「抵抗しないほうがいいよ」
とハイヤーセルフが言う。
「抵抗しているつもりはないけど…」と私。
ハ:「起こってくる感情に対して反射的に抑圧しようとしているよ」
私:「そうかな、いや…そうかも」
ハ:「自分の感情なのに手こずるって感じるのはそのせいだよ」
私:「う~ん、まだどこかで、感情に〇✖をつけているからかな…」
ハ:「スケートを思い出して」
私:「スケート??」
ハ:「そう、氷の上を滑っている…あの感覚」
私:「うん」
ハ:「氷の上に立っている時、全身に力が入っていたら、氷と自分が反発しあって
全然滑れないし、むしろ転んでしまうよね」
私:「そうだね」
ハ:「でも、力を抜いてリラックスすると、氷と自分が一体になる」
私:「そうそう!!」
ハ:「あとは、どこに力を入れて、どこの力を抜くかは、氷と身体が教えてくれるし、
頭であれこれ考えて滑れるものじゃないでしょ」
私:「そうだった。
スピンもジャンプも身体に余計な力が入っていると回らないし飛べない。
力を抜いた時にあれっ?と思うぐらいで出来るようになる」
ハ:「そして風になる!!」
フィギアスケートを幼稚園の時から高校2年までやっていた
私しかわからない例えでハイヤーセルフとの会話はこの後も続いた。
「私」ひとりだと、気づかないし…見えない多くのことを、
ハイヤーセルフは教えてくれる。
そうすると、物事は起こるべくして起こるのだ、
ということが頭ではなく、ハートで理解できるようになってくる。
必要があって体験しているということが。
だから「私」が悪いわけでも、「誰か」が悪いわけでもない。
また、その体験も進み具合によって変わってくる。
そこに「いい」も「悪い」もない。
さらに、学びの宝庫。
どれだけ受け入れがたいと思っても、全ての体験がギフトだということが、
ハイヤーセルフのおかげで徐々にわかってくる。
決して…体験しました、はい終わり、ではないということ。
「氷と私」の例えだったけど、「宇宙と私」ということ。
響き合って一体になる。
やっぱり、私のハイヤーセルフって最高(笑)。
て当たり前か!
とハイヤーセルフが言う。
「抵抗しているつもりはないけど…」と私。
ハ:「起こってくる感情に対して反射的に抑圧しようとしているよ」
私:「そうかな、いや…そうかも」
ハ:「自分の感情なのに手こずるって感じるのはそのせいだよ」
私:「う~ん、まだどこかで、感情に〇✖をつけているからかな…」
ハ:「スケートを思い出して」
私:「スケート??」
ハ:「そう、氷の上を滑っている…あの感覚」
私:「うん」
ハ:「氷の上に立っている時、全身に力が入っていたら、氷と自分が反発しあって
全然滑れないし、むしろ転んでしまうよね」
私:「そうだね」
ハ:「でも、力を抜いてリラックスすると、氷と自分が一体になる」
私:「そうそう!!」
ハ:「あとは、どこに力を入れて、どこの力を抜くかは、氷と身体が教えてくれるし、
頭であれこれ考えて滑れるものじゃないでしょ」
私:「そうだった。
スピンもジャンプも身体に余計な力が入っていると回らないし飛べない。
力を抜いた時にあれっ?と思うぐらいで出来るようになる」
ハ:「そして風になる!!」
フィギアスケートを幼稚園の時から高校2年までやっていた
私しかわからない例えでハイヤーセルフとの会話はこの後も続いた。
「私」ひとりだと、気づかないし…見えない多くのことを、
ハイヤーセルフは教えてくれる。
そうすると、物事は起こるべくして起こるのだ、
ということが頭ではなく、ハートで理解できるようになってくる。
必要があって体験しているということが。
だから「私」が悪いわけでも、「誰か」が悪いわけでもない。
また、その体験も進み具合によって変わってくる。
そこに「いい」も「悪い」もない。
さらに、学びの宝庫。
どれだけ受け入れがたいと思っても、全ての体験がギフトだということが、
ハイヤーセルフのおかげで徐々にわかってくる。
決して…体験しました、はい終わり、ではないということ。
「氷と私」の例えだったけど、「宇宙と私」ということ。
響き合って一体になる。
やっぱり、私のハイヤーセルフって最高(笑)。
て当たり前か!
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