ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

心に残る社と杜1 … 厳島神社

2012年12月09日 | 国内旅行…心に残る杜と社

          ( 海に立つ鳥居 )

 島まで船で10分。宮島桟橋で下船した。

 旅館に旅のカバンを置いて、早速、厳島神社へ行く。

 旅館から社への商店街は、観光客でたいへんな賑わいだった。

 日本三景の一つとされ、さらに世界遺産となった神社であるが、この時刻は干潮で、浜に海草が露出して横たわり、海上に立つ鳥居も、いささか殺風景の感があった。

 そのあと、宮島の町を、ひとわたり散策した。

    ( 宮島の街 )

           ★

  ( 旅館の窓から瀬戸の海 )

 夜、月夜の満潮に、遊覧船に乗って鳥居をくぐり、参拝した。 

 「しまなみ海道」の生口島に、「平山郁夫美術館」がある。平山郁夫のふるさとに建てられたこの美術館に、しずかに月光を浴びる厳島神社の神々しい姿を描いた大作がある。名作である。

 その神々しさを体感するような光景であった。

 

   ( 月夜、海から参拝する )

           ★

 早起きして、朝、もう一度、神社に向かうと、鳥居は海の中に立ち、ひたひたと押し寄せる海水が、社の廊下や、能舞台の板を、浸さんばかりで、迫力があった。

 

  ( 満潮の厳島神社 )

 旅はいずれもそうであろうが、ここは特に、観た、食べた、次へ、という駆け足ツアーでは絶対に損をする。

 満潮の海水に浸された社に立ち、また、満月の夜、船で鳥居を潜って参拝してこそ、世界遺産を体験できる。

           ★

 午前、ロープウェイと、その先は徒歩で、霊峰弥山の山頂へ向かった。

 厳島神社は、もともと海人たちが海から拝んだ、海の男たちの神である。ご神体は、島そのもの、特に島にそびえる弥山である。鳥居も、海上から山に向かって拝むように建てられている。

 ロープウェイを降り、山頂に向かって歩くにつれ、神域に入っていることをひりひりと感じた。太古から、神は、感じるものにのみ感じられる。

 頂上には、巨岩がいくつもあった。磐座である。

   ( 山頂から )

           ★

 神名を問うなど余計なことではあるが、厳島神社は、宗像三女神を祀る。タゴリヒメ、タギツヒメ、イチキシマヒメである。

 卑弥呼などよりももっと昔、福岡の玄界灘一帯に勢力をもった海人たちがいた。その中に宗像氏と言う一族がいた。三女神は、その一族が祀った氏神である。男たちは、胸と肩に、竜の子孫であることを示す「三つ鱗」の刺青をしていた。

 今も、その地に宗像大社があるが、まだ訪れていない。

 辺津宮、中津宮、沖津宮の三社からなり、沖津宮のある沖の島は、海の正倉院と言われる。ただし、一般人は入れない。中津宮のある大島の北岸の遥拝所から、遥かに拝むだけである。

 宗像氏とともに、海の民として活躍した一族に安曇氏がいた。最初、本拠地にしたのは、金印が出土した志賀島一帯。

 海人族は、黒潮の民として、中国の遼東半島、山東半島、朝鮮半島の西海岸、南海岸、済州島、沖縄、九州、瀬戸内海に跋扈した。

           ★

 安曇氏は、応神朝のころに、大王に招かれて大阪南部に勢力を伸ばした。住吉大社は彼らの氏神である。祭神は、底筒男、中筒男、表筒男の三神。

 宗像氏が漁民的性格が強く、日本各地の岩礁のある所、彼らの漁法の技が繰り広げられていくが、安曇氏は軍事的・海軍的性格をもつ。白村江の戦いで安曇比羅夫が戦死したころから、志賀島を離れ、その一部は遠く信州安曇野まで進出した。

 

 

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