努力の数や量、時間を誇るのは止めたほうがいいかもね、という話。
いや、最近ちょくちょくそういう話を目にしたので。
例えば、とある努力して成功した人が
「私は頑張ったから成功した」
と言ったとする。
じゃあ、成功してない人は全てその人以下の努力量だったのか。
これは難しい話になるじゃない?
精一杯努力したのに運が悪くて成功しない。
認める立場にあたる人との相性が悪く、認識されない。
努力の方向性がズレていた、というのもある。
勿論親ガチャ、遺伝子ガチャ、環境ガチャもある。
色々あるから、自分の努力を誇るのは外に出さない方がいいかも。
将棋の渡辺明九段は天才として有名ですが、
ある時期まで
「自分は努力してプロになった、他の人は何で努力しないのだろう」
と思っていたのだとか。
でも、それは「才能」の差であることに気付いた。
それから、
「自分は天才だからプロになり活躍できたのだ」
と思うようになったのだとか。
他人の努力を、自分の努力で貶めてはならない。
いずみの場合、努力したことが仇になって
えらい目に遭ったこともあります。
努力しなければよかった。
もしくは、自分だけの身を守るための努力をするべきだった。
これを
「努力不足による失敗」
と取られると流石に腹が立ちますもんね。
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