サーティンキュー
マイケルさんが、まだまだ元気なので、嬉しくなる!
https://blog.goo.ne.jp/iidatyann2016/e/2eb11fc1bc5ff6291823d2e350b01319
https://blog.goo.ne.jp/iidatyann2016/e/d8fb9b4ece01c62c2a7bb651fed5f4e3
★上のマイケルさんの元気な「声」を聴くと嬉しくなるな。やっぱり裁判所と戦うと「大きな闇」が降りかかってくるのかな?とか思ってしまうから。裁判所というのは、一般人から見れば、分からない「未知の世界」なわけ。マイケルさんは、リチャードコシミズとの闘いで、たまたま、裁判所との闘いに移動してしまったわけだが、結局、裁判所って、小さな小さな【村】だから、裁判所と戦うことは、何かの裁判に入った時にはヤバイの鴨?と思ってしまったのだが、マイケルさんの元気の今の「声」を聴くと、そうでもないな、と思い直した。
★自民党でもN国党でもつばさの党でも、失敗の原因は「お金」なわけ。善意の運動をする場合は、絶対に「お金」に警戒しなければならない。鷲が自称「善意の運動」を攻撃する場合は、絶対に「お金」関係から行くから。だから「お金」関係は、ビル・ロビンソン(☜ 誰も知らない昔のプロレスラーwww)のように、清潔なレスリングスタイルでなければならない!と思っている。今はネットが発達しているわけだから、無料でどんどんできる環境になっている!ということ。
★日月神示の黄金の巻の59帖に「金で世を治めて、金で潰して、地固めして、みろくの世に致す」と云う言葉があるが、この短い言葉が、今と近未来の絶対的預言だということ。今は「金で世を治めて、金で潰す」の現象である。だから意識的に「人間はお金ではない!」と発言しなければならない!若山キラトのように「この世はお金がすべて」と公言すれば「殺人犯で逮捕」である。太陽神が降臨している今は、言葉が審査されている!ということを自覚しなければならない。
★鷲が今のブロガーで注目しているのはマイケルさんのみである。ブログの方がユーチューブより優れている!と鷲は思っている。「文章」「写真」「動画」「ニュース記事」など多様なことで構成されているから。ユーチューバーから逮捕者続出なのは「お金儲け」の要素が第一だから。古代から「お金は呪われている!」と云われてきたが、今回の宝島龍太郎の事件で日本人は、「お金は呪われている!」ということを学ばねばならない。言葉で「お金儲けは素晴らしい」とか言えば、若山キラトのように裁かれるだろう。カネカネカネの時代に、「お金儲け無しの善意の運動」をやるのは、難しいのか?と問えば、別に難しくもない。マイケルさんには、そこを期待する。リチャードコシミズも「ネット乞食」をしていたから、今の哀れな姿に堕ちたと鷲は思っている。そして「ネット乞食」をしていた平塚正幸は「女子中学生を妊娠させた」という最低最悪に堕ちた!ということ。
2024年5月26日の「 内縁の妻 」といった投稿記事を最後に、あのサーティンキューさんが沈黙してる。
これを書いてるのは2024.7.1だから、つまりサーティンキューさんはまる1か月と4日も沈黙してることになる。
僕もザ・マイケルブログの更新を途切れさせたことはあるけど、僕の更新滞りとサーティンキューさんのそれとは意味がちがう。
サーティンキューさんは2011年の6月にエキサイトさんに自身のブログを開設してから、更新を途切れさせたことは1度もないひと。
2013年あたりまでは月に4度とかいう、わりかし一般ブログ的な更新回数であったのだけど、2017年あたりから更新回数はやたらに上昇して、月に80とか90とかいう数字がむしろ普通みたいな過激状態になっていった。
2021年あたりになると月70、80はもう当たり前!
