道後公園(中世の城跡・湯築城、日本100名城・第80番)にある松山地方気象台が管理する松山地方のソメイヨシノ桜観測標本樹が満開である。
今年は、3月25日に松山地方のソメイヨシノ桜が満開したと松山地方気象台から宣言された。
それから16日目、(令和2年4月10日)、に満開となったと報道されたので鑑賞に行って来た。
例年ならば桜の下にシートを敷き弁当持参で大勢の花見客で賑わうのですが今年は、新型コロナウイルスが発生し松山市でも感染が続いており、黄色の立ち入り禁止のテープが張り巡らされ花見禁止であった。
例年ならば、松山地方のソメイヨシノ桜の開花状態を観測に使う標本樹周辺で家族・友人達が花見をする姿がみられるが今年は禁止された。
ただ桜は、何時もの様に綺麗な花を咲かせた。
新型コロナウイルスが蔓延してなければ画像の様に花見客で賑やかになる。
一昨年の道後公園の風景。
華麗に満開となった松山地方気象台が管理する松山地方のソメイヨシノ桜観測標本樹。
松山地方気象台が管理する松山地方のソメイヨシノ桜観測標本樹の直ぐ傍に、中世の城跡「湯築城の内堀」があり、内堀に「カワセミ」が飛来して来る。
そのカワセミを撮るカメラマンたちが超望遠レンズで構えていた。
カワセミを撮るカメラマンたち見る何処かの新入社員。
カワセミを撮るカメラマンたち。
超望遠レンズでカワセミを撮るカメラマン。
思わぬところに飛来したカワセミ、私も思わずシャッターを切った。
私のレンズは広角であったのでアップで撮れなかった。残念!!
湯築城跡、東グランド、ここも立ち入り禁止のテープが張りめぐり花見禁止であった。
私が幼少時、代母が「巻き寿司・羊羹・りんまん(松山地方の郷土菓子)」を四角の重箱につめてくれて友達と花見に行った。・・遠い昔の事でその母も今はいない。
散る桜 昭和は遠く なりにけり・・
日本には各地に色んな品種の桜が開花しこの時期が満開となる一番いい季節である。
しかし、ソメイヨシノ桜の樹勢がこの所だんだんと弱ってきているのが心配である。
松山地方気象台が管理する松山地方のソメイヨシノ桜観測標本樹元気がなくなってきている。
日本の桜は、染井吉野桜が代表的で圧倒的に多く植栽されているが、原点は、山桜・江戸彼岸桜・大島桜で、この桜から自然受精したり、人工的に造られた。
桜は、日本の「国花」である。
例年であれば画像の様に、各種団体が色んな行事を行い花見客を楽しませるが今年は静かであった。・・と言うより寂しさを感じた。
例年であれば桜の下でお弁当を広げ、花を愛でるが今年はそれが出来なかった。・・花は例年も元気よく咲く事間違いない。
それよりも早く新型コロナウイルス終息を願う・・。
道後公園東グランドには即席舞台が設営され音楽演奏や演舞が行われ、花見客を楽しませるが、今年は新型コロナウイルスが蔓延全て中止である。
愛媛県も少しずつ陽性患者が発生している。
感染防止に一人一人が気を付けて、感染しない様に、そして自分が感染源にならぬように三密となる場所に行かぬよう心掛け、感染すると医療関係者に大迷惑を掛けるので!!
湯築城跡山頂広場に画像の大きな記念碑が建立されている。
皇太子殿下駐駕所と揮毫されている。
明治36年10月16日、大正天皇が皇太子時代に道後温泉に行幸された記念碑である。
揮毫者は、正三位 勲一等 男爵 波多野敬直である。
湯築城跡正面にある標示版。
湯築城跡正面にある標示版。
国史跡・湯築城跡入口。
日本100名城・第80番のスタンプは資料館にある。
湯築城跡(道後公園)の平面詳細図。
赤字番号で示している場所は、下記の通り。
1、松山地方気象台が管理する松山地方のソメイヨシノ桜観測標本樹
2、カワセミを撮るカメラマン
3、東グランド
4、皇太子殿下駐駕所の石碑
5、国史跡・湯築城跡入口
故郷の歴史を知らないまま出て行って、退職してからやっと故郷の歴史に興味を持っています。
秋山兄弟については「坂の上の雲」を読んで以来ずっと、もっと知りたいと思っていましたので、貴ブログに出逢えて嬉しいです。これからゆっくり拝読したく思っています。
近所にこんな石碑がります。参考まで。
https://blog.goo.ne.jp/arakawa3po/e/569bd120573fb508671055dcfbe0f457