ドッシーのブルース ( by マイケル)
陰謀論が虫の息だ ーーー。
派閥も流派も関係ない、主義も主張もあったもんじゃない。
時代の潮流が変わり、あの神真都Qの壊滅で、一世を風靡した自分たちの目玉である「 ノーマスク 」や「 ウソコロ 」路線が盛りあがりにくくなってくると、今度は流行ネタである「 統一教会 」路線にするりと乗り換えてくる。
何気に。要領のいい営業職のサラリーマンのような卑しいはしこさで。
ああ、ヤバイ、だんだん視聴が淋しくなってきた、スポットライトも当たりにくくなってきたじゃないか、どうすんだよ、コレ、と危機感を覚えるやいなや、今いちばん視聴を取れそうな、陰謀論路線の最新流行である「 参政党 」にすかさず擦り寄っていく……。
「 ノーマスク 」路線が駄目になった。
「 ウソコロ 」と連呼しても、いままでみたいな手応えがあんまない。
そうか。なら今度は「 統一教会路線 」のデモで盛りあがってやろうじゃないか……。
なんという変わり身であり、御都合主義であろうか。
いつもながらのこととはいえ、そのような彼等流のカメレオン歩行をあしざまに見せつけられて、僕はまたしても言葉を失う。
いままで口にすることは控えていたのだが、僕は、ネットをメインに活動する陰謀論者たちは例題なく「 地下芸能界 」のタレントなのだ、と感じている。
そう、彼等の本質は「 タレント 」なのだ。
自分たちの主張に命を賭けるわけでもなく、世の趨勢が変わるごとに「 受ける話題 」に上手に乗っかって、波乗りパイレーツとでもいうのかな?
自分たちで自撮りした動画で仲間内で盛りあがり、陰謀論仲間のあいだでぬるい称賛を交わしあい、スポットライトを浴びてチヤホヤされること自体が目的なのだ。
もちろん、プロじゃなくて、彼等は素人のアマチュア集団だ。
むかしむかし、1980年の前半あたりまで、東京の原宿で派生して、全国区の知名度を得るほど興隆した、若者文化の祭りがあった。
いわゆる「 竹の子族 」である。
ネットも自撮り動画配信もなかったあの時代、多くの若者がそれぞれのチームをつくって、週末になると独自のファッションで身を固めてやってきて、バブル期の象徴みたいだったディスコサウンドにあわせて、野外で踊るのが流行ったのだ。
僕は現在の陰謀論者たちを見るたびに、過ぎ去った彼等「 竹の子族 」のことを思い出す。
彼等のパレードにも順位といったものがあり、人気が出て見物客やフアンなどもついてくると、ファッション系の雑誌が取材にきたり、芸能界のスカウトマンから声をかけられたり、場合によっては全国区のTV番組で紹介されるようなこともあった。
哀川翔、故・沖田博之、柳沢慎吾なんかが確かここの出身だったはずだ。
この「 竹の子族 」と現在の陰謀論者のノリはほとんど同種のものじゃないか、と僕は思う。
「 竹の子族 」のステージは代々木公園脇の野外のホコ天であったが、現在の陰謀論者のそれはネットであり自撮り動画の配信であるというだけの違いだ。
「 竹の子族 」にも自分たちのダンスが評価されると嬉しいといった、自分誇示の芸能界的なノリはあったが、そのために貴重な休日をチーム全員でステップの練習に費やしたり、チームのツナギのデザインを自分たちで考案したり ――― 甲子園という目標にむかって地道に努力する高校球児たちみたいな、いささか青臭いけれども笑い飛ばすこともできにくい、ひたむきで素直な「 純 」の部分もあった。
