ザ・マイケルブログ!

Hello、皆さん、陰謀論者リチャードコシミズの無害化に成功したので、現在は司法の闇と闘ってます。応援よろしくです!

💎 おーい、サーティンキューさーん、ブログ更新 STOP どしたの? 無事ですかあ~!?

2024-07-01 16:47:00 | サーティンキュー

サーティンキュー

マイケルさんが、まだまだ元気なので、嬉しくなる!

 
 
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★上のマイケルさんの元気な「声」を聴くと嬉しくなるな。やっぱり裁判所と戦うと「大きな闇」が降りかかってくるのかな?とか思ってしまうから。裁判所というのは、一般人から見れば、分からない「未知の世界」なわけ。マイケルさんは、リチャードコシミズとの闘いで、たまたま、裁判所との闘いに移動してしまったわけだが、結局、裁判所って、小さな小さな【村】だから、裁判所と戦うことは、何かの裁判に入った時にはヤバイの鴨?と思ってしまったのだが、マイケルさんの元気の今の「声」を聴くと、そうでもないな、と思い直した。
 
 
★自民党でもN国党でもつばさの党でも、失敗の原因は「お金」なわけ。善意の運動をする場合は、絶対に「お金」に警戒しなければならない。鷲が自称「善意の運動」を攻撃する場合は、絶対に「お金」関係から行くから。だから「お金」関係は、ビル・ロビンソン(☜ 誰も知らない昔のプロレスラーwww)のように、清潔なレスリングスタイルでなければならない!と思っている。今はネットが発達しているわけだから、無料でどんどんできる環境になっている!ということ。
 
 
★日月神示の黄金の巻の59帖に「金で世を治めて、金で潰して、地固めして、みろくの世に致す」と云う言葉があるが、この短い言葉が、今と近未来の絶対的預言だということ。今は「金で世を治めて、金で潰す」の現象である。だから意識的に「人間はお金ではない!」と発言しなければならない!若山キラトのように「この世はお金がすべて」と公言すれば「殺人犯で逮捕」である。太陽神が降臨している今は、言葉が審査されている!ということを自覚しなければならない。
 
 
★鷲が今のブロガーで注目しているのはマイケルさんのみである。ブログの方がユーチューブより優れている!と鷲は思っている。「文章」「写真」「動画」「ニュース記事」など多様なことで構成されているから。ユーチューバーから逮捕者続出なのは「お金儲け」の要素が第一だから。古代から「お金は呪われている!」と云われてきたが、今回の宝島龍太郎の事件で日本人は、「お金は呪われている!」ということを学ばねばならない。言葉で「お金儲けは素晴らしい」とか言えば、若山キラトのように裁かれるだろう。カネカネカネの時代に、「お金儲け無しの善意の運動」をやるのは、難しいのか?と問えば、別に難しくもない。マイケルさんには、そこを期待する。リチャードコシミズも「ネット乞食」をしていたから、今の哀れな姿に堕ちたと鷲は思っている。そして「ネット乞食」をしていた平塚正幸は「女子中学生を妊娠させた」という最低最悪に堕ちた!ということ。

 
 
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 2024年5月26日の「 内縁の妻 」といった投稿記事を最後に、あのサーティンキューさんが沈黙してる。

 これを書いてるのは2024.7.1だから、つまりサーティンキューさんはまる1か月と4日も沈黙してることになる。

 僕もザ・マイケルブログの更新を途切れさせたことはあるけど、僕の更新滞りとサーティンキューさんのそれとは意味がちがう。
 サーティンキューさんは2011年の6月にエキサイトさんに自身のブログを開設してから、更新を途切れさせたことは1度もないひと。
 2013年あたりまでは月に4度とかいう、わりかし一般ブログ的な更新回数であったのだけど、2017年あたりから更新回数はやたらに上昇して、月に80とか90とかいう数字がむしろ普通みたいな過激状態になっていった。

 2021年あたりになると月70、80はもう当たり前!
 月に100回の更新を超えることも全然珍しくなくなってきた。
 月に100更新ってことは、1日平均3.33333・・・・新記事をあげ続けるって ――― これは凄いことだよ。

 リチャードコシミズとごちゃごちゃやってたこの時代に、僕は、サーティンキューブログにコメントしたのが契機で急速に仲良くなって( 横浜のジョナサンでコメしたら瞬時に返事が返ってきたのでした。あれはびっくりした )、コラボの記事全然いいですよ、はてなさんにあげた自分記事を引用してマイケルブログで使ってもらっても一向に構わないって本人許可までもらって、それでもって < サーティンキュー&マイケル > の一連の異種コンタクト・コラボ記事が誕生したわけなのよ。
 



 サーティンキューさんと僕とは、考え方もキャラもまったく違ってる。
 サーティンキューさんは札幌在住だし、僕は横浜だし。
 僕等に共通していたのは「 カルト 」とのバトルです。
 サーティンキューさんは五井野正、僕はリチャードコシミズと司法 ――― うん、司法って権力もカルトなんだと今の僕は思ってる。
 それ以外はどっちも井上陽水が好きだとか、共に音楽をやってた経験があったとかぐらいしか共通項はなかったんだけど、どういうわけか馬が合った。

