徳之島は「観光資源の宝庫」であり、団塊の世代には最適のパラダイスとなる

2007年03月03日 19時33分38秒 | Weblog
◆鹿児島県大島郡徳之島町を訪問した。3月1日午前8時5分、羽田発鹿児島行きのJAL機で飛び立つ。午前10時着。10時45分発の徳之島行きJAL機に乗り換えて、午前11時50分着。羽田から徳之島までの所要時間は、わずか3時間45分である。新幹線のぞみであれば、東京駅から広島駅まで(3時間52分)に相当する。航空便が多ければ、時間的には日帰りできる圏内にある。残念ながら便が少なく、徳之島町商工会の講演が午後7時半から9時半までだったので、現地で1泊させてもらった。
◆わざわざ出迎えていただいた経営指導員の秋丸一志さんの乗用車で、島内の名所旧跡をまずは「北回りコース」で案内してもらった。気温20度、彼岸桜は散った後だったが、採り入れ真っ最中のサトウキビ畑が広がる車窓風景を楽しみながら、高橋尚子ロード記念碑→ヨナマビーチ→ムシロ瀬→金見ソテツトンネル→畦プリンスビーチ→第46代横綱朝潮太郎記念像→富山丸慰霊塔→亀徳新港を経て亀津に入った。ハワイ島にやってきた気分である。なかでも、畦プリンスビーチは絶景。今上天皇陛下が皇太子時代に訪問されたのに因んで「プリンスビーチ」と命名された由緒あるリゾート地域である。昭和47年5月15日に沖縄が返還されるまでは、新婚旅行の人気スポットだったという。この島は、闘牛が盛んで、各地に闘牛場がある。獅子文六の小説の主人公「ぎゅうちゃん」を思い出す。
翌2日は、午後0時25分発の鹿児島行きのJAL機で帰路についた。それまでの約2時間、「南回りコース」で見学させてもらった。闘牛場→喜念浜海水浴場→泉芳明記念像→歴史民俗資料館→泉重千代翁像→犬田布岬・戦艦大和慰霊塔→西郷隆盛上陸地→徳之島空港へ。飛行機の出発時間という制限があり、駆け足だったけれど、全島一周を果たした。
とくに戦艦大和慰霊塔にお参りできたのは、まさに「念願が叶った」気分で大変嬉しかった。戦艦大和の生き残り士官・吉田満さんの「戦艦大和の最期」の一節を思い出し、感無量であった。「徳之島ノ西方二十哩ノ洋上、『大和』轟沈シテ巨O四裂ス 水深四百三十米 今ナホ埋没スル三千の骸 彼ら終焉の胸中果たして如何」
ここまでわざわざ連れてきていただいた秋丸さんにひたすら感謝するのみ。
◆以上を総合すると、徳之島は、「観光資源の宝庫」ということを痛感させられた。東京―徳之島の往復航空運賃が、大人1人10万円というのが、大きなネックになっている。沖縄本島などに観光客を奪われ、ハワイ旅行の方が安上がりというのもある。
小泉前首相が、「観光立国」を提唱して以来、徳之島町も、懸命に観光客誘致に取り組んでいるそうである。折角の「観光資源の宝庫」を「宝の持ち腐れ」にしないための方策として、「闘牛」を活かす方法を考える必要がある。いまは幸い、俗化していない分、とっておきの「穴場」である。
おカネを持った団塊の世代にとって「治安よし」「人情よし」の「徳之島」は、最適のパラダイスとなる。
「そのまんま東旋風」を巻き起こした宮崎県の東国原英夫知事に見習い、徳之島から全国ブランドの有名人を鹿児島県知事に担ぎ上げることも考えてはどうだろうか。テレビカメラのフォーカスを徳之島に向けさせなくてはいけない。これは、決して冗談ではありません。
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コメント (2)
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