EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

平成30年 初 詣

2018年01月03日 | 伊予松山歴史散策

昨日(1月2日)午後、我が家の氏神社である日尾八幡神社(松山市南久米町)に初詣に行って来た。

松山は年末から気温が低く寒い日が続いており昨日も最低気温はー0,2度であった。

私の正月の過ごし方は、毎年駅伝を見て過ごすのが恒例となっており、今年も元旦は、実業団駅伝、2日、3日は、関東大学箱根駅伝をTV観戦、今年の箱根は往路、復路に数名体調を崩し本来の走りが出来なかった選手がいたが何とか無事走り切った。青山学院大の素晴らしい走り、4連勝を飾った。

今年優勝候補の一校に上がっていた神奈川大学は5区の山登りで失速しシード校落ちとなり残念。

神奈川大学には、愛媛県立宇和島東高校出身で主将の「鈴木健吾選手」が居り、昨年2区を歴代8位の成績で区間賞の快挙で走り抜け今年も期待していたが、昨年の走りが出来なかったのが残念であった。

その他愛媛県出身者は、2区を走った城西大学・愛媛県立松山工業高校出身の「菅真太選手」6区を走った上武大学・愛媛県立今治北高校出身の「鴨川源太選手」が力走した。菅真太選手は4年生で最後の箱根だったが、鴨川源太選手は2年生なので今後の活躍を期待したい。日本体育大学の10区を走る予定でした愛媛県立松山工業高校出身の「重松尚志選手・4年生」は急遽エントリー変更して走れなかったのが残念でした。

さて、東京箱根間大学駅伝を見て、昨年のお礼を心にして初詣に出掛けた。多くの氏子達が家族ずれで氏神様である「日尾八幡神社に来ていた。

昨年愛媛県は、平成29年9月30日(土)~10月10日(火)まで第72回国民体育大会が64年ぶりに開催され県民挙げて歴史に残る成績を獲得し盛会の内に閉幕した。今年も家族一同元気で過ごせますようにとお祈りをし、そして南海地震が起こらない事をお願いして帰った。

 神社の所在は、松山市南久米町、旧国道11号線沿いに位置する。

神社入口に、注連石があり左に「魚躍」右が「鳥舞」で、書道家三輪田米山の揮毫である。米山は、日尾八幡神社神官三輪田清敏の長男である。

社号石 「県社日尾八幡大神」・注連石「鳥舞」「魚躍」は米山が揮毫したものである。

 

日尾八幡大神の神門。

日尾八幡大神の神門には三輪田米山の揮毫した社号額があり、米山は、この神社で生誕した。

 

注連石、鳥居を潜り神門左に大きな「忠魂碑」がある。

久米地区から出兵され、日清・日露・大東亜戦争(太平洋戦争)で戦死された御霊をお祀りしている。建立は、昭和35年10月である。忠魂碑、忠霊碑、招魂碑等々は戊辰戦争時官軍として忠義のために戦い戦死した兵士の霊魂を祀る石碑で江戸時代にはなかった。大東亜戦争で戦死された御霊を祀ることは、戦後許されるのは、昭和27年4月28日発効のサンフランシスコ講和条約以降である。この立派な忠魂碑、揮毫は誰がしたのか書かれていない。

