ザ・マイケルブログ!

Hello、皆さん、陰謀論者リチャードコシミズの無害化に成功したので、現在は司法の闇と闘ってます。応援よろしくです!

💎 マイケル&あかね の < 司法の素顔についての問答集 >!

2024-09-15 15:56:51 | 石垣陽介

 

             Unknown (あかね)
2024-09-09 06:27:54
マイケルさん、すごい力作ですね!  お疲れさまです。

努力をすると必ず報われる、手を抜くとほとんど失敗する。たまに「棚ぼた」もありますけど。

自分の人生を振り返っても、まさにその通りで、勉強すれば成績が上がり、サボると落ちました。

頑張ったものは合格(成功)し、頑張らなかったものは不合格(失敗)です。もちろん、後者はどうでもいいものだから、問題ありません。

が、しかし、真剣に立ち向かえば、立ち向かうほど、うまくいかないのが裁判だったんです。こんなことは「原因と結果の法則」に、ことごとく反しています。自然界ではありえないことなんですよ。

頑張れば頑張るほど、担当の石垣陽介裁判官に嫌われていくんですよ。露骨に「うざがられてるいる」のが、わかるんです。向こうから質問してきたことは、ほとんどないですね。

私は学校の先生や上司に、理不尽に嫌われて嫌な思いをしたことはありません。こちらが心を開けば、必ず相手も好意を示してくれました。

性格がキツイとか、変わっているとかの理由で職場で浮いてる人とも、仲良くなれました。

他に取り柄はありませんが、それが私の取り柄だと信じていました。

なので、石垣さんにも、礼儀を尽くし、100%のスマイルを心がけました。彼が子どもみたいに癇癪を起こした際も、ポーカーフェイスで接してあげました。まっ、表情は凍りついていたと思いますが。

けれども、彼は露骨に、私たちを差別し、理不尽な仕打ちをしました。訴訟相手が女性だったので、石垣さんの好みのタイプなのかと勘ぐったほどです。いやいや、冗談抜きで。

もちろん、裁判官に自分を依怙贔屓してほしいとは思っていません。

公平中立に裁いて欲しかっただけなのに、判決文すら、誰が書いたのか分からないほどの、手抜きをしてきました。こんなに酷い扱いを受けたのは、生まれて初めてだと思います。

石垣判決の結果を、様子のおかしい森本書記官さんから、電話で聞いたときの、最悪な気分、今でもどの場所で、どんな姿勢で聞いたのか、はっきり覚えているくらいです。

純粋に裁判に負けたという嫌な気分ではなく、森本さんの様子からも、ものすごいダークなものを感じ取っていたのでしょう。

で、判決文を受け取ったときの衝撃も凄まじかったですね。メールとツイッターの違いもわかってない裁判官でした。こんなことがあるのかと??

「原因と結果の法則」これには何人たりとも逆らえません。

私は、この裁判に関わることで、司法には闇があると知りました。

勝たせたい方を、詭弁や誤魔化し、無視、ダブルスタンダード、あらゆる卑怯な手を使い、勝たせることができるんです。なぜそう判断したのかの理由を告げる必要もありません。

私たち以外はどうなんだろうと、刑事裁判を大量に調べたら、理不尽なものがザクザク出てきました。

裁判官は、科学的な結果も完全に無視できるし、露骨な捏造、なんでもオッケーです。見て見ぬふりします。

私たちは無傷でしたが、刑事事件の被告はそうはいきません。

今月は袴田さんの努力が報われるはずです。楽しみです。

佐藤彩香裁判官は、私も好感を持ちました。育ちの良さが滲み出る素敵な女性でしたね。大手企業の会社員っぽい雰囲気もありました。

あんな雑菌ばかりの汚れた場所で、生きていけるのでしょうか? 四万十川の魚が、道頓堀川にいるような状態です。いや、セーヌ川かな?

ちなみに永井郁子主任書記官は、埼玉県本庄市の「本庄簡易裁判所」に異動しています。

地裁の主任書記官だったのに、なにかやらかしたんですかね?これは露骨な左遷ですよね?

彼女の座右の銘は「私たちは国民全体の奉仕者であり、あなたの奉仕者ではない」というものです。

お仲間が判決文に100か所もミスをしてるのにですよ ――― 民間ではあり得ないですね。

 
        < ありがとう、あかねさん > (マイケル)
2024-09-10 14:31:46
しかし、あかねさん、考えれば考えるほど俺らの経験したこの一連の石垣事件は、闇が深すぎて、他人と共有するのが不可能だという風に思わざるをえないよねえ!?

闇がもっとロマンチックで濃密なものであったなら、この事件ももっと脚光を得られるのかもしれないが、この事件には「 悪の親玉的キャラ 」がひとりも登場しないからなあ。

そこが問題なんだ。物語としても盛りあがらないんだよ、ここには一切ヒーローらしいキャラが登場しないから。
軍曹レベルのダークヒーローが登場しただけでも物語って大抵バズるんだけど、ここに登場するのは悪の王冠とかにはまったく無縁な、巷を埋め尽くしている臆病な小市民よりもさらに小市民なスケールの、いじましいばかりに情けない官僚ばっかしなんだからね。

彼等は裁判官、裁判書記官といったいわゆる文官と称される人々であり、どのようなドラマでも彼等を主人公としたものがほとんど存在しないことからも分かるように、はっきりいって超・面白くないんだよ!

要するに「 魅力がない 」!!

裁判所という光の差さない仮想空間のなかに居住し、ペーパー試験に関しては有能だがおよそその自分分野の空間でしか生きれないように生育した特殊な人間である彼等にとって、石垣事件として発生した司法内の大バグは、一種「 対応不能 」のものだったんじゃないか、と俺はいま考えている。

優秀だけど、彼等って基本「 マニュアル人間 」だからね。法も法例も煎じ詰めていうならマニュアルであり公式だ。つまり彼等の本当の仕事の意味は、「 さまざまな人々の人生を乗せた事件カーが多量に行き交う都心の交差点のただなかで、終りのない交通整理に勤しんでいる警官 」みたいなものなんだ。

もちろん、それなりに大事な仕事だよ。
けれども、それは新しい何かを創りあげていくといったようなクリエーティヴな種類のものじゃないんだ。

闘い(バトル)って創造だからね。
僕等との闘争という運命と対峙して、彼等は自分でも普段意識したことがないような、彼等内の真我を表してくれた。

それは、市井の小市民より遙かに小市民的で、臆病で、さらには保守的で、因習的で、自分外ルールではなにひとつ判別できない、あらゆる意味で少児的な、ある意味未発達といってもいい人達だった。

彼等の人間像は、これの前記事にあげた「 例題:佐藤彩香 」の部分だけでも充分に体感してもらえるだろう、と俺は思う。

あの裁判官の法衣の裡には、裁判所という身分制社会で生きるためのノウハウだとか、異動が日常とされている人々が必ず持つようになる遊牧民的なエゴイズムだとか、そうしたさまざまな雑多物が詰めこまれているのを俺らは目撃したが、彼等のなかでいちばん欠けているのがなんであるかも、俺らは目撃してしまった。

それは、良心だ ―――。
そして、良心に基づいた行動であるところの正義だ ―――。

これ、恐ろしい発見だったよねえ、あかねさん?

恐らく法律的目線でいうと、正義って概念は定義できないんだ。
あくまで法律違反と審理できうるものーーーとしてしか彼等にとっての正義というものは、あり得ないんだろうな、と俺は思うよ。

俺は、不可侵の存在とされてはいるけど、司法って機構は、その本質は検察の押印機関であり、さらには警察の下部機関でもあり( 一般には上部機関とされてはいるけどw)、「 裁判官の独立 」なる観念も、そうした本質的な事実を彼等法衣ピーポーの目から隠して、今まで通り自分らの部下として飼いつづけるための、体制の小賢しいトリックなんだと思うね。

俺らの対峙してきた裁判官あるいは裁判書記官らは全員例外なしに、それくらい異人種というか、ボートピーポーみたいな、不思議な、うら哀しい難民臭をいつも漂わせていた。

この話はまたいずれちゃんと書くつもり ――― 応援メッセージ、サンキューな。
じゃ、また!! (^o-y☆ミ
 
       Unknown (あかね)
2024-09-11 20:08:34
マイケルさん、私が一番驚いたのは、裁判官になるような人は全員、平均的な日本人よりは、正義感があり、正直で、倫理観を持ち、民度も高いと思っていたわけですよ。

それが、平気で嘘を吐き、指摘されると、失当だと言って黙る。民間企業なら、相手にされないような人もいます。

こういう人はさすがに、陽介一人だけだろうと思ったら、仲間を擁護するために、びっくりするような詭弁も使うし、こっちの言ってることを、あからさまに無視する。陽介だけではなく、他にも複数いましたね。びっくりです。

この人たちと出会うまでは、冤罪を訴えてる人は、人によって意見が別れるような人ばかりで、中には本当はやってるんだけど、やってないと言い張ってるだけの人も、結構な数いるんじゃないかと思ってたんですよ。

それが全然違いました。弁護士連合会が無実だと言ってる人や、支援の輪が広がってる人は、私は、ほぼ全員無実だと思いますね。

まだ全員調べてないので、全員かどうかはわかりませんが、弁護士も馬鹿じゃないので、本人が「やってない」と言ってるだけの人に支援なんかしないでしょう。

裁判官もわかってるはずなんだけど、ほとんどの場合、警察、検察の言いなり。

恐ろしく倫理観が欠如してるんですよ。
人の人生とかどうでもいいと思ってるんですよ。地獄へ落ちますよ。

彼らがどんな子ども時代を送ったのか、親の顔が見てみたいですね。

もちろん、良い世の中を作ろうと、裁判官を目指して頑張った人がいるのは事実でしょう。

だけど、他にやることが思いつかないから、遊ぶ友達がいないから、とりあえず勉強をして気がついたら裁判官になってたなんて、惨めな人も結構いると思いますよ。

見るからに『コミュ障』みたいな人も結構いましたからね。

一般人には、なかなか信じてもらえないけど、冤罪被害者なら、同意してくれると思いますね。

裁判官らは、証拠もないのに、死刑判決とか平気ですからね。あっ、もちろん、全員じゃないですよ。

私、死刑反対派になりましたからねぇ・・・。


< 裁判官が偉いという神話の
黄昏と対峙して >( マイケル )

俺は正直いって、裁判でいちばん偉いのは裁判長っていわれている人だ、といままで馬〇正直に思っていたんだよ。
ま、いわゆる時代的な常識的見解っていうのを鵜呑みにしてたわけだ。
でもさ、それ、法廷を舞台にした推理小説や映画なんかから刷り込まれた先入観であってさ、法廷を本当の意味で支配してるのは、裁判官なんかじゃなくて民間の代弁者みたいな立場でもって参入してくる「 弁護士 」!

うん、彼等の軍団こそが、実は「 裁判というゲーム 」を切りまわしている、本当の原動エンジンだってことに段々気づいてきたんだ。
きっかけは俺らのR元年(ワ)1818号事件の第2回目の口頭弁論のとき。
俺ら、弁護士なんて付けられない文無しの本人訴訟だったわけで、つまり厳格に定められている法廷内でのルールなんかにもまるで無知だったわけで、石垣クンの許可も得ずに勝手に発言はするわ、隣席のあかねさんと俺も許可なしにどんどん会話するわ ――― で、なんというか野人劇さながらだったんだよねえ(笑)

裁判長席の 石垣陽介裁判官( 43期 )はそんなんで完全に当惑してしまい、

――― あのぅ・・・これ、弁護士とかつけてもらうわけには、いきませんかね・・・?

なんて弱々しい上目遣いで、何度か愚痴めいたことをつぶやいた。

何気ない小さな愚痴だったんだけどね、彼のこの愚痴に俺は濃厚な本音のにおいを嗅いだ。
恐らくこれ、困りながらも上からいわれた予定路線( R元年10.11のさいたま地裁に警察が突入した事件は隠しきれ! といった使命を含む )をなんとか続けていこうとして、それだけで既に容量いっぱいになっていた彼の理性担当の左脳が悲鳴を上げて、感覚脳である左脳に一瞬だけ責任を投げてしまったためにまろびでた、ほとんど「 失言的な告白 」だったと俺は捉えているんだけれども。

ああ、そうかって俺はこのとき瞬時に思ったわけ。
裁判というものは裁判官、書記官、原告と被告、それに弁護士がみんな揃いぶみして審議することによって、いわゆる法の威厳、裁判官の権威などという重層効果をもたらす、一種の「 慣れあい芝居 」なんだなあって。

こうした構造ってさ、元々ニッポンの伝統内にあったわけじゃない、これ、明らかにヨーロッパからの直輸入品だよね? 法衣だとか宣誓だとか被告の人権を守るための制度・弁護士なんて発想だとかも全部  japanese DNA にはない未知の柄だ。俺等のご先祖様が目いっぱい奮戦してこうした制度を必死に輸入活用してくれたんだけど、そこはやはりまだサムライ問題すら解決してなかった文明開化中の明治時代のこと ――― 法衣とか裁判官、書記官、弁護士、原告、被告などのキャラの外面ばかり取り入れて、いちばんの肝であるヨーロッパ生粋の「 法の精神 」を取りこみ損ねる結果となった。


ま、仏つくって魂入れず、ってやつですわ。

裁判制度の源流は、なんといってもカトリックでしょう。攻めのみんなが法衣着て、被告にも弁護士をつけてやる、みたいな万事理詰めな発想は、明らかにニッポンDNA埒外のものです。俺等のご先祖は西欧に学び、西欧に追いつけ! だけでここ100年あまり走りつづけてきたわけなんだけど、そうした明治流の旧弊なガンバリズムの使用期限が、昭和、平成、そして新時代の令和となってほころびまくり、いよいよもってどうにもならなくなってきた ――― というか、そうした旧弊な凌ぎかたじゃもうこうした情報時代を説得することができなくなってきた ――― というのが、俺等ニッポン人が現在進行形で体験している危機状況なんだ、と俺は思う。

俺等が体験した石垣陽介裁判官事件も、いま現在日本中で騒がれまくっている、うん、兵庫のあの斉藤元彦知事のパワハラ事件と全く同根のものなんだ。

俺らの1818号石垣裁判には、この5位1体を形成すべき重要な一角「 弁護士 」といった支点がひとつ欠けていた。
これがもともと威厳の「 い 」の字も持ちあわせていない、矮小キャラであった石垣陽介( 53期 )から更なる威厳を剥ぎとった。
そこに弁護士がいて、彼が裁判官に僕等に発言をしていいかなどの許可を求める ――― そうしたもってまわった煩瑣なクッションの集積こそが、いわゆる 裁判官の威厳、裁判制度の権威 などの効果をもたらしている正体だったんだ。

この効果ってさ、実は 演劇的なもの なんだよ。
法廷っていう場所の、あのいかめしさ満杯の建築様式も、いってみるならあれも重厚さを際立たせるための舞台装置なんだ。

すべてはフィクションである法世界を現実世界に顕現させるために、あえて企まれたもの ―――
ドラマチックなワグナーの楽劇や仏教の儀式みたいに、実際にはない世界をうたかたこの世に降霊させるために、計算して練りあげられた方式だったんだ。

なんのことはない、これ、一種の 宗教芝居なんだよ。
裁判をよりいかめしくより厳正に、威厳あるものに近づけるためには、裁判官、書記官、原告被告、それに弁護士などといったフルキャストが必要なんだ。
ま、能の創始者である世阿弥方式とでもいうのかな?