 僕はサーティンキューさんの「 風圧をまとったヘビー言説 」が好きだったし、サーティンキューさんも僕言論をめっちゃ気に入ってくれた。
 ま、月並にいえば「 ダチだった 」ということになるのかな?
 実際には電話で話したこともないし、会ったこともないんだけど、それでも分かりあえることって人間あるじゃない?
 その大事なダチが、2024.5.26を境にふっつり消えた。
 しかも、サーティンキューさんが僕ブログ更新停止の2か月を心配して、自身ブログでわざわざ心配記事をあげてくれたそのすぐ後で。

 これは、心配だよ、やっぱ・・・
 


 ほかの知人だったら連絡がちょっと途切れたくらいで心配なんてしやしないんだけど、サーティンキューさんはべつ。
 昭和のパトスを特大の大釜でごんごん煮詰めて、その上からマコンドラの粉末を大量にふりまいた ――― みたいな異常な熱さを、僕はサーティンキューさんとの付きあいから体感していたからね。
 これは、ただごとじゃない、と思った。
 脳梗塞で倒れて死んだのか、もしくはふいの事故か、さらには会社が潰れて夜逃げでもしたのか、とも思ったな。
 あのサーティンキューさんが生半可な事情でブログ辞めるわけがないもの。






 1年前の今日、すなわち7月の1日、僕は大学時代の親友・内山一英の魂の弔いのため、淡路島の志筑の寺を訪れていた。
 身体をわるくして人工透析の生活になっていたのは聴いてたけれど、彼本人と、去年の4月くらいから全く連絡が取れなくなっていたんだよね。
 携帯も固定電話も通じず、Facebook の更新までが途絶えてる。
 まさかお前、死んでるんじゃないよな? なんてライン入れても、いつまで経っても既読がつかない。
 淡路で人工透析やってる病院にかたっぱしから連絡入れてみたけど、あいにくその頃は日本中 GW のまっただなか。
 GW 明けの初日の通勤をいつもより早めて、淡路の透析病院に次々と連絡してたら、3軒目のナースが初めてこう答えてくれた。

—――― あの、ホントならこういう個人情報は話しちゃだめなんですけど、ご友人でしたよね? ・・・ああ、そうですか・・・はい、お問い合わせのその内山さまなら、確かに透析のためウチに通われていたことがございます。・・・ただ、ウチからもまた転院されて・・・そちらで亡くなられらた、と聴いております・・・。

 自我の底に小さな穴があいて、そこから薄気味わるい黄泉風が吹きあげてきたみたいな感触だった。
 ただただ脱力 ――― ああ、これから俺は、アイツのいない世界でずっと生きていかなきゃいけないのか・・・といった諦念に近いやるせなさ。 
 そういった目に見えないゲル状の靄にあたりの空間を閉ざされて、僕は、自分が、鵠沼の夏祭りのなかで握っていた母親の手をつい離してしまい、すぐさま雑踏に流されてもみくちゃにされ迷子になった、遠いむかし、4才当時の、不安しかなかった過去自分に揺れ戻った気がした。

 もしこのままサーティンキューさんがブログに戻らないなら、僕が大事なダチを失うのは、これで4人目ってことになる。
 最初は、大学のときグループを組んでいた、天才ギタリストの家高 ――― 家高は、ギターを教えに生徒のもとに原付を飛ばしているとき、駅ターミナルから急に飛び出してきた社会科教師の乗用車にぶつかって死んだ。彼がプロになってからすぐのことだった。

 2人目は、陳家太極拳の師範代をやってたドン大塚 ――― ドンとはキックミットをもってあちこちに出かけ、野外でやたらに武術稽古をした。皇居の東御苑の大奥跡の芝生で稽古して、警備から追い出されたこともある。ドンは、 夜中に固形燃料を使って自宅庭で調理してるときに、ふいに死んだ。お袋さんが解剖を拒んだんで、死因はいまもって分からない。

 3人目が内山だった ――― 大学の寮で家高を交えてよく一緒に演奏してた。内山は絶対音感をもってて、僕が歌うと「 イーダ、いまの歌のサビのE またフラットしてたでぇ! 」といつも生真面目に修正の注意を入れてきた。アタマも良くて、卒業後は家庭教師と調律師をやって喰ってたみたい。最後に大阪で会ったとき、あんな話もすればよかった。こんな話もすればよかった。もっとあいつの病気に寄り添って、話なんかもよく聴いてやればよかった。それなのに俺は自分勝手に、内山からすれば遠い話のカルトとのバトルだとか、講演会潰しのあれこれの活動だとか、さいたま地裁に浦和警察が雪崩れこんできたときの回想実況だとか、裁判官の不正についての憤りだとか、そんな物騒な話題ばかりわがままに喋り散らしたりして・・・


 サーティンキューさんとの付きあいというのが、彼等3人ほど近くて濃厚なものじゃなかったというのは事実。
 でも、僕は、サーティンキューさんとの付きあいが、彼等3人みたいに深いものじゃなかった、とは思わない。
 ですから、彼の近況を知るお弟子さん筋の方や、リアルなサーティンキューさんの詳細を知る方がおられましたら、僕ブログのコメント欄までどうかご連絡ください 。
 僕の今日の記事は以上です ――― お休みなさい。 (了)



Bach - Prelude and Fugue in E flat minor, BWV 853. {From WTC Book 1, No.8.} Pianist: S.Richter.






