リチャードコシミズが池袋から撤退しました。
もう、池袋に、あのリチャードコシミズ事務所はありません。
独立党関係者の皆さん、ご覧になってますか?
リチャードコシミズをはじめ独立党の皆さんが拠点とされていた、東京地区のあの砦は、もうありません。
失くなってしまったのですーー皆で飲んだり、議論したり、不正選挙裁判に関しての計画を練ったり、
フクロウでの忘年会の帰りに蕎麦を皆で茹でてわいわいいいながら喰ったり、
笑ったり、怒ったり、小規模な講演会を行ったり、
誰それが工作員くさいなんて隅のほうで誰かが囁いていたあの場所は、もうこの世に存在しません。
リチャードさんは、党員たちに何ひとついわずに、池袋事務所を畳んでいました。
まるで夜逃げでもするかのようにーー。
リチャードさんの活動と生活は、リチャードさんを支持し、慕っている後援の党員さんらのお蔭で成りたっていました。
リチャードさんを慕う地方の党員さんのなかには、一度でいいから上京して、
リチャードさんや東京の党員さんらが集う、東京の池袋事務所を訪れてみたい、などと憧れっぽくいわれる方も多かった。
せんじゃさんがそうだったし、大阪のK〇さんなんかもそうだった。
彼等タイプの党員さんらの願いがかなうことは、もう二度とない。
なぜって、リチャードコシミズ東京事務所は、もう失くなってしまったのですから…。
兆候は、いっぱいありました。
独立党の最大の売りであり炎上ネタのひとつである不正選挙裁判の記事が、いつからかリチャードブログに載らなくなったことーー。
僕は何度も不正選挙裁判の原告やってますから、訴訟時のめんどくささは充分心得てます。
リチャードさんの言説を信じ、それまで裁判なんかとまるきり無関係だったひとが、
慣れない法律用語を駆使して、行政訴訟を立ちあげるっていうのは、あれ、結構難事なんですよ。
ところが、自分を慕う党員さんが苦労して立ちあげた裁判を、いつからかリチャードさんはまるきり記事に挙げなくなった。
2018年2月5日に東京高裁429号法廷で行われた行ケ36号の不正選挙裁判では、
リチャードさん、ブログで皆に「歴史の目撃者になりましょう!」なんて呼びかけてました。
しかし、実際に裁判傍聴に訪れたのは、僕を含めたったの14人ーー。
ブログの総視聴が2億に迫るかつての盛時とくらべると、悪夢のような凋落ぶりです。
この事実を載せたら、独立党の人気がまた落ちる、と思われたんでしょうねえ?
で、封印した。
リチャードコシミズ独立党は、こうして自らの間口をひとつ閉ざしてしまったのです…。
ふたつめーーCHORYOさんBさんが原告となった名古屋裁判についても、ブログ上で遂に完全沈黙してしまったことーー。
最初に訴えられたとき、リチャードさん、
ーーこれは私の真相解明活動を阻害するためのスラップ訴訟だーっ!!
とか凄かったじゃないですか?
CHORYOさんもBさんもあかねさんもみんなひとまとめに「名古屋保険金殺人グループ」なんていっちゃって、
それに追随する独立党員の誹謗中傷も凄まじいものがあった。
しかし、いまやどうです?
伸びに伸びていた名古屋裁判の日取りが今年の6月8日だといよいよ決定したというのに、
リチャードさんはその事実に1行たりとも触れようとせず、
ことの経緯を知りたいひとは僕のブログを頼りにするしかなくなってしまった。
ねえ、どういうんです、こういうのって?
みっつめーー熱心な独立党員のIさんが、独立党のためを思ってアンチである僕を民事で訴えたことーー。
Iさんにしてみれば、これ、一大決心だったと思います。
どっからどう見ても聡明タイプには見えない(失礼!)Iさんは、たぶん何か月かかけて、
法律書片手に、一生懸命あの訴状を書き綴ったはずです。
恐らく独立党員のひとや御大のリチャードさんから英雄的な喝采を浴びることをほのかに期待して。
党首だったら、ここは当然誉めてやらなくちゃいけない。
しかし、リチャードさん、誉めませんでした。
誉めるどころか、そういった訴訟を起こした勇士が独立党にいるって事実すら公にしようとしなかった。
なんで?
