井戸を、覗いていた。
背後から、女の声が聞こえた。
「危ないわよ」
大丈夫、落ちやしない。
僕は答えた。
「そんなことじゃないわ」
じゃあ、何を心配しているんだい。
僕はただ、何とはなしに覗いているだけなのだ。
邪魔しないでくれ。
「ほら、だから、危ないのよ」
さっきから何を五月蝿く言っているのだ。
訳が分からない。
僕に構うな。何処へなりとも行ってくれ。
「本当に、分からないの?」
ああ、分からないね。
気が散るじゃないか、話し掛けるのはやめてくれ。
「ああ、もう駄目なのね」
何が駄目だと言うのだ。
僕はただ――
「井戸を、どうしてそこまで必死に覗いているの?」
僕は、ただ――
「分からないの?」
どう、して――?
「井戸は――入り口だから」
女の声が、聞こえる。
僕は、何故。
あぁ、でも。
井戸の奥が、気になって。
魅入られたように、動けない。
「あちらへの入り口。井戸は――異戸」
女が、嗤った。
「さようなら」