💎 サーティンキューさんとの対話 < PART Ⅱー エロの花散るとき ー>

2023-03-13 19:39:28 | サーティンキュー

サーティンキュー

マイケルさんへの返信 2 ~ 2339  
 
 
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サーティンキューさんが筋金入りのアウトサイダーだったせいだ、と僕は思っています。
 
予言者、詩人、哲学者、もしくは犯罪者、殺人者、自室が全世界である引きこもり ――― いわゆる現在世界に安住していないひと、安住したくてもどうしても現在世界のエリアから弾き出されてしまうこうしたアンダーグランドな土壌の領域以外では、このように突き抜けた「 世界視 」がやれる特殊な目玉は持ちがたいものであるからです。
  
近くにいたら世界なんて見えやしないんです。
たとえば今PCを打っている僕の右手指には、僕の全体像なんか全然掴めていない。
彼は僕の眷属であり、僕という存在に取り込まれた存在であるからです。
彼が独自の視点を持つためには、僕という存在意思から棄てられる前提がどうしても必要です。
  
そう、見るためには資格が要るんです。
繁栄の輪から何十マイルも遠く離れて、安住人(あんじゅうびと)の無数の焚火を、毎夜寒い荒野から眺めつづけた経験を持ったひとでなければ・・・。
 
 
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★鷲が21歳の頃に一番好きだった作家は英国のコリンウィルソンであります。彼は25歳で「アウトサイダー」という本を書いて、世界の「超知的な怒れる若者たちの一人」となりました。25歳で世界的作家と云えば、超エリートだと思われがちですが、彼の学歴は日本で云えば中卒で、「アウトサイダー」を出版する時は、昼は大英博物館で執筆して、夜は公園で寝る!という破天荒な生活をしていたのですが、「アウトサイダー」という本はかなり「知的な本」であり、世界が認めるのは当然の内容だったのです。
 
 
★それからコリンウィルソンは「殺人者」の研究本とか「性的変態」の研究の本とか書いて、英国の読者はだんだんと離れますが、1971年あたりに書いた「オカルト」という本が世界的大ベストセラーとなります。日本でも大ヒットしました。というより、母国英国よりもコリンウィルソンの本は日本の読者が圧倒的に多いのです。そして日本人は「オカルト」と云う言葉を日常的に使いますが、それはコリンウィルソンの「オカルト」というタイトルの本から来ますが、オカルトと云う言葉の本当の意味は「隠されたもの」という意味なのです。「オカルト」という言葉の意味は「まがいもの、ニセモノ」ではありません。
 
  
★コリンウィルソンは博覧強記で非常に知的な人物でしたが、「性エネルギー昇華秘法」には到達しませんでした。コリンウィルソンのようなウルトラ知的な人物で、「性の研究家」だった人物も到達しない次元に「性エネルギー昇華秘法」はあります。だから彼の「性」の探求は「性的変態の研究」で終焉してしまったのです。しかし鷲はコリンウィルソンこそが【作家】だと思ってます。日本の作家たちはコリンウィルソンには勝てない!と見てます。コリンウィルソンを正確に言えば【評論家】ですが。しかし彼の本でヒットしたのは「アウトサイダー」と「オカルト」の2冊だけ!と思ってます。しかしそれで充分に食っていけたのです。彼のような「知性」が世界で必要だった!から70歳代の前半まで生きていけたと思いますね。
 
 
★鷲が今「アウトサイダー」という言葉を人々に解説すれば【将棋の「歩兵」ではなくて、「裏と」の人物】だと【将棋】と【タロットカード】を使って人々に説明しますね。アウトサイダーとは「単なるハグレ者」ではありません。無意識に【裏と】を目指す者たちです。無意識に将棋の「歩兵の世界」「666」の世界を嫌悪して、将棋の「裏と」、太陽神との一体化を目指す数字の「9」をコリンウィルソンは書いた!と思ってます。1955年にコリンウィルソンは25歳の若さで「世界的作家」に成りました。その経歴から見て、コリンウィルソンこそがアウトサイダーなのです。
 
