https://bccks.jp/bcck/162425/info
Hello、皆さん、今回は珍しくリチャードコシミズの記事ではありません。
僕の友人であり、RK査問委員会の協力者でもある、群馬の新藤洋一氏に関する近況を、僕はこれから書こうと思ってる。
ですから、リチャードコシミズの巻き起こす、ネット内バーチャル世直しゲームに一喜一憂してられる方は、一切これを読む必要はありません。
いや、正直いうなら、そのような方々は速やかに退出してもらいたい、と僕は思ってる。
というわけでご退出はもう完了されたでしょうか?
うーん、大方完了されたみたいなんで、じゃあ、そろそろいきますかーー。(笑)
✖ ✖ ✖ ✖
僕が新藤洋一氏ーー以下、新藤さんと記述しますーーと知り合ったのは、新藤さんが 2000年から 2018年まで営業していた、
「地鶏ラーメン自給屋」という店舗においてでした。
知り合った契機は、リチャードコシミズ独立党。
うん、僕等はそのころリチャードコシミズ独立党に在籍していたの。
僕はバカみたいに 2009年の末から、新藤さんは たしか2015年の中盤あたりから。
あんまり記憶が明確じゃないんだけど、初めて会ったのは、2015年の末尾あたりだったんじゃないだろうか。
新藤さんが作農料理人(自宅で農作物をつくり、それを料理する店舗をやるひと)なことは知っていたけど、
新藤さんは朴訥で特に愛想のいいキャラとはいえないし、僕も僕で愛想はやたらいいけど記憶力のほうは人並以下だから、
最初のうちはそれほど親しいってわけじゃなかったんですよ。
新藤さんがやっていた「自給屋」の無農薬・化学調味料ゼロのラーメンの旨さは、RK独立党のなかでも当時評判になっててね、
あるとき、党員の誰かの紹介で僕もそのラーメンを食べにいったんですよ。
そのラーメンに僕はやられた。
新藤さんができたラーメンを店のカウンターごしに置いてくれてね、僕は「へえ」って感じで割り箸をわって、
じゃあ、いただきますって食べるんだけど、最初の1口はそうでもないのーーいわゆる「家系」みたいな刺激のある瞬発系の味じゃない。
なんていうんだろう、口に入れてからじわ~んと身体に染みてくるんですよ、なんともいえない懐かしい芳香が。
身体中の細胞までそれが染みわたっていき、やがて身体自体がじんわり歓びはじめる感覚といったほうが近いかな…。
その浸透度が並じゃないーーヤバイくらいふか~く染みてくるんだわ、これが。
僕等、何名かで喰ってたんだけど、2口3口と喰べすすむにつれ、全員無言になっちゃった。
舌だけを喜ばせる味覚じゃないんだな。もっと大きな、大地の恵みを「夾雑物なしに体感させてくれる」感じなの。
友人のポゴさんが「食べたあともあったかい喜びが 30分も 1時間も持続する感じ」といったことがあるけど、まさにそれ!!
あんまりびっくりして、それがちょっと癪なんで、食後、僕はほとんど仏頂面をしてたように思う。
ーーどうでした、マイケルさん…?
と問う新藤さんに、
ーー全盛期の佐野実のラーメン藤沢で喰ったことあるんだけど…、それより……
と僕はさらに仏頂面になって、
ーー旨かった…。
新藤さんの目のなかを、一瞬だけ悪戯っぽい笑みがよぎります。
僕が新藤洋一というオトコを意識しはじめたのは、その瞬間からでした。
新藤さんとほかの料理人を隔てる最大のちがいは、彼が自分のつくるラーメンの材料まで自分で育み、収穫しているという点でしょう。
分業化が常識となっているこの現代ニッポンの功利的経済社会において、いわば新藤さんは完全なアンチテーゼを体現しているわけ。
もちろんこれは容易にできることじゃありません。
たとえばプロパンなんかの既成のガスなんか使っていたら、店舗の場合、それだけで月ごとに大変な出費になってしまう。
そこで新藤さんが考えたのが、エネルギーの自給化といった概念でした。
そうと思い立ったら、彼、一切迷わないんですよ。
さらにびっくりしたのは、彼が十代二十代のころからそのような自分のプロジェクトをあらかじめ設定していて、
その未来イメージ通りの自分になるために、具体的にーー金沢に修行にいったりしてーーあくまで着実に努力してきた、といった話を聴いたときです。
こうやって抽象的に語るとなんだか容易そうに思えるかもしれませんが、エコ・自家発電エネルギーの専門家、
無農薬農業を早くから実践してきたオーソリティーなんて、みんな頑固な変わり者ばっかに決まってるじゃないですか!!
