ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

ローマ第13軍団のウィーン …… 遥けきウィーン 1

2012年11月15日 | 西欧旅行…遥けきウィーン

          ( ローマの防衛線であったドナウ川 )

 所用で大阪へ出たついでに、難波宮跡から大阪城公園に入り、森之宮駅まで散歩した。

 春は桜の名所だが、その桜の木の葉っぱが紅葉して、秋は秋なりの風情がある。

 秋深きウィーンの市立公園は美しかったが、それほど負けてはいない。聞こえてくる言語が国際色豊かなのも、ウィーン並みだ。

        ★   ★   ★

三木清『人生論ノート』から

 「旅の心は遥かであり、この遥けさが旅を旅にするのである」。「旅において我々はつねに多かれ少なかれ浪漫的になる。浪漫的心情というのは遠さの感情にほかならない」。

         ★

 Wien 。日本語では、ウィーン。ドイツ語ではヴィーン。英語では Vienna ビエナ。 

 いずれの響きも綺麗だ。

 音楽の好きな人にとって、ウィーンは「音楽の都」。ベートーベンをはじめ、ウィーンにゆかりのある偉大な音楽家は多い。しかし、何といっても、愛されているのは、モーツアルト!!

 音楽にあまり関心のない人でも、小澤征司がウィーンに行ってから、オペラ座のそばを通るとき、懐かしいような感じを抱くようになった。

     ( ウィーンのオペラ座 )

 ただ、「音楽の都」も、この街並みがあってこそだ。この街並みがあって、モーツアルトのウィーンである。

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 オーソドックスな歴史愛好家なら、ウィーンはやはりハプスブルグ家のウィーン。神聖ローマ帝国の皇帝を輩出したのだから、やはりすごいのだろう。ウィーンの街並みの美しさは、ハプスブルグ抜きには考えられない。ハプスブルグのウィーンである。

         ★

    ( ハブスブルグのシェーンブルン宮殿 )

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 高い天井にシャンデリア、大理石のテーブル。

 パリとは全く趣の異なる、少々気取ったカフェ文化。

 パリのカフェでケーキを食べているのは、よほどのもの好きだ。だが、ウィーンのオペラ座近辺のカフェに入ると、西洋のおば様グループも、日本のマダムグループも、ケーキ、ケーキ、ケーキ。おじ様もケーキ。

 ショーウインドの中を見ると、さまざまなケーキがより取りみどり。美味そうだが、とにかく1個が大きい。

         ★

 ウィーンを舞台にした「寅さん」シリーズもあった。外国が舞台になったのはあの1本だけ。マドンナは竹下景子。ウィーン市から、ぜひ「寅さん」シリーズのロケをと、招へいされたらしい。

         ★

 だが、心ひかれるウィーンは、それらのウィーンと少し違う。

 「私のウィーン」を3つ挙げるなら、2つはその歴史。もう1つは、…… 映画かな??

その1 ローマ第13軍団のウィーン >

 ウィーンは、ユリウス・カエサル以来、ドナウ川を防衛線としたローマ帝国の最前線だった。

 ローマ軍は、この寒冷の地に、ローマ軍の規格どおり、1辺400メートル四方の、堀(グラーベン)をめぐらせ、城壁で囲って、軍団基地を建造した。そして、第13軍団6千人の兵卒が駐留し、ドナウ川に沿う辺境の地をパトロールした。

 今は旧市街の高級ブランド街・グラーベン通りは、軍団基地の南辺の堀(グラーベン)を埋め立てた道である。

 北辺はドナウ川に接していたので、城壁はあったが、堀はなかった。今は、ドナウ運河として残されている。 

  6千人の町は、当時のドナウ川流域では、「大都市」だ。何より安全。ローマ軍が健在な限り、ここにいれば危険はない。周辺の商人、農民、漁民がやってきて、にぎわう。これが都市ウィーンの起こりであった。

 そして、2世紀。ドナウ川流域でゲルマン民族の大規模な侵入が繰り返された。結果から見ればローマ史の終わりの始まりとなる事件であった。

 哲人皇帝マルクス・アウレリウスは、これをただならぬ事件と判断し、太陽の輝くローマからアルプス越えをして、遥々とこの寒冷の地にやってきた。そして、ドナウ川流域の各軍団の司令官たちを召集して、作戦を練る。

 昼間は戦いを指揮し、夜はテントのランプの灯りで読書や執筆をしたという。寒冷の地で、長く、病弱の身を酷使し、心労を重ね、決して得意とは言えない戦いに明け暮れ、戦い半ばで、ウィーンで病没する。

 これが、「私のウィーン」のその1。

 その何に心ひかれるのか? 

 当時、ドナウ川流域は、レーゲンスブルグも、ウィーンも、ブダペストも、首都ローマから見れば、遥かに北方の、文明の果てるところ、辺境の防衛線であった。

 川の向こうは、黒々と森が生い茂る、果てしない広がり。バーバリアンの地だ。

 かつて、ユリウス・カエサルは、ライン川とドナウ川を防衛線(国境ではない)にせよ、と言い残した。その先に、ローマ人は踏み込んではいけないとも。

           ( ドナウ川・パッサウ付近 )

         ★                     

 ウィーンに心ひかれるとき、わが心はローマ人である。

   そこは、文明の果てる地。遥けさの思い。浪漫的心情。 

 「北帰行」も、「津軽海峡冬景色」も、「みちのく一人旅」も、「北の旅人」も、「五能線」も、北方に心ひかれる浪漫的心情である。

                                                     

  

 

 

 

 

 


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