 
★将棋とは物凄い世界を表現してます。将棋の「歩兵」とは失敗者であり「敗北者」だと25歳のコリンウィルソンは認識してました。しかし将棋の【裏と】になるには【性エネルギー昇華秘法】の知識を得てマスターしなければなりません。それは生涯、コリンウィルソンはできなかった!のです。だから「猟奇殺人者」と「性的変態者」の研究家だと英国人は思いコリンウィルソンを避けました。しかし日本のコリンウィルソンの読者は「彼の本の真実の探求の深さを読んだ」ので日本人が一番コリンウィルソンの読者となったのです。
  
次回に続く



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 僕がひとこと「 アウトサイダー 」といっただけでコリン・ウィルソンがぱっと出てくる。
 いや~、嬉しいですねえ。世代という共通項がそうさせる部分もむろんあるのでしょうが、単なる話の接ぎ穂として呼吸合わせに出してきたのとは全くちがっていて、サーティンキューさん流に咀嚼して、消化して、完全に我がものとしたコリン・ウィルソンのエッセンスが、束になってまっしぐらに、それこそスマッシュの連打みたいに返ってくる!

 もうサイコーですよ、この連打の味わいは(笑)

 僕がコリン・ウィルソンにハマったのは、人間精神の探求アングルとしてでした。
 僕は、人間精神の暗部に興味があったのです。
 「 ジャック・ザ・リッパー 」、デュッセルドルフの吸血鬼「  ペーター・キュルテン 」などの暗黒情報には少年時より興味があり、色々と読み漁ってはいたのですが、そうした情報の種本がすべてコリン・ウイルソン発のものだった、と気づいたのはちょうど高校に入ったあたりのことだったかと思います。

 ちょうどそのころ巷ではイーグルスの「 ホテル・カリフォルニア 」が流行っていてね、だから、僕はあのエンディングのジョー・ウォルシュのぎゅわんと鳴るギターを聴くと、ペーター・キュルテンの死刑執行前の、最後の食事の話とかを何気に思い出すんですよ(笑)
 死刑執行前の食事を舌なめずりして全部平らげ、それどころかおかわりまで要求し、ギロチンで自分の首が落とされたとき、落ちたほうの頭についている自分の耳が、首の切り口からごぼごぼと吹きだす血の音を聴けるかどうかがとても楽しみなんだ、といいながら権利である目隠しも拒否し、ギロチンに首を乗っけてからも最後まで楽しそうにニコニコしていたという、伝説の殺人鬼キュルテン・・・





 人間が人間として成立できるかどうかのぎりぎり魔際のゾーンで、他者の命の駒で戯れることでしか生きれない、シリアルキラーとしてのペーター・キュルテンの生涯は、どういうわけか観察者の憐れみを誘うものがある、と著者であるコリン・ウィルソン自身もいっていましたっけ?
 
 ペーター・キュルテンという現象は、僕等の暮らす実社会の屋台骨を、うん、根本からぶち折ってしまうくらいの冥い虚無に満ちている。
 こうした穴に僕は魅かれてしまうんですね、どうしても。
 もちろん、ここにはあらん限りの「 死の匂い 」が満ちている。
 でもね、僕はこの危険で不吉な花も、僕等世界の成功神話や恋愛成就なんかと同種の、やっぱりこの世に咲いた花の一輪である、と思う。
 キュルテンの花がネガと否定の花であり、黒い花、悪の花であるというのは、当然のことながら僕も認めます。
 けれども、現在もまだ生き残っている陰謀論界隈 ――― かつての Q や神真都Q、古くはリチャードコシミズやら平塚正明の陰謀論、新しいところでは「 反ワク 」「 ウソコロ 」「 イベルメクチンやアビガンをコロナの特効薬と喧伝する潮流 」のなかに、戯れることでしか生命を体感できなかったキュルテンの闇と同種の、禍々しくて暗い、無力な「 悪 」の香りが忍んではいないでしょうか?

 いいや、忍んでいる、つまりこの両者は似ている、と僕は思う。

 ここで僕がいきなり稲垣足穂なんか持ちだすと、「 なんのこっちゃ?」と首を傾げられるひとが多いかも分かりませんが、これは僕から彼等へあてたアナライズのつもりです ―――

 
       ★ 三島星堕つ ( 稲垣足穂の三島評 )

§ 三島の文章は「男系的硬質に貫かれ」てはいるものの、やはり一種の「花飾り屋」にとどまった

§ ナルシズムは藝術の母胎だが、三島はナルシズムを内面化することができず、外形的に伸び放題にし、三島流ナルシズムは放任に任されて、ついに御本人を滅ぼしてしまった。

§ 彼の書くものには郷愁が欠けている。なつかしいものが少しもない。書けば書くほど作り物になり、こうして特に「金閣寺」以後、彼の作品は荒涼無残な仇花に成り果ててしまった。

§ 三島文学は、初めから見当外れの文学、「空回りの文学」である。こんなニセ物ではどの片隅においてもわれわれを解放してくれることがない。

§ 三島の目は、物に怯えている目である。どうあっても「悪人の目」である。悪人の特徴は、何よりも死を厭うことにある。死などは初めから相手にしなければよいのに、彼らにはそれが出来なくて、いつも死に追い付こうと焦っている。三島由紀夫の場合は、怖さの余りに我から死に飛び付いたようなものだ……。