俺等の場合は弁護士を立てる費用の都合がつかず、たまたま本人訴訟ということになった。
おかげで石垣クンは他キャストのハーモニーパワーを借りることができず、モノフォニーの冴えない言葉しか発せなくなった。

石垣陽介裁判官はそのことに対してつい愚痴をいったんだよ。
彼のこのメロウな愚痴の底意を、さて、そろそろ俺流に翻訳してやろうかね(笑)



―――― いや、これは困る。弁護士のいる裁判じゃないと自分の威厳というものが演出できない。これすなわち法の威厳も示せないということになる。自分が裁判の権威を示すべく彼等の勝手な発言を注意しようとしても、裁判官自身が直接注意なんかしたら、どうしてもそこは安っぽくなってしまう。裁判官が勝手な発言を諫めようとかすかな不快を目線に表したら、そこを気取った弁護士がすかさず原告・被告に注意を促して、お偉い裁判官に改めて彼等の発言する許可を求める。ここはどうしてもそうじゃなくっちゃいけない。そのようなややこしい手続きがないと、裁判官は被告・原告の勝手発言のたびにおののきよろめく、ただのピエロ役になってしまう。だから俺はこいつらみたいな名誉毀損裁判の事件判事に配置されるのは嫌だ、といったんだ。連中の訴状は相変わらず全然読んでいないんだけど、陰謀論者同士の争いごとき下等な連中に、この俺が関われるわけないじゃないか。( 注:僕等は陰謀論者じゃない。それだからこそ多数の嫌がらせ裁判を多数受けたのだ。だけど石垣クンは僕等の訴状を読んでないもんだから、そこが分からないw )ああ、また勝手に足りんアタマで訳分からんことを発言しやがって・・・。ああ。俺の面子がまた低空下降する。お。なんだ、佐々木智穂尾書記官のあの呆れたような顔は? 書記官の分際で裁判官の俺を憐れもうってつもりか? クソッ、舐めやがって。普段からあいつが俺のことを嫌っているのは気づいちゃいたが、こんな場面で日毎の憂さを晴らそうってつもりか・・・。ああ、早くこの口頭弁論、終わってくれないかな・・・。俺はこんな下等な裁判に関わるような裁判官じゃないんだ。こんな裁判を知らない連中と真面目に関わったら、俺の株まで穢れがついちまう。ここ司法世界じゃこうした噂の足は早いからな・・・。俺が原告に鼻で笑われた、みたいな噂が広まったら、俺の今後の人事評価は中央出世の街道から完全に外されてしまう・・・。おい、もうやめてくれよ。さいたま地裁に警察が臨場したって令和元年の件は、決して審理に乗せちゃいけないって俺、厳命されてるんだよ・・・だから、黙れよ。黙ってくれよ。頼むよ・・頼みます・・・最高裁は特にこういったスキャンダルを嫌うからな・・・。

けれども、既にご承知のように、俺等の石垣関連事件、1818,3333,21202,17195関連の司法人は、み~んな中央出世路線から左遷されてしまった。
その図を最後に下にまとめておこうか。


    < 石垣陽介裁判官の「 108つの判決誤りと裁判調書改竄事件事件 」の隠蔽に関与した法曹関係者の名簿 >


石垣陽介裁判官( 43期 )―――R4.3.30 さいたま地裁民事5部( 僕等と1818号で出会ったのはここ!)
                 R4.4.1 東京高裁民事23部に異動。が、俺等の3333号石垣訴訟が開始されるやいなや
                 R4.10.25 まだ半年と7日しか勤めていないというのに、日本最北端の旭川地家裁所長に緊急左遷。
                 R6.2.16 仙台高裁第1民事部に異動。ここ、全国で話題になった岡口基一裁判官のいた古巣でありました。

高橋譲裁判官( 35期 )―――—石垣1818号事件の2審(控訴)を担当した東京高裁民事10部総括裁判官。
                 R4年の俺らの3333号が開始されるやいなや
                 R4.3.12  依願退官( 自主退職 )。彼の円満退官は65歳になるR5.10月20日前日の19日のはず。
                 栄誉ある円満退官まであとわずか7か月前だというのになぜ?

丹下友華裁判官( 57期 )―――R5.3.31 通常人事異動4.1の前日、東京地裁民事16部判事から急遽司研民裁教官に大左遷.。
                 これは俺等の3333号1審判決からわずか3日後の出来事だった。
                 現役裁判官からなんでこんなふいの梯子外しが? 笑えるほどドラマチック。なぜ?

佐藤彩香裁判官( 59期 )―――R5.3.31 上記の丹下友華裁判と同日、急遽東京地裁34部判事から最高裁秘書課参事官に大左遷。
                 これは俺らの21202石垣裁判の判決美、R5.3.30 のわずか1日後のことだった!
                 彩香ちゃんには好感もってたんでやや複雑。にしてもドラマチックすぎ。やっぱり、なんで? 

斎藤清文裁判官( 42期 )―――R4.6.18 さいたま地裁民事3部総括裁判官から前橋地家裁高崎支部長に左遷。
                 彼は俺等が1818を提起する前、俺が陰謀論団体から訴えられていた633号の担当裁判官であり、
                 R元年10.11 彼が結審を下した12時直後に、特別警備が施された裁判所内での俺に対する集団待伏事件が派生し、
                 R元年10.11 PM01:01 俺の通報であのさいたま地裁への浦和警察突入事件が起こったのだ。
                 なお、彼は石垣陽介の1期先輩。斎藤が民事6部で石垣が民事5部というのが、当時のさいたま地裁の布陣だった。
                 俺らの石垣3333号事件がR4年春に始動するやいなや、彼も飛んだわけ。笑える。

佐々木智穂書記官 ―――――――石垣陽介がさいたま地裁民事5部に在籍当時、彼と同じさいたま地裁民事部に書記官として所属していた。
森本清美書記官ほか       R元年(ア)1818号事件において、石垣陽介の書記官を途中まで勤めた。
                彼女が担当したのは1818号事件の第1回と第2回の口頭弁論であり、それら調書の作成は彼女が行い、それ以降の
                第3回と判決との裁判調書は、佐々木の後任である同民事部書記官の森本清美が行った。
                過去にくどいほど説明した通り、裁判調書書きにはそれを作る各書記官ごとに、自分だけに特有の「 書式 」というも
                のがある。同一人物が作成した2つの裁判調書の書式は、当然同じものであるはずだ。けれども、佐々木智穂書記官の
                書式は第1回口頭弁のそきのものと、第2回口頭弁論のときのものが全く異なっており、しかも,不自然な書式で書かれ
                                                        たその第2回目の口頭弁論調書が、第3回と判決時の裁判調書を作った森本清美書記官作成の、文字間隔もスペース空
                けの様式も全く同一の( 注:なんと100%の一致 )「 森本書式 」によって作られたのだ。

                おまけにそこではまだ審理も尽くされていない第2回口頭弁論の冒頭部で、石垣裁判官が原告である俺等・原告サイド
                でいきなり和解案を提案してきたという事実が除かれている。この日に俺等が出した書類も、この日ではなく、これよ
                より後の別日に出したように変えられている。

                公文書である裁判調書にこのような改竄が加えられた ――― しかも、それがよりにもよって司法関係者の手によってな
                されたという事実の重大性は、いくらいってもいい過ぎなことはない。

                佐藤彩香の17195号事件において、俺らは前さいたま地裁所長であった吉村真幸(さねゆき)氏と佐々木智穂、それ
                からその後任の森本清美書記官を被告として訴えた。
                                                        しかし、さいたま地裁民事部の書記官は、全て 佐々木智穂書記官の現在の処遇を俺らに教えることを拒んだ.。
                                                        
                                                        さいたま地裁第1民事部の 永井郁子主任書記官 は「 私は全体の奉仕者であって貴方への奉仕者ではない 」といって佐々木
                書記官の現在の処遇を教えることを拒み、
                第2民事部の主任書記官である小山善士も同じくこれを拒み、
                第4民事部の主任書記官 河内剛 も同じくこれを拒み、
                第5民事部の主任書記官( 森本清美書記官と同部署 )の高雄順一 に至っては、
              「 佐々木智穂書記官が裁判所を辞めたかどうかを貴方にいうことはできない 」といい、
               
               こっちがそれは特定の誰かが決めたルールなのか?
               それを法律に基づいたッ決定事項なのか?
               その決定事項は明文化されているのか? と問うと ――

              「 特定の誰かに命じられたルールではない。明文化されたものではなく、法律によるものでもない。それは我々第5民事部
               のみでの内々のルールなのだ。 ほかの民事部がどうしているかは知らない。我々は他民事部とは一切コミュミケートしな
               いからだ 」
               
               とまで言いきり俺の度肝を抜いた。

               ★ さいたま地裁各民事部は、そうまでして石垣陽介調書改竄事件の最大の証人である、佐々木智穂書記官の処遇を隠し、
               戦後最大の司法の大ポカである石垣事件の疵を隠し通したのだ・・・。

               ( 2審以降の関係者公開は、次号以下に述べることにする )

念のために付け加えさせてもらえば、最初部分であかねさんがいった通り、当時さいたま地裁で民事1部の主任書記官だった 永井郁子 も本庄に左遷されているし、証人・佐々木智穂書記官も辞めているっぽいし、去年夏に浦和署にいった帰りに会った 森本清美書記官の姿も、いまや埼玉のR6年裁判所職員人員配置図中に見当たらなくなっている。
居ずらくなって辞めちゃったんだろうな。
みんなスゲー努力して受かった書記官花道だったというのにさ、なんてこと、裁判所の不祥事を揉み消す要因として、みんな俺等裁判への最前線に飛ばされて、そして誰もいなくなったなんてとても洒落じゃ済まないよ。

裁判所、裁判官への憤りはいまだ収まらないな。
女を前線に送って、凌いで、用が済んだらお役目御免たあ、なんとも男らしいじゃないか?
俺のいうこと聴こえてるかい、仙台高裁のお代官の石垣クンよお!?

今日の俺記事は以上です―――お休みなさい。  (了)



                






カッ飛べ! これが石垣誤記だ(# ゚Д゚)









 また翔べ! これが石垣調書改竄だΣ(・□・;)















★ 石垣さんも丹下さんも裁判官なんだから、地裁隣りの法務省赤レンガ棟を入って右手の「 越前碑 」を

参拝したことがあるはずです。そのときの自分の初心を思い出してほしい。あなた方はあの頃の自分に
いま向きあうことができますか? 目を反らさずに微笑みかけることができますか? そのへんのこと
をいっぺんよく考えてみてください。





 


   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


💎 司法をめぐる冒険 ーPART 3( 石垣事件21202号の佐藤彩香の場合 )

2024-09-08 13:37:09 | 石垣陽介



 Hello、皆さん、前回記事よりだいぶ空いてしまったけど、「 石垣陽介事件 」の後半部、石垣の関係者である裁判官、裁判書記官らが総ぐるみで石垣不祥事を闇に葬ろうとした 隠蔽篇 をここに公開します。
 これは 司法の恥であり、日本司法の現在の素顔の精緻なデッサンでもあります。
 僕等が弁護士をつけていない本人訴訟だから、連中は僕等の司法批判を黙殺しきれると踏んだ。
 しかし、僕等と対峙した全裁判官、全書記官は、明らかに僕等のことを恐れていた。
 僕等、マジでホラー映画で怪物役を勤めるジェイソンみたいな役割だったんですよ。
 石垣事件と全く無関係なスラップ訴訟を僕等は前橋地裁からも起こされていて、大阪地裁からこれを別訴し返したことがあったのですけど ――― R4年(ワ)1546号。このときの大阪地裁民事5部の伊藤拓也裁判官 はどうしたわけか僕等の石垣事件をご存知だったようで、リモート裁判中の 内山田浩太郎書記官 にむけて、「 ああ、わたしたちはちゃんと調書つけてますからね。ねっ、内山田クン?」なんて媚びるようにいっていたもんなあ。

 裁判官の独立 なんて所詮は建前だけの安手の神話に過ぎなかった、ということですよ。
 裏では彼等みんな共通利益のために手を結んで連帯してる。
 だけど、そんな従来の 安直で官僚的ななあなあ隠蔽が、いつまで持つかは分からない。
 今月の26日には、あの世界最大の袴田冤罪事件の再審の判決がいよいよ公布されます。
 世界が注目するあの袴田さんに無罪の判決が出たなら、その瞬間からこれまでの japanese 司法の全ての権威は奈落堕ちします。
 その刹那から始まるのは、いま現在行われている 検察叩きとまったく同種の 司法苛めでしょう。
 今記事は、その記念すべきエポックにむけて書かれたものです。
 僕等の望みは、japanese 司法が糞みたいに保守的なあの幕府的因習を捨てて、国のため、国民のための本来の法精神を取り戻してもらうこと。
 そのためには一切容赦しません。だから、裁判官、書記官らの名もすべて実名、抗いようのない証拠群もつける。
 最後まで読んでいただけたら幸甚です ――― 。

  
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 R4年の8月17日、R4年(ワ)3333号国家賠償事件の第1回口頭弁論を6月に終えた僕等は、石垣陽介国家賠償事件とはまた別の、けれども石垣追及とは無関係でない、別系列の訴訟、R4年(ワ)第21202号訴訟 を東京地裁にて提起した。
 これはどういうことかというと、3333号訴訟の場合、僕等の被告は「 国 」であった。
 むろんのこと僕等が追及したかったのは当時さいたま地裁民事5部にいた 石垣陽介裁判官個人の責任 であったのだが、あいにくのこと現在の我が国においては、裁判官個人の責任を追及するという制度自体がそもそも存在しないのだ。
 
 だから、前記事で詳細に述べたように、石垣陽介個人を訴えた場合、石垣陽介個人の代わりに被告指定代理人( 注:これは国の代理人といった設定だ )である 内田高城氏 その他1名といった、見も知らぬ所属不明の輩が被告席に座ることになる。
 彼等が国家の代理人として、僕等裁判の被告席に座る。
 すなわち、特定の裁判官個人を訴えるということは、国家を訴えるのと同義なのだ。
 つまり裁判官という制度は、国家機関の1部としての扱いを受けているのである。
 天皇特権ほどじゃないが、少なくとも一般の人間扱いではない。
 だからこそ一般から訴えられた裁判官が、担当裁判官の呼び出しに応じて法廷に現れるなどというケースが絶無なのだ。
 
 ( 注:ただ、僕等の石垣系列訴訟において、石垣陽介本人を招聘してくれた例外的な裁判官もいた。それは当時東京地裁民事31部にいた 増子由一( まひこゆういち 63期 )氏 だ。歯車社会のなかで気骨を見せてくれた増子氏ではあったが、僕等の訴訟の後のR6年4月、やはり彼も ★ 静岡地家裁判事 へと左遷を喰らっている。この事件については次記事で書く )