陰謀論者はちがう ―――「 竹の子族 」が自然発生的に生まれた彼等なりの芸能甲子園であったとするなら、陰謀論者らの集う陰謀論甲子園は、いわば「 地下芸能界 」とでも呼ぶべきアンダーグラウンド世界だ。
彼等は「 ディープステート 」とか「 裏社会 」などという言葉をよく使うが、誰もがすぐに感知するように、彼等のほうこそが裏社会だ。
ここで幅を効かせているのは、健全な自己証人欲求などではなくて、一種の薄ら暗い、僻みまじりの陰気なデマゴーグなのだ。
事実の検証なんて行為はここには存在しない。
というか会話という行為自体がない。
彼等は誰とも話さない。
投げられた問いにも答えない。
ここには「 会話 」といった概念すら存在しない。
世界に対する自分の呪詛を一方的に読経して、それでもって仲間内の連帯の幻を見るための方法論とでもいおうか。
そこは、世間でなされている通常の行為からはみ出して、どこにも居場所のなくなったひとばかりが集まる、特殊な「 痛み 」の空間なのだ。
彼等がよく使う「 ディープステート 」や「 裏社会 」などという曖昧模糊とした概念は、証明されたことがない。
それらの言葉の音が指し示すべき現実のシニフェが、具体的にどこの誰を、いかなる組織を表すものであるかを知っているひとも誰もいない。
あえて分類をしてみるなら、それは魔術語のカテゴリーだろう。
いま飛び交っている陰謀論の数々の言論は、「 今現在の世界 」を総否定するための言論である、と僕は思う。
そう、陰謀論とは、魔術でもって自らが招いた絶望的な孤立を、認めないで済ませるための彼等なりの方便なのだ。
世界との軋轢から、ばらばらに孤立化してしまったどうしようもない自分たちを誤魔化すために、彼等は陰謀論のイディオムをダウンロードする。
言葉すら失った自分たちだが、陰謀論のマニュアルを用いれば、少なくとも誰かと喋ったような感触を体感することくらいはやれるのだ……。
「 竹の子族 」の未熟さは健康であり美しくもあるが、陰謀論者のダンスはちがう。
彼等のダンスは息苦しいうえに不健康すぎる ――― まるで断末魔の痙攣のようだ。
さらにいうなら往年の「 竹の子族 」のメンバーとちがって、彼等の平均年齢は比較的高い。
「 竹の子族 」の平均年齢は十代後半から二十代中盤までであったが、陰謀論者の平均は四十代から五十代後半くらいまでだ。
―――― 五十代になってまでそんなことやってんのかよ!?(笑)
と爆笑されるかもしれないが、僕がこれまで知り合った多くの陰謀論者は、ほとんどが四十から五十代であった。
Q の okabaeri@9111 などはデビュー時から六十代だった。
「 竹の子族 」は十代から二十代が中心だったから、未熟部分もまあそこそこ美しく見えるわけ。
だけど、陰謀論者はちがう ――― 醜いとまではいわないけど、年齢相応の熟練的要素は微塵も感じられない。
暗い、ネットの架空空間の匿名ステージだけで「 ノーマスク 」だの「 ウソコロ 」だの、いまだにいっている連中を見ていると正直虫唾が走る。
僕の勤めている病院でも8月にクラスターが発生して、職員、医師、ナース、入院患者のあいだに多数の陽性者が出た。
完全防備の防護服に身を固めて、次から次へと陽性者の病室を訪室していくときの気持ちがどんなものか、彼等に分かるだろうか?
「 ウソコロ 」の患者が、どうして酸素の量を6リットルにあげても、サットが見る見る危険値の80%を切っていくというんだろう?