そのようなひとたちに初見でいぶかしげに見られても、新藤さんは決してメゲなかった。
新藤さんはコトバのひとではありません、どちらかというと訥弁の部類に入るひとだと思います。
でも、言葉を信じないその道の先駆者たちから見ると、新藤さんの体躯のなかの、その純朴な熱意がよく見えるんでしょうね。
結果、新藤さんはみんなから可愛がられ、彼等のメチエを取り入れて、次々と自分の世界を深め、耕し、広げていきました。
この道程に関する、新藤さん自身の言葉を聴きましょうーー
ーー私が描く自給生活の重要な要素は、「食」と「エネルギー」です。食に関しては、田んぼと畑があれば色々作れます。では、エネルギーはどのように自給すればいいのか。ちょうどその頃、埼玉の小川町で「自然エネルギー学校」が開催されていました。月1回の開催で、1年にわたり、様々な自然エネルギーを勉強し、体験する場です。
ソーラーパネルを半田付けして工作したり、ドラム缶で炭を焼いたり、楽しみながら未知の体験が出来る素晴らしい学校です。
その中で注目したのが、「バイオガスプラント」です。これは、生ゴミや家畜の糞などの有機物から、ガスを発生させる装置です。エネルギー学校のカリキュラムでは、簡易式のビニールで出来ている装置をみんなで作りました。ビニール製のものは劣化するので、長時間使うことは出来ません。本来のプラントは、レンガで作る頑丈なものです。このバイオガスプラントを設計したのが、小川町のKさんです。彼は「バイオガスキャラバン」を主催しており、設置要望がある場所に出かけていき、泊りがけで指導して完成させる、という活動をしていました。
私は、Kさんにお願いして、本格的なバイオガスプラントを作ることにしました。
プラントは、ボランティアの手も借りながら、1999年3月に完成しました…。
(「新新貧乏物語」新藤洋一著:株式会社BCCKSより引用)
もちろん新藤さんが手掛けていたのは、こういった「エネルギー自給のための活動」ばかりじゃない。
新藤さんの畑のある界隈は、群馬の高崎駅からクルマで30分走らなきゃいけない郊外の僻地ですからね、
常連の客を呼びこむためには、肝心のラーメン作りの相当な「腕」も必須です。
フツーはこんな両面作業はやれないものって、大抵のひとはやる前から投げ出しちゃうんじゃないのかな?
でも、僕が体験した自給屋ラーメンの話からも分かるように、彼はそっちの仕事のほうも見事に成し遂げました。
かのラーメンに恋したのは僕だけに限った話じゃない、査問委員会・顧問のあかねさんも、T社長もその夫人も、あと前述のポゴさんも、
それからまだRK独立党員をつづけてられるあのポンにださんも、自給屋ラーメンに通って舌鼓を打ったひとりです。
さらにいうなら、あの副島隆彦先生も自給屋のラーメンを食べてられるんですよねえ。
ええ、新藤さんは、2015年に独立党に入る以前には、副島さんの学問道場にいた経緯もあるんです。
もう、あなた、ひとりで幾足の草鞋を履くつもりなのサ? と、つい文句をつけたくもなる、この万能ぶり。
ま、楽しいんでしょうね、きっとーー楽しいからこそやれるんだと思う。ただの義務感からじゃ、ここまでは絶対やれないもんねえ…。
✖ ✖ ✖ ✖
2013年、リチャードコシミズは、あの「不正選挙裁判」騒動を起こします。
それまで副島さんに傾注してた新藤さんが、これで揺れた。
ーー副島さんも不正選挙については時々口にしてたけど、それについての裁判まで起こしてはいない。これは、ひょっとして本物じゃないか…?