 ただ、僕等の ★石垣裁判の場合ほど 明確な証拠が数多く残った事件 というものは、僕等の知る限りほかに存在しない。
 司法的な目線でいったら、石垣事件は決してあってはならない、立場的にも絶対に認められない類いのものであったのだろう、と思う。
 もちろんキャラ不明の国家などという責任不在の化け物相手に、勝算などはひとつもなかった。
 ただ、僕等は司法相手に正義を貫こうとした僕等自身の爪跡を残したかっただけ。
 正義の機関である司法がそれを実行できないなら、民間人の僕等がそれを貫くよりほかないんだから。
 けれども、周りが思うほどの悲壮感はなかったな。
 僕等を動かしていたのは、国家の中軸機関である司法が、こんな不正義をやるのか ――― といった驚きと、このような不正義を目撃し体験してしまった一国民として、なんとかこれを明るみに出さねば ――― といった一種の責任感だった。

 それが僕等を動かし、僕等をいくつもの訴訟の旅へと導いたのだ。
 僕等が司法に自らの罪を認めさせるために提起した R4年(ワ)3333号事件がむろん僕等の訴訟群のうちの中軸であったというのは事実だが、僕等はこの3333号訴訟のほかに2つの訴訟を準備しており、R4年の6月、石垣国家賠償事件の第1回口頭弁論のあと、石垣陽介関連の訴訟を2つ提起した。

 それが R4年(ワ)第17195号訴訟 ――― これの被告は石垣陽介個人であり、
 もう1件は R4年(ワ)第21202号訴訟 ――― こちらの被告は、R元年(ワ)1818号当時、石垣陽介とともにさいたま地裁の民亊5部に所属していた 森本清美書記官 と 佐々木智穂書記官、それと1818号当時さいたま地裁の所長をしていた 吉村真幸( さねゆき )氏 であった。
 
 今回はその2つの訴訟のうちの後者のほう、R4年’(ワ)第21202号訴訟について書く ―――。


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 R4年(ワ)第21202号訴訟 ――― この記事内の登場人物をこのあたりで紹介しておこうか。

 この訴訟で被告役を勤めたのは、森本清美書記官、佐々木智穂書記官、そして、さいたま地裁の元・所長の吉村真幸( さねゆき )氏 の3名
 前2人の書記官は、共に石垣陽介事件の担当者であり、1818号の口頭弁論の第1、2回を担当し裁判調書を書いたほうが佐々木智穂書記官
 そして、第3回目と判決回とを担当し両者の裁判調書を書いたのが、問題の森本清美書記官 であった。

 裁判のそれぞれの口頭弁論において唯一の証拠となるのが、この裁判調書なるものだ。
 これを書くのは担当書記官の仕事であって、当日もしくは翌日内に法廷内で闘われた争点の内容を詳細に書かねばならない。
 そして、非常に不可解ではあるのだが、この裁判調書というものには、全書記官に共通の、特定のマニュアル書式が使われているわけではないのだ。
 PC全盛時代のマニュアル万能主義が主流となった昨今の民間事情からすると考えににくいことではあるが、あいにくのことこれは事実だ。
 僕等もいくつかの裁判を闘ってはじめて知ったのだが、現在の裁判所内においては、ひとりひとりの裁判書記官ごとにおのおのの自己流の書式といったものが、いまだ存在しているのである。
 
 これは、すべての裁判書記官が word や Excell ではない 一太郎 をいまもって使用している ――― といった特殊事情による。
 一太郎はPCではなくワープロ( わあ、懐かしい!)であるから、クリック一発で共通設定の書式枠を呼び出す、なんてことがやれない。
 だから、ひとりひとりの書記官が、マニュアルでない各々のスペースを何文字空けるか、原告の名前を全文字1字明けにするか、それとも均等割付機能を使ってデザイン重視で並べるか、などの面倒な手作業を通じて、おのおのの書式といったものを自己流に作成しているのである。

 そう、加藤俊輔書記官には加藤俊輔書記官なりの裁判調書の書式というものがあり、佐々木智穂書記官には彼女なりの、そして古坂美乃利書記官には古坂美乃利書記官なりの書式というものが存在しているというわけだ。ある意味、この個人ごとの書式は、裁判書記官それぞれの指紋のごときもの、といってもいいかもしれない。

 ここでヤバすぎ問題がひとつ派生する。
 石垣陽介1818号の裁判調書の第1回と第2回の口頭弁論を作成した 佐々木智穂書記官 の裁判調書書式が、全然異なっているのである。
 同じ人物が作成した調書書式ならば、当然同一の書式を使うはずだ。
 もし司法に正義があるとするなら、そのように小さな理を積み重ねていくのが司法の正義であろう。
 2023年の5月、担当裁判官の押印ひとつが欠けていただけで「 判決が完成されていない 」とされ、大阪高裁が自ら事件を差し戻したあのときのように。
 ところが石垣1818号事件の場合、最初の2つの口頭弁論調書を担当した 佐々木智穂書記官 のそれぞれの書式が全然異なるものになっていて、しかも、その2つ目の書式が、第3回口頭弁論と判決調書を担当した 後任の森本清美書記官 のものと、完璧無比の、なんと100%の一致を示しているのである!



 

💎 石垣陽介国家賠償裁判、原告準備書面8を公開します。( 注:編集短縮版 )


 もう、笑うしかないよ、これは!(笑)
 見え見えすぎじゃんか、こんなの・・・なんで、こうまで杜撰なままでいられるのか。
 2023年の夏、僕等が埼玉の浦和署に刑事事件としてこの件をもっていった際、捜査2課の知能犯係である〇〇〇刑事は

—――― ああ、これはコピペですね・・・!

 と躊躇なくいった。

 うん、第3者であった〇〇〇刑事の直観は、まったく正しいよ。
 ★ 第1回目と第2回目を担当した 佐々木智穂書記官がつくった口頭弁論調書の調書書式が異なっているのは、第3回と判決回で2つの調書を担当した 森本清美書記官が、彼女の直属上司にあたる当時さいたま地裁民事5部の裁判官であった石垣陽介に命じられて、自分たちにとって都合のわるい、前任者・佐々木智穂書記官が作成した第2回目の裁判調書の改竄を嫌々実行したから、といった風にしか考えられないんだよ、これは。

 森本書記官は、石垣陽介に命じられて( あるいは頼まれて )その改竄を行ったけど、内心は嫌で嫌でしようがなかった。
 裁判調書は公文書であり、石垣と森本書記官が実行した可能性の高いその行為は、 明確な「 偽造公文書の作成、使用 」罪にあたるんだから、森本さんがビビリまくったのは当然だ。悪いとかいうレベルじゃなくて、もう留置刑相当の刑事犯罪なんだよ、これは。

 森本清美書記官がこうまであからさまな書式証拠を調書に残し、それをよく確認もせずに現場を早々に去ったのは、佐々木智穂書記官作成の調書に手を入れた( 注:これが改竄。違法であり懲役相当の刑事事件です )罪悪感ゆえだと僕は思う。
 
 実際、石垣陽介裁判官は、1818の第2回口頭弁論( R2年3月6日AM11:00 さいたま地裁第5民事法廷 )の開廷直後に、いきなり僕等にむけて和解提案を振ってきたのだから。審理もなんも尽くされていない段階で!
 僕は1秒でその石垣和解案を蹴って、石垣は「 は~っ 」ってため息なんかついていたんだけど、裁判官自身がまだ若い第2回口頭弁論の開廷直後に、僕等・原告にむけていきなり非論理的な和解案を振り、その和解案を僕が瞬時に断った! という重要な事実が、佐々木智穂書記官作成の調書からは見事に省かれていたんだな、これがさあ!( 怒 )

 そしてそれから2年後のR4年の4月4日、僕等はR4年1月に石垣陽介3333号訴訟を提起して、それ関係の裁判調書を閲覧しにひさびさのさいたま地裁を訪れた際、閲覧番待ちの地裁の廊下で、なんの因果か僕等はその森本清美書記官本人と偶然再会したんだよ。
( 注:コロナ禍のまっただなか、しかも、リモートで職員がいっぱい休んでる中で、よくもまあ偶然会えたもんだわ!)
 見つけたのは向こうが先だった。蒼白な顔をして僕等を睨んでる女性にあかねさんがまず先に気づいて、誰このひと? と僕等はなって、しばらく見ていてやっと「 えっ? あなた、もしかして・・・あの森本書記官さん・・・!?」と気づいたわけなんだ。

 森本清美書記官は、僕等の記憶とまるで違うくらいにやせ細ってた。
 目を大きく見開いて、神経質というよりむしろ恐怖の対象を見るような瞳で、僕等のほうをじーっと一点凝視してた。
 結構、ガタイがよくて丈夫な印象が強かったのに、手首なんて別人みたいに細くなっていて、やつれ果てているように見えた。
 
 僕等は石垣陽介についてさかんに話しかけてみた ――― しかし、森本清美は、最後の最後まで石垣陽介の「 い 」の字すら口にしなかった。
 改竄を担わされた彼女の苦しみとストレスの暗黒色のオーラが、僕等の鼻先まで香ってくるようだった。
 このときの詳細は以下の過去記事に記してあるので、興味のある方は見てほしい。

💎 石垣陽介判決の108つの誤記と裁判調書の改竄疑惑について



( R5年8月18日 埼玉の浦和署に事件を持っていった帰りに、さいたま地裁に寄って会った森本さんの印象 )


 話が飛んだ ――― 僕等の提訴した石垣3333号の付随訴訟の R4年(ワ)第21202号へと回帰しよう。

 僕等の21202号裁判の登場人物は、まず被告として、当時さいたま地裁民事5部にいた佐々木智穂書記官、森本清美書記官、それに当時さいたま地裁所長であった 吉村真幸( さねゆき )氏 などの3名がいた ――― というところまで話していたと思う。
 その続き ――― 僕等の21202号裁判の裁き手の話をしなくちゃいけない。
 それは、当時東京地裁の民亊第34部に所属していた 佐藤彩香裁判官( 59期 ) であった。
 担当書記官の名は 古坂美乃利 ―――。
 この両名の名をよくご記憶願いたい。

 僕等はこの21202号だけは、3333号や17195号とちがって控訴しなかった。
 むろん、それには相応の理由がある。
 この21202号裁判の過程が、あまりにも杜撰であり不条理度も高すぎたので、あと、★ 佐藤彩香裁判官の醜態が傍から見てもあまりにメガ級であり、可哀想にも感じられたので、僕等のほうからあえて遠慮させてもらったのだ。

 うん、一言でいうなら、あれは「 異常すぎる裁判 」だった・・・。
 ただ、ほかの裁判官の場合とちがって、佐藤彩香裁判官の場合は、司法サイドから発表された肖像写真がない。
 だから、僕等にしても彼女の人相をあげることはできない。
 なので、オーソドックスな外貌、まずは彼女の経歴から紹介していこうと思う ―――。
 





 
 僕は法科で学んだ経験もないしそれ関連の知識にも疎い、いわば法律の完全な門外漢なのだが、そんなアウトサイダー的な僕視点から見ても、この 佐藤彩香裁判官( 59期 )の経歴は素晴らしい。
 毛並がいいというのか、優秀さがよっぽど図抜けているというのか。
 キャリアのスタートが仙台地裁判事補から始まっているというのがまず凄いし、それから検事を経て、10年後の2018年に東京地家裁の判事に抜擢されているのもまた凄い。
 また、キャリア開始の仙台地裁を除いて、ほぼ首都圏もしくは大都市に異動が限定されていて ――― 石垣陽介のように中央からいきなり旭川地家裁ヘ、などというモロ左遷の人事は1度も喰らっていないというのも、かなり稀有なキャリアだといえるだろう。

 ま、こういうのがきっと本当のエリートっていうんだろうね。
 法廷で実際に顔を合わせたときも、彼女は担当書記官である 古坂美乃利 と非常にフランクに、偉ぶることなく柔和に話していたし、同時期に僕等が裁判していた3333号の 丹下友華とくらべさせてもらうと ――― 丹下は、担当書記官である 田村直子 に対して、いつも下僕を扱うみたいなガチガチの命令口調で話していたから ――― 僕等に対する物腰にも一種の「 雅び 」みたいな品が自然に感じられて、僕等としても実は 佐藤彩香裁判官 という人物に好感をもっていたんだ。

 で、登場人物の説明が思いのほか長くなったけど、これで一応キャラ紹介は済んだと思うので、いよいよ本番である、R4年(ワ)第21202号訴訟のあらまし を具体的に述べていくことにしよう。


    < R4年(ワ)第21202号事件 第1回口頭弁論の詳細 >

 僕等の 21202号事件の第1回口頭弁論は、R4年の11月28日、東京地裁の第804号法廷にてAM10時ジャストに開廷された。
 被告は、石垣の1818判決書改竄への関係が疑われる 佐々木智穂書記官森本清美書記官、それとR元年当時さいたま地裁の所長をやっていた 吉村真幸( さねゆき )氏 の3名であったが、被告席への出席者は誰もいない。

 原告席には僕とあかねさん、裁判長席には佐藤彩香、書記官席には民事34部の古坂美乃利 ――― その日、804号法廷にはその4しか人間がいなかった。
 傍聴席には若い男性がいたけど、それは34部関連の監視のための人物だと僕等は見当をつけていた。

 実をいうと、この口頭弁論の直前に、僕等は 佐々木智穂書記官 への訴えだけ取り下げていた。
 さいたま地裁が、訴状を彼女に送付したのだが、その訴状が所在地不明で返送されてきた、といってきたからだ。
 ああ、じゃあ佐々木さんは辞めたんですね? と僕が問うと、いいや、特にそういうわけじゃありません、とくる。
 
—――― おかしいじゃないですか? 辞めてないならまだ職員であるわけでしょう? 職員ならば連絡のしようはいくらでもあるはずだ・・・。

 と追及したんだけど、いくらいってもぬらりひょん相手に話してるみたいで埒があかない。
 とにかく佐々木智穂を被告に訴訟するならばいつまで経っても公判は開廷できないというんで、やむなく佐々木智穂氏を外した 森本清美書記官 と 吉村真幸( さねゆき )氏2名を被告にした裁判に切りかえるしかなかったわけなんだ。

 このあたりからもうキナ臭さ満載だったんだけどね、この 佐藤彩香裁判官 が仕切った21202の公判っていうのは。

 ただ、佐藤彩香裁判官個人 には好感をもった。
 この5年、僕はあるカルト団体から集団スラップ訴訟というのを受けていて、全国各地の様々な人間から訴えられ、その1審2審( 控訴 )あるいは別訴などの分を含めて総計30人弱の裁判官と対峙して話したわけなんだけど、彼等のなかで好感度ナンバーワンだったのは断然この彩香ちゃんだった。
 僕等より一回り以上年下なわけだし、ぱっと見てもいいひとだったんだよ、彩香ちゃんって。

 ただ、第1回口頭弁論の当初から問題が持ちあがった。
 民事34部から書類は届いていますか? と、まず彩香ちゃんがいったんだ。
 いや、そういうのは届いてないんですけど、と僕がいうと、

—――― あら。それは困った・・・それじゃあ、今日の裁判は開けませんねえ・・・。

 その頃はちょうどコロナの真っ盛りで、誰もがマスクをつけ、医療制度も半ば崩壊して、世相もいちばんぎしぎししてる時期だったんだ。
 彩香ちゃんは目前の古坂美乃利書記官と、郵便もきっとそれで遅れてしまったのねえ、困ったわねえ、なんて女子高生みたいに談笑してる。

—――― おいおい、ちがうだろ、そんな風に郵便遅れのせいにばかりするんじゃねえよ。
 郵便が遅れることを計算に入れず、ぎりぎりに裁判書類を送ってよこしたお前らのせいじゃないか。
 その可能性があるって分かっていたなら、こっちに連絡して公判可能かどうか先に相談してこいよ、と、つい喉元まで出かかった言葉を僕は我慢して、なんとか胸中に押しこんだ。

 で、僕等の 21202の第1回口頭弁論は それで流れたんだ。自分たちの送った裁判書類が郵便事情によって流れてしまったのは、あくまでコロナ災禍と郵便事情のせいであって、自分たち司法にはなんの落度もないといいたいらしい (笑)

 郵便事情がコロナ災禍で遅れてしまい、裁判書類が遅れそうだという懸念があるのなら、裁判開廷前にこっちの原告に向けて連絡してこいよ。
 ねえ、21202の担当だった 古坂美乃利書記官 さん ―――
 冒頭にも書いた同時進行中の僕等の裁判 R4年(ワ)1546号( これは石垣事件とは無関係な裁判でした )の途中でも、大阪地裁民事5部の 伊藤拓也担当裁判官がコロナに罹患して、口頭弁論が開けなくなったという回があったけど、民事5部の 内山田浩太郎担当書記官 からは前もって口頭弁論中止の連絡は僕宛にちゃんと入ってきていたぜ。

 なんでそれしなかったんだよ ――― 担当の古坂美乃利書記官さあ?
 あかねさんなんて関西圏からわざわざ上京してきてるんだよ、官だからといってこーんな王様対応はないんでね?
 少なくとも交通費くらいあなた方で負担するべきだったんじゃないの?
 
