3か月近く更新しなかったにもかかわらず、その間も見捨てることなく、多くの方々がこのブログを開いて見てくださいました。心からお礼申しあげます。
また、これから、ゆっくりとですが、がんばりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
さて、9月26日に出発し、10月5日に帰国するという10日間の日程で、ポルトガルに行ってきました。ブログ再開の最初は、「ユーラシア大陸の最西端の国ポルトガルへの旅」です。
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旅の動機・目的は二つ。
ヨーロッパのどこかの国から、日本への帰国便に乗る。機内で一夜を過ごし、早朝に窓から日本列島が見えてきたとき、いつもある感慨がわいてくる。…… 私たちのすむ島国は、広大なユーラシア大陸の東の果て、さらにそこから幾ばくかの波濤を超えて、もうこの先には海しかないというところに位置しているのだ、という実感である。いとおしい思いとともに。
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ユーラシア大陸の西の端にあって、日本と同じように小さな国々の集まりであるヨーロッパ。
しかも、それぞれが、私たちの国にまさるとも劣らない長い歴史と文化をもち、今も先進国であり続けるヨーロッパ。
ヨーロッパとは何かを自分なりにきわめたくて、何度も旅するようになった。
フランス、イタリア、ドイツなどは幾度も、さらにスペイン、オーストリア、チェコ、ハンガリー、スイス、スロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナなどなど …… 。
旅を重ねていくうちに、日本はユーラシア大陸の最東端の国。それなら、ユーラシア大陸の最西端の国にぜひとも行ってみたいと思うようになった。しかも、その国・ポルトガルの、大西洋の波濤がうち寄せる最西端の岬の断崖の上に立ってみたいと。
旅の心は、遥けさなのである。
これが今回の旅の動機の一つである。
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2012年の冬、「冬のサンチャゴ・デ・コンポステーラ紀行」の旅をした。
サンチャゴ・デ・コンポステーラはキリスト教の三大巡礼地の一つであるが、もちろん、徒歩による巡礼の旅をしたわけではない。飛行機と列車を乗り継いだのだが、それでも遥々と遠かった。スペインの北西部、ガリシア地方にあり、大西洋に近い。
連泊して、大西洋が見たくて、フィステリアという漁村まで行ってみた。そこは、スペインの最西端、大西洋に臨む断崖がある地である。
(スペイン/巡礼の地・聖ヤコブ大聖堂)
(スペイン/大西洋に臨むガリシア地方の漁村)
(スペイン/フィステリアの灯台と大西洋)
(スペイン/地の果てに立つ)
冬の大西洋は迫力があり、遥々と、ユーラシア大陸の果てまできた、という感慨がわいた。
だが、フィステリアは、ユーラシア大陸の北西端ではあっても、最西端ではない。本当の最西端に立ちたければ、ポルトガルに行く必要がある。
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司馬遼太郎『南蛮の道Ⅱ』の中に、次のような文章がある。
「私は、パリでカトリーヌ・カドウ嬢に会った夜のことを思い出している。ポルトガル人とスペイン人は似ているか、ときいたとき、
『性格?』。
彼女はかぶりをふった。
『ちがっている。顔も。── ポルトガル人の顔は』。
彼女は自分の顔に手をそえて、『海にむかっていて、悲しげです』。」
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今回、ポルトガルを旅していて、「日本人か?」と質問され、「日本人が好きだ」と言われた。
「いま、いっぱい中国人が観光に来ているが、日本人との違いはわかる。…… 日本語の語感も好きだ。英語は好きでない。『サン・キュー』よりも、『アリガトウ』が好きだ」。
日本人が「海に向かって、悲しげである」とは思わない。だが、多分、シャイなところ、厚かましくないところは、ポルトガル人と似ているのだと思う。そこが、ポルトガル人と日本人の似ているところで、スペイン人や中国人と違うところかもしれない。
ちなみに、ポルトガル語の「ありがとう」は、「オブリガード」(男)、「オブリガーダ」(女)。私には、旅の間中、「アリガトウ」と言っているように聞こえた。
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ユーラシア大陸の最西端、大西洋を望む岬のある国の人々は、ユーラシア大陸の最東端、黒潮洗う国からやって来た旅人に、どこかなつかしさをおぼえてくれるに違いない。
ユーラシア大陸の最西端の岬に立ちたい、というのが、この旅の動機の一つ目である。
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