 キュルテンとひと昔まえにネット界を席巻した陰謀論者、両者の共通項はズバリ「 エロ 」です。
 バタイユは「 エロティシズムは死に至るまでの生命の蕩尽だ 」というあの有名な決め台詞を吐きましたが、僕は「 新しい生命をつくるために死を投入するのがエロ 」であると考えています。
 人間の性行為は「 死 」にどこか似ています。いいや、「 殺人 」に似ている、といったほうがいいのかな?
 どんな人格者の名カップルにしても、その行為のなかには「 生から死へ 」と「 死から生へ 」
の往路が必ず見られます。
 社会的な行為じゃないですからね、あれは。
 実際の行為は外して考えたにしても、それに関する空想をはべらすときには、どんな人間もそれを自分の暮らすいつもの社会的舞台とは別位相の空間の出来事として捉えているはずです。
 いわば、密室 ――― それは密室内の秘事であるわけ。
 陽水の「 背中から45分 」じゃないけど、服という社会の記号を捨てることによって、みんな、原始の幸福な動物に還りたいと試みるんですね。

 でもね、どういうわけかそっち側のエロティシズムの運動は、不幸のかけらばかり引き寄せてしまいがちな性質があるように僕は感じます。
 性善説、性悪説とかいう二元論じゃとても収めきれない。
 お互いが満ち足りている幸福な少数のケースを除いて、僕等の大部分はそれを「 意図的な不幸の適度の服用 」として扱っている気がします。
 早い話が媚薬ですよ。
 不倫も恋のアバンチュールも、すべてはこの不幸を服用して「 生 」の牢獄から一時だけでも脱出して、原形質の欲望と陶酔のなかに何もかも溶かしこんでしまいたいという原初の衝動。

 近松の「 曾根崎心中 」にしても結局のところそれじゃないですか。
 醤油問屋の徳兵衛は最愛の遊女のお初を請け出す金を用立てることができず、おまけに信用していた親友からも無慈悲に騙されて、この世で結ばれることを綺麗さっぱり諦める。
 その刹那から2人を引き裂いていた社会のくびきは完全に消え失せ、2人のまえに銀沙羅で編んだ星空のような新しい道筋がふいに現れます。
 それは互いの死で乗車切符を予約した、片道だけの銀河鉄道の夢の旅です。
 ほら、スターゲイトの扉がいま開いた!
 江戸の貧しい長屋の列はたちまち壮麗な宮殿に変わり、肌寒い風ですら2人の不幸を讃える唄になる。

 近松のこの物語には、エロティシズムの要諦がすべて書きこまれている、と僕は思う。
 
 非常に意地悪ないい方になるかもしれないけど、恋のアバンチュールを夢見るひとのほとんどは、この近松物語が定めたエクスタシーの総量を最上限に設定して、そのはるか下方の底で、近松モデルの粗悪なミニチュアを浅く浅く、表層部分のみ真似て楽しむ似非遊戯をしているだけなんじゃないのかな。

 そして、僕はあらゆる陰謀論、「 反ワク 」「 ウソコロ 」「 ノーマスク( もう旬過ぎちゃったけどね )」運動等からも、これと同種の低次なエロの匂いを嗅ぎつけてしまうのです。

 ですから、この場を借りて、僕はあえていいたい ――― 彼等の運動の真のモチベーションは、政治改革などではなくて実は卑俗かつ卑小なエロなのである、と。
 彼等の言説がいちいち非論理的な方向に流れていくのも当然でしょう。
 彼等の言論が息の詰まるような閉鎖性に閉じこめられていくのも、これまた当然。
 本当に彼等が建てたかったのは、恐らく「 曾根崎心中 」のお初と徳兵衛が旅したみたいな、壮大な夢の戦場建築であったのだ、と思います。
 だけど、あいにくのこと、彼等のなかに近松の天才に恵まれたプランナーはいず、彼等の攻撃のとっかかり場所も、明白に誰の目にも見えるコロナ禍の象徴記号である「 マスクの有無 」部分にやむなく設定するしかなかった。
 このむりくり設定により、ただでさえ制限された彼等の言説は、なおさらリアル世界から遠去かった地下運動の趣きを帯びた。 
 そして、発火するかどうかも分からないデマな模擬弾薬を使った、彼等の貧しい模擬闘争が始まり、その闘争もコロナの終息につれどんどん下火になっていった。 
 でも、まあ仕方ないよね ――― 元々が、あらかじめ下方に目標設置したエロの蠕動運動でしかなかったんだから。

 なんか、際限なくなってきたんで、このあたりでやめます ――― ちょっと今日の僕は堪え性がなくて幾分ヒステリックなきらいがあるね え ――― 暴言失礼!――― お休みなさい。

  マイケル
 
 
 




http://min.mi-n.net/2015/11/1-3.html?m=1

2015年11月3日火曜日(瀬木比呂志氏の言説を扱っているブログより)

口頭弁論調書に関する規定はたったの1条 3行でいいのか?