 これ、いま思い返しても信じがたい話なんだけど、石垣事件関係の裁判官、書記官らには、こうした非常識な異次元対応が当たり前のように定着していたんだよ。
 うん、腐っているとかいうんじゃなくて、もう異次元なんだよ ――― そして、このようなワケワカメな事情で、僕等の21202の第1回口頭弁論は、審理の現場である804号法廷内で流れてしまったんだ・・・。


   < R4年(ワ)第21202号事件 第1回( 第2回 )口頭弁論の詳細 > 

 僕等の R4年(ワ)第21202号の第1回( 正確には第1回 )口頭弁論は、年をこえたR5年の1月30日(月曜)のAM10時ジャスト、前回とおなじ804号法廷で開廷された。
 あまりに異次元なことばかり続くから、法廷の僕等はもうほとんどふてていたといってもいい。
 第1回口頭弁論って、大体原告被告が提出した互いの提出書類を確認することに終始するんだよ。
 僕は、原告席に頬杖つくみたいにして、そうしたけだるい作業にあかねさんと答えていた。
 そしたらさ、15分ほどして、いきなり 佐藤彩香裁判官 がいったんだ。

—――― では、当事件はこれで結審とします・・・。

 一瞬、はあ? となった。僕は切れたね。

—――― ちょっと、なにいってんだよ、佐藤さん! 認めないよ、そんなの。認められるわけないじゃんか。これはさ、あんたらの同僚 石垣陽介の「 大量誤記 」と「 裁判調書改竄 」についての訴訟なんだよ・・・。これ、第2回目の口頭弁論だけど、実質的にはまだ第1回目みたいなもんだ。俺らはまだ、法廷でその2語の発言すらしていない。なのに結審? ふざけないでよ、彩香ちゃん! あなた、誰にそうしろって指示されたのさ! 冗談じゃない、結審なんて認めません! おい、ちょっと待って・・・どこいくのよ、佐藤さん? それに古坂さんも? おい、まだ裁判終わってないじゃん・・・おい!・・・おーいってば・・・・

 ★ なんと、佐藤彩香裁判官 と 古坂美乃利書記官のお2人は、ほとんど泣き顔のパニック状態のまま、804号法廷から逃亡してしまったのです・・・。

 これが本当に結審ならば、彩香ちゃんには次の判決日を口頭で述べる責任があった。
 だけど、佐藤彩香 はそれをいわなかった。
 僕等の結審拒否が有効なら、彩香ちゃんにはそれを検討して、次の口頭弁論日を原告の僕等と打ち合わせる責任があった。
 だのに彩香ちゃんはそのどちらも放棄して、法廷から逃げたのだ。
 ありえないよ、こんなのは・・・。
 避難先の裁判官室に帰って、たぶん 佐藤彩香裁判官は古坂美乃利書記官と抱き合って号泣したんだ、と僕は思う。


 僕等は自分たちから東京地裁民事34部に連絡しようとはしなかった。向こうのほうから連絡がくるのを待ってたんだ。
 すると3月の下旬のある朝、僕のもとに彩香ちゃんの民亊34部から書類が届いたわけ。
 開けてみたなら、なんと判決書じゃないか。しかも、1月30日に書かれたものだ。
 内容は当然棄却 ――― 動けなくてグズグズしてたんだろうねえ。読むなりもう爆笑しちまった。
 すかさず34部の 古坂美乃利書記官 に電話して、ねえ、古坂さん、これどういうことなんですかと詰問した。
 でも、モゴモゴいうばかりで要領を得ない ――― 出勤途中だったんで、すぐにあかねさんに電話して、僕の詰問を継続してもらうことにした。
 このときあかねさんと 古坂美乃利書記官 とが交わした具体的な対話は、以下のようなものだった —――

 

2023年3月31日9:57~

女性職員「はい、東京地裁34民事部です」

あかね「おはようございます。◯ です。古坂さんお願いします」

女性職員「少々お待ちください」

 

古坂さん「はい、古坂です」

あかね「おはようございます。〇です」

古坂さん「おはようございます」

あかね「飯田さんから聞きましたが、もう結審されてたんですか?」

古坂さん「はい」

あかね「おかしいですね。私たち2人とも、次回の日程を聞いてないんで、結審したのか、まだ続くのかどっちなんだろうね、と話してたんですよ。あなた、3月30日が判決だと裁判官が言うのを聞いたんですか?」

古坂さん「はい」

あかね「おかしいなぁ。2人とも聞き逃すなんてことはないでしょう。言ったという証拠はあるんですか? あの黒いマイクに録音されてるんでは?」

古坂さん「あのマイクは、証人尋問のときしか使わないので」

あかね「じゃ、証拠はないんですね」

古坂さん「調書が証拠になります」

あかね「それはおかしいでしょ。後からなんだって書ける。公務員の言うことなら何でも正しいことにできるんですね? 私たちはいつも、次回の日程はメモして帰りますので。当然、そんなメモもないですよ。法廷のやり取りは録音して、書記官さんはそれを聞いて調書を取るようにしたらどうですか? 民間に比べて随分遅れてますよね」

古坂さん「………」

あかね「あっ、それから、古坂さんに森本書記官に出廷してもらうよう、佐藤裁判官に伝えるようお願いしたけど、やっていてだけました? この話、覚えてますか?」

古坂さん「はい、口頭でお伝えしました」

あかね「私たち、石垣裁判官も個人で訴えてますが、17195号担当の増子裁判官は、本人に出廷するよう促してくれましたよ」

古坂さん「………」

あかね「裁判官によっていろいろなんですね」

古坂さん「………」

あかね「あなたも佐藤さんが判決日を言ったのを確かに聞いてるんですか?」

古坂さん「はい、聞きました」

あかね「私があなたを訴えたら、そう答えるんですか?」

古坂さん「……はい……」

あかね「石垣さんのすごい数の誤記や口頭弁論調書の不正は証拠も出してますよね? あなた個人はこれをどう思われますか? 民間なら高校生のバイトでもやらないようなお仕事ですよ」

古坂さんに「個人の意見は、言えません」

あかね「こんな誤記、いままでに見たことあるんですか? 本人訴訟だからこうなるんですよね」

古坂さん「………」

あかね「とにかく佐藤さんに、私たちは判決日など聞いてないですとお伝え下さい。判決文は佐藤さんと相談するまで送らないでくださいね」

古坂さん「……はい……」

 

3月31日11:47~

(省略)

あかね「一つ聞き忘れてました! 結審の日に、判決日に出廷するかどうか、いつも書記官さんが聞きますが、古坂さんは私たちに聞かれました?」

古坂さん「……聞いてません……」

あかね「飯田さんにも確認しましたが、毎回聞かれてますよ。何度も同じ団体から訴えられてますからね」

古坂さん「聞くかどうかは決まってません」

あかね「そうなんですか? 適当ですね。じゃ、判決日を告げたとき、私たちはどんな様子でしたか?」

古坂さん「………覚えてません………」

あかね「そういや、裁判官が体調不良で寝坊して口頭弁論が流れたって話が記事になってるのを見たことがありますが、裁判所って結構厳しいですよね。私たちの口頭弁論も一度流れてますよね」

古坂さん「…………」

あかね「佐藤さんに言っておいてください。言い忘れたのなら言い忘れたと正直に言ってくれればいいんです。私たちは誰もが犯すようなミスまで追及しません。そこは裁判官も民間人も同じですからね。悪いのは【嘘】なんです。裁判官の癖に嘘を吐くのはよくないと言ってるんですよ。そうお伝え下さい。私の言ったことを繰り返していただけますか?」

古坂さん「( あかねさんの言い分を繰り返す。省略)」

あかね「もうね、佐藤さんだけの手に負えなくなってるんじゃないですか? 最高裁に相談すべきです。あっ、旭川の石垣さんに相談してみては?! そもそも一番悪いのは石垣さんなんだから」

古坂さん「裁判官同士は話さないのですよ」

あかね「いやいや、私たちいろんなところから訴えられたり、訴えたりしてますが、明らかに裁判官同士、相談しあってますよ。あなたは私の言うことをそのまま佐藤さんに伝えるだけでいいんですよ」

古坂さん「………」

あかね「とにかく、佐藤さんに相談するまで、判決文は送らないでくださいね」

古坂さん「いや、判決文は送らなければ……」

あかね「古坂さんは、〇 がこう言っていたとそのまま佐藤さんに伝えればいいだけです」

古坂さん「………」


 この対話がなされたのは ★ R5年の3月31日であり、ちょうどこの日、僕等の 佐藤彩香裁判官 が急遽、現役裁判官から最高裁秘書課参事官へと左遷人事を喰らっていたことを、後になってから僕等は知った。

 笑うよね ――― 21202号判決公布の翌日という、最高裁の電撃決定だ。





 ちなみにこの3月31日同日には、僕等の石垣陽介裁判の中軸であった R4年(ワ)3333号の担当裁判官であったあの 丹下友華 にも最高裁決定の左遷人事が交付されている。( 前記事参照 )

 自分たちの体面と面子を守るために、司法組織とはこんなことまでやるのだ ―――!

 いいですか、皆さん ――― ニッポンの現代司法の素顔っていうのは、これなんだよ、これ。
 これはもうマジに 小松左京のSF傑作「 日本沈没 」の実践だよ。
 見える奴にはみんなとっくに見えてるよ ――― あんたたち官が君臨していた時代なんて、もう常世に呑まれる瀬戸際なんだって。
 最近、現役の検察官が史上はじめて刑事告訴されるという報道が世を賑わせたりもしたが、当然だと思う。
 もう限界なんだよ、旧弊で小さな公務員社会しか知らない、ただの優等生官吏風情に、複雑極まりないいまの情報社会を裁かせるなんて・・・
 これは先日にNHKが「 尖閣は中国の領土だ 」 ――― といった超ヤバ報道をしていたというのとほぼ同種の、極めつけの亡国事案である、と僕は思う。

 本日の僕記事は以上です ――― お休みなさい。(了)



PS.司法ってとどのつまり「 軍 」なんですわ。
 対マイケル裁判の最前線に狩り出された裁判官は、3333号国家賠償事件では 丹下友華、21202号事件で最前線に押し出されたのは 佐藤彩香 ――― どっちも僕等の事件を審理不尽という違法行為で退けたら、お役目済みってことで左遷してメデタシメデタシの官吏天国万歳ってとこか? 肝心の主犯・石垣陽介も旭川地家裁に飛ばして、その10か月に仙台高裁といった地方に回せば、万事それオッケーというようなマキャベリ感性は、醜すぎてもはや耐えがたい。

 調べてみたら、さいたま地裁民事4部( 石垣と一緒 )の 佐々木智穂書記官も、もう書記官を辞めていた。
 石垣陽介の共犯をさせられた 森本清美書記官の名も、R6年の裁判所人員配置図を見るかぎり、もうどこにも見当たらない。
 旧弊な男権社会のなか、地家裁で一生懸命キャリアを築いてきた彼女らに対マイケル裁判の防壁をやらせ、その際に使った「 審理不尽 」作戦自体が違法であったということで今度は表舞台から排除する。

 なんのことはない ――― 丹下友華も、佐藤彩香も、中央の官吏に使われた、ただの人柱であり生贄じゃないか。

 女を最前線に立たせて、用事が済んだら勝手に死亡フラグを立てて、あんたらそれでマジに楽しいの?

 9.26にはあの袴田冤罪事件の再審の判決がいよいよ出るんだよ。
 そのときがあんたらのエポックだ。BBCや一部報道が検察・司法の不祥事について、これでもかこれでもかと叩きはじめる新時代がはじまる。
 大川原工業事件を捏造した塚部貴子検察官への追及や、兵庫県知事・斉藤基彦氏の百条委員会報道が劇化しているのも、それの序章だ。
 あなた方はいくら粗相をしても咎められないという無責任極まるユートピアを司法内に創造した。

 でも、それ、ユートピアじゃなくてディストピアだったんだよ。
 なんのことはない、一時期大騒ぎしてネットの「 反ワク 」「 嘘コロ 」などというイミフ運動でバズっていた陰謀論者たちと、その構造はまったく同一だ。
 ただの現実拒否だよ、それって。
 現実拒否者の報いは、いつでも現実そのものからもたらされる ――― 正義っていうのは特定個人の道具じゃない、正義が自分を騙る者をどう扱うのか、本当にあなた方は知らないの? 冤罪で苦しんでいる多くの不幸な人達にも、それが分かっているくせに正義に向かって動こうとしないあなた方の上にも、いずれ情け容赦ない正義の光は降ってくる。あなた方がてめえ都合で弄んでいた正義が、ユーターンして今度はあなた方のもとに帰ってくるんだ。今度は復讐者として。
僕は、あなた方の未来がそうなるように願ってやまない。
 

 どうか、お気をつけて ――― by マイケル
 
 
 


💎 司法をめぐる冒険 ーPART 2( 石垣陽介隠蔽作戦に従軍した法曹人たち )

2024-08-17 18:36:42 | 石垣陽介


 Hello、皆さん、前記事で予告した石垣陽介事件の後半部分「 司法による不始末の集団隠蔽 」についていよいよ語りましょう。
 この章から、主役が石垣陽介から司法組織全体にチェンジします。
 犯行の規模も手法もダンチにでっかく悪質になってゆく。
 このシフトチェンジにご注目あれ。
 裁判官個々人の保身欲と司法の面子を重んじる心がタッグすると、いかに巨大で場あたりな「 ことなかれ審理 」を実行してしまうものなのか。
 これは、そうした悪の詳細を記したドキュメントです。

 多分、こうした司法組織の内幕暴露といったような記録は、流通している一般ジャーナリズムに載ることは決してない、と思う。
 大体、普通のひとは、裁判官や書記官なんて人種と、じかに会ったり話したりする機会自体がないんだから。
 裁判官個人がどんなひとか、書記官というのがどういったひとなのか、誰も知らない。
 
 これ、社会的な見地から見ても完璧ヤバヤバ案件だし ――― さらに、ここに登場する人物もみんな公人だから ――― 当然、全員実名ね。

 これは、日本という国体の神経組織でもある、司法という人間集団全部の軋りです。
 古くなった木造建築の屋根や柱や床下の地盤が立てる「 ギシッ、ギシッ 」という、うん、あの呻きめいた予兆音。
 軋り。あらゆる凶事はここから始まる。
 その意味、これは、現代ニッポンの怪談としても聴ける話なのかもしれない。

 じゃ、行きましょうかね ――― 僕等がこの旅で目撃した事実は、以下のようなものでした。


             ✖             ✖             ✖             ✖


 R4年の1月、僕等は東京地裁に向かい、R4年(ワ)第3333号国家賠償事件を提訴した。
 これは、僕等のR元年(ワ)1818号事件を裁いた、石垣陽介裁判官の判決書内に書かれた、108つという膨大な「 裁判審理の誤り 」について追及するためのものであった。
 
 R4年の5月、名古屋高裁は、裁判長の音韻が押し忘れられているといった事実を理由に、名古屋地裁2審の事件判決を「 完成されていないもの 」として、この事件を差し戻した。
 押印忘れひとつでこうなるのが本来の裁判所というものなのだ。

 然るに、石垣陽介は ―――?

