遠く離れたローマに、私と同じような思いで、日本にエールを送っている人がいる。
以下、塩野七生 『日本人へ…危機からの脱出編』 (文春新書) の中の「ラストチャンス」から引用する。
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「短期の滞在の後で成田を発ったのは、参院選の当日だった。 だから選挙の結果は、ローマのスペイン広場に行って買った、一日遅れの日本の新聞で知った。 良かった、と心の底から思った。 これで久しぶりに日本も、安定した政治にもどれるのだと」。
(テヴェレ川とサンタンジェロ城/塩野さんのお宅はこの近く)
「帰国中にはいつものことだが、日本の地方のニュースに注意するようにしている。 それらを見ながら抱く思いは、こうも懸命に生きている日本人一人一人の努力を無駄に終わらせないためにも、政治の安定が必要なのだという一事に尽きる」。
「新聞の論調を読んでみると、今こそ正念場、ということでは各紙とも同意見のようである。 また、正念場というのが次の選挙までの3年間、ということでも各紙は一致しているらしい。
だが私は『正念場』には同意しても、それが『次の選挙までの3年間』、というのには同意しない。3年なんて、すぐに経ってしまう。再浮上にとっての絶好のチャンスなのだから、3年なんてケチなことを言わず、10年先まで視野に入れてはどうだろう。そして、その10年だが、安倍プラス石破で小泉につなぐ10年間。この10年で浮上に成功すれば、その後は苦労少なく安定飛行に移行できる。という意味でも、どうしても10年はほしい。10年後には私はもう生きていないにちがいないが、日本は安定飛行に向けて着実に浮上している、と思いながら死ぬのならば悪くない」。
「経済力の浮上が最優先と言うと、大新聞あたりからイデオロギー不足などと批判されるかもしれないが、そのような論調は無視してかまわない。明治維新が成功したのは、維新の志士たちも反対側にいた勝海舟もイデオロギー不在であったからだと、私は思っている。それはそうでしょう。 昨日まで攘夷と叫んでいたのが一転して開国になったのだから、終始一貫ということならば彼らの多くが落第である。
彼らを動かしたのは、危機意識であった。 すぐ隣で起こった阿片戦争によって巻き起こった強烈な危機意識が、彼らを駆り立てた真の力であったと思う。イデオロギーは人々を分裂させるが、危機意識は団結させるのだから。
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塩野七生は言う。「帰国中にはいつものことだが、日本の地方のニュースに注意するようにしている。それらを見ながら抱く思いは、こうも懸命に生きている日本人一人一人の努力を無駄に終わらせないためにも、政治の安定が必要なのだという一事に尽きる と」。
私もまた、「国東半島石仏の旅」の間、ずっとそのことを考えていた。
「私は『正念場』には同意しても、それが『次の選挙までの3年間』、というのには同意しない」。
新聞やテレビや週刊誌は、つまらないこと(例えば首相のヤジ)を取り上げ、鬼の首でも取ったかのごとく大騒ぎして足を引っ張る。「権力の番人」などとうまいことを言うが、実は発行部数を増やし、或いは視聴率を上げて儲けたいという資本主義的欲求からである。戦前もそういう動機から、政党政治をたたき、軍部の台頭に拍手を送って、日本の針路を誤らせた。戦前、日本に軍国主義を招じ入れたのは、マスコミである。大衆迎合(ポピュリズム)が専制を招き寄せる。
もちろん、「失われた20年」を取り戻すのに、3年くらいではどうにもならない。アメリカの大統領は8年、中国は10年。3年で賞味期限切れにしていたら、他国に侮られるだけだ。
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「明治維新が成功したのは、維新の志士たちも反対側にいた勝海舟もイデオロギー不在であったからだと、私は思っている」。
「国東半島石仏の旅 8」に、「世間は生きている。理屈は死んでいる」という勝海舟の言葉が刻まれた中学校の卒業記念の石碑を紹介し、「これが本当にわかるようになるには、相当の勉強と、経験が必要である」と書いた。
私も、若いころはイデオロギーに心酔した左翼青年だった。やがて働き盛りになり、政治や思想に興味を失っていった。
それが大きく変わったのは、日本がデフレに陥って右肩下がりに「縮小」していき、一方で、中国共産党下の中華人民共和国が、天安門事件を契機に社会主義をかなぐり捨て、愛国主義宣伝( =反日宣伝 ) をしながら、すさまじい勢いで経済的・軍事的「膨張」をはじめたからである。中国共産党の、中国共産党による、中国共産党のための政治を、国境を越えて膨張されては、隣国としてはたまらない。それが、私の危機意識である。
例えば仮に、お隣がEUであって、そのEUがどんどん膨張するのであれば、私は何も心配しない。日本経済が「縮小」していく一方なら、誇りを捨ててEUの庇護下に入ればいいだけだ。しかし、EUと中華人民共和国とでは、全然違う。世界の幸せのためにも、かの国の軍事的膨張はよくない。
戦後、日本は、「アメリカの力」の蔭で、子どものように平和なときを過ごした。それを、憲法9条のお蔭と言うのは、イデオロギーでしかものを見ない人たちである。
しかし、世界は変化し、日本を取り巻く状況は本来の姿に戻ってしまった。本来の姿とは、司馬遼太郎が言うように、アメリカと、ロシアと、中国という、覇権国家、或いは、覇権国家を目指す巨大な3つの滝があって、その滝に囲まれた滝壺に、日本という一艘の舟が浮かんでいる、という危うい景色のことである。
ただ、その危機意識は、今、台湾や、フィリピンや、ベトナムや、インドネシアや、シンガポールや、オーストラリアや、インドと共有している。 アメリカとは、同盟がある。「イデオロギーは人々を分裂させるが、危機意識は団結させる」のである。
私は、塩野七生より少し若いが、そろそろ生の終わりを考えてよい年齢になった。大した人生ではなかったが、「親にもらった体一つで」良く生きたと少しは自分を誉めて、死を迎えても良い。
だが、個人の命と、国の命とは違う。国の衰亡は、断じて受け入れがたい。
「失われた20年」を終わらせて、もう一度しっかりと前を向いて歩いて行く。多少とも、右肩上がりで。そのためのラストチャンスが今なら、これに賭けるしかない。
(厳島神社で)