昨日、四十九日を終えて、まだちゃんと決着はついていないけど、一つの節目は終わったと思っています。
だからこそここで改めて生と死についてちゃんと書いておこうと思います。
お袋は正直まだ心の中では活きたかったんだと思います。
なぜなら最後まで生きる意味合いの言葉を言っていたから。
『うまいものが食べたい』
これがお袋の言葉でした。
死を覚悟した人間はこの言葉は出てこないと思います。
食欲とは「欲望」なんですよね。
人間と言うのはある意味『欲』を達成してこそ生きるという意味なのではないかと思っています。
残念ながらお袋は病魔には勝てませんでした。
無念だったと思います。
色々心残りはあったと思うし、そうそう「我が人生に悔い無し』って言う人はいないんじゃないかと思います。
自分の知り合いのプロレスラーが先日知人の告別式に出向いたそうです。
年齢的には自分とそんなに変わらない。
小学生のお子さんがいて、一生懸命病魔と闘ったけど、残念ながら亡くなったそうです。
多分この方だって、無念だったはずですよ。
まだ小さな自分の子供を残してこの世を去る無念はとうにんしかわかる筈もないんです。
そんな事を考えると昨今の殺人事件にはやはり怒りを覚えます。
理由があまりにも自分中心主義なんですね。
自分さえよければいい。そういう感じにとれるんです。
人の命っていうものは自分だけのものではないと思っています。
あくまで、受け継いでいくものであると思っています。
自らの命を絶つ人もいます。
辛いんだと思います。自分も今物凄く落ち込んでいる状態だったりします。
「死んだつもりで頑張れば」
そんな甘いものではないですよね。
がんばっても報われないから死んだほうがマシだと思うんですよね。
朝が来るのが怖くて、またイヤな一日が始まるのかとあたまを抱えるんですよ。
でも、ふと思うんですよね。
絶対自分が命をおとすことによって誰かが悲しむんですよ。
そしてさっきも書いたように、死ぬ時は必ず「悔い」は残ります。
そして何より死ぬという事は後世への伝承をそこで途絶えさせてしまったという罪を背負うという事でもあります。
だから、自らの命を絶つという事は良くない事なんですね。
今こうやって自分に言い聞かせてます。
今、自分は一生懸命もがきながら生きてます。
生きる資格はもしかしたらないかも知れないけれど、それでも必死で生きてます。