答えは非常にシンプルですーー負けるのが完璧分かっているから。
理論も理窟も要りません。
2018年2月5日の不正選挙裁判の集客、14名ーー。
2018年4月14日の信州山荘花見会の集客、6名ーー。
2017年の霧積合宿の参加者、13名ーー。
2017年末のク〇〇〇バー弁護士事務所裁判への傍聴依頼への応答者、わずか3名ーー。
これが、いまの独立党の掛け値なしの実力なんです。
リチャードさんは誰よりもそのことを分かってた。
だから、逃げたんです、こんな風にーー。
自分を支えてくれてる党員さんらに一言の断わりもなく、
恥も外聞も捨てて夜逃げしたんです。
つまり彼、支えてくれた党員さん全員の期待を見事なまでに裏切ったんです。
ビューティホー!! と思わず叫びたくなるほどのこの逃げっぷり!!
池袋のリチャードコシミズ事務所を訪れたことがあるひとは、下の写真を見てください。
赤で囲んだ602号室が、かつてリチャードさんがいた部屋です。
僕は、一昨日の4月19日、大阪にいってあかねさんと会ってました。
翌20日には、名古屋に寄って、CHORYOさんと話しました。
同月の13日には、僕、信州長和町の独立党山荘を訪れて、引っ越し作業中のリチャードさんとじかに会ってますから、
もうリチャードさんが池袋事務所を畳んでいることは分かってた。
リチャードさんがすでに住民票を移してる事実も知ってましたしね。
だから昨日の早朝、出勤前に早起きして池袋事務所にわざわざ出向いてみたわけ。
アタマではこうなってることは分かっていたんですが、実際にそれ見てみると、やっぱ、軽いショックがありましたね。
ーーああ、リチャードコシミズの時代がとうとう終ったんだ…。
胸の芯がうずくような実感がありました。
いろんな思い出が一挙に去来しましたね。
この横断歩道でリチャードさんが突然叫んだんだ…。
この6階のテラスのとこから、〇〇くんがふいに駆け下りたんだ…。
このドアまえで〇〇さんが号泣して〇〇さんと喧嘩になったんだ…。
まがりなりにも、僕、あの団体に7年もいたわけですからーー。
これほど重要なことを自らの応援者たちになんの公示もなしに、超・無責任に実行してしまう。
現代ニッポンの一般常識からはおよそ考えられないこの暴挙ーー
あとの騒ぎなんぞ知ったことか。
騙されるほうがわるいんだ。
世間なんてどうせそんな場所じゃないか。
ああ、なんともリチャードさんらしいなあ、と思います。
独立党の皆さん、リチャードさんっていうのはこうしたオトコです。
タブーなきジャーナリストですってーー?
どこがや。
僕の名もタブーだし、裁判も山荘基金もみーんなタブー。
なにからなにまでタブーだらけやないかい。
工作員ネタも背乗りネタも被暗殺妄想もダビデの星レターも、ぜ~んぶウソ。
ヘイト意識とコンプレックスにまみれた小さな男が、たまたま虚業で一発あてた。
得意の絶頂になって、遊びまくり、パチンコもし放題、党員婦女子を思いのまま喰いまくった。
でも、彼の季節は、とうとう終わってしまったーーそれが、いまーー。
対独立党戦争は、これでほとんど終ったと僕は見ています。
けど、だからといって、彼がいままでやってきた行為まで許すつもりはありません。
2017年の4月2日の花見のときに僕が思い描いていた通りに、事態は推移しています。
クライマックスはもうじきだと、ここで一言いっておこうかな?
今夜の僕の記事は以上ですーーお休みなさい。
驕れる者も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者も遂に滅びぬ、一重に風の前の塵におなじ。