 原告と被告とを何箇所も取り違えている。
 1818号訴訟は原告2名、被告2名の裁判だったのだが、この原告2名それぞれの名を取り違えたり、被告2名のそれぞれを取り違えたりしている箇所が、mail と sns の混同、差出人と受取人の混同、間違いなどといった要素があまりにも多すぎる。( 100箇所以上 )
 公開前提のツールであるSNSと非公開前提のE-Mailをも混同して一緒くたにしているし、まだ審理もろくに終わってない第2回口頭弁論の冒頭部から、裁判官自ら和解案を提案したりまでしている。( これは決してやっちゃいけないこと。原告・被告それぞれの言い分を聴いて、本人尋問もちゃんと行ってから ――― 僕等は本人尋問というものを1回もやられたことがない。これもミステリーだ ――― もういいですか? と原告・被告双方に承認を求めて、それから和解案を提案し、それが蹴られたら結審するというのが本来の裁判というものなのだ )
 さいたま地裁の警察臨場の話をすると、いやいや、その話をするのは争点とは離れたことだから、と必死になって場を治めようとする。
 法廷に「 108つの誤記 」「 裁判調書の改竄 」という発言を一切残さないようにする、
 そして、僕等のそんな重要な発言を裁判調書にもなんも残さない・・・。
 法廷内で石垣陽介の「 108つの誤記 」「 裁判調書の改竄 」という発言を一切残さないようにする、複数の裁判官らのこうした不法な努力を僕等は幾度も目撃した。

 それは「 酷い 」という言葉も当てられないほどの、超絶的な杜撰さだった。
 裁判長の押印忘れがひとつあっただけでその事件を差し戻した、名古屋高裁の英断とこれとを比べてみてほしい。
 はっきりと本音を述べさせてもらえるなら、これはほとんど司法による「 暴力 」だといってもいいと思う。
 前述した名古屋高裁の事件差し戻しの判断と、東京地裁の今件との司法判断に正義があるのか? なんてことは勉強嫌いの5歳児にだって楽々分かる。
 
 なぜ、このようなウルトラ杜撰なポンコツ判決を書いた石垣を、司法組織は黙って放置しておくのか?

 僕等はどうしてもそれが許せなかった

 もちろん知人全員が賛成だったわけじゃない。「 勝てるわけないじゃないですか。なんでそんなムダをするんです?」という人もいれば、「  まだそんなこと続けるんですか 」と呆れる奴もいた。

 でもね、僕等はあえてこれを提訴した ――― 負けようが無駄になろうが構わない ――― この石垣事件が司法史上例のない超ポンコツ案件であり、その各々の証拠が公文書である判決書にこれほど見事に刻まれているというのに、これを使って闘争を挑まないというのは、それこそ民主国家であるニッポン全部への背信になるんじゃないか、と僕等は危惧したのである。

 ただ、司法の対応はちがっていた。
 彼等は、3333号原告の僕とあかねさんより、僕がかつて渡りあっていたカルト組織のほうをより恐れていた。
 スキャンダルを恐れていたのだ ――― 窓口となった書記官の対応にもそれが如実に表れていた。
 このカルト組織は、2014年あたりから不正選挙裁判というムーブメントをネット始発で巻き起こし、東京地裁に200人からなる大傍聴団を集め、逮捕者が発生するほどの大騒動を地裁内に巻き起こした過去があったからだ。





 
 2024年の春、僕等の国家賠償3333号事件の窓口となった 東京地裁民事16部の 田村直子書記官 は、僕等に向かってこういった。

—――― これだけの案件ですので、1回では終らないと思います。

 さらには、

—――― ・・・ごめんなさい・・・。

 この 田村直子書記官が東京地裁民事16部にくる以前には、僕等の訴訟を担当していた前任者は、国吉俊子という書記官だった。
 僕は石垣事件について3月の末まで前任者であったこの 国吉俊子書記官と何時間も語り、彼女は4.1の人事異動で別の部署にいってしまったのだけど、その去り際には彼女もまた僕等にこんな言葉を残してくれたのだ。

—――― お気持ちは、よく分かります。

 官の窓口である厳正な裁判書記官らがこんな殊勝なことを口にするなんて、寡聞にして僕はほかに聴いたことがない。
 石垣陽介事件というのは、身内である書記官でもそう発言せずにはいられないほど、特殊極まりない、当事者である司法当事者たちが夥しい罪悪感を覚えずにはいれないほどの、超タブーな案件だったのである ―――。


             < 令和4年(ワ)3333号 第1回口頭弁論の詳細 >

 僕等のR4年(ワ)3333号事件の第1回口頭弁論は、R4年の6月21日午後1:30、東京地裁の609号法廷にて開廷された。
 裁判官は東京地裁民事16部の花ともいうべき、冒頭フォトの被写体になっている 丹下友華( 57期 )だった。
 彼女のキャリアというものを見ていくと、H16年( 2004 )に東京地裁の判事補で判事としてのキャリアを開始してから、H24年( 2012 )に広島地家裁の判事に就任して、以来名古屋地家裁岡崎支部判事補、その後H29年( 2017 )に静岡地家裁判事に就任して、その後、僕等の3333号で東京地裁の民亊裁判官( この東京地裁判事としての就任決定は、R2年の4.1からだ )として出会うまで、ほとんど地家裁の仕事しかしてこなかったひとだ、というキャリアの傾向が把握できる。

—――― ねえ、あかねさん、今度当たる丹下さんって裁判官、ほとんど家裁一筋のひとだよ・・・。

 と前もって僕等がリサーチしていた通り、開廷とともに 丹下友華 がやったことは、いかにも地家裁出身のひとらしい不良青少年に喋りかけるような作り声で、僕等を自分よりずっと年下の輩と見做して、なんとかして懐柔してやろうという魂胆が見え見えだった。
 ただ、裁判所のHPに写っていた肝心その紅顔は、その下半分が折からのコロナのパンデミック防備のための大きなマスクで覆われていて、僕等がそれを目にすることはできない。
「 地裁の花 」みたいに思っていた丹下氏の紅顔が拝めることを結構楽しみにしていた僕は、それで少々がっかりして、しばらくは彼女のそんな一人芸を聴いていたんだけど、そのうちに丹下の猫撫声を聴いているのがだんだん耐えがたくなってきた。
 それでも我慢して丹下の話を聴いていたのだが、いくら待っても僕等の提出した複数の準備書面の確認照合みたいなことばかり続けているので、このままじゃ第1回目の口頭弁論が簡単な顔見世と書類の確認だけで終わってしまう、と思った。
 だから、原告の僕等に対して気を使いまくっている丹下裁判長の書類確認の言葉が途切れたときを狙って、僕はこういってみた。

—――― いや、裁判長、そういった話もいいんですが、そろそろ石垣陽介の1818号判決中に書かれた108つの間違いと、彼が民事5部の森本清美書記官にやらせたとおぼしき裁判調書の改竄についてお話ししませんか?

 丹下友華の表情が、それと分かるくらいに一瞬でフリーズした。
 マスクに隠されていない顔の上半分だけでも、動揺しまくっているのがありありと見て取れる。

—――― いや、今日は、その件について話すのはやめましょう・・・。

 原告席左手のあかねさんが黙っていられなくなって、丹下の許可も得ずに声高に発言する。

—――― どうしてですか? 私たちが今回の訴訟を起こしたのは、そのためなんですよ。

 丹下友華 は落ちつかなげに上半身を左右にゆすりながら、こう続けた。

—――― そのことはもちろん承知しています。しかし、今日の第1回目の公判では、そのような審理よりもまずあなた方原告の方々の準備書面による主張と、原告側の
提出した証拠類の照合とを、まずは確認していくことから始めましょう・・・。

 といいながら裁判長席から左の被告席に何気に目線を振ってみせた。
 そこには坊主頭の40前後の男性と20代の男性が2人座っている。彼等が誰なのか僕は知っていたのだけど、そのひとたちは誰だとあえて聴いてみた。

—――― 被告指定の代理人です、と丹下友華は答えた。

 僕は、丹下の許可も求めず、直接被告席の坊主頭のほうの代理人に質問してみる。

—――― すると、あなた方は、検察の方ですか?

 おどおどと、いくらかキョドりながら、坊主頭の男性は答えた。 

—――― いや、検察の人間ではありません・・・国の、代理人です・・・。

—――― 頂いた答弁書を見ると、お2人の名の上段に 内田高城氏とある。あなたは 内田高城氏なんですか?

—――― そうです・・・。

—――― 失礼ですが、あなた方はどちらに所属されるひとなんでしょう? もし、あなた方が検察のひとでないならば?

—――― 裁判所の・・・所属の人間です。

—――― あれ、おかしいな。こういった裁判では、国家の代理人は第3者である検察から来られるものだと聴いていましたが。
          ( 心の声:代理人が検察じゃなくて裁判所の所属なら、これ、中立の第3者じゃないじゃん。仲間内裁きの仲間内弁護ってことやんか。てことは3権分立ちがうやん!)

—――― あの・・・質問がありましたら、書面にて、質問されてください・・・。

 と、どこまでも自信なさげな訥弁でぽつぽつと答える、裁判所所属の国選代理人の内田高城氏・・・。

 僕等の3333号の第1回口頭弁論は、こんな感じだった。
 僕等を懐柔しようとしてしそこなった 丹下友華 の苛立ちと、裁判所のどこ所属かも明らかにしない 内田高城氏 の自信なさげな寡黙ぶりばかりが印象に残った。


             < 令和4年(ワ)3333号 第2回口頭弁論の詳細 >

 僕等のR4年(ワ)3333号事件の第2回口頭弁論は、R4年の9月27日午後1:30、前回と同じ東京地裁の609号法廷にて開廷された。
 この日のポイントは、何よりも出廷してきた 丹下友華裁判官( 57期 )が開廷の挨拶を忘れていたことだ。
 裁判とは開廷前に原告、被告や、担当書記官、さらには弁護士( 注:僕等は本人訴訟のため弁護士はいなかった )などそこにいる全員が、裁判官入廷の際に一勢に起立して( 入廷してきた裁判官自身も含む )軽く礼をする、裁判上の儀式みたいなものだ。

 普通の裁判では法への敬愛を示すようなこの儀式を裁判官出廷のときに必ずやるのだけど、この日、丹下友華 はこの挨拶を完璧に失念していた。
 丹下友華が判事用の通路から現れて、担当書記官の田村直子
「 起立 」といういつもの礼の合図をやろうとする直前のタイミングで、被告席の 内田高城代理人 がすいと腰を浮かべて起立しかける。

 けれども、丹下友華裁判官は、田村書記官がいつもの起立礼をかける直前に、なんと裁判長席にすとんと着席してしまった。
 誰もが「 えっ? 」となる。
 けれども、田村書記官が「 起立!」を今更いいだせるような雰囲気でもない。
 そのときの丹下友華裁判官の顔はそのくらい険しいものだった。
 先回りして起立しかけていた 内田高城氏 もそのあたりの空気を察して、不審顔のまま、浮きかけの腰をもう1度被告席に落としてしまう。
 そのように不自然にささくれだったオープニングを合図に、僕等の3333号裁判の第2回口頭弁論は始まったのだ。

 第1回目の公判で僕等の準備書面と提出した証拠群の確認は終えたはずだから、僕等は遠慮なく 石垣陽介の「 108つの判決書の誤り 」と「 そのことを悟られないためになされたと思しき「 令和元年(ワ)1818号事件の裁判調書改竄 」について発言した。

  すると、大きなマスクに隠された 丹下友華裁判官 の美貌の顔面上半分が、これ以上はないくらいに歪むのだ。

—――― ちょっと待ってください・・・ちょっとそういう勝手な発言は慎んでください・・・やめて・・・!

 丹下のそんな不条理発言に切れたのか、隣席のあかねさんが声色がきつくなる。

—――― 謹んでってなんですか? 原告が主張することは審理しなくちゃいけないっていうのは、現代裁判の定理であり常識じゃないですか。それが裁判の「 弁論主義 」ってものでしょう?