当然、死者だって出た。こういう環境で働いている多くのひとたちに、彼等の言論がどういう風に響くのか考えてみてほしい。
僕は、「 ウソコロ 」とか「 毒ワク 」だとかのひとりよがり言説を喚いている連中を全員ここに呼んで、対コロナの最前線の光景を見せたい、と心から思った。
そう、陰謀論者は事実を見ないのだ……。
というより、事実を見たくないからこそ、彼等にはああした陰謀仕様のヒッキー部屋が必要なのだ、といったほうがいいかもしれない。
彼等はことごとくリアル世界を恐れる自閉者だ ――― ネットで拾ったネガティヴ情報だけで武装して、それ以外の世界観には一切触れたくないとするのが、いわゆる陰謀論型のスタンダードな感性なのだ。
陰謀論者が本当に敵視しているものは、僕等が当たり前に思っている世論や常識などではなくて、彼等はそれよりもはるかに自分の身近にある「 現実 」や「 事実 」そのものを憎んでいるのだと思う。
ただ、それを正面きっていうだけの言語センスには恵まれていない。
そこで陰謀論なのだ。
自分を疎んじている憎っくき通常人たちが大事にしているルールを少しでも汚したいがために、たぶん彼等は陰謀論をレンタルする。
レンタルした言葉に自分内の虐げられたカオスな怨みを搭載させて、世界に向けた自身の言葉としてそれを発信するのだ ――― これまでスポイルされてきた悲惨で孤独な自分史の怨みを晴らすために。
陰謀論者はコロナウイルスを否定するが( 同じ陰謀論でもリチャード派はちがう。彼等はコロナウイルスは否定しないが、ワクチンが「 毒ワク 」であり、人口節減のための道具だという立場である )、実際に自分たちで病院に行き、医療の現場を見て「 コロナ時代の真相 」を見極めてやろうじゃないか、といったような発想はまったく持たない。
陰謀論のクロッキーを最初に描いた、陰謀論の初期アイコンとしてのリチャードコシミズにしてからが、そうだ。
彼はキャリアの初期に「 保険金殺人 」によって自分は殺されそうになり、そのために世界を背後から動かしている闇の力に気づいた、といっている。
けれども、彼は、自分の遭遇した「 保険金殺人 」という事件について、現実的な調査を試みようとしたことは1度もない。
彼がことの真相を確かめるために、実在する生命保険会社を訪れたこともない。
初期のころ、彼は記者たちを集めて自分の遭遇した「 保険金殺人 」について語ったことがあったが、彼の話を聴きに集まった記者らは、皆、途中から彼の話を聴かなくなり、やがて全員が部屋から退出してしまった。
当然だ ――― 自身の感じている実存的なイリュージョンを展開することだけが、彼の陰謀論だったのだから。
僕が記事冒頭にあげた、彼の近著「 ウラジーミル・プーチン 」を見られたい。
彼はロシアにいったことなどない。
オルガリヒについて、あるいはロシア革命のバックにロスチャイルド家がいる、ロシア革命は実はユダヤ革命であった、などということは初期にずいぶんいっていたが、僕はそのあたりの言説は、彼よりも先輩の宇野正美氏の著書ですでに読んで知っていた。
ただ、全盛時の彼にはそうした情報に、自分の怨念を乗っけて語ることのできる、特殊な話術があった。
1度聴けば誰でも分かる陰謀論という商品を、彼はネット上で展開し、自身が巨悪と闘うジャーナリストであるとさかんに喧伝した。
政治の舞台となったロシアではなく、ロシアの文化について彼がどう思っていたかは分からない。
ロシアの文化について ――― ドストエフスキーやチェーホフ、チャイコフスキーやラフマニノフに対して興味を抱いているといったような発言を聴いたことは、僕にはない。
池袋に彼の事務所があったころ、僕は彼のもとによく通ったが、彼の蔵書にロシ文関連の書は皆無であった。
彼の過去の自説「 保険金殺人 」と現在の「 救世主プーチン 」の思想は酷似している。
一切の現実的な調査を行わず、すべての判断を自分の空想内でのみ行っているという点で。
一般的に、この種の言論は「 妄想 」とも呼ばれる。
リチャードコシミズの言論にはその種の要素が非常に強く、その特異性が初期の彼のウリになっていた。
―――― え~っ、こんなこといってもいいの!?
といったタブー破りの万引き的快感が、まだそこそこ豊かであったあの時代に響いたのだ。
けれども、いつまでも少ない駒で十年一日のマンネリヘイトを続けている彼に、時代のほうがそろそろ飽きてきた。
長いこと彼を干していたヒカルランドがここにきて久しぶりに彼を取りあげたりしたのは、陰謀論全体の需要が激減したからだ。
これは、裏張りだろうが不謹慎だろうが、この路線で食わねばならない ――― といった覚悟が透かし見える悲しいコラボだ。
けれども、彼はいつもながらの裏張りに賭けるしかない。
自分を疎んじ軽視しつづけた世間に対して、生まれてこのかた彼がやりつづけてきたことはそれしかないのだから。
戦場となったウクライナで失われた命がどれくらいあったのか?
