1 意義
先使用権制度は,先願主義(特39条1項)を貫いた場合に生ずる不合理な状況を是正しようとするものであり,特許権者と,特許出願前から同一の発明の実施である事業をし,又はその準備をしていた者(先使用者)との利害調整を図るものである。
2 趣旨
先使用権の趣旨については、特許権者と先使用権者との公平を図ることにあるとする公平説と現に善意で実施している発明を廃止させることは国民経済上不利益であるとする国民経済説との対立がある。この点、ウォーキングビーム事件判決(最判昭61・10・3)は,「先使用権制度の趣旨が,主として特許権者と先使用権者との公平を図ることにあることに照らせば」と判示している。これは、先使用権の趣旨が、特許権者と先使用者との公平を図ることを中核としつつ、国民経済上の利益等の他の要素を併せ考慮することを認めたものと考えられる。もっとも、「公平」の実質的内容は明らかではなく、裁判例の検討を通じて可能な限り明確化する必要がある。予め本稿の結論を述べておくと、国民経済上の利益を加味した上での「公平」の実質は、相応の資本を投下して「事業」を実施」し、あるいは、「事業の準備を開始した」者を保護すること、換言すれば、投下資本の回収の機会の付与にあるといえる。
3 要件
先使用権の成立要件は,次のとおりである。
① 特許出願に係る発明の内容を知らないで自らその発明をし,又は特許出願に係る発明の内容を知らないでその発明をした者から知得して
② 特許出願の際現に
③ 日本国内において
④ その発明の実施である事業をしている者又はその事業の準備をしていること
以下、検討を加える。
4 「その発明をし」― 発明の完成
先使用権が成立するためには,「発明」が完成されていなければならない。この点,ウォーキングビーム事件判決は,「発明とは,自然法則を利用した技術的思想の創作であり(特許法2条1項),一定の技術的課題(目的)の設定,その課題を解決するための技術的手段の採用及びその技術的手段により所期の目的を達成しうるという効果の確認という段階を経て完成されるものであるが,発明が完成したというためには,その技術的手段が,当該技術分野における通常の知識を有する者が反復実施して目的とする効果を上げることができる程度にまで具体的・客観的なものとして構成されていることを要し,またこれをもって足りるものと解するのが相当である」と判示している。
そして,「物の発明については,その物が現実に製造するための最終的な製作図面が作成されていることまでは必ずしも必要でなく,その物の具体的構成が設計図等によって示され,当業者がこれに基づいて最終的な製作図面を作成しその物を製造することが可能な状態となっていれば,発明としては完成しているというべきである」と判示している。
5 「事業」の「実施」
5-1 「実施」の意味
「実施」の意味については、特許法2条3項に定義がある。問題となるのは、第三者が製造等の行為をした場合であるが、前記のとおり、国民経済上の利益を加味した上での「公平」の実質を、投下資本の回収の機会の付与と解するならば、資本を投下した者が誰であるかが問題であり、第三者が製造等の行為をした場合であっても、資本を投下した者に先使用権が付与されると解する。この点、・・・
6 「事業の準備」
6-1 解釈論
発明の実施としての事業の段階まで至らない場合も,その事業の準備をしている者について,先使用権が認められる。それでは、いかなる場合に、「事業の準備」の要件を充足するのであろうか。
この点、ウォーキングビーム事件判決は,特許法「79条にいう発明の実施である『事業の準備』とは,特許出願に係る発明の内容を知らないでこれと同じ内容の発明をした者又はこの者から知得した者が,その発明につき,いまだ事業の実施の段階には至らないものの,即時実施の意図を有しており,かつ,その即時実施の意図が客観的に認識される態様,程度において表明されていることを意味すると解するのが相当である。」と述べ,①即時実施の意図及び②即時実施の意図の客観的表明を必要としている。
この2つの要件のうち、②がより重要であるが、発明が実施に至るプロセスが区々であることに照らせば、その具体的内容を一義的に確定することはできず、発明の類型(実施に至るプロセスという観点からの類型)毎に異なる。どのような場合に、即時実施の意図の客観的表明」が認められるのかについては、裁判例の検討を通じて理解する必要がある。
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