—――― そうですよ。僕等は石垣陽介の「 膨大誤記 」と「 裁判調書改竄 」について訴えている。これが今日の公判のテーマです。これを発言するなとか、そういう審理を避けようとするのはおかしいし、そんなのを継続しようというのなら、これはもはや裁判なんかじゃない。

 僕の発言の終いが待ちきれないのか、僕の語尾に被せるように、あかねさんが続ける。

—――― わたしたち、先日の9月16日付け、そちらの被告指定代理人の 内田高城さん、吉木智宏さんら が提出された答弁書(1)というのを読んだんですけど、令和元年(ワ)第1818事件のさいたま地裁の法廷に、あなた、いらっしゃりませんでしたよねえ? だのになんだってそのとき石垣陽介裁判官は、原告が提出した準備書面の束を投げ出したりはしなかった ――― とかを、まるで見てきたかのようにいえるんです? それじゃあまるで創作じゃないですか。それに、法廷で「 改竄 」や「 石垣誤記 」を語るなってどういうことですか? それは裁判調書にそのことを書いて、あとから証拠にされたら困るからって意味じゃまさかないですよねえ? そういうのはおかしいと思います。

 内田高城は被告席で下を向いている、下を向いたまま、小さく呟くようにやっという。

—――― そんなようなことは・・・書面に書いて・・・やはり、こちらに提出してください・・・。

 その様子がなんだか卑屈で憐れっぽくもあって、僕等はちょっと引いた。
 丹下友華裁判官も汚いものでも見てるみたいな目で、彼のことをじーっと見てる。
 後味わるいことこの上なしの、僕等の3333号国家賠償事件の第2回口頭弁論はこのようにして終ったのだ。


             < 令和4年(ワ)3333号 第3回口頭弁論の詳細 >

 僕等のR4年(ワ)3333号事件の第3回口頭弁論は、年末の迫った11月21日 午後1:30、やはり東京地裁の609号法廷にて開廷された。
 この日は、被告席にお馴染みの 内田高城氏 の姿はなかった。
 彼の代わりに、もっと若い、イケメン風の好男子が座っていた。
 この11月27日の公判では、丹下友華は開廷時の挨拶を忘れなかった。
 法廷内の皆で起立して、軽く気持ちばかりの礼をして、無難に着席して、それから僕等の第3回目の口頭弁論が始まった。

 ただ、開廷時の挨拶こそ忘れなかったものの、丹下氏の精神状態は前回よりも悪化しているように見受けられた。
 マスクに覆われていない部分の両眼がきしきしと、なにか痛ましいくらいに尖っているのだ。
 こめかみ部分に時々刻まれるシワ一本一本の変容も、丹下友華が抱えているらしい神経の痛みを、口元の表情が窺えなくても充分に気取れるくらい僕等によく伝えた。
 正直いって、僕的にはこの日の口頭弁論が、3333号事件の公判のうちでいちばんきつかった。

 僕等は例によって丹下裁判官の許可も得ずに「 石垣陽介の膨大誤記 」「 1818の裁判調書改竄 」の話題を仕掛けて、焦りの色の濃い 丹下友華 がそのたびごとにそれ系の話題を「 それ 」と代名詞にいいかえて、

—――― ですから、その話題は書面にするようにって・・・何度もいっているじゃないですか・・・!

 と憔悴しながらいうのだ ――― それはほとんど押し殺した泣き声といっても通るような調子だった。
 事情を知らないひとが見たら、これは僕等による裁判官苛めとしか映らないかもしれない。
 
 でもね、これは丹下さんが悪いんだ。
 彼女は裁判官なんだから、僕等原告の提示する「 石垣誤記 」「 石垣&森本清美(?)の裁判調書改竄 」について僕等がいっている主張が真なのか偽なのか、確かめなくっちゃいけない。
 確かめるためには、当然、僕等との詳細な問答が必要だ。
 このためだけに1時間たっぷり喋っても、僕等は僕等が体感したままにコレを語りきるのは難しい、と思っている。
 なのに、丹下友華 は、異常なくらい法廷でそれが語られるのを恐れている。
 丹下友華は、恐らく「 公平に審理することを誰かから止められているんだ 」と僕等は感じた。
 審理を求める僕等と、審理をせずに審理をしたフリだけを記録に残そうと焦る丹下友華と ――― これじゃあ、裁判審理なんかまともに進むわけがない!

 僕等は次第に焦れてきて、それと同時に 丹下友華本人( 57期 )
もますます苦しげな様子を募らせていった。

 で、例によって不毛な石垣陽介の「 1818判決の108つの誤り 」「 1818事件の裁判調書の改竄事件 」について発言したのだけど、丹下友華( 57期 )は法廷内で絶対にその単語を口にしようとはしない。
 
 「 誤記 」「 改竄 」「 それ 」という代名詞にわざとらしく置き換えて、「 それ 」の審理は後程書面で ――― とくる。


 なぜか ―――?

 石垣1818号裁判の2審( 控訴 )を勤めた 高橋譲裁判官( 35期 )が、すでに控訴時点で石垣陽介の司法史上最大のミスだらけの判決を差し戻さず、そのまま石垣を擁護するかたちで終わらせてしまっていたからだ。

★ さらに念押しするならば、石垣陽介が1818の判決及びその裁判調書に残した証拠は、公文書のなかに残した証拠であるのだ。
 これは、法律的アングルで捉えるなら、刑法158条の「 偽公文書の作成、及び行使 」に当たる。
 これはれっきとして刑事罪であって、無期懲役 及び 3年以上の懲役が設けられているほどの重罪である。
   そして、この法律が厳正に運用されたなら、その張本人である 石垣陽介( 43期 )それの2を勤めた 高橋譲( 35期 )、さらには僕等がこれまで記事に挙げた 森本清美書記官、加藤俊輔書記官、丹下友華書記官、この案件について僕等が追及した3333号訴訟に関わった 丹下友華裁判官( 57期 )、田村直子書記官、内田高城氏 らは、すべてこの法律違反に該当することになる。

 僕等と対峙した裁判官、書記官らがことごとく平常心を失って、慌てふためき、おたついたのは、
当然だ。
 後に僕等はこの案件で刑事告訴をも試みたのだが、その窓口になった旭川警察も( 石垣陽介が僕等事件のあと、即座に旭川地家裁所長に左遷されたため )埼玉の浦和警察捜査2課知能犯罪課の刑事らも、僕等の提出した証拠群を見るなり、「 ああ、この裁判調書は明らかにコピペですね 」と即答したものだ。

 誰がどう見てもそれとしか見えない過ちを石垣陽介は犯し、それを庇おうとして司法組織が動いた。
 この時点で、石垣事件は「 石垣陽介という裁判官個人を超えた司法全体の問題 」となった。

 国家公務員には、不正を見つけたら「 告発 」しなければいけない ――― という厳正な法規がある。
 すなわち、石垣陽介事件に関わった司法関係書は、かたっぱしからこの規定も破っていったわけだ。

 手始めに、スターターであった「 石垣陽介( 43期 )」がまずこれを破り、

 1818号当時に彼の部署さいたま地裁の民亊5部にいた「 森本清美書記官 」も同時にこれを破り、

 その後の控訴審でもって東京高裁民事10部の総括判事をやっていた 高橋譲( 35期 )もこれを破り、

 当時彼の下についていた 加藤俊輔書記官 も高橋に共謀して同じくこれを破り、

 上記の争点を争う僕等のR4年(ワ)3333号やその他の関連訴訟が提起されると、高橋譲( 35期 )は、R5年10月19日の円満退官の道をわざわざ捨てて、R5年の3月12日にいきなり依願退官して、「社会保険審査会 」という厚生労働省の天下り先に逃げてしまい、

 さらに3333号の審理が実際に動きはじめると、今度はその1審の担当裁判である当の 丹下友華( 57期 )までが僕等の追及から ――― 見よ! またしても逃亡しようと謀っているというわけなのだ!


 ここまで酷いともう笑うしかないよ ――― ねえ、皆さん、ニッポンの司法は誰も彼もがこんな風な保身の病にかかっていて、法律を守るなんてどうでもいい些事だと思っているんだよ、冗談抜きの超マジで!!

 僕等の第3回口頭弁論で最後に印象に残っているのは、公判の終いのほうで 丹下友華裁判長( 57期 )が、被告席の被告指定代理人のひとりに( 注:繰り返しになるが、このとき常連の 内田高城氏はきていなかった )どうかもう1度あなた方の手で2番目の答弁書を書いてほしい、と懇願しているところだった。
 被告指定代理人は、1度はそれをしっかりと断っていたのだ。

—――― いえ、それはもう提出しましたし、今後また出すつもりはありません。

 しかし、なおしつこく 丹下友華 は喰い下がる。

—――― お願いします・・・答弁書(2)の提出をどうかもう1度お願いします・・・。

 それはどう見ても威厳のある裁判官の姿と呼べたものではなかった。立派なはずの法衣がホームレスの纏う古着のように見えた。
 被告指定代理人のふたりにしても戸惑いを隠せない様子だ。

—――― そこまでいわれるのでしたら・・・ええ、検討します・・・。

 雲の上の裁判官からそうまでいわれるなら仕方ないか、といった諦め色の濃い返答だった。
 ところがそうやって僕等・原告をおざなりにしていた 丹下友華裁判 が、そのとき急に僕等のほうを振り向いて、いきなりこう発言したのだ。

—――― あの・・・わたし・・・弁論主義は守ります!・・・守りますから・・・!

 その発声は公的なものというより、個人的な女の悲鳴のように聴こえた。
 僕等のR4年3333号の第3回口頭弁論はこれにて終わった。


             < 令和4年(ワ)3333号 第4回口頭弁論の詳細 >

 僕等のR4年(ワ)3333号事件の第2回口頭弁論は、年を越えた翌R5年の2月14日の聖バレンタインデイの午後1:30、同じ東京地裁の609号法廷にて開廷された。
 ただ、ここにはあえて特筆するようなことは、別に起こらなかった。
 丹下友華裁判官( 57期 )は以前にも増して憔悴していたし、前回の口頭弁論のときに自ら髪を振り乱していった「 わたしは弁論主義を守ります!」というセリフをもすっかり忘れているようだった。
 上から相当締めつけられた疲労の気配があった。
 でも、その点は僕等も同じだ。何度石垣の「 108つの誤記 」「 裁判調書の改竄 」の話をしても「 いや、それはちょっと・・・」といって逃げられてしまうし、そもそも裁判長自身に審理しようという姿勢が塵ほどもないのだからどうしようもない。

 ただ、いよいよ結審というときになって僕はいった。

—――― あのね、丹下さん、いまから僕がいうことを今日の裁判調書に書いてください。

—――― はあ、なにをですか・・・?

—――― 別にそれくらいいいでしょう? そもそもそちらさん全員がグルになって審理自体してくれないんだから。いいですか、いいますよ、田村さん?

 ( 慌てて書記官席でペンを用意する田村直子書記官 )
 
―――― 司法には自浄作用がない。今回の訴訟でそのことがよく分かった・・・。いいですか?

—――― あ。すみません・・・じじょうさようっていうのはどんな字ですか・・・? とキョドりながら田村書記官が問う。

—――― 自ら浄化するの自浄、ですよ。自は自動車の自。浄は浄化槽の浄・・・

—――― 分かりました。で・・・司法には自浄作用がない、今回の訴訟でそのことがよく分かった、でしたっけ・・・?

—――― そうそう、書きながらあなたも本当は分かっているんでしょう? 自分たちがしてるのが冗談事じゃない誤魔化しなんだって・・・?

—――― ・・・そのことがよく分かりましたまで、書けました。次は・・・?

—――― 丹下裁判官は審理するといっておきながら、れっきとした公文書に残された石垣陽介判決の誤記群の証拠をいっかな検討しようとはしない・・・

—――― 裁判官の個人名は・・・ちょっと書けません。
丹下裁判から丹下を外してもいいですか・・・?

—――― ああ、ならただの裁判官でいいよ・・・。れっきとした公文書に残された石垣陽介判決の誤記群の証拠をいっかな検討しようとはしない・・・は、いけてます・・・?

—――― ・・・はい、いっかな検討しようとしない、でしたね・・・?

—―――  書けました? じゃあ、それでいいや・・・

 僕等最後の口頭弁論はそれで終了 ――― 結審となった。

 

             < 令和4年(ワ)3333号国家賠償事件の1審判決の詳細 >

 僕等のR4年(ワ)3333号国家賠償事件の第1審の判決は、R5年の3月28日 午後1:10、東京地裁の609号法廷で発表された。
 原告パートナーであるあかねさんは都合がわるく、今回は不参加。
 僕にしても普段なら判決だけのために裁判所に出頭するなんてことは滅多にないのだけど、この日は珍しく東京地裁まで出向いてみることにした。
 丹下友華( 57期 )が公判のたびにやつれていく様子が尋常じゃなかったことが気にかかっていたためだ。
 僕は、3333号の一審判決を書いた直後の 丹下友華 が見たかった。
 ほとんどそのためだけに東京地裁まで出かけたのだ。

 僕は判決公示の15分前に609号法廷に入った。
 12時の50分頃だ。法廷の鍵は解錠されていて、なかには3333号担当の 田村書記官 ひとりしかいなかった。
 この日は判決なので、卑屈ポーズが鬱陶しい、あの被告代理人の 内田高城氏 もきていない。
 ほかに誰もきていないんで、僕は田村さんに話しかけることにした。

—――― ああ、田村さん、お疲れさまです。

—――― お疲れさまです、と田村さんも礼を返してきてくれて。

—――― あの・・・この際だから聴いてもいいですか? 丹下友華の友華は、トモカって読むんでしょうか? それともユカと読むのが正しいんでしょうか?

—――― あ。トモカです。

 と田村さんはニコニコしてすぐ答えた。どうやら田村さんは丹下裁判官が嫌いらしい。

 判決の5分前になってやっと 丹下友華( 57期 )の登場。
 裁判長席は法廷の奥側にあり、その正面の表扉の上に時計があるのだが、丹下友華は入廷した瞬間から一心にそこだけを見つめていた。
 彼女から向かって左の僕のいる原告席近辺の空間には、一瞥もくれない。
 視線を法廷正面の時計にだけ固定して、丹下友華は、裁判長席に着席した。
 そのまま彼女は微動だにしない、時計の針の動きだけをただひたすら見つめている。
 やっぱりやつれている。
 前回のとき以上に緊迫した気配が伝わってくる。
 時計の秒針が進むのがやたらに遅い。
 そして時計の針が1:10を差したとき、時間になりましたので開廷します、と丹下がいった。
 
 3333号の1審判決は棄却であった ―――。

 裁判長退廷。丹下は原告席に一瞥もくれず、僕ももちろん礼などしない。
 法廷の残ったのは、原告の僕と、まだそこにいて書類をいじっている田村書記官だけだ。
 いい機会なのでで、僕は田村さんへ伝言を頼むことにした。

—――― あの、田村さん、済まないんですけど、ひとつ丹下友華に伝言を頼まれてもらってもいいですか?

—――― はい、いいですよ・・・どうぞ。

—――― 恥を知れ、と飯田がいっていたと、どうかお伝えください。

—――― 恥を知れ、ですね。分かりました・・・必ず伝えます。


 いいながら 田村直子書記官は花のように笑った ―――。


             ✖             ✖             ✖             ✖             



★ 僕等のR4年(ワ)3333号の1審判決が出たのは、R5年の3月28日だった。
 そして、この28日の3日後である3月31日に、丹下友華裁判官( 57期 )の異動が急遽決定した。
 最高裁による人事決定である。
 ぶっちゃけ「 左遷 」だよね、これは ――― どっからどう見ても!(笑)




 しかも、これは丹下友華だけに限った話じゃない。
 僕等が石垣関連の別訴訟を展開していた、R4年(ワ)21202号担当の 佐藤彩香裁判官 もこの同日、急な異動が決定している。
 彩香氏の場合は丹下友華よほど急で、21202号の判決公示は、R5年の3月30日であった。
 つまり、21202号の判決を出したわずか1日後に、佐藤彩香裁判官の異動も決定したことになる。
 しかも、丹下友華は現役裁判官から 司法研教官 へ、佐藤彩香も現役裁判官から離れた 最高裁秘書課参事官 というスポイル配材だ。
 
 この人事を左遷と取らないような社会人は、恐らくどこにも存在しないであろう。

注: この佐藤彩香左遷直後の2023年5月10日。僕はひとりで最高裁を訪ね、秘書課のいずみさんという方と直接話したんだけど、彼女によると、

—――― えっ。秘書課の参事官に佐藤彩香なんてひとはいませんよ!