そのような「 埃くさい事実 」を計量する秤は、彼のなかにはない。
自分の独立党所属の応援党員も、ロシア・ウクライナの莫大な戦死者も、彼にしてみるなら別世界の紙芝居のような異邦の他人だ。
彼の前の妻にしても、( いまはもう彼と別れて幸せになっています )彼からするなら、どうでもいい他人に過ぎなかったのだろう。
彼はもともとそういう人間であり、他の誰かとなんらかの絆を結べるような人間ではない。
それだからこそ「 プーチン英雄論 」のような、現実と見事なまでに切れたああいう本が書けるのだ。
しかし、この方式は、残念ながら彼だけの専売特許ではない。
陰謀論の第1世代の彼に続く、彼の団体である独立党から巣立っていった第2世代の人間たちを見るがいい。
★ 国民主権党の平塚正幸 ――― 独立党時代のHNは「 さゆふらっとまうんど 」の場合
コロナウイルスが予想もつかなかった全国的な蔓延「 クラスター 」を見せるようになってから、渋谷で毎週のようにノーマスクの「 クラスターフェス 」をやり始めた男。
都知事選や千葉市長選などに参戦したことから、マスコミも一種の「 時の人 」として彼の行状を全国区で報道し、彼の開始した「 逆張り 」、特にJR山手線の一両をノーマスク集団で独占してやろうじゃないか、というアイデアは顰蹙の極みともいえる騒動をまき起こした。
僕も独立党にいた時代から彼のことは知っているが、リチャードコシミズの用いた一種の「 逆張りパフォーマンス 」の「 パフォーマンスの部分 」のみを露悪的なまでにデフォルム、パワーアップしてパンキーに主張してみせた人間だった、といまでは解している。
その原動力は、N国党の立花孝志氏が看破しているように、通常の枠をこえた、度外れな「 承認欲求 」にあったのではないか、と考えている。
顰蹙だろうと非難だろうと、他者からの視線を浴びていないと彼は恐らく不安になるのだ。
存在しつづけるためには、何がなんでも世からの顰蹙が彼には必要なのだ。
逆にいうなら、そのためにこそ彼は彼流の「 逆張り 」を行使しているともいえる。
そして、現在の師がプーチンを英雄視しているのと同様に、彼もやはりプーチン・ロシアを擁護している。
彼にも師であるリチャードコシミズ同様、思想らしい思想は何もない。
世の中へのアンチ、「 逆張り 」こそが彼の思想の根本なのだ。
この依存の形態は、あらゆる陰謀論者に例外なく見られる。
強いてセンセーショナルに演出された彼の挑発言辞など見る必要はまったくない。
彼において肝心なのは、師と同様のそのモチベーション、自分以外の世に向けられた、凄まじいばかりの「 ヘイト 」なエネルギーだけだ。
★ QAnon okabaeri@9111 ――― 独立党時代のHNは「 よかとよ 」の場合
すでに過去のひとではあるが、陰謀論第2世代として「 いちばん Big な騒動 」を巻き起こしたのはやはり彼女だったのではないか、と思っている。
平塚正幸もそれなりの顰蹙を巻き起こしはしたが、それはあくまで日本国内限定だ。
ところが彼女の場合は、アメリカ本国で okabaeri@9111 への非難記事が書かれたくらいだから、どう見てもこれは別格だ。
もちろん公称していた岡林英里というのは仮名であるし、使われている顔写真も加工されたフェイク写真である。
独立党時代、僕は独立党の会合で何度も彼女と顔を合わせたが、池袋のスナック「 フクロウ 」でも、彼女が喋っているのを僕はほとんど見かけたことがなかった。
いつも下を向いて黙っている。
リチャードの懇意の2、3の党員女性と一緒になって、皆から離れた暗い一角でリチャードを囲んで、いつまでも黙って飲んでいる。
寡黙で人嫌いのそんな彼女が、当時アメリカを飛び交っていた Q系陰謀論の翻訳者として、あれほどのイノベーターになるとは思ってもみなかった。
Q について今更ここで何かいおうとは僕は思わないが、彼女の使っていた話法というか言語を、僕は常々「 クラッシュ言語 」と呼んでいた。
「 クラッシュ言語 」とは、作家の藤原新也氏が80年代に命名した「 クラッシュ写真 」の概念の発展形だ。
