福岡県大野城市曙町の市民ミュージアム「大野城心のふるさと館」において、「西海道最大の窯場・牛頸須恵器窯跡を探る」というテーマで、歴史講座の続きの現地研修として受講生約30名程の方々と一緒に貸し切りバスで、福岡県築上郡築上町にある「船迫窯跡」公園と、福岡県京都郡みやこ町にある「豊前国分寺跡・豊前国府跡」に、学芸員さんと共に行ってきました。
前回は、豊前にある「船迫窯跡」公園の歴史散策の様子を紹介しました。
今回は、豊前にある「豊前国分寺跡・豊前国府跡」の歴史散策(2)について、紹介したいと思います。
〇「豊前国分寺跡」
福岡県京都郡みやこ町にある「豊前国分寺跡」は、奈良時代に聖武天皇の詔により、日本各地に建立された国分寺のうちの寺院跡です。天正年間に大友宗麟の兵火により焼失しましたが、その江戸時代の元禄年間にほぼ復興しました。明治28年になって、新たに高さ23.5mの三重塔が建立されました。建立に尽力された人物として、宮本孝梁(豊前国分寺中興19世住職)と緒方善高(大工棟梁)が挙げられます。学芸員さんの話によると、とても魅力的な人物だったようです。
発掘調査はこれまでに2回行われています。奈良時代の講堂跡のほか、また鎌倉時代から室町時代にかけて敷地を取り囲んでいた大溝、僧房や回廊の跡と思われる建物跡が見つかっており、奈良時代の「豊前国分寺」は東西160m、南北160〜220m前後の規模があったものと考えられます。当時の伽藍が赤く彩色されていたことが判明し、奈良時代の「豊前国分寺」が「みやこぶり」を示すお寺であったようです。そのためか、再建された塔も珍しい朱色でした。
「豊前国分寺跡」では、地元の学芸員さんによる詳しい説明のもと見学してきました。何と、普段入れない三重塔の初層の内部に入ることが出来、感激しました!
〇「豊前国府跡」
豊前国府の遺構は、1984年から実施された発掘調査によって、豊津町国作字御所宮ノ下で発見されました。政庁を中心に南北650m、東西490mの範囲に国府域があったと推定されています。政庁の300m南方には、太宰府と宇佐八幡宮を結ぶ官道が走っていました。国府の中心建物は、8世紀から12世紀まで何度か建て替えられています。正殿を中心に東西に脇殿を置く典型的な国衙の配置です。12世紀の半ばにはその痕跡が無くなり、居館のような建物に変わってしまったようです。9世紀から10世紀の第三期の政庁を復元し、その周辺を含めて豊前国府跡公園として整備してあり、現在は市民の憩いの場ともなっています。
「西海道最大の窯場・牛頸須恵器窯跡を探る」というテーマで、計6回の講座が行われています。今回の現地研修は4回目でした。とても、中身の濃いい研修会でした!
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