 
日本の民事訴訟法では、口頭弁論の調書に関する規定はたったの1条 3行です。
オーストリア民事訴訟法では11条項もあります。当事者の署名が必要とされています。
ドイツ民事訴訟法でも8条あります。
 
判決を操作するために、調書は不実記載だらけになっています。虚偽公文書作成罪です。
口頭弁論は録音し、調書のコピーで告訴すべきです。
当事者に内容確認する機会を与えようともしない、異議を述べても訂正しようともしない、恐ろしく卑劣野蛮な裁判所です。日本は。
 
不正裁判を隠避するためにあるような民事訴訟法です、日本は。腐りきっています。なにもかも。
 
刑法(虚偽公文書作成等
第156条
公務員が、その職務に関し、行使の目的で、虚偽の文書若しくは図画を作成し、又は文書若しくは図画を変造したときは、印章又は署名の有無により区別して、前2条の例による。


🔺 上記 民事31部は❌   民事34部に修正



🔺 上記 民事31部は❌   34部に修正





💎 サーティンキューさんとの対話 < PARTⅠ >

2023-03-10 14:15:17 | サーティンキュー

サーティンキュー
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マイケルさんへの返信 ~ 2339の1  
 
マイケルさんへの返信 ~ 2339の1_d0241558_22115457.jpg

Commented by マイケル at 2023-03-08 13:22 x
 
< 予言の構造 >

お元気ですか、マイケルです。
今回は、予言の構造について書きます
サーティンキューさんはかつて「 トランプの大統領当選 」と「 japan 五輪のコロナによる延期 」を当てられました。
驚嘆しましたよ。ヒラリーがあれだけ有力だって報道が満載されていたなかで、微塵の揺らぎもなく自分の予想を断言できるなんて。
 
フツーの予言者装いキャラの場合は、みんな外れたときの保険をかけながらそのようなことをいうんです。後で言い訳できるように。だから、彼等の言葉は必然「 曖昧さ 」のカバーで包装されたものとなる。
でも、サーティンキューさんの場合はそうじゃなかった。
馬鹿正直に自分の予想をドンといい、その馬鹿正直な言葉が現実の事象をたしかに追いこした。
 
どうしてこのような離れ業が可能だったのか?
 
サーティンキューさんが筋金入りのアウトサイダーだったせいだ、と僕は思っています。
予言者、詩人、哲学者、もしくは犯罪者、殺人者、全世界が自室内である引きこもり ――― いわゆる現在世界に安住していないひと、安住したくてもどうしても現在世界のエリアから弾き出されてしまうこうしたアンダーグランドな土壌の領域以外では、このように突き抜けた「 世界視 」がやれる特殊な目玉は持ちがたいものであるからです。
 
近くにいたら世界なんて見えやしないんです。
たとえば今PCを打っている僕の右手指には、僕の全体像なんか全然掴めていない。
彼は僕の眷属であり、僕という存在に取り込まれた存在であるからです。
彼が独自の視点を持つためには、僕という存在意思から棄てられる前提がどうしても必要です。
 
そう、見るためには資格が要るんです。
 
繁栄の輪から何十マイルも遠く離れて、安住人(あんじゅうびと)の無数の焚火を、毎夜寒い荒野から眺めつづけた経験を持ったひとでなければ・・・。
 
 
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★こんにちはマイケルさん。鷲はマイケルさんの書いているものを読むのを非常に楽しみしてます。このような形で「対話」できることを嬉しく思ってます。さて、何から書いていくかwww と考えてますが、2016年の11月の米大統領選の「ヒラリーVSトランプ」を鷲が当てたことから書いていきます。あの当時、テレビに出てくる政治評論家と称する者たちは、木村太郎を除き、全員、ヒラリーが圧勝だと言ってました。そして「そこまで言って委員会」に出てくる政治評論家たちも「ヒラリー圧勝の予想」でした。しかし現実に米大統領になったのはトランプでした。池上彰の予想は全くハズレでしたwww
 

★結局、政治評論家とか売文家(小説家その他)とか「カネために受け狙いで言っている者たちには、太陽神のダイレクトノレッジ(太陽神からの直接的な知識)が来ない!」ということなんです。精神がお金で支配されている者たちがやることは、必ず、失敗する!ということ。三浦瑠璃夫妻も「精神がお金で支配されているから大転落」ということです。カルト教祖と政治評論家は似てます。彼らは「何でも知っているようなことを云う」しかし「目的はお金儲け」です。リチャードコシミズも結局は「お金儲けの言論だから、武道精神のマイケルさんに敗北した!」ということです。
 
