリーンに、大同3年=807年の斎部(いんべ)広成撰の「古語拾遺」の記録ーー天武2年=674年に「麁服(あらたえ)」の制作・献上を命じられた日本書記内の記録
ーーさらには、阿波忌部のみが所有している47点の「三木家史料」の秘蔵の幾点かを惜し気もなく開示していかれるのです。



 もうこれだけで僕は失神しそうになったな…。
 
 それまでの僕は伝統とかしきたりみたいな言葉を聴くと無条件に反発してしまう、
 そういった天邪鬼的な性癖がどうしてもあったんですよ。
 人間にとって大切なのは「家」じゃなくて「個性」なんじゃないか、みたいなーー。
 これってたぶん歴史上空前の経済的繁栄を謳歌するようになった、
 資本主義の象徴である20世紀「アメリカ」の核家族思想の影響だと思います。
 思想の自由、個性の発露は、たしかに素晴らしいものがある。
 しかし、それができるためには、やはりなんといっても庶民までみんな喰えるといった
 確実な経済的基盤が要り用なわけです。
 重苦しい「家」のしがらみから離れて好きなことをやりたい、というのは長いこと
 人類の夢でありつづけてきました。
 明治期の日本の小説なんて、ほとんどテーマはそればっかだもんね。
 でも、国民全部を喰わせられるようになった時代の訪れは、ほんと最近のことなんです。
 それまではどんな国家も満遍なく国民を喰わせてやる、なんて夢はかなえられなかった。
 だから、貧しい庶民は家族・親族という血の繋がりのもと固く団結して、
 国家の圧政と飢饉・戦争の到来に備えるしかなかったのです。

 人類史の9割9分9厘は、こうした「家と親族」の歴史です。
 個人主義が台頭したのは、近世のたかだか百年あまりにすぎません。
 「家」の5000年に対して、「個人主義・個性の尊重」の時代のわずか百年…。

 大きな目で俯瞰すれば、どちらが人類史の基盤になっているのか、誰にだって分かりますよね?

 そのように「家」を重苦しいものととらえているだけだった軽薄な僕を、三木さんの話は根本からゆさぶりました。
 「伝統」と「家」に殉じ、そのことを使命と考えてられる三木さんの語り顔は、シンプルですがすがしく、ときに美しかった。
 そんな三木さんを含む、阿波忌部の百代をこえる当主の方々が、命がけで守りつづけてきたのが、大嘗祭で用いられる「麁服(あらたえ)」の調進です。
 「麁服(あらたえ)」は麻で編まれた、天皇の即位式のための一晩限りの着物であり、この着物を編むためには、麻の育成・管理が必需です。
 阿波忌部氏である三木さんが生涯にわたって携わっている仕事は、それでしたーー。


     

          


      
 

 ◆ 大嘗祭の御殿人(みあらかんど)三木信夫氏の講演会について<第2部につづく> ◆