私たちは「意志」を持っています。
意志とは何かというと、自己決定権であり、肉体を動かす「命令」の事を言います。
その「意志」つまり命令を下すための判断材料とは何でしょうか?
「神の性質」と「悪魔の性質」とに分けられます。
「悪魔の性質」と言われるとピンと来ない方がいると思いますので簡単に説明すると
「動物や動物以下の行動をとるように意志決定すること」にあります。
例えば動物は
「むやみやたらに虐待やいじめなどはしない」
「偉くなって驕り高ぶることはしない」
「同性愛など異常性愛があったり年中盛りで、性交する相手を探し、乱交パーティなどしない」
「同族で憎しみあい、殺し合いや戦争をしない」
「必要以上に富を蓄えない」
「覚醒剤や麻薬などをやらない」
「ブランド品など見栄や自尊心を満たすためだけに情報価値だけが高いものを求めない」
と思います。
ですから人間以外の動植物は
「自尊心、虚栄心を持つ、本能以上の欲望に溺れてしまう。他人から搾取して何もせず生活する」
ということがありません。
では人間はどうでしょうか?
現代人はどうでしょうか?
①他人を羨み妬む
②少しでも楽して生きることが幸せと考える
③美男美女と交際し、贅沢することが幸せだ、欲望を沢山かなえる事ができたら幸せだ
④他人に働かせ、富を収奪し、
大きな豪邸に住み、高級外車に乗り、毎日食べきれないほどの美食に酔うくらい富と権力を手に入れることが幸せだ
と密かに考えている人が多いのではないでしょうか?
ここまではいかなくても、「3億円宝くじで当選したら、今の仕事を続けますか?」と言われた時、多くの人が
「遊んで暮らしたい、ストレスフリーで暮らしたいから一旦仕事を辞める」というでしょう。
RAPTブログ有料記事や聖書を読むと、これらの人間の価値観が、「幸せを奪う」と書かれています。
実際、聖書や有料記事に出会うまで、私はそのまんま「悪魔的、動物以下の価値観」を持って生きてきました。
「欲望を持つから辛い」「欲望が叶えられないものばかり持つから辛い」と分からずに
「いつかは勝ち組になりたい」という甘い願望を目の前にぶら下げられ、必死に走るのが人生だったのです。
では、この価値観はいつ植え付けられたのか?
というと生まれて物心がついたころから、家庭、両親によって「自由意志」が形作られていきます。
親から「どう生きていけばいいのか?」を教えられます。
それは仕方ない。
そして「学校教育」つまり文科省、政府の作った教育制度によって「自由意志」の方向性を決められます。
学校教育を受けることで、また社会参加の機会が増え、「大人になっていく」のです。
一方的に親や学校から「自由意志」の決定材料を与えられ続け
実は自分で自由意志を決めるための材料を集めてきていません。
では「自由意志」の決定材料を提供している親や学校は本当に正しいのでしょうか?
親や学校の先生が言う通り生きれば、その人らしく、幸せで、毎日が充実した人生を生きられるのでしょうか?
答えは「No」
親や学校教育からは社会にでるための「常識」を学ぶ場所であって、「人生」や「真理」を学ぶ場所ではないからです。
社会とは「人が集まって成り立つ」ものです。
その共通認識を作りだすのが「常識」です。
ある一定の価値観や文化に関わってくる要素です。
日本人が生の魚を刺身として食べたり、海藻や海苔を食べる食文化を持っているものも一種の常識、食文化です。
常識はどこで作られるか?というと教育と情報によって作られます。
教育も情報も「イルミナティ」と呼ばれる悪魔崇拝者によって管理されています。
ですから、私たちが生まれてきて、接するもの、良いと思うものは全て
「悪魔的なもの」にすり替えられています。
私たちは「善」を知らない親や学校教育、「愛」を知らない人たちに囲まれていきてきます。
そして人間本来の生き方を知らずに人生がどんどん進んでいくため、「歳を重ねれば重ねるほど、思い煩いや悩みが増えていく」
のです。
そして問題解決ができず、思考停止し始め、鬱になり、認知症になっていきます。
脳にダイレクトに機能不全が起これば認知症のような精神異常者になり
身体に影響が出れば、病気となって現れます。
私たちは「自由意志」を簡単に手放しているのです。
「人間は本来、どのように生きれば幸せになるか?」という真理の部分を覆い隠され、本能のままに生きる、怠惰に生き、快楽享楽に溺れる
という動物以下の生き方をすることが幸せだという価値観の世界に生きているのです。
快楽享楽に溺れる状態とは、「人間に与えられた高度に発達した脳を使わない生き方」です。
つまりは物質世界、目に見える世界だけで人生が終わっていくのです。
しかし、実は「その欲望さえ、叶えられない人生が待っている」とは知りません。
庶民はどれだけ努力しても、支配者層のような欲望を手にすることはできないような社会構造になっています。
ですから、99%の庶民の人生の最期は「絶望」が待ち受けているのです。
例えるなら「車」を貰ったのに、
「これは眺めておいて、お供えすることで家族が幸せになる守り神だよ」
と言われ一生車を運転することなく徒歩で移動して生活するようなものです。
車は運転してどこにでも移動できることにメリットがあります。
それなのに「車の本当の利用価値」を隠されており、嘘の情報を刷り込まれ
「車は運転して移動するものでなく、拝むもの」という固定観念に支配されてしまっているのです。
ある意味、「自由意志」を奪われているのです。
こうして私たち人間は知らず知らずのうちに「自由意志」を奪われて
「人間らしく生きる」という事はどういうことか?という真理が遠ざけられ
動物以下の生き方が素晴らしいからそっちを選びなさいという方向に誘導されています。
人間が持つ「自由意志」を奪うことで、「人間にしか味わえない幸せを奪う、結果として人生を絶望させる」のが
悪魔の考え方なのです。
目に見えない存在ですが悪魔は確実にいます。
なぜなら、世の中は退廃的なもの、悪魔的なもので満ち溢れているからです。
そして悪魔的な文化に触れ続けることで思考が「欲望的」になっていき満たされない現状に
「怒りや不満、いらいら、焦燥感」が募っていくことがわかると思います。
「プライドばかり、虚栄心ばかりが増えていき人生が苦しくなる」ように仕掛けられているのです。
どうして悪魔は人間をこのように誘導していくのか?
どうして人間の自由意志を奪いたいのか?
その理由についてはRAPTブログを読むことをお勧めします。
「人間とは一体何なのか?」
このことが明確に説明されている、理路整然と解説されているのがRAPTブログです。
以下は悪魔の存在についてのお話です。
興味のある方は読んでみてください。
人生をよくしたい、自分を変えたいと思っているかたにはおすすめの記事になっています。
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