ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

「たゆたえども沈まず」 … 観光バスでフランスをまわる11/12

2022年08月07日 | 西欧旅行…フランス紀行

 (ポン・デザールとルーブル美術館)

 10月11日 晴れ

 朝、モン・サン・ミッシェル近くのホテルを出て、バスでパリへ向かった。パリまで360キロ、4時間半。長時間のバスの旅も、これが最後だ。そして、この旅も、パリの2日間だけとなった。

 パリでは、昼食にエスカルゴが出た。かたつむりは初めてだ。

 食べてみると、コンガリとしてなかなかの美味。 しかし、自分から注文して食べようとまでは思わない。

      ★

<⑴ 車窓観光 ─ パリの景観>  

 昼食後、観光バスでパリの「車窓観光」。初めてのパリの定番コース。

 中年のムッシュがガイドとして乗車してきた。流暢な日本語で体育会系のあいさつ。「私、若いころ、日本に留学いたしまして、京都の同志社大学を卒業しました。在学中は応援団に所属していました。皆様の中には、同窓の大先輩のマダムやムッシュがいらっしゃるかもしれません。ご無礼があるかもしれませんが、今日と明日、何卒よろしくお願いいたします」(笑いと拍手)。

 面白いが、控えめで、知的なものも感じさせて、駆け足のパリ観光にはもったいないガイドさんだった。

   観光バスは、セーヌ河畔、ノートル・ダム大聖堂、コンコルド広場、凱旋門、シャンゼリゼ通りなどを車窓から眺めながら、パリの街を走る。

  (セーヌ河畔の二人)

 そして、定番通り、エッフェル塔で下車観光。

 ショイヨー宮のテラスからエッフェル塔とパリの景色を眺望する。季節も良く、空は晴れて、心地良かった。「(シャンソン) パリの空の下、セーヌは流れる」。

    (ショイヨー宮のテラスからエッフェル塔)

 エッフェル塔が単独で聳えているのではない。私たちが今いるのはショイヨー宮。眼下前方にセーヌ川とイエナ橋。橋を渡ればエッフェル塔が聳えている。その先は整然と広がるマルス公園、そのさらに先にはアンヴァリッドと士官学校の建物が見える。それらが一直線に配置されている。

 パリの美しさは、構成美、端正な美しさ。人工の美。そういう端正な街並みをつくり上げようという強い意志。

 神が自然をつくり、また、神は自らに似せて人をつくられた。故に、人間は自然に対するとき、神に近い存在となる。万能の人間。

 日本では、まず自然がある。人は自然から生まれて自然の中に返っていく。「自然に~なる」とか「自ずから~なる」と言う。この場合の「自然」は、西洋人の「Nateur」の意ではない。「Nateur」は万能の人間の対象物。「自然に」とか「自ずから」は、人間を超えるものを意識している。人も自然の一部に過ぎない。人が集まれば、「自ずから」町ができる。

 構成美だけではない。エッフェル塔自身も、まるで絹のレースのよう。

 ただし、「パリだ 」「エッフェル塔だ 」と、心が浮き立っていると … このテラスにも観光客にまじってスリがいる。ここは日本ではありません。

                     ★

<⑵ ルーブル美術館のカメラのフラッシュ>

 バスはエッフェル塔からルーブル美術館へ。

 ガラスのピラミッドから入場し、広大な美術館をガイドのムッシュの案内で短期決戦の芸術鑑賞。

(ルーブルのガラスのピラミッドの中)

 数限りない展示室を素通りし、ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」とか、ダヴィッドの「ナポレオン1世の戴冠」とか、「ミロのヴィーナス」とかの前で説明してくれる。

 (ミロのヴィーナス)

  (サモトラケのニケ)

 私は「サモトラケのニケ」が好きだ。展示場所も、中2階の踊り場に1体だけ。かっこいい。ミケランジェロやロダンのどの彫刻よりも素晴らしいと思う。

 「サモトラケのニケ」以外では、今回は案内されなかったが、フェルメールの「レースを編む女」かな。小さな絵だし、オランダの画家だから、ルーブル美術館の扱いは「その他大勢」。