忠魂碑裏面には、久米地区から出兵され、日清・日露・大東亜戦争で戦死された兵士の名前が刻印されている。

手水舎で手を清め拝殿に向かう。

神門を潜り石段、147段を登り社殿に向かう。年配の方は途中で休みながらの初詣である。

「あえぎつつ 登る石段 初詣」

石段の中程、左側に「黒田霊社」がある。

黒田霊社は、下記の事項にある「黒田九兵衛」を祭る祠である。

慶長5年(1600)9月15日伊予国の関ヶ原の戦いと言われる、刈屋畑の戦いがあった。

伊予史料叢書によると「佃次郎兵衛伊予国松前城を守る事」の項があってこの戦の展開振りを次の様に伝えている。「佃次郎兵衛十成は、加藤嘉明の先手の士の大将なり。関ヶ原の戦いの時、嘉明は伊予の松前を出て関東に打ち向かわれし、一成に堅固に守れと黒田九兵衛下知して松前に留守居たり。毛利輝元の命を受けた兵、村上掃部、能島内匠、曽根兵庫、宍戸善右衛門等、松前を取らんと支度しけり。能島村上は河野の一族なる故、招かざる人々従いなん。豫州を攻め取らん事・・とある。」刈屋畑の戦いは、激戦であり戦いは23日まで続き久米の如来院(現・松山市南久米町)まで及び佃一成はこの戦いで深手を負った。如来院には、平岡・村上連合軍が拠守した。嘉明の留守隊の隊将、は如来院を攻撃して陥れたが、九兵衛は壮烈な戦死を遂げた。村人達は九兵衛の死を哀れんで、その霊を祀るため黒田宮と称する小さな祠が日尾八幡神社の側に建てられてとあるが現在は見る事は出来ない。・・近年日尾八幡神社内に再建されたのが画像の祠である。

神門を潜り石段、147段を登り上がると社殿がる。

日尾八幡神社の拝殿、本殿で、祭神は天御中主大神、天照皇大神、月夜見大神の神々が祀られている。

日本で一番多い神社は何神社でしょうか? 調べてみると、「八幡神社」でした。神社の総元締めである神社本庁が行った調査「全国神社祭祀祭礼総合調査」によると、八幡神社は7817社とダントツでトップ(ちなみに、2位は伊勢神宮などの伊勢信仰の神社が4451社、3位は天神などの天神信仰の神社で3953社)でした。 そして神社の一番多い都道府県は、新潟県で、4786社、2番目が兵庫県の3859社、3番目は福岡県で3417社。愛媛県は、第46番目で116社でした。

拝殿内部で、家族が祈祷を受けていた。

普段は開門してない社も正月は開門して参拝が出来る。

この社は「天照大神」の社殿。

日尾八幡神社の本殿で普段は見る事が出来ない。「天照大神」の社殿、横から見た本殿。

本殿西側にある春日大社の社殿で、ここも普段は戸が閉まっているが、正月は開門してあり中には入る事を許され参詣が出来る。

拝殿左側、春日大社入口には、おみくじを頂く特設を設置、今年の正月は気温が高く好天で巫女さんも楽であっただろう!!

今年の運勢をおみくじで確認して、おみくじを結んでいた。

拝殿右側から四国88ヶ所第49番札所浄土寺があり「鷹子ふる里の道(米山の里めぐり)」の表示板がある。

明治時代の書家、三輪田米山は、この神社で生まれ、お墓は第49番札所浄土寺にある。

今年の初詣は、我が家の氏神様である、日尾八幡神社に参り、そして菩提寺である、浄土寺さんをお参りして来た。

日尾八幡神社から望む四国88ヶ所第49番札所浄土寺、徒歩5分の所にある。

 浄土寺の墓地に、三輪田米山のお墓がある。

四国88ヶ所第49番札所浄土寺の山門。多くの参拝者が来ていた。

山門を潜ると、本堂と大師がある。

弘法大師堂。

浄土寺の鐘楼で、最近都会では鐘の音がうるさいと苦情があり、気兼ねをしながら打たなければならないそうです。

弘法大師堂の前には、立派な「弘法大師・千百五拾年御遠忌供養塔」が建立されている。

供養塔の奥が納経所で庫裏がある。

境内の一角に、巡拝者が一休みをするための長椅子が用意されており、腰当の中央に、四国地図をくり抜いた造形がしてあった。

腰当にくり抜かれた、四国地図の形。

その長椅子には、画像の様に文字が刻まれていた。四国88ヶ所全部の札所に寄進したのでしょか?

お遍路さんにとっては誠に有り難い事です。

 

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