 ということだ。司法の闇の深さを象徴するエピソードだわ、これも。

💎 予告なしで最高裁にいったら、なんと僕等の抗議文書を秘書課で直接受けとってくれたので驚いた話( 石垣陽介調書改竄事件 )


 

 

 僕がこの人事決定に対して怒りを覚えるのは当然だ。
 僕等の対司法裁判に対して、司法は、家裁で地道に努力してそのキャリアを築いてきた 丹下友華裁判官( 57期 )と、佐藤彩香裁判官( 59期 )とを当てたのだ。
 30代、40代のバリバリ現役である男性裁判官はあえて外して、男社会で懸命に頑張っている、彼女らを対マイケル訴訟の最前線要員として配置した。
 そして、これはヤバすぎの物件だから、僕等の訴訟を凌いだ後で、不条理すぎる審理をした( させた?)彼女らには、踏んばって傷ついたこれまでのキャリアごと消えてもらう ――― それはJ・F・ケネディ大統領暗殺事件でいうなら、ずばりオズワルドの役だ。ケネディ大統領の暗殺者として捕われて、その後ジャック・ルーピーに射殺されてしまった、可哀想なオズワルド!

 なんて見事な使い捨て作戦だろう!
 女性裁判官を僕等戦線への「 捨て駒 」としてあえて配置し、僕等攻撃を凌ぎ終えたら、彼女らはお役目御免、バッサリと切って捨てる。
 完璧、彼女らは鉄砲玉役 ――― そして、この作戦の絵を画いた連中は、江戸城の奥でのうのうと薄ら笑いを浮かべて、高級革椅子で無事安泰といった構造だ。
 うん、細心で、合理的で、無慈悲で、迷宮入りも確実 ――― さらにはいかにもな小心さも香る、誰も責任を負わずにすり抜けらるようにうま~く設計された、嫌らしいほどの人事マキャベリズムだというしかないわ。
 そして、そのような官の男権社会のなかで振られた丹下友華や佐藤彩香らの役は、まるで古( いにしえ )の生贄か人柱そのものじゃないか ―――!

 そう、彼女らは司法の兵隊さんだ。
 上の裁量でいつ「 自分 」に 死亡フラグ が立てられるかも分からない兵隊さんだ。
 石垣戦争の前線に駆りだされて、撃ちたくもない鉄砲をしょわされて、やりたくもない石垣線を守るよう命じられ、なんとか前線を死守はできたのだけど、あー、君等の死守方はいささか不法なものであったねえ、と戦後になってからいわれ、それまでのキャリアを全て剥奪され、中央の裁判官という花舞台か遠去けられてしまう。

 僕等の3333号は今年、最高裁までいったが、そこで負けた。
 正直めげるほど落ちこんだが、僕等はまだやめない。
 というより、僕等は今や歴史のためにこれを残すのだ。
 いまだ見たことのない「 正義 」の祭壇に捧げるため、僕等は僕等が体験した対司法戦の記録をここに残す。

 佐藤彩香が担当させられた悪夢のようなR4年(ワ)21202訴訟については、次章に書く。 
 
 今日の僕記事は以上だ ――― お休みなさい。 (了)



 
 


 

カッ飛べ! これが石垣誤記だ(# ゚Д゚)









 また翔べ! これが石垣調書改竄だΣ(・□・;)















★ 石垣さんも丹下さんも裁判官なんだから、地裁隣りの法務省赤レンガ棟を入って右手の「 越前碑 」を

参拝したことがあるはずです。そのときの自分の初心を思い出してほしい。あなた方はあの頃の自分に
いま向きあうことができますか? 目を反らさずに微笑みかけることができますか? そのへんのこと
をいっぺんよく考えてみてください。





 

 


💎 司法をめぐる冒険 ーPART 1( 石垣陽介誤記&調書改竄事件、その隠蔽工作の歴史総括 )

2024-07-16 21:53:14 | 石垣陽介




 

 石垣陽介事件( 43期・現仙台高裁民事1部、前旭川地家裁所長 )の本質というのは、ひとつしかない。
 
—――― さいたま地裁民事5部時代に石垣陽介判事がやらかした空前の大量ミス、このあってはならない不祥事を司法の歴史から抹殺せよ!

 ズバリ、これだけだ。
 星新一が著書「 人民は弱し 官吏は強し 」のなかで、日本有数の製薬会社であった星製薬を潰すべく動いた官の横暴について書き残しているが ――― 星新一は星製薬創業者社長の実子であった ――― あれはフィクションじゃない。
 僕等もあれと全くおなじことを体験した。
 その気になれば、官とはなんでもやれる存在なのだ。
 今回は、僕等の事件追及を参考にしたいひとにも、これの後につづきたいひとのためにも、裁判官、書記官、事務官の名もすべて実名で、僕等の体験した「 司法という軍隊 」の内幕について、具体的に、順を追って語っていくことにしよう。


始まりは某カルト団体による集団スラップ訴訟、それにまつわる さいたま地裁庁舎内への警察突入事件 だった ( R元年10.11. 午後01時01分 )

 当時、僕はバトっていた某カルト団体から集団訴訟を受けていて、その3件目のH31年(ワ)633号の結審直後に、このカルト組織のメンバー7人から、僕は、さいたま地裁1Fロビーにて集団待伏せを受けた。僕の携帯にも同時進行で彼等からの脅迫メールが届くという、これ、完璧な脅迫案件だった。某団体という危険な集団絡みの案件( この団体はかつて不正選挙裁判という名目で東京地裁内に200名近い人間を集め、騒動を起こした前科があった )だということで、この裁判には制服組の特別警備が十数名、さらには原告、被告、傍聴人のすべての財布の中まで点検するという念の入った手荷物検査が実施されるものだった。
 そのようななかでこの事件は起こり、僕は110番し、さいたま地裁庁舎内に浦和警察の猛者らが派手に臨場したのだ。

 この待伏せ人のメンバーには、最初に僕を訴えた人間も、2番手3番手で僕を訴えた人間も皆含まれていた。
 これは集団訴訟の何よりの証拠だろう。

 次に僕等が別訴として初めて自分たちからカルト組織を提訴したR元年(ワ)1818号事件で、僕等はさいたま地裁民事5部の石垣陽介裁判官( 43期 )に、法廷内でその事実を述べた。
 準備書面でもはっきりとそう書いた。けれども、石垣陽介は、その「 事実 」を認めなかったのだ。


 
 
 H31年3月20日には、東京家裁で離婚調停中の女性が、家裁玄関前で米国人の夫により刺殺される事件が起こっている。
 この案件で神経質になっていたさいたま地裁が、僕等関連の危険な裁判で起こったこのような案件を隠したかった、という気持ちは分かる ――― 人情として、体裁として。

 でも、実際にR元年の10月11日PM1:01 ――― 浦和警察の生活安全課の面々は、たしかに地裁内に臨場していたのである。

 これほどあからさまな事実を否定するのは、現在の旭川警察が殺人犯女性と不倫していた同署刑事の存在を隠蔽するのと等しい。
 しかも、法律運営の要ともいえる、さいたま地裁がまさかこんな無法なことをやらかすなんて・・・

 法律家が法律を遵守しないで、身内組織の安泰を何より重視するってどういうことよ!?

 だが、これにはまだまだ恐ろしい続きがあるのだ。
「 実際に警察が裁判所内を臨場した 」にも関わらず、これを「 原告飯田( 注:僕のこと )が通報したことを記録しているだけである 」とした石垣陽介が、僕は許せなかった。
   通報がなされたということを石垣が認めたのは、僕が実際に110番通報した携帯画像を証拠として提出していたからだ。
 要は、僕がそのとき110番通報した、ということだけは認めざるを得なかった。証拠があったから。
 だけど、警察が臨場したという証拠はない ――― 石垣は、そこに賭けたのだろう。

   石垣は、僕等が控訴しないほうに賭けた。
  
僕等が呆れて訴訟を投げ出すほうに賭けた。
 根拠がなく、賭け率も低い、身内庇いのリスクだけが加算される、みっともない損な賭けだ。
 だって、浦和警察の生活安全課の人間は間違いなく臨場したのだから。多くの書記官も事務官もそれを見ているし( 志儀書記官、御手洗書記官ほか )、他にも多くの関係者が警察に話を聴かれてもいた。
 それであるにも関わらず「 原告飯田が通報したことを記録しているだけ( 注:電話はしたが警察は臨場しなかったという意。苦しすぎる )」とした、石垣陽介の上の判決部分を見られたい。
 
 なんという御都合主義!
 そして、真相丸まる分かりの、稚拙極まるウソ!
 ここまで事実をゆがめた権力の走狗と成り下がった石垣陽介に、僕は言葉を失った。

 だって、石垣は、法曹の体面と自分の判事キャリアの安泰のためだけに、事実を曲げ、そのために法律を使ったのだから。

 もちろん許せるわけがない。
 てか、許してはいけない ――― 彼が行ったのは「 犯罪 」なのだ。
 責任ある判事がこのようなことをするのは、僕等の訴訟する権利を踏みにじるだけでなく、民主主義国家の理念に対する叛逆とさえいえる。
 当然、僕は控訴した ――― 今度は埼玉県警察本部 けいさつ情報公開センターから取った、警察臨場のれっきとした証拠 を突きつけて。






② すると、2審( 控訴審 )東京高裁民事10部総括の 高橋譲裁判長 ( 35期 )
がまっ青に・・・





 この控訴を担当したのは、当時東京高裁民事10部の総括裁判官であった 高橋譲( 35期 )であった。
 この控訴審は令和3年の2月19日に開廷したのだが、なんとこのとき 高橋譲は30分も出廷に遅刻してきた!
 このときの担当書記官であった 加藤俊輔 がこれ以上ないほど動揺して、「 どうしたんだろう、どうしたんだろう・・・」と口にして、やたらと法廷内を歩きまわっていたのがどうにも忘れられない。
 
   でも、これは異常に動揺する加藤俊輔のほうが正しいのであって、裁判官の出廷の遅刻などというものは、本来は即報道に値する特大ネタなのだ
 このことが報道されなかったのは、僕等の裁判が弁護士を伴わない本人訴訟であったからに過ぎない。
 要するに僕等は舐められ、軽んじられたわけだ ――― 弁護士をつける金もない貧乏原告( 注:この場合は正確には「 控訴人 」という )なのだから、こんな扱いでもいいか、といったあたりであろうか。実に笑える。
 
 開廷から30分後に遅刻出廷してきた高橋譲は、その手に赤や青や黄の付箋をいっぱいに貼りつけた石垣判決を持ってきていた。
 石垣と高橋は東京地裁と高裁に同日に人事異動してきたこともある仲である。恐らくは石垣本人から前もって、ねえ、高橋さん、1818号でちょっと私ミスってしまったんで、済みませんが今度の控訴( 僕等の控訴。令和2年(ワ)3515号 のこと )ではご苦労をかけますが、そのへんよろしくお願いします、みたいなことをいわれていたのだろう。東京高裁民事10部の総括判事として多忙な高橋は、恐らく当日に石垣の1818の判決書面を流し見して仰天したのだ。

 それはちょっとどころではない、司法史上初といっていいほどの空前の大ミスに溢れかえっていたからだ。

 高橋は、この日、原告席の僕等( 僕とあかねさん )に対して、異様に寛大で、低姿勢だった。
 集団スラップ訴訟の仕掛人である被告席の人間らには目もくれず、高橋は原告席( 控訴人席 )の僕等に自由気ままに喋らせた。
 なんと30分以上も喋らせたのだ。
 あれは完全なガス抜きだった、といまになってみると僕等は思う。
 高橋が1818号の石垣判決に貼っていた色とりどりの付箋は、石垣ミスのチェックの印だったのである。
 高橋譲は聡明な、頭の切れる男だ。控訴審の直前に石垣のあれほどの膨大ミスを発見してしまい、当然迷ったと思う。

—――― どうするんだ、これ? 差し戻すべきか・・・それともこのまま石垣を庇って、こいつら控訴人の意向を無視して突き進むべきなのか・・・?



 

 控訴判決の申し渡しは5月11日だった。結審から判決まで3か月弱かかった勘定になる。
 結果は、もちろん僕等訴えの棄却であった。
 判決の直後、僕は担当書記官の 加藤俊輔 に詰め寄った。
 すると、僕が口をひらくより先に加藤がいった。

—――― なんですか、上告ですか?

—――― いや、国家賠償です。こんなポンコツの石垣判決を支持する控訴審なんて僕は認めない。ただ、国家賠償のやりかたが分からない。加藤さん、そのへんのやりかたを教えてもらえませんか。

 あらかじめ用意していた台詞をいうみたいな棒読み口調で、加藤俊輔 はこう答えた。

—――― 知りませんね・・・弁護士にでも聴いたらどうですか。


 高橋譲の控訴(2審 )判決は全部で30Pもあるものであり、とても法廷内で読み切れるような規模のものではなかった。
 だから、僕等は裁判所から出て、その後でこの高橋判決を読んだことになるのだが、そのときは心底びっくりしたものだ。
 高橋は石垣判決のなかのミスを詳細にいちいち訂正しており、その数は全部でなんと70か処にも及んでいた。
 もちろん、石垣判決の要のひとつであった「 原告飯田が通報したことを記録しているだけ 」の部分も「 警察はきた 」とちゃんと改められていた。
 まさか警察の情報公開でもって、警察臨場の事実が証明されるとは高橋も思ってなかったのであろう。

 だから、変えた。
 証拠を出されて仕方なく変えた。
 けれども、間違った判決を意図的につくった、同僚の1818号の裁判官・石垣陽介がついたウソに対する謝罪は、なかった。
 僕等が石垣陽介に対する国家賠償を正式に考えたのは、このときだ。

 それまでの僕等の敵は、あくまで僕に執拗な名誉毀損のスラップ訴訟を連続して仕掛けてくる、カルトな相手方であった。
 でも、このとき ――― そんなどうでもいい泡沫敵の存在は、僕のなかから完全に消し飛んだ。
 もっととんでもない、理不尽で狡くて、芯の部分は小心で、なのに傲慢つくな巨大な敵がここにいたじゃないか。

 僕等の空になった標的に、カルトと入れちがいに表れてきたニューターゲット ――― それが、司法だった 。


 まあ、こうした能書きを述べるのも悪くはないけど、このあたりでそろそろ厳粛たる事実に語りはじめてもらおうか。
 高橋譲 のR2年(ネ)3515号( R元年(ワ)1818号の控訴 )の、問題の実物判決が以下である ―――













 高橋譲のこの控訴判決は、同僚裁判官・石垣陽介の判決書内の過ちを( 数にして70!)裁判所自らが認めたという意味において、非常に画期的なものだ。
 短時間でこれだけの数の石垣誤記を見つけ訂正した高橋の手腕はさすがといってもいいものではあるが、これだけの「 過ち 」に溢れる原判決を差し戻さなかったという 高橋自身の判断といったものは、司法側のアングルからしていかがなものであろうか?

