ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

早春のイタリアへ…早春のイタリア紀行(6)

2020年11月17日 | 西欧旅行…早春のイタリアの旅

 フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母堂)とジョットの鐘楼。

 ブルネレスキの造った直径50mの大円蓋は、地上100mの高さに取り付けられている。宿泊したホテルの朝食会場から、間近に眺めることができた。

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<ヨーロッパのホテルのことなど> 

 1996年のイタリア旅行(旅行社のツアー旅行)の後、ヴェネツィアには2回行き自分の足で歩いた。異国の空気を肌で感じるには、思い切って自分の足で歩いてみるのが一番だ。

 だが、フィレンツェやローマはツアーで回っただけ。自分の足でもう一度じっくり歩いてみたい。── これが、2010年の「早春のイタリア紀行」の動機である。

 今回は、航空券も列車のチケットもホテルも、自分でネットを通じて手配した。もちろん、旅行計画そのものも、自分でプランニングした。

 ネットの時代は、飛行機の座席も、空いている席なら好みの座席を選んで予約できる。

 列車は、イタリア鉄道のHPから購入しようとしたが、うまくいかなかった。

  ネットの中で、多くの人がうまくいかないと投稿していた。中に、VISAではなく、マスターカードにしたらうまくいったという報告もある。しかし、マスターカードでやってもうまくいかないという声も。日本で発効したVISAとかマスターカードなどのクレジットカードがイタリア鉄道のHPとうまくフィットしないのではないかという意見が多かった。とにかく、ネット世代の若い人たちがこんなに苦戦を強いられているのだから自分には到底ムリとあきらめ、「ヨーロッパ鉄道」というネットの中間業者を介した。そのためイタリア鉄道の格安チケットをゲットしそこねたが、高く付いたというわけではない。(これは2010年当時の話である)。

 ホテルは、観光に便利な旧市街の3つ星ホテルor4つ星ホテルから選んだ。

 ネットの時代になって、ホテルの場所(マップ)も、料金、部屋のランクや広さ、ホテルからの眺望、設備・備品、口コミの評価、それに写真も見ながら選ぶことができる。本当に便利だ。自分の旅行プランに合ったホテルを探すのも、旅の楽しみの一つである。

 旅行社企画のツアー旅行で泊まるのは、たいてい郊外のホテルだ。部屋の設備や備品などについて「お客さま」からあれこれ苦情が出ないようにするには、鉄筋コンクリート建ての近代的、コスモポリタンの大型ホテルが画一的で無難なのだ。

 旧市街は、街並み自体が保存地区だから、鉄筋コンクリートの大きなビルを建てることはできない。

 旧市街の伝統的なヨーロピアン式ホテルは、貴族の邸宅の内部を資金をかけてリフォームした5つ星ホテルでもない限り、エレベータも年代物の2人乗りの大きさで、ガタピシと音を立てて昇降する。部屋のドアの鍵も開けにくく、初心者はまたフロントに降りて行って、片言英語で訴えなければならない。そういうとき、フロントのお兄さんはさっと階段を駆け上がり、一瞬にして開けてくれる。そして、手振りでコツを教えてくれる。

 中に入ると、部屋も家具も、新しくはない。

 掃除されているが、日本ほどピカピカに磨いているわけではない。それは、アメリカン式の大型ホテルでも同じこどだ。

 バスにお湯をはろうとして、栓がない!! フロントに申し出ると、宿のご主人が探し回る。もうシャワーだけでいいかとあきらめかけた頃に、「ありました」と持ってくる。欧米人は普段、シャワーしか使わないから、栓はいつの間にかなくなってしまうこともある。

 バスの栓を抜いてお湯を流していたら、なぜか床にお湯があふれてきて洪水になり、バスタオルを何度も絞って拭いたこともある。

 ただし、いつもそういうことが起きるわけではない。それぞれ1回だけだ。ただ、そういうことも思い出に残る。そういうことも含めて、ヨーロッパである。ヨーロッパを旅するなら、まず、ヨーロッパ風のホテルに泊まるべきだ。

 今までも旅行社企画のツアー旅行に参加したし、これからも参加するだろう。鉄道が発達していないトルコとかバルカン諸国など、青春の放浪の旅でもない限り、個人旅行で回るのは大変である。沢木幸太郎の『深夜特急』のように、夜行バスで一晩かけて次の町へ移動するなど、年を取ってする旅行ではない。

 個人旅行は、旅に出てしまえば頼るのは自分の足と判断だけ。不安と緊張感はあるが、しかしその分、直に異国の空気に触れている実感がある。

 旅行社のツアーの中は、「日本」である。旅の始まりから終わりまでずっと、1日24時間、30人近くの日本人と過ごすことになる。いろんな人がいる。しかし、「個」になるところから、旅は始まる。

