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「 経済バベルの塔崩壊 」としての東京五輪( 改正新版 )

2021-07-13 11:54:55 | 東京五輪




 2021年の7月23日、いよいよあの因縁の東京五輪が開催される運びとなりました。

 皆さんはどう思われますか? 
 今回の東京五輪に関して、あなたは反対? それとも賛成? 
 エキサイトブログのサーティンキューさん( xuzu0911.exblog.jp のところでも度々私見を述べさせてもらいましたが、僕は、今回のオリンピックについては当初から反対の立場です。
 個人的には「 東京五輪 」なんて上品な言葉を使用してはおりません。
 これは「 五輪 」じゃなくて「 破倫 」です。
 ええ、僕はこのたび催される五輪のことを、自分ではずっと「 東京破倫 」と呼んできました。

 実際、今回の五輪は、そもそものスタートから幸先がよくなかった。

1.東京オリンピックの大会エンブレムの盗作問題。

2.オリンピックの開催のためIOCの実力者に賄賂が2億4800万円が払われた問題。

3.コンパクトな五輪を謳いながら、0年のシドニー、04年のアテネ、08年の北京、12年倫敦、16年リオデジャネイロに比べて4倍以上の、2480憶という規格外の巨額が投入されていた問題。

4.五輪マラソン大会の会場が、暑すぎる東京から札幌へ急遽札移転された問題。

5.トライアスロンの会場予定地である、お台場海浜公園の、あまりにも高すぎる大腸菌数値の問題。

6.組織委員長であった森前総理の、度重なる女性蔑視発言。それによるスキャンダラスな辞任問題。

7.今回鳴り物入りで建設されたオリンピック施設の、今後の継続に関する問題。( どこの開催国でもそれらは廃墟となっている )


8. 再生した福島を世界に訴えるためのオリンピックなのだ、という謳い文句が、異常に軽薄に聴こえてしまう問題。

9. オリンピック観客収容のために代々木公園の8m以上の木々が大量に伐採されて、市民が非難の声をあげている問題。

10. 日本オリンピック委員会( JOC )経理部長が、都営浅草線「 中延駅 」で電車と接触死した問題。


 しかし、これら10項目の諸事情よりも五輪開催への最大の障壁として立ち塞がってきたのは、なんといっても Covid-19 の襲来 でしょう。
つまり ―――

11. コロナ禍であるにも関わらず、多くの人間の集まる五輪という巨大な祭典を、緊急事態宣言を出しているその国自体が開催しようとしているという根本的な矛盾の問題 ――― ですね。

 この矛盾はあまりにもあからさまであり、子供でも分かるくらい自明なものなので、現在までこの視点からオリンピック推進論をいってきたひとは誰もいません。だから、オリンピックを開催したい人々は、この根本的矛盾から意図的に論点を外した「 安心安全 」だとかいうような、意味の捉えがたい、あさっての空念仏を連呼するしかなかった。
 こうなるともう古典喜劇の世界です。僕等は公のメディアでこのような喜劇が大真面目に演じられるのを目撃し、そのあまりの滑稽さとグロテスクさに愕然となりました。

 それまで誰も予測していなかったこの未知の流行病は、これまで五輪の運営を担っていた、五輪そのものの根本原理を瞬く間に破壊しました。そして、それ以上に、僕等の暮らしている「 日常 」の基盤そのものも破壊しつくたのです。僕等は、己が利益のためだけに、巨大なイベントを押し進めようとする、
あまりにも多くの政治家たち、有名人たちを見た。このイベントのために必然増加するだろうコロナによる死者数のことを意図的に見えないものと設定し、「 安心安全 」という砲弾のみで前進する戦車軍団のような集団を見た。
 この騒動からミャンマーの軍事政権のあの蛮行を連想した人がいたとしても、僕は驚かない
 このとき、僕等の住まう資本主義の国を輪転させている、もっとも太くて確かなはずの中心の支柱が、この「 東京五輪 」という爆弾でもって、見事なまでにポキンと折れたのを、僕は感じました……。