月に100回の更新を超えることも全然珍しくなくなってきた。
月に100更新ってことは、1日平均3.33333・・・・新記事をあげ続けるって ――― これは凄いことだよ。
リチャードコシミズとごちゃごちゃやってたこの時代に、僕は、サーティンキューブログにコメントしたのが契機で急速に仲良くなって( 横浜のジョナサンでコメしたら瞬時に返事が返ってきたのでした。あれはびっくりした )、コラボの記事全然いいですよ、はてなさんにあげた自分記事を引用してマイケルブログで使ってもらっても一向に構わないって本人許可までもらって、それでもって < サーティンキュー&マイケル > の一連の異種コンタクト・コラボ記事が誕生したわけなのよ。
サーティンキューさんと僕とは、考え方もキャラもまったく違ってる。
サーティンキューさんは札幌在住だし、僕は横浜だし。
僕等に共通していたのは「 カルト 」とのバトルです。
サーティンキューさんは五井野正、僕はリチャードコシミズと司法 ――― うん、司法って権力もカルトなんだと今の僕は思ってる。
それ以外はどっちも井上陽水が好きだとか、共に音楽をやってた経験があったとかぐらいしか共通項はなかったんだけど、どういうわけか馬が合った。
僕はサーティンキューさんの「 風圧をまとったヘビー言説 」が好きだったし、サーティンキューさんも僕言論をめっちゃ気に入ってくれた。
ま、月並にいえば「 ダチだった 」ということになるのかな?
実際には電話で話したこともないし、会ったこともないんだけど、それでも分かりあえることって人間あるじゃない?
その大事なダチが、2024.5.26を境にふっつり消えた。
しかも、サーティンキューさんが僕ブログ更新停止の2か月を心配して、自身ブログでわざわざ心配記事をあげてくれたそのすぐ後で。
これは、心配だよ、やっぱ・・・
2013年あたりまでは月に4度とかいう、わりかし一般ブログ的な更新回数であったのだけど、2017年あたりから更新回数はやたらに上昇して、月に80とか90とかいう数字がむしろ普通みたいな過激状態になっていった。
2021年あたりになると月70、80はもう当たり前!
月に100回の更新を超えることも全然珍しくなくなってきた。
月に100更新ってことは、1日平均3.33333・・・・新記事をあげ続けるって ――― これは凄いことだよ。
リチャードコシミズとごちゃごちゃやってたこの時代に、僕は、サーティンキューブログにコメントしたのが契機で急速に仲良くなって( 横浜のジョナサンでコメしたら瞬時に返事が返ってきたのでした。あれはびっくりした )、コラボの記事全然いいですよ、はてなさんにあげた自分記事を引用してマイケルブログで使ってもらっても一向に構わないって本人許可までもらって、それでもって < サーティンキュー&マイケル > の一連の異種コンタクト・コラボ記事が誕生したわけなのよ。
サーティンキューさんと僕とは、考え方もキャラもまったく違ってる。
サーティンキューさんは札幌在住だし、僕は横浜だし。
僕等に共通していたのは「 カルト 」とのバトルです。
サーティンキューさんは五井野正、僕はリチャードコシミズと司法 ――― うん、司法って権力もカルトなんだと今の僕は思ってる。
それ以外はどっちも井上陽水が好きだとか、共に音楽をやってた経験があったとかぐらいしか共通項はなかったんだけど、どういうわけか馬が合った。
僕はサーティンキューさんの「 風圧をまとったヘビー言説 」が好きだったし、サーティンキューさんも僕言論をめっちゃ気に入ってくれた。
ま、月並にいえば「 ダチだった 」ということになるのかな?
実際には電話で話したこともないし、会ったこともないんだけど、それでも分かりあえることって人間あるじゃない?