80年代、バブルの極みのころに、若者の自撮り写真のなかに、何か異様な不純物が現れてきたのを氏は発見した。
それは、シャッターの瞬間に異様に顔を歪ませてみたり、履歴書の写真に他人の顔写真を貼りつけてみたり、自撮り写真の自分の顔の両目部分をペン先であえてくり抜いてみたりする写真が、このごろになって異様なほど増えてきた ――― という氏なりの実感であった。
その後20年経って僕はリチャードコシミズと出会い、独立党との離れ際によかとよ=Eri の存在を知った。
彼女の言葉はクラッシュしていた ――― つまりは壊れていた。
そのクラッシュの度合いは、師であるリチャードコシミズに遙かに先んじていた。
古典的な日本語、流暢でスタンダードな日本語では、たぶん陰謀論の呪詛は語れないのだ。
歪な陰謀論を語るためには、昭和の時代の香る、リチャードコシミズや副嶋隆彦の言葉ではもはやだめなのだ。
そんなスキゾフレニックに砕けた彼女の言語が、第3世代の陰謀論集団である「 神真都Q 」へ陰謀論の橋渡しをしたあたりは非常に興味深い。
「 神真都Q 」のQ は、よかとよの紹介した Q から取られている。
その意味、彼女は陰謀論的には正統な語り部であり伝道役であったのだな、と今にして思う。
★「 俺たちでやろまい 」の寺尾介伸 ――― 旧・紙幣の不思議のバレバレ氏の場合
陰謀論界の盛衰と性質を考えるにあたって、名古屋の彼・寺尾介助伸氏は、もっとも理解しやすい陰謀論者としてのモデルケースであると思う。
彼はリチャードコシミズの biglobe のブログの全盛期に、指折りの人気であった「 紙幣の不思議 」という陰謀論ブログを運営していた。
独立党在籍末期にリチャードコシミズと意見を異にして、独立党を去る。
それからかつての師とネットの仮想空間のなかだけで争う日々が、少しばかり続いた。
その後、捨て犬を助ける機関をつくりたいといったり、不良少年の保護矯正する活動をやりたいといったり、地元・名古屋の議員に対して「 議員通信簿 」をつけるといったようなユニークな運動をしたり、辺野古問題に注目して沖縄にいったり、それをすぐ辞めて戻ってきたり ――― そんなことをしているうちに、彼の地元の街である名古屋市にもコロナの襲来がやってきた。
で、彼はそのときどう動いたのか ―――?
さゆふらの跡をそのまま追っかけるような陰謀論の活動に邁進したのだ。
「 ウソコロ 」と「 毒ワク 」と「 ノーマスクデモ 」の3つが、彼にとっての3種の神器であった。
去年の夏、ドイツから「 ノーマスク運動 」のために来日した、positive evolution の Meiko 氏と一時共闘したが、すぐに別れた。
ノーマスク運動に傾注したあまり、市のワクチンセンターに集団で電凸攻撃を仕掛け、市の医療行為を破綻させかけたこともある。
「 つばさの党 」の黒川敦彦氏と一時共闘したが、黒川氏がコロナ陽性になったことでそれまでの関係が破綻。
しかし、陰謀論の人気をさらっていった神真都Qの壊滅とともに、これまでのような「 ノーマスク路線 」がやりにくくなった。
当たり前だ。国民のほとんどがもうワクチンを打ち終えた時代に、そんなヒステリックな野蛮が通るわけがない。
路線に迷った彼は思案のあげく、袂を分かった黒川敦彦氏ともう1度組むことにする。
理由は簡単だ。いま現在、陰謀論っぽいことを主張する、メジャー路線はそれくらいしかないからだ。
地下芸能界での自分のランクを少しでも上げるために、彼はそれに乗った ――― と僕は思っている……。
去年の夏、大阪読売新聞社会部の取材を受けたとき、僕等の取材にあたったT記者は、独立党出身の平塚正幸と寺尾介伸のことはもう知っていた。
彼は平塚正幸のことは「 平塚 」と呼び捨てで、名古屋の寺尾介伸について話すときは、その度に顔をしかめてみせた。
僕等の見解も氏とほぼ同じである。
ただ、氏は、タイムラグのせいもあり、Q の Eri についてはよく知らなかった。
Eri の存在を知ったのは、僕のブログに目を通してからだ、といってられた。
いずれにしてもここまで典型的な陰謀論者の素描をやってきたら、読者の皆さんにもそろそろ陰謀論者がどのようなひとなのか飲みこめてきたのではないか?