 前掲した2024年5月、名古屋地裁が「 裁判官の押印が抜けていた事件を 審理が完成していないとして差し戻した案件 」と対比して見られたい。
 どちらが国家の法曹組織としてふさわしいものであるか、5歳児の子供に尋ねても分かるであろう。

 石垣陽介は、PCのこともネットのこともSNSのことも、まるで知らなかった。
 欧米各国でポピュラーなものとなり、すでに幾国かでは法制化されている「 集団によるスラップ訴訟 」についても何も知らなかった。
 裁判所ではいま現在も世紀末の一太郎を使いつづけており、AIやネットの事情に疎すぎる人材があまりにも多い。
 633号の担当裁判官であった 斎藤清文 は、ブログという存在についてまるきりの無知で、ブログにコメントするという行為を、いくら法廷で説明してみても全く理解した様子がなく、審理の間中僕にむかって罵言を投げつづける傍聴席のカルトチームの行為も放置した。( 記事冒頭フォトの一番下方の男性裁判官 )
  

 石垣陽介の裁判調書を改竄したとおぼしい、さいたま地裁民事5部の 森本清美書記官( 石垣1818訴訟時に石垣のパートナーだった担当書記官 )も、石垣同様にスラップ訴訟という言葉を知らなかった。
 下記は、R元年(ワ)1818号の第3回目の口頭弁論の裁判調書だが、担当書記官であった森本も、欧米のスラップ訴訟という概念を知らなかったらしい。
 中央下のあたりで「 ステップ訴訟 」という意味フな単語を唐突に記入しているのが分かる。
 僕等の裁判中のジレンマと齟齬感がどんなものであったのか、これだけでも分かるひとには分かってもらえるのではないだろうか。
 なんというか、現代とテクノロジーの全くちがう戦前の裁判所で、前近代の知識しかない裁判官にアナクロ審理されているような感触なのだ。




 さて、高橋譲( 35期 )は控訴審において、前審の石垣陽介の判決中の誤りを認めた。
 が、彼は、その70もの間違いが、判決自体の価値を損なうものだとは全く考えなかった。

 つまり高橋は、たとえ70箇所の過ちがあっても、実際にさいたま地裁内に警察が臨場したのに石垣がそれを認めず、あえて裁判所の対面を保つために「 原告飯田が通報したことを記録しているだけ 」と子供理屈みたいな隠蔽のためのウソを意図的に書いたことも、審理本来の本質には関係ないといいきってしまったわけだ。

 高橋譲の2審判決を読んで、ああ、そういえば石垣1818号原判決には、あ、ここ間違ってる、あ、ここも原告と被告を取りちがえてる、みたいな箇所が結構あったよなあ ――― と僕等はもう1度そこで、見るのも厭だった1818号の負け判決を、入念に2人で見直してみた。

 そしたらね、70どころじゃなかった ――― 108つ、石垣陽介の判決書には、なんと108箇所もの間違いと事実誤認があったんだ。

 もう吹っ飛んだね。
 裁判判決というのは公文書 だ。
 これほど恥の塊みたいな誤りだらけのダメ文書を公文書として押し通すなんて、マジで正気の沙汰じゃない。

 これは、はっきりいって 背筋が凍るほど恐ろしいこと なのだが、読者のあなたはどう感じられるのだろうか。
 法律家である石垣陽介と高橋譲は、僕に対する多数の集団スラップ訴訟( 名誉毀損事件 )について審理しているはずなのに、実際の警察臨場に対して言及するとなると、これが異常といっていいほど歯切れがわるい。
 物々しい制服組の特別警備がついている裁判所内において、脅迫を伴う多数による僕ひとりへの待伏せ行為が行われたのだ。
 普通に考えてこれは脅迫行為であろう。

 そう取らなかったのは、裁判所の汚名とスキャンダルとを恐れた裁判所の意図的な戦略だ。
 この待伏せによる警察臨場が実際にあったということを知悉していたのにも関わらず、石垣陽介はそれを「 飯田が110番したことをだけ 」というテキトー語ひとつで誤魔化し通すことを決め、自らの過ちを隠蔽すると同時に、裁判所という大きな権威に媚びたのだ・・・。



                 


 2023年、僕に対する集団スラップ訴訟はまだ続いていたが、僕等はずっと考えていた< 石垣ー高橋の誤記問題 >にけじめをつけるため、2024年の初頭に

 ★ 令和4年(ワ)3333号国家賠償事件

 を提訴した。

 訴状と証拠を提出して印紙代を払うと事件番号が決定されるのであるが、僕はこの事件番号にまずびっくりした。
 前の1818号もなにやら意味深だったが、今度のはなにせ3333号だ ――― ゾロ目もゾロ目、フィーバーじゃんか、これって!
 
 僕等の3333号国家賠償事件の第1回目の口頭弁論は、2022年の6月21日、東京地裁の609号法廷で、13:30に開廷された。
 この事件を担当した 丹下友華裁判官についても語りたいことは多くあるのだが、それは
次回の PART 2 「 石垣陽介事件の隠蔽を働いた裁判官と書記官たち 」にまわすことにして、何をさしおいてもいわなくちゃいけないのは、僕等のこのR4年(ワ)3333号が実際に東京地裁で動き始めてからの、石垣陽介裁判官と高橋譲裁判官の処遇であろう。

 石垣陽介は僕等の3333号が始動したこの年の10月25日、同年の4月1日に古巣のさいたま地裁民亊5部から東京高裁民事23部に異動してきてからまだ半年と24日しか経っていないのにも関わらず、なんといきなり北海道最北端の旭川地家裁所長へと左遷になったのだ。






 さらに、なんと石垣陽介事件の2審を勤めた、あの高橋譲までがこうだ ―――!





 あの高橋譲 ――― 僕等の3333号訴訟が東京地裁で始動しはじめてから、わずか2か月あまりしか経っていないのに、自ら依願退官していたのだ!

 栄誉ある円満退官まであとわずか10か月ばかりしか残していなかったというのに、こんな半端な時期に、一体なぜ・・・?

 

 石垣事件の最重要関係者が、わずか半年ほどの短期間のうちに、裁判官という表舞台から消えたのだ。

    そして、高橋は彼のキャリアからすると最上とはいいかねる、上記の天下り先に緊急避難していたのである。


 これだけでもこの法曹事件が並の規模のものではない、といったことが誰にでも理解できることと思う。
 しかし、次号の PART 2 はもっと凄い。
 次号で扱うのは、その後の僕等事件に関連した、裁判官たちの菅原道真公的な悲喜こもごもな左遷ストーリーだ。

 今回の僕記事はここまで ――― お休みなさい。 ( 了 )
 

 


 

カッ飛べ! これが石垣誤記だ(# ゚Д゚)









 また翔べ! これが石垣調書改竄だΣ(・□・;)















★ 石垣さんも丹下さんも裁判官なんだから、地裁隣りの法務省赤レンガ棟を入って右手の「 越前碑 」を

参拝したことがあるはずです。そのときの自分の初心を思い出してほしい。あなた方はあの頃の自分に
いま向きあうことができますか? 目を反らさずに微笑みかけることができますか? そのへんのこと
をいっぺんよく考えてみてください。








 

 


💎 石垣事件の最高裁判決やっぱ棄却 ―― 大笑いだぜ、 Ugly law house!(笑)

2024-06-28 23:08:18 | 石垣陽介

< 最高裁 第一小法廷 西田三佐子書記官への電話 >



 Hello、マイケルです ―――。
 まる2年かけて僕等が追いつづけていた、「 石垣陽介の108つの誤記と裁判調書改竄事件 」が、この6月13日に
最高裁で棄却となりました。
 つまりは「 負け 」ですわ。
 予想はしていたんだけど、なぜだか笑ったー! こうまでして隠し通すとはね~(笑)
 ただ、これ、「 偽公文書の作成及び行使 」についての事件ですからね。石垣裁判官( 彼、このミスでさいたま地裁民事5部から旭川地家裁所長に13か月左遷を喰らってます )のギガミスを庇った、他裁判官も皆この「 石垣隠蔽事件の共犯者 」なのであります。





 

 僕等の3333号事件を担当した1審の裁判官は丹下友華であり、1審の判決後、彼女は現役裁判官から司法研教官へと左遷されてます。
 平行裁判21202で僕等に判決日も告げずに法廷から逃げた佐藤彩香は、判決の2日後、最高裁の参事官に左遷、そして、石垣事件前身の令和2年(ワ)1818号の2審を担当した高橋譲高裁総括判事も、めでたい円満定年まであと7か月だというのに、僕等の3333号国家賠償訴訟が提起されるやいなや、高裁から逃げるように自主退官して、手近な天下り先にこっそりと逃げやがりました。








 実は「 偽公文書の作成及び行使 」というのは、10年までの懲役刑が課せられている、大変な重罪なんですよ。
 時効もロングの7年ときた。もうヤバイもヤバイ。法曹人としてそのことを知らないひとはいない。
 痴漢とかの誰でも厭うような不祥事ならば、個々裁判官のそれぞれの人格のせいにして、司法組織の威厳と信用は損ねないで済む。
 でも、僕等の石垣事件に関しては、そうじゃない。
 彼の「 膨大誤記 」「 裁判調書改竄 」は、それくらい破格の水爆級のものであったといえましょう。
 
 そして、この事件には、複数の裁判官や書記官やらがやたら関連しております。
 もう彼個人の範疇を悠々超えてきちゃったんですね。
 633号の2審の高橋譲が633判決の石垣誤記をささーっと勝手に修正して、しかも、それを差し戻すこともしないで通しちゃったもんだから、その刹那からこの案件は「 石垣陽介個人のミス 」じゃなくて「 関連した裁判官と書記官全員に関わる超・危ないパニック案件 」へと姿を変えた。

 ですから、僕等と対峙するどの裁判官も、みんな蒼白顔で出向いてくるほど必死でした。
 皆さん全員、合戦場に向かうむかしの足軽みたいだったよ、マジで。
 3333号の国の代理人・内田高城氏なんて、高裁の待合室で僕等と偶然すれ違った際、あかねさんが「 こんにちは~ 」って挨拶したら、びっくりして飛び上がってたもんなあ(笑)

 あれにはこっちもびっくりしたよ~、うん(笑)




 
 僕等が「 誤記 」と「 裁判調書改竄 」について訴えているのに、どの裁判官もどういうわけか「 誤記 」についても「 裁判調書の改竄 」についても、とうとう誰ひとり法廷内で口にすることはなかったんですよ、これが。

 超・異常すぎ! これはつまり、原告の提示に全く触れない「 審理不尽 」であり「 弁論主義の違反 」でもあったのです。
 
 これは、いうまでもなく異常な行為であり、異常すぎる作戦でもあります。
 石垣クンのメガミスがあまりに凄まじかったから、そうでもするより仕方なかったんだろうな。
 けれども、< 法廷で審理しなければ、その事件は存在しなくなる作戦 >とでもいうあなたがたが取った作戦はさ、まずかったよ、やっぱ。
 
 だって、あれら、裁判じゃなくて魔術 だもん(笑)

 いまはいいよ。僕等の訴訟を力技で退け、あんたがたは今ようやくホッとできているのかもしれない。
 でもさあ、歴史ってのはそんなに甘くないからさ。
 十年経ってから復讐してくることなんかもよくあるし、ね。
 たとえばこれ、僕等の令和4年(ワ)3333号の第1審の判決なんだけどさ、よ~く見てごらんよ。
 書いたのは、この判決後1週間で東京地裁判事から司法研教官に急速左遷で流されちゃった丹下友華なんだけど、スゲーよ、これ ―――




   はは~ん、108つの石垣誤記に関する細分表は、僕等出してたじゃん!?
 ニッポン司法ってここまで〇〇なのかって、これ読んだとき僕等は思ったよ。
 なんだったら、ここで全部の誤記をいちいち説明してあげましょうかあ? というと、いやいや、それはやめてくれ、と萎む友華ちゃん 💔

 なんか、これまで僕等が法廷で対峙した陰謀論者たちみたいだったよ。
 最高学府を出た( 注:いま現在の裁判官は最高学府出じゃないひとが多い。最高学府卒が多いのは弁護士かな? )あなたがたが、ニッポンカーストの裾野の彼等と瓜二つに見えた ――― あのときは・・・。

 でも、彩香ちゃんの過ちは、こんなもんじゃなかった。

 



 あのさ、裁判調書改竄っていうのは、僕等、以下の3枚のことをいってるの ―――!








 令和元年(ワ)第633号事件の裁判調書。
 石垣陽介が超しくじりをやったときの、この裁判調書3部をごらんってば。
 第1回目と第2回目の裁判調書は、さいたま地裁民事5部の佐々木智穂書記官が担当した。
 で、3回目からが民事5部に新たにやってきた、森本清美書記官の担当さね。

 でさ、なんで佐々木智穂さんが作ったはずの第2回目の裁判調書の書式が、第3回目から担当した森本清美さんのとクリソツ100%なわけ?

 というより、同一人物( 佐々木智穂 ) が作ったはずの第1回目の裁判調書と第2回目の裁判調書の書式が、なんで全然ちがう形式で書かれているわけ?

 こんなん、後任できた森本清美書記官が書き変えたに決まってるやん!( 注:司法ではいまだに一太郎を使用しており、裁判調書の書式は個々で作るのです )

 僕等、去年の夏にこれを刑事事件にしようと思って、浦和署の捜査二課、知能犯罪課の刑事さんらのところにこれ持っていって見せたのよ。

 その前年の冬には、旭川署の知能犯罪課の刑事さんにも、同じようにこれを見せてたの。

 彼等全員、なんていったと思う?


—――― ああ、これは、コピペですね・・・?


 全員が全員、迷いもなくそういったのよ。
 誰が見たってそう思うよ。
 それを3333の丹下友華は、なに世迷言吹いてんのよ!?

「 108つの誤記は多いとはいえない 」
「 別々の書記官が何も先入観を持たずに担当口頭弁論の調書を書いた場合、その書式が全き同一になるのは、よくあることだ 」ですって~?

 はーっ!?
 これだけの同一が偶然起きる確率って、千分の一以下だよ。
 森本書記官が石垣裁判官の指示を受けて、第2回目の佐々木智穂の口頭弁論調書を改竄した、とするほうがよっぽど自然じゃないの~?




 マジ、狂った裁判続きだったよ、石垣陽介の誤記 & 改竄裁判は・・・。

 けど、僕等は負けたなんて思っちゃいませんよ!
 これは、司法史において、あの袴田事件や大田原工業の事件にも連なる、悪夢のような国家的事件です。
 僕的には、これ、戦後最大クラスの超・事件だと思ってる。
 現実の手続き事件としては、僕等は負けた。けれど、僕等は諦めない。
 BBCにも、他機関にも、この司法の、戦後最大の汚辱事件について迫っていきたいと考えたりしています。

 今夜の僕の記事は以上です ――― 次回は実名での戦犯晒しをやります ――― お休みなさい。 (^o-y☆彡

 

 

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カッ飛べ! これが石垣誤記だ(# ゚Д゚)









 また翔べ! これが石垣調書改竄だΣ(・□・;)















★ 石垣さんも丹下さんも裁判官なんだから、地裁隣りの法務省赤レンガ棟を入って右手の「 越前碑 」を

参拝したことがあるはずです。そのときの自分の初心を思い出してほしい。あなた方はあの頃の自分に
いま向きあうことができますか? 目を反らさずに微笑みかけることができますか? そのへんのこと
をいっぺんよく考えてみてください。

 

 

 

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