その大事なダチが、2024.5.26を境にふっつり消えた。
しかも、サーティンキューさんが僕ブログ更新停止の2か月を心配して、自身ブログでわざわざ心配記事をあげてくれたそのすぐ後で。
これは、心配だよ、やっぱ・・・
ほかの知人だったら連絡がちょっと途切れたくらいで心配なんてしやしないんだけど、サーティンキューさんはべつ。
昭和のパトスを特大の大釜でごんごん煮詰めて、その上からマコンドラの粉末を大量にふりまいた ――― みたいな異常な熱さを、僕はサーティンキューさんとの付きあいから体感していたからね。
これは、ただごとじゃない、と思った。
脳梗塞で倒れて死んだのか、もしくはふいの事故か、さらには会社が潰れて夜逃げでもしたのか、とも思ったな。
あのサーティンキューさんが生半可な事情でブログ辞めるわけがないもの。
1年前の今日、すなわち7月の1日、僕は大学時代の親友・内山一英の魂の弔いのため、淡路島の志筑の寺を訪れていた。
身体をわるくして人工透析の生活になっていたのは聴いてたけれど、彼本人と、去年の4月くらいから全く連絡が取れなくなっていたんだよね。
携帯も固定電話も通じず、Facebook の更新までが途絶えてる。
まさかお前、死んでるんじゃないよな? なんてライン入れても、いつまで経っても既読がつかない。
淡路で人工透析やってる病院にかたっぱしから連絡入れてみたけど、あいにくその頃は日本中 GW のまっただなか。
GW 明けの初日の通勤をいつもより早めて、淡路の透析病院に次々と連絡してたら、3軒目のナースが初めてこう答えてくれた。
—――― あの、ホントならこういう個人情報は話しちゃだめなんですけど、ご友人でしたよね? ・・・ああ、そうですか・・・はい、お問い合わせのその内山さまなら、確かに透析のためウチに通われていたことがございます。・・・ただ、ウチからもまた転院されて・・・そちらで亡くなられらた、と聴いております・・・。
自我の底に小さな穴があいて、そこから薄気味わるい黄泉風が吹きあげてきたみたいな感触だった。
ただただ脱力 ――― ああ、これから俺は、アイツのいない世界でずっと生きていかなきゃいけないのか・・・といった諦念に近いやるせなさ。
そういった目に見えないゲル状の靄にあたりの空間を閉ざされて、僕は、自分が、鵠沼の夏祭りのなかで握っていた母親の手をつい離してしまい、すぐさま雑踏に流されてもみくちゃにされ迷子になった、遠いむかし、4才当時の、不安しかなかった過去自分に揺れ戻った気がした。
もしこのままサーティンキューさんがブログに戻らないなら、僕が大事なダチを失うのは、これで4人目ってことになる。
最初は、大学のときグループを組んでいた、天才ギタリストの家高 ――― 家高は、ギターを教えに生徒のもとに原付を飛ばしているとき、駅ターミナルから急に飛び出してきた社会科教師の乗用車にぶつかって死んだ。彼がプロになってからすぐのことだった。
2人目は、陳家太極拳の師範代をやってたドン大塚 ――― ドンとはキックミットをもってあちこちに出かけ、野外でやたらに武術稽古をした。皇居の東御苑の大奥跡の芝生で稽古して、警備から追い出されたこともある。ドンは、 夜中に固形燃料を使って自宅庭で調理してるときに、ふいに死んだ。お袋さんが解剖を拒んだんで、死因はいまもって分からない。
3人目が内山だった ――― 大学の寮で家高を交えてよく一緒に演奏してた。内山は絶対音感をもってて、僕が歌うと「 イーダ、いまの歌のサビのE またフラットしてたでぇ! 」といつも生真面目に修正の注意を入れてきた。アタマも良くて、卒業後は家庭教師と調律師をやって喰ってたみたい。最後に大阪で会ったとき、あんな話もすればよかった。こんな話もすればよかった。もっとあいつの病気に寄り添って、話なんかもよく聴いてやればよかった。それなのに俺は自分勝手に、内山からすれば遠い話のカルトとのバトルだとか、講演会潰しのあれこれの活動だとか、さいたま地裁に浦和警察が雪崩れこんできたときの回想実況だとか、裁判官の不正についての憤りだとか、そんな物騒な話題ばかりわがままに喋り散らしたりして・・・
サーティンキューさんとの付きあいというのが、彼等3人ほど近くて濃厚なものじゃなかったというのは事実。
でも、僕は、サーティンキューさんとの付きあいが、彼等3人みたいに深いものじゃなかった、とは思わない。
ですから、彼の近況を知るお弟子さん筋の方や、リアルなサーティンキューさんの詳細を知る方がおられましたら、僕ブログのコメント欄までどうかご連絡ください 。
僕の今日の記事は以上です ――― お休みなさい。 (了)
Bach - Prelude and Fugue in E flat minor, BWV 853. {From WTC Book 1, No.8.} Pianist: S.Richter.