 
★それにしても2016年11月の米大統領選の【ヒラリーVSトランプ】の予想レースは不思議なことが起きた!と思ってます。【2択】なんだから、トランプが次の大統領に成る!と言い切るテレビに出る政治評論家も木村太郎以外にもっといるはずなんだが、結局、テレビに出る政治評論家たちは【同じ情報に騙されていた!】ということ。テレビに出る政治評論家たちは、10人以上いるはずなんですが、全員、同じ情報に騙されていたわけです。木村太郎だけ、ウソ情報から自由だったのですwww 木村太郎は2020年の【トランプVSバイデン】の予想をトランプと云ってハズシテ【予言者】の地位から転落しましたがwww
 
 
★結局、マスコミで語る者たちは、池上彰を代表にして「ウソ情報」で大衆をコントロールしようとしている勢力の「手駒」にすぎないわけですよ。鷲がマスコミに洗脳されてないのは、このブログを書くことで「常に自分で考える!」ということをやっているからです。日本人は「自分で考えること」ができません。常に権威に従います。大川隆法の信者に成ることも、三浦瑠璃夫妻の信者に成ることも、彼らが「東大卒」だということが一部分あります。子供の頃から【学歴真理教に洗脳されている】ているから、大川隆法や三浦瑠璃夫妻を信仰してしまう。鷲は遥かずっと前から、日本人は【カルト信者体質」だと見てました。
 
  
★自分で考えることは、本を読み、文章を書くことが一番鍛えられると思いますね。マイケルさんの文章を読むと【商売人、売文家の文章】ではないのですね。鷲としてはマイケルさんの文章に【懐かしい昔の香り】を感じてます。鷲の文章は実を云うと【意味が解ればそれでよし】なのです。文学的装飾美の文章は捨てたのですwww 鷲の文章は【ストレート主義】だということ。あらゆる情報を吸収して、毎日、文章を書くことが、一番人間の頭に良いことです。それよりも鷲は【性エネルギー昇華秘法】を第一にこのブログで紹介してます。
 
 
★マイケルさんは「武道」をやっていることが非常に良い方向に行っていると感じてます。鷲も北海道の北見市の小学6年生の12歳の頃は卓球で北見市で一番強く、勉強も一番でしたが、19歳の頃は深夜の横浜の黄金町や日の出町で売春婦たちを見るのが趣味だったwwwのですが、22歳の頃に東京の恵比寿でミゲルネリに「性エネルギー昇華秘法」を習います。今は日本のエリートは【性的退廃】で【総崩れ】です。リチャードコシミズも【性】に言及することはありませんでした。彼は「性的退廃者」だからです。
 

 次回に続く
 






――― サーティンキューさん、こんな風にサーティンキューさんと語らえて、僕も嬉しいです。
 かおりんさんからサーティンキューさんの存在を教えられたころは、まだ before Corona の時代でした。

 当時はまだ陰謀論界隈も元気でした。
 リチャコシ全盛の頃からくらべるとずいぶんと斜陽になってはいたけど、僕が初めて偵察のため FACT を訪れたとき( 2018年11月14日 )には、会場にまだ客は30名以上集まっていましたから。

 後の僕の訴訟者もきてましたね(笑) うん、リチャコシ席のすぐ前のとこに座ってた。
 でも、コロナが訪れ、陰謀論者の言論が「 反ワク 」「 ノーマスク 」の方向へと舵を切っていくにつれ、陰謀論はどんどん変質していきました。以前よりさらにネガな方向に衰弱していったというか。
 米国Qの連邦議会襲撃の件で「 Q狩り 」が始まり、日本QAnon の代表という虚名が売りだったよかとよ( Qエリ )が消え ――― 彼女も実は僕の訴訟者になる予定だったんですよ w ――― それに次いで国民主権党の平塚正幸も、Qの後に勃興した神真都Qとやらも消えました。

 リチャード全盛のころに「 紙幣の不思議 」という人気ブログをやっていた名古屋のバレバレ氏( 寺尾介伸 )も、最近では反ワク路線の衰弱言論を振り撒くだけの、なんだかよく分からないひとになっちゃった。
 陰謀論者相手にワーワーやっていたあの騒がしい夏はなんだったのか? とふしぎになりますね。
 2021年の11月17日に水道橋のFACTをひとり訪れて、御大リチャードコシミズとワンダーアイズの大塚社長と、まだらなお客のいる開演前の暗い会場内で、丁々発止のチャンバラを繰り広げたりしたのも、遠い日の夢のようです。

 とどのつまり「 陰謀論 」っていうのは、はみだしっこの戦争ごっこでしかなかったんだなあ、といまになって僕は思います。
 賭けてないもん、彼等。
 命がかかっていたら、どんな人間でも必死になって知恵を絞って、考えたり行動したりするはずじゃないですか?
 でも、連中は決してそんな風には動かない。ネットで拾ってきたうさん臭いデマ情報を得意げに自分の twitter に貼りつけて、また聴きしただけのそんな情報をさも自分の言説であるかのように装い、それを拡散することが「 さも立派な英雄行為 」だと一生懸命思いこもうとしてる


