神岳(かむをか)に登りて山部宿禰赤人の作れる歌
「 みもろの、神なび山に、五百枝(いほへ)さし、しじに生ひたる、栂(つが)の木の、いや継ぎ継ぎに、玉葛(たまかづら)、絶ゆることなく、ありつつも、やまず通はむ、明日香の、古き都は、山高み、川とほしろし、春の日は、山し見がほし、秋の夜は、川しさやけし、朝雲に、鶴(たづ)は乱れ、夕霧に、かはづは騒く、見るごとに、音(ね)のみし泣かゆ、いにしへ思へば」
歌の意味は、「神の山に たくさんの枝が繁っている栂の木のようにつぎつぎに、美しい葛の途切れることなく伸びているように 何度も通いたくなる明日香の旧き京は、山も高く川も雄大に流れている。春の日は山を見たく思い、秋の夜は川がさやかだ。朝雲に鶴の群れは乱れ飛び、夕霧に蛙は鳴き騒ぐのを見るたびに、思わず泣いてしまうよ。古き昔を思い出して…」
この歌は山部宿禰赤人(やまのべのすくねあかひと)が、「飛鳥の神名備山」に登って明日香の古き京を詠んだ一首で、おそらくは藤原京かその後の奈良の平城京への遷都後に明日香の地を訪れて、懐かしい思い出のある明日香の風景を、素直な心情で詠んだ歌なのでしょうか。
明日香を詠んだ「万葉歌」は数多くありますが、この歌がとても好きです。
山部赤人は柿本人麻呂と並ぶ万葉の代表的な歌人で、奈良初期に活躍した万葉歌人です。自然を愛したことから自然歌人ともいわれています。
今回は、古都飛鳥を詠んだ「万葉歌人 山部赤人」の墓の伝承がある場所を、紹介したいと思います。
「山部赤人の墓」は奈良県榛原駅の北東,国道165号から1kmほど北西に入った額井岳の東のふもと,東海自然歩道沿いにあります。
この塔は雑木林の中にあり、「山部赤人の墓」と伝えられている苔むした高さ210㎝の五輪塔です。古くから地元の人は、「山部赤人の墓」として信じられているようです。
すぐそばには大和富士と呼ばれている山があり、近くには十二神将を刻んだ銅鐘がある戒長寺や、ホオノキが見事な戒場神社などがありました。
山の中腹にあり、なかなか「山部赤人の墓」を見つけることができませんでしたが、地元の方に尋ねながら見つけた時は大変に感激しました。
今は、山部赤人が「飛鳥の神名備山」に登って詠んだとされる場所を、散策しながら探しています!
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