例えば、見知らぬ人が子犬の散歩をしているとする。
そばを歩く俺は、それが凄く怖い。
何の凶暴性もない、実に平和な光景のはずなのに。
猛犬でもなければ、ご主人も温和そうな人なのに。
説明をしよう。
子犬は弱い。
非常に脆い、儚い生き物である。
俺はそれを、無性に蹴りたくて仕方ない。
何せ弱点の塊である。
わざわざ頭や目を狙わなくても。
足をちょっと蹴るだけで骨折くらいはするだろう。
ひ弱な俺が、更に弱い存在を加害することができる。
こんなに楽しいことはそうそうない。
だから、子犬を見ると蹴りたくなるのだ。
さて、そこで実際に蹴ってみたら、という話である。
これは今の法律では「器物損壊」に当たるらしい。
要するに、その温和そうなご主人の所有物を壊した罪。
3年以下の懲役または30万円以下の罰金だとか。
こんな弱点丸出しで、いかにも攻撃してくれと言わんばかりの子犬。
それを本当に攻撃したら、30万ものお金を取られるという。
怖い。
何と恐ろしいことだろう。
だから俺は、散歩中の子犬が怖いのだ。
加害してしまったら――そう、加害妄想。
自分より弱いものを見るたび、この恐怖がよぎる。
加害したい、という気持ちを下敷きにして。
「なんて勝手な理論だ」
と非難されるのは分かっている。
しかし、そんな思いが全くないと断言できる人がどれほどいるだろう。
これが国と国なら、間違いなく戦争になるというのに。
善人が、その善性を傘に着て俺を非難するのか。
未だに戦争をなくせないのが、俺の意見を補強する証拠だ。
みんな、誰かを加害したがっている。
理性だとかそういうものが歯止めをかけているだけで。
そして相互監視が生まれ、ご立派な意見が生き残る。
加害してはいけない。
加害した奴を罰せよ。
俺はそれが、とても怖い。
いつ自分が罰せられるか分からない。
子犬は、そのきっかけになり得るのだ。
だから俺は、怯えながら生きている。
散歩中の子犬に。
車椅子の老人に。
一人歩きの女性に。
やめてくれ、これ以上俺の加害妄想を加速させないでくれ――。
こんなにも弱い俺は、さらなる弱者に迫害されている。