 かつて、欧米の観光客はカメラを持っていなかった。カメラをぶら下げて観光しているのは日本人だけだった。「カメラを持って旅をしているのは日本人だけだ。私たちは、自分の目で見、見たものを心に残しながら旅をする」などと言う西欧人もいて、そうかもしれない、カメラを持った旅は旅ではないのかもしれないとたじろいだ。

 ところがコンパクトカメラが普及し始め、欧米の観光客も爆発的にコンパクトカメラを持って旅行するようになった。最初は男性よりマダムやマドモアゼルが多かった。コンパクトカメラは安価。その上、絞りもピントもカメラが勝手に合わせてくれる。ファインダーを覗いてシャッターを押せば、誰でも思い出のシーンを切り取ることができる。

 欧米人観光客の中での爆発的なコンパクトカメラ普及に気づいたのが、このルーブル美術館だった

 フランスの美術館は、フラッシュを焚かなければどこでも撮影できる。欧米のマダム、マドモアゼルも、もちろん日本人のマダムたちも、有名な作品の前に群がって撮影する。ところが、室内だからフラッシュが自動発火する。「フラッシュは禁止よ」と、係員が怒って飛んでくる。ところが、あちらでも、こちらでも、フラッシュが光る。いつもは部屋の片隅に腰掛けてひっそりしていた係員が、あちらへ走り、こちらへ叱責の声。血相を変えている。ところが、どうも彼女たちは、日本人も含めて、シャッターを押す以外のカメラの操作法を全く知らないのだ。少しカメラをいじっているが、相変わらずあちらでも、こちらでも、フラッシュが光る。

 この時期のフランスの美術館の係員は、ふだんの10倍のストレスで、不眠症になったのではなかろうか??

 帰国した後のことだが、フランスの美術館が写真撮影を禁止したという報道を見た。

 それでも、1、2年で撮影禁止は解除された。さすがに自分のカメラのフラッシュを自動発火させない方法を身に付けた人が増えたのだろう。

 それに、コンパクトカメラはすぐに廃れ、誰もが旅先でアイパットやスマホのカメラで撮影する時代になった。だが、今でも、著名な美術館の不朽の絵画の前でフラッシュを光らせる観光客は結構多い。

 かつて、「写真に写すのではなく、心で旅をせよ」と批判していた西欧人も、今は皆、写真をバチバチ撮りまくっている。そして、SNSに投稿する。

 SNSが第一義で、旅はその手段になっていませんか 

      ★

<⑶ セーヌ川河畔の景観は世界文化遺産>

 ルーブル美術館の後はセーヌ川クルーズ。 

 私は個人旅行で行く海、湖、川のどこでも、遊覧船があれば乗る。それも、船室に入ることはない。デッキに立ちっぱなしで、水の上から景色を眺めるのが好きだ。

 セーヌ川の水上から見上げるパリも美しい。そもそもパリが美しいと感じるのは、セーヌ川の流れがあるからだ。

 東はサン・ルイ島に架かるシュリ橋から、西はエッフェル塔のそばのイエナ橋まで、セーヌ河岸一帯の景観は、世界遺産に指定されている。それだけの価値があると思う。

 遊覧船も各種あるが、安く上げようと思えば水上バス(バトー・ビュス)もある。遊覧船と同じコースを1周するし、乗り場も要所要所にある。1日券を買えば、乗り放題だ。ただし、遊覧船のように、天井が開いている、或いは、総ガラス張りの観光用の船ではない。まあ、市内バスと同じだから。それでも、狭いデッキはあるから、舳か艫に立てば展望は開けるし、写真も撮り放題だ。

  (サン・ルイ島)

