Dr. 讃井の集中治療のススメ

集中治療+αの話題をつれづれに

visiting professorとして教え学ぶ

2013-10-28 04:47:58 | その他

手稲渓仁会病院に1日お邪魔しました。

総合内科集中治療室麻酔科)の皆様には大変お世話になりました。

お邪魔した理由は、米国で言うところのvisiting professorとして一日、朝、昼、夕のレクチャーと午前、午後の症例検討+回診を行うためです。visiting professorとは要は外部講師のことですが、レクチャーをするだけでなく、回診やケースディスカッションにも参加するというものです。

日本でも米国でも若い人は複数の病院をローテーションして勉強しますが、ローテ先で常に良い指導者に巡り合うとは限りません。ならば外から誰か呼んで「一日指導医」として教えてもらってもいいんじゃない? という発想でお呼びするのがvisiting professorです。ちなみにグランドラウンドもそういう発想で米国ではごく一般的な教育機会ですね(注1)。

若い先生たちの目の輝きが、臨床に対する真摯さが凄くて圧倒されました。手稲渓仁会病院は有名な臨床研修病院ですからやる気のある若者が集まるからでしょう。自分としては、最近臨床以外に果たさなければならない仕事がどうしても増え、臨床の比重が減っています。「臨床医として、初心忘れるべからずやれよ」と諭されているようで、身が引き締まりました(北海道はすでに寒かったから?)。

ちなみに、母校(旭川医大)の関連者が多くて、自分を含めてみなさんの母校愛を少し感じ取ることができて嬉しかったです。またいろんなつながりを発見できてあらためてこの業界は狭いな、と感じました。

以下、visiting professorの効果や利点について思いつくままに。

visiting professorという制度は一種の異文化交流の機会で、自分たちのプラクティスがいかにローカルで凝り固まったものであることを指摘してもらう良い機会でもあります(注2)。逆に、ある程度年齢を重ねると医師は職場を変わることは少なくなるので、ただでさえアタマが固くなった指導医のアタマを異文化にさらし、少しでも柔らかくする効果があるでしょうね。

ちなみに、自分が人に何かを教える資格があるかどうかに関して言うと「まだまだ」と思いました。なぜなら「自分の知識は何が不確実か、どうすればうまく説明できるか」ということに関して、今回も非常に勉強になったからです。通常、質問を受けた場合、相手の質問に真っ向から答えているか、話をそらしていないかを常に気にしながら真摯に答えようとします(Am I answering your question?)。話をそらすのは簡単ですがディスカッションのルール違反なので、できるだけ避けたいからです。

しかし、実際はしばしば自分の勉強が足りず即答できません。ただ、「ごめんなさい、知りません」だけでは素っ気なさ過ぎるので、相手の何か役に立つものを提供しようと「根拠にサポートされていないけど自分のプラクティスはこうです」とか、「話はズレるけどこういう情報があります」とか、その場のお茶を濁して後で文献に当たって勉強し、(メールなどで)補足説明させてもらいます。

このようにして人に何かを伝え、やり取りをする中で自分自自身が勉強をさせていただいています。人前で話すこと、懇親会などの集まりは本来苦手なのですが、そのような場で話すこと、質問を受けることは自分の勉強のチャンスなので、機会があればお引き受けするようにしています。

「話す」センス、能力が不足する自分にとっては話すこと自体の練習にもなっています。ちなみに、ユーモアや笑いのセンスや人を惹きつける話ができるセンスはありませんが、せめて誠意のある話し方をしようと心がけています。結果はどうでしょうか。

 

注1:グランドラウンド(grand round)

ある領域のエキスパートを呼んでレクチャーしてもらうものです。当センター麻酔科ICUでも行っています。http://en.wikipedia.org/wiki/Grand_rounds

 

注2:外の血が混じらないと組織は硬直化します。近刊、M&Mで改善する! ICUの重症患者管理羊土社)p143の「一言:外部コメンテーターを最大限利用するためには」からの引用改変です。

 重大事例が起きてM&Mカンファレンスを開催しようと考えた場合に、特殊な病態が関与すると考えられ、自施設にふさわしい専門家がいない場合には、外部コメンテーターを招聘するとよいでしょう。専門家として優れたエキスパートオピニオンを提供してくれます。これが外部コメンテーターの効果の1つです。

 外部コメンテーターは、カンファレンス中に「なぜそのタイミングでその検査をしたのですか/しなかったのですか」「なぜその予防法を行ったのですか/行わなかったのですか」などの“自施設のプラクティスに関する純粋な疑問”を発してくれることがあります。そのとき、自施設の誰もが「なぜなんだろう、昔からの習慣としか答えようがない」と答えに困ることも少なくありません。外部コメンテーターによって自施設内で自分たちが意識せずに醸成したやり方、しきたり、文化があり、外部の人に言われて始めてそれが自分たちの独特なものであったことやその不合理さに気づかされることがあるのです。この気づきの効果が、外部コメンテーターのもう1つの効果です。

 しかし、外部コメンテーターを最大限利用するには、他科・他部門スタッフを呼ぶ場合と同様、外部コメンテーターにもあらかじめ症例を提示して準備をしてもらう必要がありますし、ときに、参加者が外部コメンテーターのエキスパートオピニオンを盲目的に追従してしまう場合や、逆に「所詮他施設(あるいは文献上)のプラクティスでしょ」と耳を閉ざしてしまう場合もあり、注意が必要です。