( 雨に煙るマドリッドの王宮 )
< 第5日~第6日 ── 首都マドリッドで>
レオン12時45分発の新幹線に乗って、快適な旅をし、首都マドリッドには15時46分に着いた。
マドリッドで体調をくずしたが、それでも、その日と翌日、休み休み、首都マドリッドを歩いた。
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マドリッドは、人口312万人。 海抜650mの台地にある。
その歴史は、スペインの都市の中では例外的に新しい。
イスラム勢がイベリア半島を支配していた9世紀に、後ウマイヤ王朝 (イスラム教徒) が、ここに砦を造った。マドリッドの出発点は、ローカルな砦であった。
1492年、キリスト教勢力のレコンキスタが完了し、それから60年後、ハプスブルグの血も引くフェリペ2世が、スペイン王として君臨した。
それまで、スペインの王は首都を置かず、各地を巡回しながら政務を行うのを常としていたが、1561年、フェリペ2世はマドリッドを首都と定めた。マドリッドに決めた理由は、そこがイベリア半島の真ん中に位置するからだった。
1700年、スペインのハブスブルグ家は、跡取りがなくなって断絶する。これを受けて、ハプスブルグ家とブルボン家が王位継承戦争を戦い、結局、スペイン王家の血を引くブルボン王家の王子がスペイン国王となった。
それまで、スペイン王家は、質素・質実を旨とする家風だったが、ブルボン王家は少し違う。1734年に、王宮が火災に遭ったのを契機に、このブルボン家からやってきた王は、ルイ14世のベルサイユ宮殿を真似て、豪華な王宮を再建した。
それが現在の王宮である。
( スペイン王宮 )
王宮は特別の行事がなければ内部見学もできるが、所詮、フランスのベルサイユ宮殿や、ウィーンのシェーンブルン宮殿には及ばないだろうと思って、外観だけ見て、満足した。
近くの店で、お土産にリアドロの磁器人形を買った。
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マドリッドに、これというほどの歴史的な遺産はない。
ぜひ行ってみたかったのは、プラド美術館である。
プラド美術館は、美しい前庭をもつ、端正な建物だった。
( プラド美術館前の広場のモニュメント )
( プラド美術館前の正面入り口 )
入館すると、まっすぐにゴヤの「裸のマハ」の部屋へ行った。
遠い昔、中学校の美術の時間に、美術史を教わった。美術の先生は、世界美術全集や日本美術全集の写真を見せながら、紀元前の時代から近代にいたる、世界と日本の美術史を説明してくれた。
そのとき以来、ずっと見たいと思っていた絵が、ゴヤの「裸のマハ」である。
初めて見た本物は、美術書の写真で見るより何倍も素晴らしい、と思った。
こうして見てみると、遥か昔の美術の先生の解説には、特に「着衣のマハ」について、まちがいもあった。
敗戦国となり、国土が焦土と化した日本が、そこからようやく立ち上がって、しかし、まだ貧しい時代であった時代、先生も、実際に自分の目で見た作品など、ほとんどなかったに違いない。
だが、それでも、先生の美術史の話は興味深かった。一つ一つの作品の説明をするとき、相手が中学生であるにもかかわらず、一人の絵描きとしての自身の意見や感動が込められ、ミロのヴィーナスやマハについても、もの言いは率直だった。
1人の中学生が、美術の授業の先生の話をずっと覚えていて、それが唯一の動機で、数十年後の海外旅行の折にその絵を訪ね、自分の目で見て、改めて、良い絵だと感動した。教育とは、かくあるべきと思う。
私は、西洋絵画の女性の裸体画を好きではない。美しいと思えないし、色香も感じない。
ただ一点、例外を挙げれば、フィレンツェのウッフィツィイ美術館にある、ポッティチェッリの「ヴィーナス誕生」である。
今回、例外の一つとして、ゴヤの「裸のマハ」を付け加えた。
他に、ベラスケスの「ラス・メニーナス (官女たち) 」が良いと思った。
正面に立つ幼い王女や官女たちが、一斉に「こちら」を見ている。絵の端っこで、画架を立て、絵筆を握って、王女を描いていた画家も、「こちら」を見ている。小さな鏡があり、そこに写る姿から、部屋に入ってきたのが国王だとわかる。国王が部屋に入ってきたので、皆が驚いて、入り口の王の方を見たのだ。
そのときの画家自身の表情が、すばらしい。
芸術家らしい、不敵なものをもった顔である。
その男(ベラスケス自身)が、「こちら」に、敬愛の眼差しを向けている。それは、ずっと年の離れた弟が、父親代わりに育ててくれた長兄を見るような眼差しだ。この人にだけは頭が上がらない、といった人間的な敬愛の心が、絵に表現されている。そこが良い。
美術館の館内は広く、数限りなく壁に掛けられたキリスト教の宗教画や、王室関係者の肖像画などには、全く興味がわかず、駆け足で通り過ぎた。
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マドリッドの中心、プエルタ・デル・ソル (太陽の門広場) から、マヨール広場にかけて、ホテルにも近かったから何度か歩いたが、昼も夜もたいへんな人ごみだった。
ただ、パリやローマと比べると、洗練されていないというか、これなら大阪の「南」で十分だなと思った。
( ソル付近の賑わい )
( マヨール広場のクリスマス市 )
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< 第7日~第8日 ── 帰国の途に >
帰国の途につく。
マドリッド10時30分発で、アムステルダムへ。
飛行機で隣り合わせた、たくましい日本の青年は、聞くと、まだ高校3年生だった。
「サッカーでしょう?」。「はい、そうです」。( すぐに、サッカー青年だと感じた )。
卒業を前にした2学期の定期考査あけ、マドリッドのサッカークラブに、1週間だけ留学させたもらったのだそうだ。進路はまだ未定。
「彼らは体格も大きく、強くて、なかなか強敵でしょう?」
「その上、技術も、優れていました」。
「言葉は?」
「まったくわからないけど、練習には付いていけました」。
アムステルダムのスキポール空港で別れて、彼は成田行きのホールへ向かった。
外国人ばかりの空港を一人で歩く姿も落ち着いていて、なかなか堂々としていた。
頑張れ! 高校生! 活躍を祈る。
(アムステルダムのスキポール空港)
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アムステルダムを立つと、飛行機は夜に向かって飛び、急速に夜となり、1万メートルの上空を、星空の下、東へ東へと進んだ。
長く窮屈な夜を過ごし、疲労がたまり、北京の辺りを過ぎると、小さな飛行機の窓の外は、太陽を迎えに行く空になった。日出づる国へ。
日本海を越え、山々ばかりの本土を縦断し、やがて、明石海峡大橋や、海に浮かぶ関空が見えてくる。
なかなか美しい空港だと思う。
(終わり)