大阪平野の南東部、現在の藤井寺市と羽曳野市にまたがる東西約4km、南北約4kmの範囲の中に、たくさんの古墳が集中して存在する場所があります。
この古墳の集まりを「古市古墳群」と呼んでいます。
今回は、2008年に大仙陵古墳(仁徳天皇陵)を含む「百舌鳥古墳群」とともに、世界遺産の国内暫定リストに追加された「古市古墳群」を紹介したいと思います。
(行程)
近鉄土師ノ里駅ー栗塚古墳ー市ノ山古墳(伝允恭陵)ー国府遺跡ー仲津山古墳(伝仲津姫陵)ー道明寺・道明寺天満宮ー古室山古墳ー誉田御廟山古墳(伝応神陵)
ー誉田八幡宮ー野中古墳ー墓山古墳ー向墓山古墳ー前ノ山古墳(白鳥陵)ー近鉄古市駅
「古市古墳群」は、東西約2.5キロ、南北4キロの範囲内に、誉田御廟山古墳(伝応神陵)など墳丘長200メートル以上の大型前方後円墳6基を含む、123基(現存87基)の古墳で
構成される古墳群です。いずれも標高24メートル以上の台地や丘陵上にあります。
北部の誉田御廟山古墳(伝応神陵)・仲津山古墳(伝仲津姫陵)・市ノ山古墳(伝允恭陵)・岡ミンザイ古墳(伝仲哀陵)などの古い古墳群と南方の前ノ山古墳(白鳥陵)を中心とする
前方部の著しく発達した西向きの新しい一群とに分けられるようです。古墳造営には豪族の土師氏などが関与していたと考えられています。
これらの古墳は、今までの調査・研究によって、4世紀後半から6世紀前半にかけての約180年間に造られたことがわかっています。
「古市古墳群」には、大型の前方後円墳が多く、墳丘長100m以上の前方後円墳が15基あります。そのうち、墳丘長200m以上の巨大な前方後円墳が7基もあります。
これは、「古市古墳群」の最大の特徴です。
今回の歴史散策で驚いたことは、近鉄土師ノ里駅に降りると、すぐ目の前には立派な古墳を見ることができます。また、高速道路の下に古墳があったり、マンションや
家の横に古墳があったりして驚くばかりでした!
今回は、「古市古墳群」の半分位しか見ることができませんでした。また、残り半分を歴史散策したいと思っています。
それにしても、どうしてこの場所にこんなに数多くの古墳が造られたのでしょうか・・・
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