ホテルの窓を開けると、目の前の小さな公園に1本の大きな木があり、明るい紫色の花が咲き乱れていた。日本ではあまり見かけない花のようだが、何の花だろう。
★ ★ ★
今回の旅の行程は、以下のようである。
< 9月26日 (月) >
朝、KLMオランダ航空で出発。アムステルダムで乗り継ぎ、リスボンに現地時間20時05分到着。 (リスボン泊)
< 9月27日 (火) >
現地オプショナルツアー「リスボン近郊ツアー」に参加。リスボンのベレン地区 → シントラ → ロカ岬観光。 (リスボン泊)
< 9月28日 (水) >
現地オプショナルツアー「リスボン近郊ツアー」に参加。ファティマ → バターリヤ → ナザレ → オピドス観光。 (リスボン泊)
< 9月29日 (木) > リスボン市街地を観光。 (リスボン泊)
< 9月30日 (金) >
リスボンから特急と鈍行でラゴスへ。ラゴス駅からタクシーでサグレスへ。サグレス 岬とサン・ヴィセンテ岬観光。 (サグレス泊)
< 10月1日 (土) >
サグレスからタクシーでラゴス駅。ラゴスから鈍行と特急を乗り継いでリスボンへ。リスボンからさらに鈍行を乗り継いでトマールへ。トマール観光。 (トマール泊)
< 10月2日(日) >
トマールから鈍行と特急を乗り継いでポルトへ。 ポルト観光。 (ポルト泊)
< 10月3日 (月) > ポルト観光。 (ポルト泊)
< 10月4日 (火) >
朝、ポルト出発。アムステルダムで乗り継いで、
< 10月5日 (水) > 朝、関空到着。
★
日本からポルトガルへの直行便はない。
前回のブログで、大手旅行社の企画するポルトガルツアーは、ルフトハンザ・ドイツ航空を使っていると書いた。ルフトハンザでポルトガルに向かえば、フランクフルトで5、6時間も乗り継ぎ待ちをしなければならず、ポルトガルの空港に着くのは夜中だ。
そのうえ、復路は、早朝6時発の飛行機に乗らねばならない。
今回は自力の旅。深夜、知らない異国の空港に大きなスーツケースを持って降り立ち、空港からタクシーに乗って夜更けの見知らぬ大都会を走って、明かりを落としたホテルのフロントに着くのは、できたら避けたい。
ネットでいろいろ調べているうちに、KLMオランダ航空の月曜日出発便に乗れば、アムステルダムで3時間弱の乗り継ぎ時間、その結果、リスボンにも現地時間の午後8時に到着することを発見した。午後8時なら、ヨーロッパでは宵の口である。
復路も、ポルトからのアムステルダム行きは、8時40分発だ。
往復とも、ルフトハンザよりずっと楽で、これなら最終日も、夜までゆっくりとポルトの夜景を楽しむことができる。
自力の旅の最初の一歩は、ダイヤを調べて乗る飛行機を決めること。往路復路が決まらなければ、計画は立たない。そして、調べれば、ツアーより楽な飛行機が見つかることもよくある。
KLMオランダ航空には、最近、お世話になる。ルフトハンザやエールフランスよりも少しだけ安いのもありがたい。
★ ★ ★
< 9月26日 >
10時25分発、KLMオランダ航空で関空を発った。
以前は、関空からの最初の12時間のフライトが苦痛だった。緊張し、窮屈な座席で腰痛となり、昼間から映画を観ていると頭痛がし、すぐに映画にも飽きて心が倦んだ。ビジネスクラスにも乗ってみたが、休日の一日を朝から晩まで自宅のソファでゴロゴロしているのと同じで、かえって疲労感がたまり、エコノミーの席で姿勢正しく過ごした方がましかもしれないと思った。
ところが、最近、なぜか、この12時間があまり苦にならなくなった。結構、心も体も元気で、アムステルダム・スキポール空港に降り立つようになったから不思議だ。旅慣れて緊張しなくなったせいもあろうが、年とともに、時間が経つのが速くなったのかもしれない。
★
高度を下げ、着陸態勢に入った飛行機の窓から、オランダの風景が見える。
(アムステルダム近郊の風景)
上空から見ると、オランダは本当に水の国である。世界の土地は神が創造したが、オランダの土地はオランダの女たちがつくった、と言われるそうだ。男が生業に携わっている間、女たちは毎日、土方仕事をした。堤防を造り、海を埋め立て、オランダの土地を広げていった。オランダの国土は海面より低い。
オランダも、フランスも、緑豊かな農業国だ。
それにひきかえ、スペインは土壌が貧しい。(たぶん、スイスもそうだろう)。
スペインの大地は荒涼としている。土は大地の表面に薄く貼り付いているだけだ。しかも、そこに無数の石ころがゴロゴロしている。スペインを旅しながら、なるほどこれではオリーブしか育たないと思った。(当ブログ「アンダルシアへの旅」2、4)。
同じイベリア半島のこと、ポルトガルもそうなのだろうか ……??