 ホテルは、バスとトイレとベッドがあれば結構である。私には、リッチさよりも、立地が優先する。

 ハンガリーのブタペストでは、上階の窓からドナウ川を見下ろし、ライトアップされたくさり橋と対岸の王宮の丘が見える部屋に泊まった。ネットで調べた範囲では、ブタペストでこの夜景が見えるのはこのホテルしかない。せっかくの旅行だから、こうして多少の贅沢をすることもある。ただし、五つ星ホテルだったら、やめていた。

 ポルトガルの有名な修道院兼城塞があるローカルな町の旧市街に泊まった時は、エレベータはなく、木造の階段はぎしびしと音を立て、部屋は古く、床は確かに傾いていて、多分、ボールを床に置けば徐々に転がっていくだろうと思った。それでも、ご主人は気さくで、料金は申し訳ないぐらい安かった。

 窓から中世の通りが見下ろせた。たまたま何かのお祭りで、衣装を着けた子どもたちの行列が通った。ホテルの玄関の横の壁には年代物のアスレージョが貼られている。夜、表に出ると、小さな街並みの外れの丘に巨大な修道院兼城塞がライトアップされて浮かび上がっていた。

 少し郊外の方へ歩いて行けば近代的な大型ホテルが1軒あったが、あえて街中の「旅籠」のようなホテルを選んだ。何を求めて旅するかである。

 旧市街のど真ん中に泊まれば、朝に夕に居ながらにして街の雰囲気を感じとることもできる。一日観光して、夜、食事した後も、ライトアップされた街並みを散策し、街角のカフェで一杯のワインを飲むこともできる。街並みこそが文化である。

 さて、2010年のの旅であるが、行程は、[ ヴェネツィア(2泊) → フィレンツェ(2泊) → アッシジ(1泊) → ローマ(3泊) ]とした。

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<早春のヴェネツィアへ>

 2010年3月8日。関空11時発。ルフトハンザ航空でフランクフルトへ向かった。

 上空から見ると、早春の日本列島の山岳地帯は、まだ深々と雪に覆われていた。

  (日本アルプスの峰々)

 富山の辺りから日本海へ出た。

 ユーラシア大陸の上を延々と飛び、フランクフルトでヴェネツィア行きの小さな飛行機に乗り換えた。

 ヴェネツィアの上空はまだ明るさが残り、飛行機が大きく旋回しながら高度を下げていくと、空から潟の広がりと、サン・マルコ広場の鐘楼が見えた。8年ぶりのヴェネツィアだ。

 マルコ・ポーロ空港には現地時間の午後6時前に着いた。

 内陸部の空港から、タクシーでヴェネツィア本島の入口・ローマ広場へ。

 そこからヴァポレット(水上バス)に乗る。乗船券は明後日の朝まで使える48時間券を買った。

 ヴェネツィアの旅行者の「足」は、自分の足か、ヴァポレット(水上バス)。自動車はない。そもそも車が走れるような道路がない。

 ヴェネツィアのタクシーはモーターボートだが、料金はかなり高い。

 サイレンを鳴らして走るパトカーも救急車も、モーターボート。彼らが通ると大波が立ち、岸に水がチャボチャボ当たる。優雅なゴンドラも、モーターボートが通るとゆらゆら揺れる。

 欧米の有名映画俳優のようなリッチなカップルなら、空港から直接、タクシー(モーターボート)に乗って、広々とした潟を疾走し、カナル・グランテ(大運河)に入って少しスピードを落として、そのままホテルに乗り付ける。そういう旅行者の泊まるホテルは、昔、有名な貴族の邸宅だったという高級ホテルだ。船着場もある。

 15世紀のヴェネツィアなら、リッチな貴族や市民は、漕ぎ手付きのゴンドラを持っていた。商談へ行くのも、夜のパーティー会場に行くのも、ゴンドラが足だった。

   カナル・グランデ(大運河)。左端にヴァポレット(水上バス)が見える。真ん中にモーターボート。右に係留されたゴンドラ。

 ただ、貴族がみんな金持ちというわけではなかったようだ。事業に失敗して、乞食に身を落とすことだってある。乞食でも、身分は貴族だ。ただ、官邸に願い出れば、頭巾で顔を隠すことを許されたらしい。その頃のヴェネツィアは商才次第。小金を貯めて、商船の積み荷に投資すれば、10倍、100倍になって返ってくることもある。誰でも挽回可能なのだ。

 「カ・ドーロ」で下船する。

 3月初めのストラーダ・ノーバ通り(ヴェネツィアのメイン通り)は、まだ閑散として寒風に紙屑が舞っていた。少し路地を入ったホテルに2泊する。

 明日は1日、8年ぶりのヴェネツィアを歩く。 

 

 

 

 

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