と思っての入党だったようですが、新藤さんの期待は脆くも裏切られます。
リチャードさんは高裁で行政訴訟をやりーー行政訴訟をやれば必然的に地裁でなく高裁扱いになるからですーーそこに党員や応援観客を呼べば、
<高裁を舞台にしたまたとないバーチャル闘争>がやれると踏んだだけなのです。
そこには「このパフォーマンスにて得られる経済的メリット」と「リチャードコシミズの知名度上昇」の計算しかなかった。
これがやれれば、過去に例のないこの新しい刺激的なパフォーマンスは、自分と独立党との新しい目玉になるだろうって。
なに、いま現在、彼がアビガンに乗っかってやろうとしてることも動機は一緒です。
リチャードコシミズには、いつでも<エゴイスティックな経済的動機>しかないんです。
彼の陰謀論はそうと悟られないための建て前であり、メンヘラ客を呼びこむための撒き餌でしかない。
うん、リチャードコシミズの陰謀論は、ベトナム戦争で使われたブービートラップそのものなんです。
究極の目的は下賤な「自己聖化」とただの「自己正当化」。
でも、当時この騒動の渦中にいた僕には、それが分からなかった。
新藤さんにも、いまは独立党を去った多くのひとたちにもそれは分からなかった…。
2016年、リチャードコシミズ前橋講演会の手伝いに赴いた新藤さんは、この講演会の手伝いのために、何か月もまえから畑の空きスペースを見つけ、
そこに枝豆を栽培しはじめました。
リチャードコシミズや当日集まった党員たちに、極上の自家製枝豆を食べさせてやるためだけに、です。
あの刈入れは、僕も手伝った。
新藤さん指導のもと、鎌で枝豆刈って、枝払って、自給屋鍋で湯を沸かして、どさーっとそれに塩入れて、湯のなかに取りたての超新鮮・枝豆を放りこんで…。
あのとき食べた茹でたてのアツアツの枝豆は、僕が生涯食した枝豆中間違いなく最上のモノでした。
もう、旨いなんてもんじゃなかった…。
講演会にもっていった極上の枝豆を、リチャードコシミズは講演会の休憩時間にむしゃむしゃと続けざまに喰ってました。
ーーうん、うまい…。こういうのを喰わなくちゃな…。
僕等としても嬉しいわけで、当然、僕等もにこにこしていたのですが、次の瞬間、僕等の笑みは凍ります。
ーーでもさ、新藤クン…、大豆つくってどうするの…?
ーー…(黙りこむ僕等)……。
リチャードコシミズの本音は明らかです。それがそんなに重要じゃない、日常会話の端で漏らされたものである分、彼の本音はリアルでした。
大豆つくってどうするの? ➡ それをどう売って金に換えるの? ➡ そもそも大豆作りなんて金になるの?
そう、リチャードコシミズはあのとき、たしかにそういったのです…。
その後、新藤さんは大阪の水野さん、T社長らとともに 2017-04-02 の独立党の花見接見に参加してくれ、
その翌日、僕等は、返還を渋っていたリチャードコシミズから「山荘立上基金」の新藤さんの寄附分である、1口分・5万円を取り返しますーー。
ただ、この新藤さんは、仙人みたいに自給エネルギーに関することばかりやっていたわけじゃないんです。
地元の町会議員を務めたこともあるし、1995年には参議院選挙の東京地区から「農民連合」代表として出馬なんかもしてる。
1998年には「じゃがいも家族ーラジオ高崎 素人番組作り奮闘記」なんて本も出版されているし、
2019年には、月間「現代農業」に<幸せ貧乏生活>という12回の連載をこなしています。
その新藤さんが新著を出したっーー!!