★
ポルトガルは遠い。
アムステルダムで乗り継いで、いっそう狭くなった機内に閉じ込められ、さらに3時間。隣に相撲取りのような体型の白人が座り、この3時間は苦しかった。
日の暮れたリスボン空港に着いたときは、ほっとした。
★
ヨーロッパ旅行の旅の情報は、ひと昔前までは『地球の歩き方』ぐらいしかなかった。今は、ネットをさがせば、生き生きした役に立つ情報が手に入る。
リスボン空港で待機しているタクシーには乗るな、というのが、リスボン在住の日本人が作成しているブログ、その他からの一致した意見である。
大なり小なり、ヨーロッパのタクシーに、そういう傾向はある。かつてチェコの首都プラハのタクシーもひどかった。評判を耳にしたチェコの大統領が、試しに空港からタクシーに乗ったら、やはりぼったくられた。国の玄関口で何をするか。激怒した大統領は、徹底的な撲滅を指示し、ぼったくりタクシーは壊滅した。
リスボンの空港に話を戻し、この空港に慣れた人は、飛行機を降りて、到着ロビー (地上階) に出たあと、そこに待機しているタクシーに乗らず、出発階である2階に上がって、リスボン市内から客を乗せてきたタクシーを拾うそうだ。(ナルホド! すご技! )。
しかし、一般的な日本人旅行者へのアドバイスとしては、到着ロビーのツーリストインフォメーションに行けば、インフォメーションが契約しているタクシーを呼んでくれる、というのである。市内まで一律料金で、少々高くなるが、ホテルの玄関まできちんと送ってくれて、安心だという。
もちろん、そのようにした。リスボン到着早々、いやな思いはしたくない。
インフォメーションのアフリカ系の女性は優しく、長旅に疲れた年配の東洋人旅行者へのいたわりが感じられた。ポルトガルで、最初に出会ったポルトガル人である。その場で料金を払って領収書をもらうと、すぐにタクシーの運転手が迎えに来てくれた。運転手は、終始、穏やかで丁寧であった。
リスボンという町は、丘陵にひらけた坂の多い街で、一番低いところをテージョ川が流れている。
タクシーは、夜の街の大通りを、緩斜面のゲレンデを直滑降で滑るように、川へ向かって下っていく。
街灯の灯りで、ガイドブックにあったリベルダーデ通りの鬱蒼とした並木が見えたとき、とうとうリスボンまでやって来た … と思った。
★
翌朝、目がさめて、部屋の窓を開けると、テージョ川があった。まるで海を見るように広く、貨物船がゆっくりと動いていた。
多くの帆船が ── あのフランシスコ・ザヴィエルを乗せた船も ── ここから大航海の旅に出た。東方へ。インドへ。まだ見ぬジパングへ。織田信長に見せてやりたいものだ。
★
「チバングは、東のかた、大陸から1500マイルの大洋中にある、とても大きな島である。住民は皮膚の色が白く礼節の正しい優雅な偶像教徒であって、独立国をなし、自己の国王をいただいている。この国ではいたる所に黄金が見つかるものだから、国人は誰でも莫大な黄金を所有している」。(「東方見聞録」)。
「そなたの前には、時至らねば現れぬかもしれないが、海のはてに日本がある。清き白金を生み、神の光に照らされているその島が」。(ポルトガルで最も尊敬されている大航海時代の詩人・カモンイスの詩の一節)。
いずれも、『南蛮の道Ⅱ』(司馬遼太郎)からのまた引きである。
(ホテルの窓から、朝のテージョ川)