わが家の近くで、「大社」 と名の付く神社は龍田大社である。
20代のころ、この地に転居してきて以来、初詣はずっとここ。
そのころ、亡き父もまだ働き盛りで、歩いて初詣に行ったことがある。
途中、あぜ道などもまだ残っていて、水溜りを跳び越えたりしながら歩いたのを覚えている。遥々と遠かったような気がするが、亡父の方は、岡山県の山の中の農家で育った人だから、それほど苦にはならなかったのかもしれない。
しかし、歩いてお参りしたのは、その一度きりである。
子どもたちも、この神社に詣でた。
小学校高学年のギャングエイジの時代から中学生のころにかけて、仲間たちと龍田大社まで遊びに行くこともあったようだ。 同じ校区だから、近くに友人の家もあったかも知れない。
特に次男は、大晦日の深夜から元旦の朝にかけ、仲間たちと徒党を組んで参詣に行っていた時期があったが、あれは、初詣用に振舞われる樽酒のお神酒がねらいだったのだろうか。
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その道も、今は、散歩道の一つになった。
うらうらとお天気の良い日が楽しい。
旧家の家並みが続くのどかな道があり、2階が納戸になっているお宅などもある。
やがて、杜が見えてきて、朱の鳥居をくぐり、境内へ。
拝殿の前に立つと、拝殿の床の向こうに、杜を背にした本殿が見通せる。両サイドには、摂社が並んでいる。この景観がとても好きだ。
主祭神は天御柱命と国御柱命となっているが、意味不明。古来から(少なくとも、日本書紀の時代には)、風の神様、「風神」で通っている。そのほうが、かっこよくて、好きである。
一説に、斑鳩の里を本拠とした聖徳太子もあつく信奉されたとか。ちなみに、現在の奈良県の行政区画で言えば、龍田大社があるのは三郷町。法隆寺や、龍田大社を勧請した竜田神社があるのが、お隣の斑鳩町である。
聖徳太子亡きあと、斑鳩に住む皇子の一族は滅亡させられる。その一族の古墳の方に向いて、一族の霊を鎮めるために、皇子が愛した龍田大社を勧請して建てられたのが、斑鳩の竜田神社だと言う。
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錦秋の女神である竜田姫は、平城京の西方に当たるわが竜田山の神霊。本殿の横に、その龍田姫を祀る摂社もある。
なお、春をつかさどるのは、平城京の東にある佐保山の佐保姫。
龍田大社境内の末社の一つに、白龍神社があって、その少し怪しげな雰囲気が、今、流行りのパワースポットのイメージと重なってか、若い人に人気があるようだ。
それよりも、本殿の横に配列されている摂社や末社とは別の、境内の離れた一角に下照姫神社があり、説明書きもなく、気になる。
下照姫については、日本書紀などにいくつかの異なる記述があるようだが、一様ではなく、私などにはよくわからない。よくわからないが、とにかく出雲系の女神である。
池があり、橋があって、そのたたずまいは物語りめいており、いつも心ひかれる。初めは、ここが龍田姫の社かと思った。