 セーヌ川には中の島がある。まずパリの発祥の地のシテ島。その東側に小さな橋で接続して、小ぶりのサン・ルイ島。

 いつかサン・ルイ島のマンションに住みたいとあこがれているパリっ子は多いらしい。ちなみに、パリに一戸建て住宅はない。大統領でもマンション暮らしだ。

 「私はいつもポン・マリのたもとから狭い石段を下りて河べりに出る。そこには幅12、3mの散歩道があり、プラタナスの並木が河岸よりにある。石畳のこの道を私はゆっくりと歩いてゆく。秋の日、金色の落葉がすでに石畳を埋めている。ここにもベンチがあり、時折本を抱えて私はすわり、前の河をゆく遊覧船を眺めたり、本を読んだりした」(饗庭孝男『フランス四季暦』から)。

 (セーヌ河畔で考える人)

 (オルセー美術館)

 オルセー美術館はもともと、1900年のパリ万博に合わせて、花のパリの万博に押し寄せる世界の観光客を受け入れようと建てられた鉄道の駅舎だった。設計者はセーヌ川左岸にある国立美術学校の教授。オシャレなパリの街に溶け込む瀟洒な駅舎だった。

 今は、対岸のルーブル美術館と並んで、印象派を中心とした人気の美術館だ。

 私は絵もさることながら、この美術館の上階から眺めるセーヌ川の景観、そして遠くモンマルトルの丘のまでの眺望が、最高に素晴らしいと思っている。そういうことを目当てに入館する人はあまりいないから、結構、景色を堪能できる。

 (ボン・デザールの下をゆく遊覧船)

 「ポン・デザール」は、「Pont des Arts (芸術橋)」。フランス学士院や国立美術学校がある左岸の文教地区から、右岸のルーブル宮殿(美術館)へ徒歩で渡れるように架けられた橋。車は通れない。鉄骨の橋だが、床は全て木の板。途中に木のベンチも置かれ、木の枠組みの花壇もある。

 パリの街は自分の足で歩いて見てほしい、疲れたらカフェのテラス席でぼんやりと街並みを眺めてほしい。

 そういう街づくりがいい

 京都を歩いていて古都の落ち着きが感じられない理由の一つは、三条の大橋にしろ、五条の大橋にしろ、歩いて渡る人専用の橋がないこと。大阪には、京都にあってもおかしくないような、人専用の風情のある近代的な橋が幾つかある。ただし、京都と比べると、川が濁っている。

(セーヌ川からエッフェル塔を見上げる)

 エッフェル塔は1889年(フランス革命100年)のパリ万博のために建てられた。エッフェルは、設計・建設者の名。

 「歴史ある美しい町・パリに鉄塔を建てるとは何事か」と、反対運動が燃え上がり、著名な知識人・文化人たちもこぞって反対したそうだ。

 万博が開催されると、世界からやってきた人々が、連日、最新のエレベータで一気に上がって、パリの眺望を楽しんだ。

 万博の20年後には取り壊される段取りだった。

 しかし、エッフェル塔は、石造りの街並みの中に美しく軽やかに調和し、今では「花のパリ」を象徴する。

 そもそも、知識人とか文化人とか、大衆とか、世論などというものは、その程度のものだ。

 我々も、テレビとか、ネットニュースとか、世論だとかに一喜一憂するのは、もうそろそろやめた方が良い。泰然自若。ただし、覚悟も必要。

 パリ市の紋章には、かつてセーヌ川を行き来した帆掛け船が描かれ、ラテン語の銘文が添えられている。

 「たゆたえども沈まず」

 シテ島を根城にし、河川交易で栄え、パリの原型をつくった船乗りたちの心意気を表す。いかに風雨が荒れ、船が揺れても、我らの船は沈まない。

 まずはこういう心意気と覚悟。

       ★

 夜、9時にホテルに着き、それからホテルで晩飯。つまみ食いの盛りだくさんの行程だった。高校生の修学旅行でも、もう少しゆったりしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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