( 復元された富貴寺本堂 )
旅に出る前に少しだけ勉強はしたが、ここ(国東半島)はどういうところなのだろう?? 自分の頭の中がすっきりしていない。そこで、国東半島の内陸部を走る前に、宇佐市にある大分県立歴史博物館に立ち寄った。
この博物館は、森と、田んぼと、宇佐の古墳群が広がる明るい一角にあって、国東半島及び宇佐地方の自然、農産業、歴史、宗教、民俗のことなどを展示し、1時間では到底見きれないほど充実していた。
( 博物館の階上から )
とりわけ富貴寺本堂の創建当初の復元は素晴らしかった。
熊野摩崖仏の複製もあった。
( 熊野摩崖仏の複製 )
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半島というと長細い形をしている。スカンジナビア半島にしても、イタリアの長靴にしても、朝鮮(韓)半島にしても、房総半島にしても。だが、国東半島は、ずんぐりしている。円いたん瘤のような形で、瀬戸内海に突き出している。
その丸の中心あたりに両子(フタゴ)山 (海抜720.8m) があり、両子山山系から北、南、東の半島を囲む海に向かって、放射状に、幾つもの尾根と、深い谷が延びている。
今、いる宇佐は、国東半島の北の付け根あたりに位置する。
ヨーロッパからの帰路、延々とユーラシア大陸の大地の上を飛んで、最後に日本海をひょいと渡り、日本列島上空にさしかかって、上空から祖国を見ると、そこは、山また山である。
山と山の間から幾筋もの谷が延び、霧が立ち上っていたりする。その谷筋に小さな集落が現れ、狭い田畑が切り開かれているのが見える。やがて、谷筋の流れが次第に大きくなり、いくつも村があり、支流を集めて、平野部に入る。平野には都市が現れるが、すぐに海だ。
私たちの国土は山と谷ばかりで、平野部の面積は海岸線のみ。誠に狭い。
上空からそのような地形を、なつかしい思いとともに眺めていると、ヨーロッパやロシアや中国と違って、日本が神々の国 (「神の国」ではない) であることが納得できる。山々や谷々のそれぞれに、神がやどる。精霊といってもいい。私は宮崎駿とは多分、歴史観を異にすると思っているが、この一点 ( 神々の棲む山や森や谷を破壊してはいけない。それは日本人の魂を破壊することにつながる ) において共感する。黒姫山に住む C,W, ニコルさんとも共感する。
国東半島は、そういう意味で、日本を象徴するような地形と風土をもつ。屹立する山々と、幾筋もの谷と、点在する集落から成り、海岸線まで下っても都市を形成するほどの広さはなく、大地は海に落ちる。
その28の谷を6つの里に分けて、六郷と称した。六郷は、古来、宇佐神宮の所領、つまり荘園として発展し、宇佐神宮の庇護のもとに、神仏習合の寺院集団が形成された。往時には185の寺院、800の堂があったというから驚く。
仏教寺院と言っても、そのなかに鳥居もあれば、社もあって、神仏が習合した神と仏の里である。
実際、車でか細い道を走り、寺のパーキングに車を置いて分け入ってみると、屹立する岩の窪みや木々の間のそこここに、石仏、石塔が点在し、磨崖仏が彫られ、岩山は自ずから山岳修行の地となっている。
険しい尾根によって分断された村々には、それぞれに独自の風習や祭が伝えられている。
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以前、NHKの「新日本風土記」が、国東半島を取り上げていた。
ある年の村の祭の「風景」である。
2人の若者が、村の祭りの赤鬼、青鬼の役に選ばれた。一生に一度の名誉である。選ばれた以上、やり切らねばならない。2人は、毎晩、仕事が終わると、村の神社で、先輩から鬼の踊りを教わる。鬼の踊りだから、非常に激しい。だが、カッコいい。
祭の当日、赤鬼、青鬼の面を付けた2人は、村の1軒1軒を訪ねて、五穀豊穣とその家の無病息災を祈願し、鬼の踊りを踊る。激しい舞いの全部を1軒、1軒で舞うのである。
日も暮れて、全ての家を回りぬき、社に着いて最後の奉納の踊りを踊る。舞い終わった直後に、青鬼は精魂尽きて、倒れる。よくやった!! 村の他の若者たちが青鬼を担ぎ、赤鬼に肩を貸しながら、畳に寝かせる。━━ 爽やかで、かっこよくて、感動的である。
日々、神々とともに働く。
ハレの日には、神々とともに酒を飲み、食べ、笑い、踊る。
日本の神々は神社に君臨しているのではない。山や杜や田や淵や家々にいて、人々と苦楽をともにし、人々と一緒に、生きることを楽しむ。
ここは、そのような日本がなお残る里である。