新藤洋一著「新新貧乏物語(BCCKS出版)」
ということで僕は嬉しくてたまんないんだな、これがーー!!(^o^/
僕は芸大出身なんでユニークな輩はいっぱい知ってるんだけど、新藤さん以上にユニークなひとってちょっと思いあたりません。
斜に構えた奴、皮肉屋気取り、自閉した学者タイプ、世捨人、作品を書かない自称・作家、自尊のために言論を張るだけのRKみたいな唯我独尊タイプ…。
どんな変キャラにも元ネタとか係累とかがあるもんなんですが、新藤さんはこれのうちどれにも当てはまらない。
僕はときどき思うんだけど、新藤さんってこれまで自分の好きなこと以外一切やっていないような気がするんですね。
フツーそういったことってできにくいものなんだけど、たまたま新藤さんってキャラはそれが許されたっていう稀有の例なんじゃなかろうか?
この人はね、基本、哲学者なんですよーーうーん、さしずめ「農耕する哲学者」とでもいうのかな…。
この人の文章には飾りっ気がほぼ皆無であり、偉く見せようだとか背伸びして驚かせてやろう、とかの虚飾・計算が一切ありません。
ハッタリ度数ゼロ。虚栄心の香りもなんもしない。
あの岡本太郎がいっていた「綺麗であってはいけない。巧くあってはいけない。心地よくあってもいけない」に見事なまでに合致してるのよ。
新藤さんは誰かさんみたいな宣言もしない。大風呂敷も広げないーー思いついたことはただ黙々と実行するだけ。
無心に鍬をふるっているお百姓みたいな、あるいはそのお百姓が野仕事の合間に彫りあげた素人仏像みたいな、
ごつくて愚直な彼の文体に照らされると、どちらかといえば美文家兼ハッタリ色の濃い僕なんかは、正直いつも圧倒されるんですよ。
ーー何をするにもお金が必要な時代。お金で生活のすべてを成り立たせるのが当り前の社会になっていますが、この先もこれが続くのでしょうか。私にはとても耐えられないので、「いち抜けた」というのが本音です。
果たして私には父のように先見の妙があるのか? それともただの変わり者なのか?
その判断は読者にゆだねたいと思います。
( 新藤洋一「新進貧乏物語」より抜粋以上 )
新藤さんの文章は無茶苦茶に素直です。
自分の思ったこと、やったことを淡々と語るだけーーでも、読み手への配慮もおもねりも一切ないド正直なその文章は、受け手の立場からすると、
ある意味逃げ場がありません。
だから、中途半端な娯楽を求めている読者からすると、新藤さんの文章は厳しすぎるもの、と受け取られるかもしれない。
新藤さんの問いは、一切合切が経済原理で動くようになった現代ニッポンへの根源的な問いであり、批判であり、プロテストなんです。
いうまでもなく「経済」は大事ですよーー経済は僕等の生活を回している車輪なんですから。
しかし、モンサントの思想に代表される経済原理が、人間が人間らしく生きる自由を圧迫して、人間を一個の経済的歯車に変化させようと
しているのが、僕等の生きる現代って時代の宿痾なんだ、と僕は思う。
土との絆を取りもどすこと、農薬がマニュアル化された農産業サイクルからの離脱、エネルギーの独占体制への反撃である自給エネルギーへの試み……。
新藤さんが半生を賭けて追及してきたものは、すべて僕等を圧迫する現代に対してのプロテストなんです。
だから、僕はいっぺん彼にこういったことがある、
ーーあのー、新藤さんってさぁ…、……ひとことでいえば……あなた「テロリスト」だよねぇ……。
この直後の新藤さんの破顔爆笑ほど爽快な表情を、僕は見たことがない。
ーーそう、そうなんですよ…!! 凄いな、マイケルさん! やっと理解してくれましたね…、そうなんですよ、まさに…!!
その意味、これは、新藤さんと僕がともに師と仰ぐ、「印度放浪」の藤原新也の系譜に属する本になっているのでは、と個人的には思っています。
それにしても、こんな永遠の餓鬼魂を宿したオトコを受容してきた奥さんのR子さんは、マジ凄いわ(笑)
この場をちょい借りて、奥様にもひとつ拝跪ををば…。m(_ _)m
ま、いずれにしても、ダチが記念すべき本を出したというのは、これは嬉しいことですよ。
新藤洋一の「新新貧乏物語」を推薦します。
https://bccks.jp/bcck/162425/info
コロナウィルスパニックに揺れる混迷の現代ニッポンのいまでこそ、このような本が読まれるべきだと僕は思いますーー。 (了)