  金か? 生命( いのち )か?
 コロナウイルスが僕等に突きつけてきたのは、前近代の山賊が発していたような、恐ろしく単純で直接的な問いでした。
 そして、僕等の文明は、このような残酷な問いに答える言葉をもっていませんでした。
 このような問いには答えられないように、僕等が文明というものを仕立ててきたからです。
 僕等は、文明の機構を自らに便宜を図るための道具として、飼い慣らそうとした。
 自分を甘やかしてくれる、愚かな乳母の役を、文明に押しつけてきたのです。
 厳しさと責任を欠いたこうした関係は、僕等を「 一億総役人 」のような体質に導いていきました。
 慎重に、そして日ごとに複雑に巧妙に、あちらの顔もこちらの顔も双方立てながら、法律に沿って、次善の解決法を模索していく……。
 それが世間というものだ、と僕等は教わり、この教えのままにそれぞれの生活設計を組み立てました。
 僕等は、安全に返却できるローン支払いを至上のものと考え、それに異を唱える無法者を厭うようになりました。
 そのように脆弱になりすぎた文明の機構にとって、コロナウイルスの襲来はあまりも無礼すぎた。

 僕等は、爛れた繁栄のさなかで邂逅した、この「 野生 」に愕然となりました。
 どんな過去帳を見ても、いくら裁判の判例集を開いても、傷つくことなくこれをやり過ごせるマニュアルは見つけられません。
 それは、安全と平和を前提とした、慣れあいの経済原理そのものの否定に近かった。
 僕等は、私欲にまみれた政治家が右往左往するさまを嘲笑い、その様子があまりにも自分たちに似ていることにまた腹を立てます。
 混乱に次ぐ混乱。恐怖に駆られた百万単位のデマゴーグが、ネットのバーチャル空間のなかを飛び交います。
 ちょうどそんなとき、よりによって開催されようとしているのが、今回のこの「 東京五輪 」なのです ―――。
 

 ここで誤解のないようにいっておきますが、僕だって五輪の競い合いを見るのは大好きです。
 鍛え抜かれた世界中のアスリートの美技を見るのは喜びだし、彼等の努力に対して称賛を惜しむつもりも毛頭ありません。
 しかし、残念ながら、これは一種のマジックだったのです。
 僕等は金のためじゃない、名誉のためにひたすら闘い抜く、アマチュアアスリートの極上の美技に魅了されていた。
 いや、これじゃ足りないな、もっと深く言い換えましょうか ――― 僕等は「 アマチュアスポーツの甘い神話 」というものに、あまりにも長いこと酔わされつづけてきた。
 けれども、そうした神話の数々は、実は、悉く欺瞞だったのです。
 東京五輪の主役は、彼等アスリートたちではありませんでした。
 本当の主役は、彼等アスリートたちを仕切り、彼等に美しい競技の舞台を与える側のほうだったのです。
 この祝祭によって儲けようとする商人たちから手際よくきっちりとみかじめ料を取り、地元の政治家たちにも彼等に便宜を与えるよう口利きをし、入ってくる金の流れが滞らないようにする ――― そういう仕掛人 + プロデューサーサイドのひとたちが、この世界的イベントの本当の主役だったのです。

  なんだか、こういってしまうとマフィアとか暴力団みたいな響きに聴こえてきやしませんか?

 だとしたら御容赦。彼等はもちろんマフィアなどではありません。
 彼等は、僕等の住まうこの資本主義社会で、合法的に戦い、勝利に次ぐ勝利でのしあがった、とびきりの成功者たちなのです。
 あるいはその子孫、親類、係累たち、彼等の居住する権力コングロマリットに籍を置いているひとたちです。
 いつも日銭にかつかつとしている僕から見たら、住んでいる世界からしてちがう、まあ雲上人とでもいうのかな?
 羨望の念は当然あります。金ってやっぱり魅力ですから。ただ、成りかわりたいとは思いませんけどね(笑)