 ここのポイントはもち「 思いこもうとしてる 」ってこと。
 信じてないんですよ、彼等。世界解釈の方便として自分たちが主張している「 陰謀神話 」を、なんと発信者である彼等自身が信じきれていない、というこの致命的な矛盾。
 彼等が何をいおうと ――― たとえばワクチンを接種した人間は全員2年後にターボ癌で死ぬとかね(笑)――― そんな彼等のねじまがった言説を僕が厭うのは、彼等が本当に主張したいのは彼等が建前的に対外用に陳列したそんなショーウインドウのなかの「 陰謀神話 」のセットなんかではなく、そのような自分たちの主張ですら実は自分たちは信じきることができないんだよ、という「 真我不在の悲しみ 」のほうが、彼等の無意識内の本音としてずっと大きく聴こえてくるからです。

 彼等はたぶんこの世の中のなんにも信じてない、と思う。
 常識も、友情も、信頼も、愛も、論理も、平和も、対話も、家族も、法律用語みたいな遠景として捉えているんじゃないのかな?
 ええ格好しいの偽自我を自身の祭壇に祀りあげ、その祭壇に「 否定と憎しみ 」を捧げることだけが唯一の生き甲斐で。
 悲しいほどの孤立。
 誰とも心を交換できない苦悶。
 獄舎の窓から眺めるしかない遠い世界。
 言葉に還元できずにカオス状に凝り固まってしまった、頑固で意固地な「 世界への怨み 」の結晶を身体中に貼りつけて。
 ちょっと耳を澄ませるだけで、彼等の言葉の背後でたえずごうごうと鳴っているそれが聴こえてくる。
 ていうか、僕にはそちらの音のほうしか聴こえない。
 彼等の指がいじって細工した多くの言葉のほうには、音も意味も熱もなんにも盛られていない。
 それは、ずっと未来の弥勒の世、人間が死に絶えてしまった後の無人の荒野で、誰かが人間の骨で作った弔い用のモビールが風で鳴りあっている偶然の響きのようだ。
 世界から弾かれた流竄者としての不安と苦悶を、言葉でない言葉 ――― 存在の軋りみたいな響きでもって訴え続けるしかない、彼等のばらばらの偽言葉のそんな無機的な破片に触れるのは、砂を噛むみたいに手応えがなくて、淋しい。
 

             ✖             ✖             ✖             ✖

 
 それはそうと今回のサーティンキューさんの< マイケルさんへの返信3部作 >にはまいりました。
 このひとと腹割って話したいなとは思っていたけど、よもやここまでの饗応で応じてくれるとは夢にも思わなかった。
 僕もそれなりにラフな格好をして訪れたんだけど、それにこれほどすっ裸のち〇ち〇丸出しの本音で答えてくれるとは。
 うん、見切りと度胸が並じゃない。

 正直、負けたなあって思ってます。

 感謝しかないですよ、マジで。 
 コリン・ウイルソンには僕も十代のときからハマってました。
 超・大事な「 金 」の信仰についても喋りたい。
 いま私生活がちょっと立てこんでるのであと2つ書けるまではいくらかかかるかもしれないけど、必ず返事します。
 サーティンキューさんと話してると、狭っちい屋内じゃなくて、広々とした抜けるような青空の下で話してるみたいな気分に僕はいつもなってくるんですよ。
 襟元を駆け抜けていった西風をつい目で追ったら、ぽかーんとした青空が視界いっぱいに開けたみたいな、この感覚が僕は好きです。
 太古の時代にあっては、詩というのは青空に向かって吠えるように朗唱するのが作法でした。
 紙のなかに閉じこめて梱包したがるのは、近代の趣味です。
 そんな趣味は放っておいて、万葉の世の人々の歌のようにあくまで野外で、生のままのがなり声でいきましょう ―――。

 マイケル











http://min.mi-n.net/2015/11/1-3.html?m=1

2015年11月3日火曜日(瀬木比呂志氏の言説を扱っているブログより)

口頭弁論調書に関する規定はたったの1条 3行でいいのか?

 
日本の民事訴訟法では、口頭弁論の調書に関する規定はたったの1条 3行です。
オーストリア民事訴訟法では11条項もあります。当事者の署名が必要とされています。
ドイツ民事訴訟法でも8条あります。
 
判決を操作するために、調書は不実記載だらけになっています。虚偽公文書作成罪です。
口頭弁論は録音し、調書のコピーで告訴すべきです。
当事者に内容確認する機会を与えようともしない、異議を述べても訂正しようともしない、恐ろしく卑劣野蛮な裁判所です。日本は。
 
不正裁判を隠避するためにあるような民事訴訟法です、日本は。腐りきっています。なにもかも。
 
刑法(虚偽公文書作成等
第156条
公務員が、その職務に関し、行使の目的で、虚偽の文書若しくは図画を作成し、又は文書若しくは図画を変造したときは、印章又は署名の有無により区別して、前2条の例による。


🔺 上記 民事31部は❌   民事34部に修正



🔺 上記 民事31部は❌   34部に修正