―――― 陰謀論者ってなに?
―――― うん、たぶん世界拒否者のことだな……。
―――― 世界拒否者ってどういう意味?
―――― 分からない? じゃあ、いいかたを少し変えようか。うーん……あんまりいい表現じゃないけど、「 ヒッキーがかつての暴走族の真似事をしている 」……って感じかな……?
―――― ヒッキーって……Y子ちゃんのお兄ちゃんみたいなひとのこと?
―――― そうだね……。学校も辞めて、働かないでずっと部屋から出てこない、あのお兄ちゃんみたいな……。そういうひとたちのことをむかしは「 引きこもり 」って呼んでたんだよ……。今じゃ、数が増えすぎて……呼び名から「 気の毒な 」というニュアンスが消えちゃって、気安くヒッキーなんて呼び捨てられるようになっちゃったんだけど……。誰にも会わず、話す相手もなく、なんの変化もない毎日……退屈で気づまりで楽しいこともほとんどない、全くの孤立者だよね……。
―――― でも、お兄ちゃんはオートバイなんか乗れっこないわ。何年も……家から一歩も出たことがないんだから。
―――― うん、自閉者だね、彼は……。学校もアルバイトもやることなすことが全てうまくいかなくて、彼はあんな風に自閉してしまった……。
―――― お兄ちゃん、かわいそう……。
―――― うん、かわいそうだよね……。でもね、そんな風なつまらない毎日を送ってるからこそ、自分とは正反対の……外の世界で元気にしてるひとたちのことを脅かすことができるような存在になりたいって……そんな風に夢想したくなるもんじゃないのかな……?
―――― それが……ボーソーゾクってことなの?
―――― そう、孤立者のひとり部屋での夢想が、全ての陰謀論のたまごなんだ……。ヒッキーは、うん、孤立者は、心の底では分かってる……自分がどうしようもないことをやらかして、戻れないぎりぎりの場所まできてしまったということも分かってる……。自分をみじめに感じてるだろうし、後悔と絶望でいつも心は張り裂けそうだ……。だからこそそんな自分と正反対の……ワイルドな暴走族の夢をときどき見るんだよ……。
―――― 空想のオートバイにまたがって?
―――― いいね、そう、空想のバイクにまたがって、だ……。空想のバイクにまたがって、公道を走るんじゃなくて、ネットのなかの架空ロードをブイブイ飛ばしていくのさ……。本当のゾクがチーム名の入ったツナギを着るかわりに「 匿名 」って名の服を着て……。
―――― カッコわるい!
―――― そうかもね……。
―――― みっともない!
―――― たしかにね……。
―――― ……………。
――――うん? どうしたの……?
―――― わかんない。なんだか……悲しくなっちゃった……。
―――― ああ、わるかった……。こんな深刻な話をするつもりじゃなかったんだけどな………。あれ、どうしたの? まさか泣いてるの……?
―――― うん……。
―――― 本当にごめん……。そうだ、あしたはちょうど休みだから、今日のお詫びに一緒に山までドライブにいくことにしようか?
―――― 山っ! 山にいくの? あたし、山は大好き!
―――― だから、今日のところはもう寝ようか……。もうだいぶ遅いし……。お休み……。
―――― うん、わかった……お休みなさい……。
この2人もこういっているので、今夜の僕の記事は以上です ――― お休みなさい。( fin )
<デマ>by マイケル (曲 ジョン・レノン)