 もちろん僕等にしても社会のこうした二極構造については、あらかじめ気づいていました。
 気づかないわけがない。みんな、甘くない社会のなかで、それなりの経験を積んで、長いこと働いてきたひとたちばかりなんですから。
 競争社会の苦い洗礼を浴びながらどうにか生きている、こうした僕みたいな階層からすると、オリンピックというのは、こうした苦すぎる現実構造の埒外にあるユートピア祭典のようにしばしば見えるものです。
 ここに出場できるのは、フィジカルエリート中でも生え抜きの、特A級クラスの超エリートたちばかり ――― とはいえ彼等の出身は、僕等とそう変わらない、ごく普通の一般庶民層ですしね。
 彼等の活躍に果たせなった自分の夢を上乗せして、応援したくなるのは、ほとんど自然の成りゆきだといってもいい。
 

 頭では分かっている、でも、自分が住んでいるのがそのような場所だとは思いたくない、そうした一抹の小さなレジスタンスが、彼等の届けてくれる「 アマチュアスポーツの甘い夢 」についすがりたくなって、それがああいった巨大なオリンピック幻想を成り立たせていた、というのが僕の考えです。
 月並にいうと、まあ、いわゆる「 共同幻想 」というやつなのかな。
 誤解を避けるためにさらにいわせてもらうと、この共同幻想を管理する側も、全然鉄壁ではないんです。
 彼等にしても、ある意味この「 共同幻想 」に依存しているのです。

 どんなに力をもっていても、所詮は欲深で浅ましい、ただの人間の群れですからね。一枚岩にまとまることなどまず不可能。
 日夜、自分の寝首を掻こうとしている人間に囲まれている環境にいる彼等こそ、むしろ一般ピーポーなどより険しい地獄世界のルールに通暁している、ともいえる。
 けれども、そのようなニヒリズムに毒された彼等ですら、やはり「 オリンピックは特別なんだ 」といったような月並な甘い願いを、僕等庶民同様やっぱり心のどこかに隠しもっているのです。
 だからこそ、提供する側からもされる側からも、「 五輪 」は日常を超えた巨大な夢祭典として、ここまで君臨しつづけてこれた。

 僕等の住まう現世をカトリックの教会と仮定したなら、この発想はより理解しやすいかもしれません。
 ちょっとまえまでは、世界を管理するのは「 神 」でした。
 「 神 」を頂点とするヒエラルキーが世界を律していて、神の代理人たる「 司祭 」が、現世の管理者としての役目を担っていた。
 この「 神 」が近世に入ってから徐々に廃れてきて、それに代わってこの「 神 」の後釜に座るようになったのが「 金 」でした。 
 そう、僕等はいま「 金 」を頂点とする、新たなる信仰世界を生きているのです。
 一般的に、この形態は「 資本主義 」とも呼ばれていますが、僕はこの「 資本主義 」なるものも一種の信仰分派だと思う。
 「 資本家 」や「 株主 」なんかがね、こうした教会の「 司祭 」なんです。
 「 司祭 」同士が集まって、それぞれの信仰の派閥争議をするのが「 株主総会 」―――
 「 司祭 」がその管理者としての権利を失効する、破門の知らせが「 破産宣告 」―――
 「 信徒 」たちがおのおのの支持分派を投票して、その結果がじかに反映されるのが「 株式相場 」―――
 この信仰世界に意義を与えてきた代々の予言者たちには、カール・マルクス、東印度会社、大英帝国、ロスチャイルド男爵、フォード自動車、アメリカ合衆国、旧・ソビエト連邦など、歴史に残る錚々たるメンバーが揃っています。

 この巨大な信仰集団の祭典として近年催されてきた最大級の規模のものが、いわゆる「 オリンピックと呼ばれているもの 」なのだと僕は思う。
 あのアドルフ・ヒトラーのベルリン・オリンピックへの執心には、凄いものがありました。
 「 五輪 」は、資本主義という宗教を信奉する信徒たちにとって、世界最大の「 祝祭 」であるのです。
 もちろんこれに肯う者ばかりではない、これを否定する人間も世界には多数存在します。
 けれども、これを冷淡なアングルから否定しようとする破門者たちからしても、いまやこの「 五輪 」は無視しきれぬものになってしまった。

 「 東京五輪 」は、代々開催されてきたそのような五輪のなかでも、恐らく過去最大級の規模のものでした。

 これが、折れた ―――。
 
 あの伝説の「 バベルの塔 」のように、中途からポッキリと、修復の見込みもかなわないくらい破壊的に、折れた ―――。

 いまの僕等が目撃しているのは、そのような無残極まる光景なのです。
 「 司祭たち 」が慌てふためき、この事態を是認できないのは当然でしょう ――― 彼等は信徒なのだから。
 前代のバベルの塔が折れたのは、天にまで届く塔を建てて神に並ぼうとした人間の傲慢に対する罰でした。
 このとき、人間は、ひとつだった人間の言葉をバラバラにされ、互いの意思も通じ合わないようにされてしまった。
 お互いの言葉が理解できなくなり、人々は細かいセクトに分断され、心を通わすことも難しくなり、理解の代わりに誤解と憎しみのみがコミュニケーションのための貨幣とされてしまい、発展も町作りもかなわなくなった人間は、衰退の一路を辿っていきます。

 この古代のバビロンの伝説とおなじことが、今後、僕等の世界に起こってくることなのだ、と僕は思っています。
 コロナの第5波の襲来、緊急事態宣言の再度の発令などにより、東京五輪は初頭の予定と著しく異なる、無観客での開催を余儀なくされることになった。
 コロナは忌まわしい嫌な病気ですが、札幌のサーティンキューさんがいわれる通り、これが「 神の杖 」として見えてくるときが、いまの僕にはときどきあります。
 「 司祭 」として自らの王国の維持を図るひとと、これを拒むひと……。
 「 コロナウイルスと戦う医療戦士たちの悲鳴 」と、「 これに耳を貸さず開催を邁進させるひと 」との相克が、毎日のように新聞やTVやネットニュースで取りざたされています。
 今回の「 東京五輪 」を契機に、僕等の世界は、まさに伝説のソドムとなってしまいました。
 退廃と悪徳と偽善の都である、あのソドムにです。
 僕等の世界は細かい破片に分断され、互いの言葉もまるきり通じなくなった。
 ひととして最低限持ちあわせているはずの「 倫 」も、いまやどこにも見当たらない。
 いまの僕等の上に降りかかっているのは、まさしくかつてのソドムの家々に降ったのとおなじ種類の硫黄なのではないでしょうか。
 大儀なき「 東京五輪の開催 」は、それほど僕等の心をバラバラにしてしまった。
 これほどの醜い「 破倫 」の光景は、僕もいままで見たことがない。
 本当にこれから、僕等の世界はどこに向かうのでしょうか?

 旧世界のあれこれは、この「 五輪 」で全部終了です。
 さあ、まったく新しい、未知の位相世界のはじまりです。
 時代の蝶番がぐれんと廻り、そこから覗きこんでいる「 彼 」は、僕等の世界のどのあたりをどこまで洗浄したいのでしょうか?
 僕等の知っているこれまでのルールの何が滅ぼされ、何が生き残ることができるのでしょうか?
 一寸先の未来すら見通せなくなったこの新時代を、なんと呼んだらいいのか、僕にはまだ分かりません。
 僕等の「 東京五輪 」は、そんな不確かな時代の象徴であり雛形です。
 無観客で開催されることになった今回の
「 東京五輪 」が、オリンピック村で出現した新種の「 東京株 」に汚染され、考えうる限りでいちばん最悪な「 オリンピック 中止 」という結末を迎えるのではないか ? 

 
僕はそのように感じ、憂いています…… 。


 本来の僕ブログは、ネットジャーナリスト・リチャードコシミズを追及するためのものです。
 その当ブログの趣旨を、今回初めて破りました。
 いまいちばん優先されるべきは、RKよりこちらだと感じたからです。
 これだけは発言しておかなければいけないと思い、2日でこれを書きました。
 今日の僕の記事は以上です ――― お休みなさい。   ( 了 )